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■名前の読めないテーラー■

小鳩
【8556】【弥生・ハスロ】【魔女】
 【名前の読めないテーラー】の店主であるベルベットは、届いた手紙をテーブルの上へ置き、見覚えのあるエンブレムが押された封蝋から解放した。
 眼鏡の縁に指を当て、書かれている文面に目を通す。

「父さんからですか? 布の買い付けに行って、もう、何年経ったでしょうね?」

 オーダースーツの仮縫いを終えたサテンシルクは、難しい表情を浮かべる義姉の横顔を見てから手紙の内容を確認した。
 クセのある筆跡は確かに父のもので、青みを帯びたインクが隊列をなしている。

 店を、おまえたちに任せてどれぐらいの時間が過ぎただろうか。
 まさか、本気でわたしが布の買い付けに行ったと、未だ信じているのかね?
 わたしが店へ帰ることは二度とないだろう。
 だから、決めておきたいことがある。
 テーラーの看板……。風雨にさらされて少々痛み始めているあの看板だ。
 元来、一族の姓が入るはずなのだが、【店】がおまえたちを認めない限り、
 かすれた文字はこの先もずっと読めないままだろう。
 そこでだ。
 店の看板を賭けて、おまえたち二人に競い合って欲しい。
 技を存分に振るって【店】が認める作品を作るがいい。

 我らは人の業を裁(た)ち、縫い、形作る職人である。
 纏う者はそれを第二の皮膚とし、己も知らぬ真実の姿をさらす。
 我らは暴きたて、装わせ、纏う者に幾つかの道を与えるだろう。

 鋏みを取れ! 織られた枷(かせ)を、沈殿した澱(おり)を分けるために。
 針を取れ! 人間の感情の粒状と刹那を糸で繋ぎとめるために。

 おまえの首に掛かるmeasureは、実のところ、
 おまえ自身を測るものなのだと心に留めよ。

「……私は、いつか帰ってくるものだと……」
「ボクも、そう思っていましたよ」

 困惑しているベルベットのすぐ横で、サテンシルクは微塵も心にない返事をした。

「なぜ、いまさら! すでに店主は私だと決まったことではないか」
「そうですね。でも、仮の店主と呼ばれてはベルベットも気分が悪いでしょう?」
「……なん、だと?」
「競い合いも一興ではないですか。ボクはいつ始めていただいても結構ですよ」

 グリーントルマリンのようなサテンシルクの両目を睨みならが、ベルベットは父からの手紙をきつく握り締めた。
 義弟にとって店の看板など“どうでもいい”のは言われるまでもなく、十分わかっていることだ。

名前の読めないテーラー


〜弥生・ハスロ(やよい・はすろ)〜

「ここ、道なんてあったかな?」
 赤丸を付けたチラシを片手、スーパーで買い物を済ませた帰り、覚えのない道が目に入った。
 舗装工事をしていたようすもなく、唐突に古びた通りまで続いている。
 移住してかなり時間も経っていたので、今まで気が付かなかったのが不思議だ。
 いつもの帰路は広い道路まで出て、そこから右折して信号。歩道橋を渡り銀行前を横切る。
「行き止まりではなさそうだし。方向からして近道できるかも」
 明らかに他の住宅地と違うのは、異国めいた建物が多く集まっていることだ。
「こういう建て方って、許可されてるのかしら」
 大きな屋敷もあり、高い塀で囲まれて周辺を暗くしている。赤い屋根の豪邸を過ぎた先、店舗らしきものが並ぶ場所まで出た。
 だが、どんな店なのか表から見てもさっぱり分からず、もしかしたら、閉店してるのかもしれない。
 踵(かかと)を返せば、T字路の真ん中で突っ立っていた。
 もう一度振り返ると、目の前へ細長い煉瓦造りの店、だろうか? 壁一面に緑の蔦が這っていた。
 釣り下げられた看板は“Tailor”と書かれている。しかし、続きは誰の名前であるか、まったく読めないのだ。
「そういえば」
 以前、夫から聞かされた、『名前が無いテーラー』の話を思い出す。
「仕事の同僚から聞いたって。その人も他の知人から。都市伝説かと思ってたけれど」
 見つけた者は、望みの衣服を手に入れられる。……らしい。
 実際、行った者しか分からないが。
「まだ、時間あるわよね」
 夕食の支度まで余裕がありそうだ。これなら、“噂”が本当だった証拠を手に入れ報告できるだろう。
 磨き抜かれたドアノブは外の風景を映していた。思い切ってノブを回し、敷居を跨げば、天井の小さな窓から客溜まりへ淡い光りが幾筋。店内は落ち着いた雰囲気で、ハマナスに似た香りが漂っていた。床の木目を眺めていると、靴音が耳まで届く。
「ようこそ。本日はお仕立てですか? 繕いですか?」
 白いシャツに黒いズボン姿の女は、東洋なのか西洋なのか。どちらでもあって、どちらでもない面差しをしている。黒々した瞳を中心で据えた両眼の上、銀縁眼鏡がのっていた。

 子供の頃、読んだ絵本に出てきたような。でも、助けを待つ姫君ではないみたい。

 青いネクタイへとまった金属の蝶を見つけつつ、何をオーダーするか思案する。少々、迷ったが思いついたものを言ってみた。
「えっと。……そう! ワンピース、って頼める? いつでも着られるような、そんな感じの」
「他の服に合わせられるものか?」
「一枚でもサラッと着られて、別の組み合わせも出来る方がいいわ」
 対面する女の鋭い視線が、弥生の提げている荷物へ移ったので、見れば、買い物袋から青ネギの頭が飛び出していた。
「あぁっ! 気にしないで。今日は生モノ買ってないし」
 慌てて押し込んでみたものの、隠れきっていない。

 大きな袋、持ってくればよかった。

「涼しい場所でお預かりいたしましょうか?」
 笑顔の青年がすぐそばで立っていた。明るい金髪が眩しく、驚くほど深い緑の瞳が怖いぐらいだ。
「もし、そうしてもらえるなら、お願いしようかな?」
「お荷物どうぞ」
 差し出された手は作り物めいて整っている。買い物袋を受け取ると奥の扉へ歩いていった。

 生活のニオイがしない二人。お人形さんみたい。
 どうやって暮らしているのか、あまり想像できないわ。

「ご婦人、迷われたのか?」
「迷ったというか。自分から道を入ったというか」
 眼鏡の女は持っているメジャーをひと撫でして、睫毛を伏せた。そうして、薄く目を開いて呟く。
「私たちが仕立てるものは、深淵へ立ち、真理を探究する者が、暗闇の中で一人ある時、勝機と活路を見出すため、最後に垂らされる蜘蛛の糸のようなもの」
「……クモノイト……?」
 弥生が首をかしげれば、相手は一度頷いた。
「多少心得があるとしても、今は前線を退き、ささやかながらも幸福な日々を送っているのではないか?」
 確かに、夫と出会ってからは一変したかもしれない。深酒も止め、出来なかった料理も覚えた。過去の傷を癒やしてくれたのも夫だ。彼と会えた自分は“幸福”なのだろう。
「この場合、私たちの巡り合わせは“吉(よし)”と言えない。おまえにとって職人は“凶兆”であり“終焉”の始まりでしかない」
「……ここって、変わった服しか作ってないってことなの?」
 答えなのか、柔らかな笑みを見せる。
 触れるものすべてが切断されてしまいそうな鋭利さからは、想像できないほど優しい表情だった。
「どんな衣服でも仕立てているとも。おまえが武器や防具を求めていないのが分かって、私も安堵している」
 革靴で数歩進み、十分な距離で振り向く。彼女は元の冷ややかさへ戻っていた。
「私はベルベット。先ほどまで居たのが弟のサテンシルク。二人ともこのテーラーの職人だ」
「姉弟で店を運営してるのね」
 弥生にも弟がいるので、近しいものを感じた。ふと、家族の記憶が蘇る。
「まあ、血の繋がりはない」
「そうなんだ。義姉弟?」
「弟子入りの順番だな。私は“あれ”と店の看板を賭けて競い合っている。言わば敵同士」
「看板って、あの『名前が無い』看板?」
「名前はある。父と私と弟、三人の名が混じってしまっているが」
 彼らは決してシンプルと言いがたい関係のようだ。
 弥生の荷物を運んでいった職人の弟が、ワゴンを押しながら戻ってきた。
「楽しい話題ですか?」
 銀製ワゴンの上にのせられたティーポットから、果物のような香りがしている。
「いい香り。紅茶?」
「初夏に摘まれ、香りを重視した茶葉ですので、『シャンパン』と呼ばれることもございます」
 背もたれの大きい涅色(くりいろ)の籐(とう)椅子がすすめられた。腰かければ、守られているかの安心感を覚える。
 乳白色の温かい、口幅の広いティーカップへ注がれたお茶は金色だ。ほどよい渋みと立ちのぼる香りが緑茶のフレーバーを感じる。
 ベルベットは作業場まで向かい、棚で並ぶ布を手で引き出した。幾つか見比べ、二種を選ぶと型紙を作る。
「あれ? 採寸とかしないの?」
 弥生はお茶を楽しみながら、作成を始めた職人へのんびり声をかけた。
「サイズは目視で分かっている。メジャーは刃(やいば)と同じで、形成する情報、その一部を削り取るのだよ」
 女の手で布が裁たれていく。鋏みがひらめくたび残像が滲み、すぐ消失する。仮縫いも鮮やかなもので、布の厚みなど感じさせない速度で針を動かしていた。
「着てみてくれ。本縫いは後でする」
 見せられたのは白地のノースリーブワンピースだ。しかし、ほんのり色が見える。
 試着室で着てみれば、採寸なしと思えないほどぴったりだった。鏡の前で一回転して確かめたが、既製品と違い、体の線へきちんと沿っている。両腕をひねっても引っ張られることはない。布の手触りも良く、見たことがない織り方だった。
「ひと目だけでサイズを当てられるだなんて」
「手直しの必要な部分はあるか?」
「大人の女性が着るなら申し分ないけど、もう少し甘さがあってもいいかしら?」
「ならば、これで補おう」
 ベルベットがレースの付け襟を加えた。編まれた細かな立体感が清麗(せいれい)さを引き立てる。
「同じレースのチョーカーもある。好きに足せばいい」
 “仮縫い”は再び職人の手の中。待ち針で作業台が指されれ、内部でたたまれていたミシンが、眠りから覚めて身を起こしてきた。年代ものらしく塗装の一部は剥がれている。
「昔、私が父から貰ったものだ。普段は使用していない。派手な仕掛けもない手回しだが、今も現役で働ける」
 支える部分がほとんどない椅子へ座り、ベルベットはミシンのハンドルを回した。右手で回転を操作しながら左手で布を移動させる。工業用の無骨なフォルムは、手入れが行き届いているため、軽快な動きで布の上を走っていた。
◇◇◇
「お荷物は以上でよろしいですね」
 サテンシルクは預かっていた買い物袋を差し出し、会釈ひとつ、店の奥へ消えた。
 弥生のもう片手には、青いリボンの手持ちが付いた紙袋。
 夕方の風が、来た時とは逆の方角から吹いていた。
「川底を覗くことなかれ。そこには黒い土しかないぞ。無二の存在を大切にするのだな。……だが、もし、探求者であると、声高らかに名乗り謡(うた)うなら」
 黒髪のベルベットは一礼した。

「またのお越しをお待ちしております」



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■登場人物■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

◆PC
8556 弥生・ハスロ(やよい・はすろ) 女性 26 請負業

☆NPC
NPC5402 ベルベット(べるべっと) 女性 25 テーラー(仕立て職人)
NPC5403 サテンシルク(さてんしるく) 男性 23 テーラー(仕立て職人)


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■ライター通信■
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大変お待たせいたしました。ライターの小鳩と申します。
このたびは、ご依頼いただき誠にありがとうございました!
私なりではございますが、まごころを込めて物語りを綴らせていただきました。
少しでも気に入っていただければ幸いです。

弥生・ハスロ 様。

初めまして。【名前の読めないテーラー】へのご来店誠にありがとうございます。
ベルベットへのご依頼。とのことで『何時も着れる様なワンピース』のオーダー
承りました。職人同士の競い合い、この度は姉ベルベットの一勝となりました。
使用頻度の高い衣服と判断したため、職人の裁縫技術のみでの作成です。
ご依頼の品に特別な仕掛けはございませんが、弥生様の日常を壊さぬよう
ベルベットも配慮したのだろうと思います。
ふたたびご縁が結ばれ巡り会えましたらお声をかけてくださいませ。