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■call?■

深海残月
【8564】【椎名・佑樹】【探偵】
 聞き慣れた呼び出し音が鳴り響く。
 …携帯の着信。
 液晶表示画面を見る。
 発信番号通知は無し。
 ほんのちょっとだけ考える。
 呼び出し音は続いている。
 …切れない。

 出てみた。

「もしもし?」
(あっ、やっと繋がった…よかった! あの、えっと、取り敢えず切らないで下さいお願いします話を聞いて下さいやっと電話が繋がったんです助けると思ってこのままで居て下さいお願いします! あの私今外と連絡取れる手段がこれしかなくて…助けて欲しいんです!)
「はい?」
(いえあの、私…気が付いたらこの部屋に閉じ込められてて! 外部に連絡出来る手段がこれしかなくて! 駄目元で何度も掛けてみたんですけれど十回目でやっと繋がって! それが偶然貴方だったんですっ!!)
「…」
 さて。

 …これは、どうするべきだろうか?
call?

 瞬間、耳が痛かった。

 それは草間興信所で――やる事が無くてと言うか「しておいた方がいい事」として書類整理を行っていた時の事。不意に鳴り出した己の携帯を手に取り、通話に出た瞬間にそうなった。途端、所長が――武彦さんが変な顔をしてこちらを見ている。まぁ、携帯の電話に出ての俺の反応が少し変だったからだろう。
 元々俺は番号通知が無くとも特に拘らず電話に出る。何かしらの用事が無ければそもそも携帯に電話など掛けやしない訳だし、単に番号通知の設定切り換えを忘れた場合やその辺面倒で非通知放置のまま掛けて来た等の場合もあるかもしれない。それにもし間違い電話だったとしても、掛けている相手が間違いであると教えてあげる事も出来る――と言う判断で。
 だから、いつもの如く、はい? と軽い気持ちで番号非通知の電話を受けたのだが――今日のこの電話の場合はいきなり聞こえた通話相手の声が声だった。…それは電話の相手の声が「受話口からいきなり聞こえる」のはある意味当然と言えば当然だが――前置きも何も無くいきなり電話口で叫ぶようにして捲し立てられるとなるとあまり当然の事でも無い。…要するにそれが瞬間的に耳が痛かった原因。相手の声や話し振りが予期せず鼓膜に響き過ぎた結果。さすがに正直軽く驚いたが――驚いたのはあくまで「軽く」。…実際、本気ではあまり驚いてはいない。
 と言うより、草間興信所で働いているとこういう事もあるのかもしれないな、と叫びを聞いた時点であっさり納得出来ている――と言うより諦めが付いていると言った方が正しいのかもしれない。例え電話が掛かってきたのが事務所の――所長のデスク上に設置してある黒電話ではなく自分の携帯にであったとしても。…そもそも自分が草間興信所に勤めているからこそ――即ち完全に草間興信所の関係者として認知されているからこそ、その手の厄介な話が自分の方に直接振られる事も以前より増えているのではと言う気もしてくる訳で。
 …とは言ってもまぁそもそも、「以前より」と言う通り、俺も俺で今更ここで興信所に――所長の武彦さんに責任転嫁出来るような生き方をして来た訳でもない。元々、事ある毎に厄介事は振り掛かって来る体質で。…だからこそこの草間興信所に引き寄せられるようにしてバイトに来る事になったとも言える訳だし――そして今はもうバイトどころか正式な就職先にまでなっている訳だし。正直、振り掛かる『厄介事』は俺自身のせいなのか興信所に居るからなのか、理由を突き詰めたとしても結局ニワトリタマゴなどちらが先とも付かない話になってしまいそうな気がしてならない。
 俺に元々振り掛かりがちな厄介事。それはだいたいの場合で『普通』の範疇の厄介事でもあるが、何だかんだで霊絡みな事も結構多い――どうやら俺は幽霊やら妖怪やらに好かれる体質らしく、その手の皆さん――特に女性の――からは結構な馴染みになる、と言う事らしい。霊感らしきものは全く持っていない為に直接自分では良くわからなかったのだが、「ここ」に来て以来、そういう事なんだと色々はっきりさせられた感がある。…ある意味では所長と――草間武彦と同類、と言う事にもなるか。そうなると今ここに勤めているのもある意味必然、になるのかもしれないのだけれど。
 つらつらと思いながら受話口から耳に飛び込んでくる鼓膜に厳しい相手の話を聞く。と言うかまずは相手を落ち着かせる事に努めてみる。…その方が後々鼓膜にも優しくなるだろうし。

(ッあの、聞こえてますか切れてませんかッ!!)

「…聞こえてます。切れてもいません。大丈夫ですから――」

 もう一度順を追って、一つ一つ話してくれませんか。
 ちゃんと聞いていますから。
 聞こえていますから。
 切ったりしませんから。
 だから。
 落ち着いて。

 と、こちらも努めて冷静に畳み込み、宥める。相手が慌てていると自分の方でもつられて調子を合わせてしまいそうになるけれどそれは駄目。逆に極力冷静に、けれど相手の慌てようを否定はせず根気良くこちらの調子に相手を引き込む事が重要。…自分が相手の要望に確り応えられる頼れる相手だと認識させる事が出来れば落ち着かせると言う当面の目的はクリア。そしてそれは俺にとっては特に難しい事でも無い。
 ともあれ、それだけの事をしてから、漸く本題に移れる。
 本題。…通話相手の彼女――古森媛子曰く、気が付いたら何処ぞの部屋に閉じ込められていて、命綱になりそうな外部への連絡手段が今掛けているこの電話だけ、それも何回掛けても中々何処にも繋がらず、十回目でやっと俺の携帯に繋がった…と言う事の次第であるらしい。

 取り敢えずそこまで聞いてみて。
 結構怪しい電話だな、と改めて思う。普通なら警察等に電話をした方が早いだろうし、どう巡り巡ったらそれが俺の携帯に繋がるのか良くわからない。十回掛けてやっと繋がった――どういう事なのかその辺も少し突付いて聞いてみると、なんと九回が九回話し中だったらしい。ある意味それも凄いなと思いつつ、110番には掛けたんですか? と訊いてもみたら――また、ああっ、と慌てたような大声がこちらの鼓膜を揺らして来た。

(わ…忘れてました…ッ!!!)

 …いや、普通真っ先に出るんじゃないかと思うんだが。
 ツッコミがてら思いはするが、特に口には出さず実際に掛けた十回――正確には俺への分を除いた九回分の番号選択は何処から来たのか訊いてみる。…リダイヤルを片っ端からとの返答。ああ、携帯だと110番よりそっちを先に頼る場合も有り得るか? と思いもする。…俺はその状況ならまず警察を頼ると思うけど。いや、そうじゃなく。リダイヤルを片っ端から、となると――この相手は以前に俺宛てに電話を掛けて来た事があるって事か?
 やっぱり頭の中だけで思いながら――記憶を掘り出して思い返すのと並行しながら相手の名前も改めて確かめる。…古森媛子。漢字の字面も確認し、そう名前も聞いているが申し訳無いがどうにも記憶に無い。ならば俺の知人友人家族の関係者と言う可能性。…関係が薄くとも何処かしらで繋がりがあるならその程度の関係ででも出てくる可能性が無いとも言えない。
 椎名佑樹、とこちらの名前もさりげなく伝えてみる。相手に何かしらの反応があるかどうか――携帯のリダイヤルにこちらの番号が残ってるような相手なら当たり前の話だが、この媛子って子は通話相手の俺が『俺である事』をちゃんと知っているか。まずはその反応を見る。

 見るが。
 特に無い…と思う。

 多分、面識も何も無い。電話で話したのも今が初めて。そもそも声自体にも記憶が無い。…この相手みたいな若い女性の声なんかだと、俺の場合一つ聞き間違えると――別人と間違ったりすると色々大変だったりするから結構確り記憶しているつもりなんだけど――それでもやっぱり記憶に無い。
 なら、そんな相手が掛けている電話のリダイヤルに俺の携帯の番号が残っているのは何故なんだろう。これまたやっぱり頭の中だけで思いながらも、今度はそこを突付くのは止めて取り敢えず気になっていた別の事を訊く。…そもそも部屋に閉じ込められたと言うのは自らの意志でその場所へ行った結果何らかの手違いで閉じ込められたのか――もしくは何者かに誘拐されたらしい、とか事件性の高いものなのか。
 媛子の言う「気が付いたらこの部屋に閉じ込められていて」だけではどちらの可能性もある。前者なら落ち着いてさえ貰えば解決策はすぐに出る話。単純に俺がその部屋を開けられる誰かに――普通にその部屋のある家の人やら管理人なり、もしその部屋の扉や鍵が壊れてまともに開かない状態になってるとかならレスキューなり鍵屋なりに連絡するとか、もしくは…例えば、もし技術的には簡単に解決する事だったにしろ部屋の主に言っては困る等の何かのっぴきならない理由があるなら何なら俺自身が出向いたって良い。どれにしろちょっとした事件ではあるが、少なくとも犯罪が絡むようなややっこしい話にはならないだろう。…そしてそれなら警察よりリダイヤルに頼ろうとした理由もわからないでもない。
 だが後者なら――何者かに攫われ囚われていると言うのなら。…まず普通に犯罪である可能性が高い。それも草間興信所に――と言うかその草間興信所に勤めている俺に掛かって来ている電話で聞いた話、となるとただの犯罪であるとも限らない――例えば何かしらの怪奇事件が絡む可能性も出て来る。そして怪奇事件が絡まなくとも、一筋縄では行かない可能性が高い事には変わりは無い。

(た、多分…連れて来られたんだと思います!)

 まず、両手が縛られてましたから――何とか緩めて、持っていた携帯を取り出すまでは出来たんですけど。
 でも。
 どういう経緯でこうなったのか、全くわからないんです――媛子はそう続けてくる。

 その時点で、俺は携帯から耳を離さないまま武彦さんに目配せをする。この電話の内容。事件性が高そうだ――草間興信所の、探偵の仕事にもなりそうだと見たから。…正式な依頼でなくとも放っておけない。それが結局、草間興信所のいつもの方針。…お人好しと言われるのは案外俺だけでもない。元々、書類を整理していたところ――武彦さんもちょうどすぐ側に居るところ。こちらの目配せにもすぐ気付いてくれる。
 武彦さんはデスクの椅子から立つと、俺の側にまで来て俺の通話している携帯に聞き耳を立てる。俺は並行してテーブル上に置いてあったメモを手許に寄せ、電話相手の話の要点を簡単にだけ走り書きして武彦さんに見せる。電話のこちら側だけで勝手に話を展開するのはまだ気が動転している媛子が心細がるかもしれないから――今は「これ」とちょっとしたジェスチャーでだけ武彦さんとは意志の疎通を図る事にする。後は今は媛子の方を優先。…もう少し落ち着かせたなら、武彦さんも交えて解決に向けてちゃんと話せはするだろうが。
 今の閉じ込められている現状も勿論だが、閉じ込められるまでの経緯がわからない、と言うのもまた問題ではなかろうか。…要するに、「媛子自身が今そうやって閉じ込められる前までは何をしていたのか」、と言う本人にしてみれば明瞭だろう事柄がわからない――それだけ衝撃的な何かがあって直前の記憶が突発的に消えている、と言う可能性が高い事にもなるのだろうから。

 ただ、そうは言ってもさすがに直前より以前の全部が全部わからない訳じゃないだろ、とも思う。だから、落ち着かせる事を優先しながらも、直前がわからないならその前は何をしていたのか、出来る限り遡って思い返してみるように促してみる。
 閉じ込められる前の媛子の最後の記憶は。何処に居たのか。何をしていたのか。どうも、なかなか思い出せないようで電話の向こうからは焦っている気配までする。落ち着いて、と優しく話し掛けつつ、根気強く待つ。けれどどうにも明確な答えが返って来ない――声の調子や電話の向こうの雰囲気からして、焦慮の気配だけが濃くなってくる。…本気で思い出せないのか? と思う。けれどそこもひとまず突付く事は避け、話を変えてみる事をする。今この状況で媛子にはっきりした返答を求めて新たに突付いたら、思い出せない事を責められている、と感じてしまいそうだから。…何となくこの場合、そうなると色々事態が悪化する気がしてならない。

 まぁ、それで話を変える、と言っても少し方向性を変えてみただけ。今、媛子が閉じ込められていると言う場所はどんな場所なのか、何か気が付いた事は無いか――と言う方から訊き直してみただけになる。…少し話の角度を変えた方が何かの拍子に色々思い出す可能性だって出てくるかもしれないし。
 思いながら訊くと――暫く辺りでも見て回るような気配がしてから、何処かの部屋だと思います、と答えが返ってくる。窓は無く、調度品の類も無い殺風景な何処かの空き部屋のような。…出入り出来そうなドアは一つ。が、そのドアは――ドアノブを回しても鍵が掛かっているのか開かない。部屋の広さは四畳半程度、フローリングと言うにも何か床は壁沿いが少し毛羽立っている――と言うか床面自体も粉っぽく変にざらついていて、例えるならば和室なら畳を上げたその下の床材が剥き出しになっているような感じ、との事。…壁も同じ。壁紙が剥がされていて、その下が直接露出しているような。部屋中が、そう。
 そしてそんな部屋の中、床だけでは無く壁や天井にまで――殆ど部屋一面に何かの液体をぶちまけた後のような大きな黒っぽい染みがあるのだとも言う。そしてその染みが、どうにも気味が悪い、との事。閉じ込められている事と合わせ、何か凄く嫌な感じがあると言う。

「嫌な感じ?」
(はい。あの…何て言うか…よくよく見直してみたら、血の染み、じゃないかって…)

 そんな気がしてならないらしい。
 思わず、武彦さんと顔を見合わせた。…何やら格段に物騒な話になって来た。媛子の言うそれが本当に血の染みだったなら――染みの大きさや位置からして、その血を流した者が怪我で済んだ可能性は著しく低い気がしてならない。例えば過去、その部屋で「何かの穏やかならぬ事情」で死者が出た可能性が高くは無かろうか。
 そして部屋中の壁紙も畳も剥かれているのでは、と思しき状況となると――例えば部屋の使用者が「どうせまた汚れる」から改めて張り直す気が無い、と判断している等の可能性は有り得ないだろうか?
 やや先走っている自覚はあるが、今の媛子の情報では――そこまで考えておいても罰は当たらないような気がする。…こうなると、媛子が閉じ込められる直前の状況が本当に重要になって来た。
 いやそもそも、そんな状況ではこうやって話していられる時間の猶予があるのかすら怪しくは無いか? 閉じ込められているどころの話では無く、いつ、どうなってもおかしくない可能性は無いか!?

「…媛子さんと言いましたね。他に気が付いた事はありますか?」

 今。
 部屋の中。
 気付いた事。
 四畳半程度の部屋の大きさ、大きな黒い染み、壁紙と畳が剥かれている、窓が無い、開かないドアが一つ。
 他には。

「見たところだけじゃなくて、音でも、臭いでも、自分の状態でも」

 何でも良いから、気が付いた事はあるか。

(――)

 促す為に言った時点で、受話口の向こうでは息を呑む気配。
 それから、沈黙が暫く続く。

「…もしもし?」

 不意の沈黙を訝しく思い、こちらから話し掛けてみる。…少なくとも今の「沈黙」のタイミングで通話自体が切れたりした訳では無い、とだけは思う。それっぽい音は聞こえなかったし、そもそも微かながら息遣いのような音は、今もする。…受話口の向こうに相手はまだ居る。

(私は…――私、じゃない…!?)
「…え?」

 …私は私じゃない?
 どうも引っかかる科白。

「媛子さん? どうしたんですか?」
(ッ…え、あの…わ、私は…わた…)

 続けて訊くと、媛子の声に更なる動揺が混じってくる。それも――閉じ込められていると訴えていた先程までとは違う種類の動揺が。
 …だからと言って、媛子の身に新たに何かがあった――例えば外から誰かが来たとか――等の、事態が急転したと言う風でも無い。
 動揺しているのは、あくまで、媛子自身の内側での事情、のような。

 と、なると。

「何か思い出したんですね?」
(は、はい! 私は…『古森、媛子』です)
「はい。そう伺いましたよ」
(でも『私』じゃないんです! あの、この…)

 …『この身体』は、たぶん。

「と、仰いますと」
(ッ――手の形とか、ちょっとした感覚がなんか、凄く、違和感があって、腕にあった筈のほくろが無くて、指の太さとか――私じゃ、ないんです。他にも――)

 違うところが、たくさんあって。

「…」

 酷く躊躇いながらもそう続けてくる媛子。正直、反射的に反応に困ったが――よくよく考えてみれば、自分が自分じゃないとか、その手の話は精神疾患的な方面で聞いた事はあった気がする。…有り得ない訳でもない。
 が、「それ」にしてはこの媛子――妙に「今の私の身体」と「本来の私との違い」を具体的に話している気がする辺りは何なのかとも思う。ならば。試しに彼女の――媛子の言う事を本当だと仮定してみる。…身体と中身が本当に違っていたとしたら。…それが症例通りの精神疾患で無いのなら、それこそ幽霊だか何かが取り憑いている…とか草間興信所ではお馴染みの怪奇絡みの話、と言う筋も有り得るか?
 そしてその場合、今話しているのは取り憑いている方の人物…と言う事になるのだろうけれど。
 身体と中身が別人と仮定するなら、その証拠があるかどうかを訊いてみるか。

「確かめられそうなものは、ありますか」
(え…?)
「今の媛子さんの身体が、媛子さんのものでなさそうだ、と確かめられるものです」

 例えば、今俺との通話に使っている携帯など個人情報の宝庫だろう。…と言っても当の携帯を通話中に弄るのは難しいかもしれないか。…ならば財布とか。中にクレジットカードなりポイントカードなり、何かしらの所持者名入りのカード一枚くらいありそうではなかろうか。もしくは――パスケースやら運転免許証だって、常々使っているのなら――所持しているのならまず持ち歩くだろう。
 …そんな感じで、身一つであってもそれなりに持っていそうなものはあると思う。着ている服自体だって、場合によっては何かの情報にはなるかもしれない。そう訊くと、電話の向こうで何やらがさがさと探るような音がする。…探している。こちらの言う事を素直に聞いている。誤魔化す様子も無い。…と言う事は、取り敢えず媛子本人は、本気で自分の身体が自分で無いと思っているらしい。それだけはその時点で確かめられる。
 それから、少しして。

(内藤、麻緒…?)

 ぽつり、とそれだけが受話口から返ってくる。

 …。

 …今度は聞いている俺の方が引っ掛かった。ないとうまお――内藤麻緒。その名前は聞いた事がある。…何処でだ。記憶を改めて引っ繰り返してみる。内藤麻緒内藤麻緒。俺が会った事のある女の子である事は確か。ただ――少なくとも受話口から聞こえるこの声の持ち主で無かった事も確か。と、言う事は取り敢えず今していた仮定の話が本当に本当だったと思っておくべきかもしれない。いや、そうでなくとも――少なくとも、所持品から出たと思しき名前はこの場合重要な情報である事に変わりは無い。

 …思い出した。
 内藤麻緒。

「今の内藤麻緒って名前は?」

 何処にあったの?

(パスケースの中の、カードに)

 書かれていました。
 あと、住所と、年齢が――そう続け、『媛子』は実際にそれらを読み上げる。
 それから念の為、内藤麻緒の名前の字面――漢字表記も改めて『媛子』に確かめた。

 間違いない。

「…。…わかりました。…あの、ちょっと電話代わりますね。俺の上司に」
「って待て。今の話の流れでなんで俺に代わるんだ?」
「ここの電話借りて麻緒の友達に今の麻緒の所在――出来なくても最後に麻緒を見たのがいつ何処でかを訊いてみようと思って」
 それである程度場所が絞れるかもしれないし。
「なんだ、知り合いか?」
「媛子さんとは初めてですが、麻緒とは」
(…あの?)

 今の武彦さんとの会話。携帯の送話口を塞いでいない――即ち、電話相手の『媛子』にも聴こえている。
 ここまで来たら武彦さんの存在も交えた方が良いと見たから。わざとそうした。わかり易く今まで話していた俺から初めて話す武彦さんにただ入れ替わってしまうより、俺もまだ電話口に居る内にさりげなく二人で話し込んでから武彦さんに代わった方が――代わる相手が電話のこちらで俺と実際に話している「誰か」である方が、この『媛子』を安心させるにも良いんじゃないかと思って。

「媛子さんの仰るその麻緒なら俺の知り合いです。携帯のリダイヤルに俺の番号が残ってたのも道理だと思いますよ」
(…)
「今の『貴方の身体』は麻緒だと言う。なら、麻緒を探せば貴方を見付けられるかも知れない」

 そう思ったんです。

(…あ、あの…こんな話、信じて、くれるんですか)
「今の貴方に、俺に対して嘘を吐く意味が何かあるんですか?」

 軽く問う。
 本気での質問と言うより、軽口を交えた感じで。

(! …じゃあ)
「はい。暫く俺の上司の武彦さんに――今こちらで俺と話していた人ですが、電話を代わりますね」

 それから、今話しているこれとは別の電話で麻緒の家族に友人知人、その周辺の関係者に麻緒の所在を確かめてみようと思います。
 今こちらで武彦さんに話していた通りに。
 ですから、それが済むまで。
 少し待っていて下さいね。

 そこまで『媛子』に優しく言い聞かせ、俺は今度こそ本当に武彦さんに携帯を渡して通話を代わる。まず、この『媛子』は通話を切る事をこそ怖がっていたから。だから、別の電話で――取り敢えず武彦さんのデスクの方に回り、事務所の黒電話の受話器を上げる。…少し考えてから、ソラで記憶している一つの電話番号に掛ける事をしてみた。…慣れないダイヤル式はきちんと番号が回せているか少し不安になるが、回し終えたらちゃんと受話口から呼び出し音が鳴り始め、問題無く繋がる。程無く相手も出た。…まず一人目。目的通り麻緒の現在の所在や行きそうな場所の心当たりを確かめる――ついでに幾つか周辺人物の電話番号も確かめ、メモに取った。…いや、俺の携帯のメモリになら元々入っているのだが、今は確かめられないので――そしてさすがにメモリに入れてある全部の番号をソラで記憶してはいないので。
 ともあれ、確かめてからまた、メモに取った番号の相手に電話を掛け、同様の事を続ける。麻緒の現在の所在や行きそうな場所の心当たり。まだ掛けていない――まだ誰からも聞き出していない周辺人物の電話番号。何なら直接麻緒に掛けてみようか? と少し気の利いた相手から申し出られもしたが――実行結果は、話し中。…それは即ち「今繋がっている俺の携帯と話し中」、と言う事になる気がしてならない。『媛子』が本当に麻緒である可能性はどうも濃くなって来た。
 …何件か掛けてみて、取り敢えず最後に麻緒が確認された時間と場所が薄々絞られて来る。そして――その時間からまだ然程時間が経っていない。武彦さんを呼ぶ――武彦さんは『媛子』と通話中になっている俺の携帯を耳に当てたまま、棚から地図帳を出して来た。二十三区内。差し出され、デスクの天板に広げ、ページを捲る。

 最後に麻緒が確認された場所と時間。それと、今現在の時間。
 考え合わせる限り、車等使ったとしても移動出来る距離はまだ限られている――と言っても、まだそれなりに広範囲ではあるが。
 でも、このくらいなら。

「…武彦さん、お願いがあるんですが」



 ――――――ひと、集められるだけ集めてくれませんか。

 武彦さんへの『お願い』はそれ。そう頼んで、後はもう――その集められた『ひと』たちと手分けして範囲内を捜し回った方が早いと思ったから。…つまりはただの人海戦術。但し――『武彦さんの伝手』を使った人海戦術。即ち、『草間興信所ならではの伝手』も含まれる。そうなると勿論、ただの一般人とも限らない。この草間興信所、怪奇事件が持ち込まれるとは言え――当然ながら解決する方もそれなりの異能者である事は多い。武彦さんも武彦さんで、「解決するにも異能が必要」等の理由で自分では間に合わないと見た時は――そんな異能者の皆に調査員を頼んで丸投げとかもよくやる。…やれるだけの伝手がある。つまり、集められる人たちはそのくらい便利な力も持っていて、場合によっては期待も出来る。
 勿論、そんな皆に任すだけじゃなく、俺も俺で捜しに出る。そのつもりで、武彦さんから返してもらった繋がりっぱなしの俺の携帯で『媛子』と話を続けたまま事務所を飛び出そうとしたのだが――殆ど同じタイミングで受話口から『媛子』の声だけでは無く、もっと色々な異音が聞こえて来た。媛子の驚いたような叫び声も。…すわ何が起きたかと慌てたが――程無く、大丈夫ですかー、と安否を伺う何者かの声が携帯の受話口に紛れ込んでくるのまで聞こえた。…そちらの声は何となく聞き覚えがあるのは気のせいだろうか。
 そしてこれまた殆ど同時に、るるるるると黒電話の呼び出し音が鳴り響いている。

 …それは、つまり。



 既にして何やら大騒ぎになっていた。

 草間興信所の黒電話に連絡があった場所。武彦さんと一緒に辿り着いた時には当の救出者――武彦さんの声掛けに集まってくれた草間興信所の常連組数名――と警察と救急隊員と麻緒とで何やら揉めているところだった。どうやら部屋を出たところから救出対象が動こうとしないらしい。麻緒が――いや、『媛子』が喚いている声が受話口の方からも聴こえてくる。…携帯の通話はまだ切っていない。と言うより、まだ切らないで下さい…! と『媛子』が何故か縋って来るので切るに切れなかった――のだが。
 …この様子ではもう、「閉じ込められていて」、の件は解決したと思っていいのだろうに、その「携帯を切ろうとしない」上に「携帯を手離さない」事も揉めている原因のようだった。つまりは――折角保護しようとしているのに大人しく保護されてくれないような。
 何だろう? と武彦さんと顔を見合わせながらも、ひとまず携帯の通話先――『媛子』の方にまず連絡。今着きました、これから行きますから――と送話口に、『媛子』に告げ、騒ぎの輪の中に入って行く。警察から一旦制止されたが、武彦さんが草間興信所の常連組のひとたちを呼ぶ事で――関係者と見做されたかすぐに騒ぎの輪に近寄る事は出来た。

 すると。

 俺たちの接近にやや遅れて気付いた麻緒が――否、『媛子』だったのかもしれない――とにかく彼女が、救急隊員を振り払うようにしてこちらに駆けて来た。
 彼女のその耳元には、まだ携帯がある。
 それを認めて、思わず、ぽつりと口から洩れた。

「…麻緒?」

 じゃなく。

「…『媛子』さん?」

 そう呼んだら。
『麻緒』は、うん、とばかりに思い切り頷いて。
 俺のすぐ側にまで来たかと思うと、ぷつんと糸が切れたようにそのまま倒れ込んで来る――俺は慌ててその身体を抱き止めた。いや、目の前での事だし手を出さないで放っておく訳にも行かないし。
 ともあれその拍子に、持っていた携帯も取り落としてしまう。そして――彼女の持っていた携帯も、倒れる拍子に同じく地面に落ちている。その様子を見、救急隊員が慌ててこちらに駆けてくる。俺から麻緒を預かると、バイタルを確認しつつストレッチャーに載せて、救急車。

 で、結局。
 何が何だかわからない内に、麻緒の唯一の知り合い兼、事件解決に噛んだ草間興信所の職員として――俺もそこに付き添いで乗って行く事になったのだが。
 病院に着いて暫くしたら、麻緒は何事も無かったように普通に目を覚ましていた。

 …『古森媛子』などと名乗る事も、俺が携帯で聞いた『媛子』のあの声になるような事も、一切無く。



 後になって聞いた話。

 麻緒が閉じ込められていたあの部屋では、案の定と言うか何と言うか、何人も女性が殺されていた当の現場だったらしい。…とある殺人鬼の巣。俺たちが麻緒を助けた後、部屋の主やら何やら調べた後に――警察からそうだったのだと結構ショッキングな事を聞かされた。救出がもっと遅くなっていれば、麻緒もどうなっていたかわからないと。

 ………………そして、その殺人鬼に既に殺されていた、被害者の中の一人の名前が、『古森媛子』。

 俺はどうやら、携帯でその『彼女』と話していた事になるらしい。…麻緒の身体を借りた『彼女』を。
 …その時点で驚けとでも言われそうだが、草間興信所に勤めているとそれくらいではあまり驚けない。それよりこの場合、霊感の無い俺でも『そういう事』は起き得るんだろうか、と素朴な疑問が生まれるのが先になる。
 なので、その辺詳しい興信所常連組の皆に訊いてみたら、電話越しだったからじゃないか、と言われた。…この古森媛子が――閉じ込められていた内藤麻緒を自分と重ねて。助けて欲しくて=助けたくて。その辺の区別が付かなくなって、いつの間にか内藤麻緒に取り憑いて、椎名くんに助けを求めていたんじゃ、とか。
 …そんな風な事を言われた。

 俺にはよくはわからないけど。
 でも。
 最後の最後、倒れる前――俺に呼ばれて、思い切り頷いたあの時の『媛子』の表情は。

 多分、喜んでくれてたんじゃないかな、とは、思う。
 大した事は、何も出来てなかったんだけど。
 …事実として、麻緒は間に合ったけど、媛子さんは間に合わなかった――命を救う事は出来なかった事になる訳だし。

 それでも。

 あれであの時、麻緒だけじゃなく、あの『媛子』の方も。
 一緒に「救われた」んじゃないかって、信じたいような気は、してくる。

【了】


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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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 ■整理番号/PC名
 性別/年齢/職業

■PC
 ■8564/椎名・佑樹(しいな・ゆうき)
 男/23歳/探偵

■NPC
 ■古森・媛子(こもり・ひめこ)/通話相手(幽霊)
 ■内藤・麻緒(ないとう・まお)/閉じ込められていた娘

 □草間・武彦/雇い主の探偵

 ■人海戦術を頼まれた草間興信所常連組の(異能者の)皆さん

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          ライター通信
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 椎名佑樹様には初めまして。
 今回は発注有難う御座いました。

 そして作成日数上乗せしてある上に初めましてから大変お待たせ致しました。せめて納期前の営業日営業時間の内にと思っていたのですが…ついでに言うならどうにも長文です。毎度こんな節のあるライターです。宜しければお見知りおき下さい…。

 内容ですが、閉じ込められた事情の可能性として二点挙げられていましたが、その視点はこれまで幾つかやらせて頂いた「call?」では無かったものなので新鮮でした。
 後は…幽霊妖怪人間問わず女性にモテると言う点やお人好しなところがある、の辺りから転がして好き勝手やらせて頂いた率が高かったような気がしています。勝手に知り合いだった事にしてしまってますし(汗)。…麻緒については椎名様が何処かで知り合った多数居るだろうモブ的(…)な女友達の中の誰か一人、とでも思ってやって下さいますと有難いです(礼)
 後、プレイング後半で口調について特に挙げられていたのでこだわりがあったのかなとも思ったのですが、話の流れからしていまいち当てはまらないような形ばかりになってしまった気がするのでその辺りはどうだったのか気になっていたりもしています。

 PC様の性格・口調・行動・人称等で違和感やこれは有り得ない等の引っ掛かりがあるようでしたら、出来る限り善処しますのでお気軽にリテイクお声掛け下さい。…他にも何かありましたら。些細な点でも御遠慮なく。

 …如何だったでしょうか。
 少なくとも対価分は満足して頂ければ幸いなのですが。

 では、また機会を頂ける時がありましたら、その時は。

 深海残月 拝