■お相手してみませんか■
伊吹護 |
【7348】【石神・アリス】【学生(裏社会の商人)】 |
「おはよう、ございます」
いつもより早めに起きて店に出ていこうとするレティシアに、炬は今日も声を掛ける。
日課である、玄関の掃除。
彼女の掃除はこの玄関を皮切りに、久々津館全体に及ぶ。
人形博物館開館までにはいつも間に合ってはいるのだが、それでも毎日大変な作業だ。
そんなの毎日やらなくてもいいとレティシアは思うのだが、炬がそれを苦にしている様子はない。感情がないのだから、当たり前といえば当たり前だが。
それでも――最近は随分と作業も減っているようだった。
それは、水菜の存在が大きい。
ここ最近は、久々津館での生活に必要な知識や手順を覚えてきている。今では朝の掃除の一部も手伝っているようだ。
余裕はある、か。
足を止め、ふむ、と考え込むレティシア。
一つ、思いついたことがあった。
幸いにも、久々津館の財政状況は良好だ。常の収入は心許ないのだが、出費も少ないのでこれまでもそんなに苦労はしていない。特に、食費はほとんど掛からない。パンドラの売り上げもなかなか。鴉の仕事もいくつかあるし、しばらくは大丈夫だろう。
――いろいろ、試してみるのもありか。
炬は、私たちの希望なのだから。
翌日。
人形博物館の受付の側と、アンティークドールショップ「パンドラ」の店内に、こんな貼り紙がされた。
『アルバイト募集
1.水菜・炬の一日家庭教師
2.久々津館での雑務手伝い』
大きく書かれたその後には、アルバイトの内容が詳細に書かれている。
1…水菜・炬の一日家庭教師をしてください。家庭教師らしく、何か講義をしていただいても構いませんが、世間知らずで外の世界をあまり知らない二人をどこかに連れていってもらえるだけでも構いません。報酬は一日あたり、応相談。応募時に一日で何をするかまとめたレポートの提出をお願いします。
2…水菜、炬とともに館の掃除・炊事を手伝っていただきます。その他、人形博物館の受付などもやってもらうかもしれません。時給制。時給については応相談。
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目は口ほどに物を言う?
入道雲が空に突き刺さるように伸びていた。蝉の大合唱が耳を打つ。
正直言って、五月蝿い。
雨上がり特有の臭いが、照り返す陽光に熱せられた空気と一緒に鼻を突く。
あまり外出したいとは思えない陽気だった。
けれど。
いつまでも、放置してはおけない。
あれから一ヶ月以上。ずっと、喉の奥に棘が刺さったかのような気持ち悪さがまとわりついている。そろそろ、この棘を抜いてやらないといけない。
石神アリスは、誰にも聞こえない程度の声でそう呟いた。
前に訪れた時と同じ、まとわりつくような湿気を孕んだ空気は好ましいものではないが、それほど気にはならない。何故だろうと思う。
やがて、蔦に絡まれた、忘れようもない洋館が見えてくる。
そこで気づいた。
以前は気が重かった。自分の不始末を清算しなければならない、面倒な事になった、そう思っていた。
でも、今回は違うのだ。
棘が気持ち悪いと思っていた――そうではなかった。
この棘が抜ける瞬間を、心待ちにしていたのだ。
歯応えのある相手を出し抜き、説き伏せ、捻じ伏せる。その瞬間の愉悦を、味わいたかったのだと。
開け放たれた門を通り、観音開きの扉を押し開ける。
目前に広がるのは、以前来た時と全く変わらない、まるで、時が止まっているかのような光景だった。
殺風景な広いホールの中に、ぽつんと受付がある。そこに、直立不動で立つ人影。
近づけば、慇懃に頭を下げ、いらっしゃいませと声を掛けてくる。その一連の流れと、上げられた顔の無表情さは、機械仕掛けの人形を感じさせた。整った顔立ちは、まさに日本人形といった雰囲気を醸し出している。
――確か、かがり、と言ったかしら。
自分の能力――魔眼の効かぬ、人ではないもの。そちらの印象が強く、記憶の中から相手の名前を拾い出すのに一瞬の間が必要だった。
「お久しぶりです、炬さん」
微笑みを浮かべて、あくまで柔らかな口調で話し掛ける。
「いらっしゃいまセ。ご訪問、ありがとうごザいます。展示も前回から大きく変わっておりマすので、是非楽しんでいただけレばと思います」
合成音声のような平板なイントネーションで、炬は言った。
その話し振りは、前回のことを覚えているかのようなものだった。ただ、これくらいは織り込み済みのことなので、動揺などはしない。
「まあ。覚えていていただいたなんて、光栄です。でもごめんなさい。今日は見学ではないんです。求人の募集を見てきたんですが」
相手の話をスルーして、こちらの用件を伝える。
少々お待ちくださいと言い残して、炬は、ホールから消えていった。
――ここ、空っぽにしちゃっていいのかしらね。無用心な。
そう思いながら、待ち時間の間に、前回のことを思い出す。そして、今回の目的も再確認する。
催眠、石化のどちらも効かない人形もどきと、自分と同じような能力を持つ女。さらに他にどんな住人がいるか知れない。魔眼については、今回ばかりはあてにはしないほうがいい。あくまで緊急時の避難用くらいだろう。
唇をそっとなぞる。
今回の主役は――ここだ。
「お待たせしました。こちラへどうぞ」
突然、背後から声がかかる。思わず身体がびくついてしまう。気配を全く感じなかった。いつの間に後ろに回ったのか。全く、厄介な人形だ。
関係者以外立ち入り禁止、と書かれたホールの奥に続く廊下へ入り、すぐ右手の部屋へと案内される。
中は、いかにも来客用、という部屋だった。
テーブルを中心に向かい合わせのソファ。落ち着いたデザインのアンティークだ。壁や天井との相性も考えてある。さすがにセンスがいい。
ほどなくして、炬が戻り、紅茶を置いていった。柑橘系の香りが鼻をくすぐる。アールグレイだろうか。紅茶はそれほど詳しくはないが、おそらく上等な品だろう。
そして、入れ替わるように一人の女性が現れる。見覚えのある、華のある美人。忘れようもない顔だった。レティシア。そう言ったはずだ。
「ようこそ……って、あらあら。これはまた」
口に手を当てて、上品な微笑みを作り、レティシアはそう言った。言葉とは裏腹に、その仕草は余裕たっぷりで、そのまま、ゆったりとした動作で向かいのソファーに座る。
少しは驚いたりしてくれるのではないかという儚い期待は適わなかった。これもまあ、想定通りだけれど。
「お久しぶりですわね。そういえば、前回はお名前を伺っていませんでしたわね。お伺いしてもよろしいですか?」
そんな問いに、素直に答える。名前を知られることには何の問題もない。
「で、求人に応募、と。なんというか……いい度胸してるわね、とでも言えばいいのかしら?」
嘆息とともにそんな言葉を吐くが、顔は微笑んだままだ。顔が笑っていない、とはよく言うが、顔が笑ったまま、のほうがよっぽど手強い相手だろうとは思う。
それに対し、こちらもにっこりと、相手に負けずとも劣らぬ笑顔を返してあげる。
「? 何の事でしょう? 私は、以前来た時に見た求人が気になって、応募しようと思ってきたんですが……?」
小首をかしげて言ってみる。何でそんなひどい事言うんでしょうか、と言外に匂わせるように。
目線が合う。だがそれは以前あったような異能と異能のぶつかり合いではない、ただ相手の思惑を探るための、視線の絡み合いだ。
たっぷり数秒は経っただろうか。
「――あーもう。こう見えてもね、腹の探り合いとか、そんなに好きじゃないの。要求は何? 一つ言っておくと、貴女の気にしてるあの石像は非売品だから報酬になんて無理よ」
根をあげたのは、相手のほうだった。ただ、意図していることの半分は読まれてしまっていたが。
「譲っていただけるのが確かに理想ですけれど、非公開にしておいていただければそれで。その代わり、働きは保証しますわ。こう見えても、美術館をやっていまして」
バッグから名刺を取り出し、差し出す。経営の名義は親でも、実際に切り盛りしているのは自分だ。対外的な処理のため、それなりの肩書きももらっている。
レティシアも手馴れた様子で名刺を受け取ると、さっと目を通す。
「ご同業者じゃない。若いのに頑張ってらっしゃるのね。忙しいのではなくて?」
事情を聞くのではなく、別の話題を振ってきた。それならそれで、返しようはある。
「わたくし自身、やはりまだ経験が足りないと思っておりまして。他のところがどのようにしているのか、勉強も兼ねておりまして」
そこまで言って、失言に気づいた。でも、もう遅い。
「うーん、うちなんかで勉強になるかは分からないけれど……そう、じゃあ研修ってことで、このくらいの時給でどうかしら――あ、あの石像は非公開の予定よ。曰く付きのものはなかなか一般にはお見せできないしね、どんな影響があるか分からないから」
こう返ってくるに決まっているのだ。別に収入面で不自由はしていないからいいのだけれど、なんだか負けた気分になる。許せるくらい少額の時給減というのがまた、苛立ちを誘う。
けれど、まあ、こんなものか。とりあえずあの像が公開されないのなら、心配は少ない。バイトすることで、ある程度の監視もできるし。
「……わかりました。時給は、仕事振りを見ていただいて、それでまた後日交渉させていただきます。それでよろしいでしょうか?」
そんなアリスの返答に、レティシアは鷹揚に頷く。
それを見て、では、よろしくお願いします、と手を伸ばす。契約成立だ。
しかし、レティシアはその手を取らずに言葉を続けた。。
「でもね、これだけは覚えておいて。私は正義の味方じゃないから貴女が何をしていても関知はしないけれど、私と、この久々津館の関係者や、お客様に何かしたら、その時は――分かるわよね?」
そこまで言って、改めてアリスの手を握り締めたレティシアの笑顔は、今日一番のものに見えた。
それから、自分の美術館の切り盛りに加え、久々津館での雑務という生活が始まった。もちろん毎日入るわけではないし、業務も正直言ってたいしたことはない。何より、これでやっていけるかというくらい客数が少ないのだ。まあ、ブローカーなり、他の手段で収入を得ているのではないかということは分かるが。
むしろ、久々津館へは休憩と、収蔵物の見学に来ているようなものだった。ジャンルを人形、それに類するものに絞ってのこのラインナップは、瞠目に値すると素直に評価できる。毎日出される紅茶も何気にポイントが高い。
そこまで考えて、いまさらながらに、大分染まってきてるな、と思ってしまう。
そんな時だった。
「お疲れですか? 少し休憩なさいますカ?」
一緒に掃除をしていた炬が振り返り、そう声を掛けてきた。
艶やかな黒髪と、彫りは薄いが整った顔立ちに、窓から入る陽射しが重なって。
一種の神々しさを感じた。やはり、すばらしい。
「ああ……あなたは美しいですね……コレクションに加えたいぐらい」
それは、思わず漏れた小さなつぶやきで。
炬にも聴こえていなかったようだけれど。
無意識に出た、紛うことなき――本音だった。
――やっぱり、自分というのはそんなに変わることなどない。
このバイトがいつまで続くか。
果たして、我慢できるのだろうか。
時間の問題、かもしれない。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】
【7348/石神・アリス/女性/15歳/学生(裏社会の商人)】
【NPC/炬(カガリ)/女性/23歳/人形博物館管理人】
【NPC/レティシア・リュプリケ/女性/24歳/アンティークドールショップ経営】
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■ ライター通信 ■
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伊吹 護です。
再度のご依頼、ありがとうございます。
私事にて休筆しておりましたが、忘れずにいてくださってありがとうございます。
こんな感じで仕上げてみました。ご満足いただければ幸いです。
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