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■【ふじがみ神社】ある少女の憤懣■

夜狐
【8583】【人形屋・英里】【人形師】
「…ったくあの男はどれだけ人の気持ちを理解していないのかしら…!」

 深く深く息を吐き出して公園のブランコの上、短いスカートが翻るのを気にもとめずに立ちこぎなんかしている女子高生が一人。
 イライラした様子で、その憤懣をぶつけるかのように、ブランコはかなり勢いよく揺れている。

「ド低能、大馬鹿野郎、鈍感、ドケチ、神様バカ!」

 揺れるたびに、思いつく限りの罵倒を叫ぶ彼女の姿は正直――多少どころでなく人目を引く。まして夕暮れ時の公園である。

「お母さん、あれなぁにー?」
「放っておいてあげなさい、ああいうケンカに首を突っ込むのは野暮なんですよ」

 そんな感じで子供たちの好奇の視線を集めている少女だが、当人はそんな周囲の様子にさえ気づいていないらしい。
 野暮な突っ込みかもしれない、それは確かだが。――しかし、もう10分もああして罪のないブランコに怒りをぶつけている彼女を、いい加減、誰か止めてやるべきではないだろうか…。
*ある少女の憤懣――感謝の言葉と謝罪の言葉と


 つまるところ現状を説明するには一言で足りる。確認するように、英里は頷き口にした。
「…迷った」
 迷子であった。
 見渡せば周りにはやや年期の入った集合住宅や小さな一軒家、そして入り組んだ道路が広がっている。途方に暮れながら彼女はトランクを抱え直した。どこにでもある住宅街だ。目印になるようなものもありはしない。
 眉を下げて彼女は思案する。諸事情あって、現代社会の迷子達の心強い味方である情報機器を彼女は持ち合わせていない。
 連れとどうにかして連絡を取ることが出来れば、いいのだけれども。
 一緒にちょっとした遠出の積もりで家を出た、友人とも家族ともそれ以外ともつかぬ相方の顔を思い浮かべる。心配していないといいなぁ、と、英里はそんなことを思っていたのだが、
「…あンの、馬鹿ッ!!」
 不意に耳に入った人の声に、いそいそと方向を変える。
 ――思い返せば最初は、道を尋ねるつもりだったのである。

 ところが、ようやっと見つけ出した声の主ときたら、とても他人の案内を出来る状態ではなかった。英里はやや首を傾げて、眼前の小さな小さな公園を眺める。時間帯のせいか遊ぶ子供が見あたらないのが残念だが、子供とは呼びにくいような年頃の少女が一人、乱暴にブランコを乗り回していた。動作だけではなく、口調も酷く荒っぽい。
「馬鹿だし愚図だし洗濯物畳まないし皿洗いが雑だし! 役立たず!」
 不平を漏らすように、ブランコは想定年齢以上の年頃の少女の乱暴な運転に軋んでいる。何の気無しに近づいた英里は、それを眺めて思わず呟いていた。
「痛い、痛い」
 口を殆ど開かず、あたかもブランコが喋ったかのような――まぁ、ちょっとした腹話術の応用だ。当たり散らされているブランコにちょっぴり哀れを感じてそうしてみたのだが、予想以上の効果があった。
「う、うわぁあ!?」
 ブランコが喋った、とでも感じたのだろうか。
 悲鳴を上げて、少女がブランコから転がり落ちた。派手な反応にそれこそ驚いて、英里は僅かに目を丸くする。転がった少女はしかし見事に受け身をとって着地すると、振り返り、そして英里とぴたりと視線をあわせる。
 沈黙すること、10秒ほど。
「……見ない顔ね」
 立ち直ったらしい。
 スカートについた土ぼこりを何でもないような表情で叩きながら、英里に向き直った。その様子を見ながら、英里はしかめつらしく告げる。
「罪もないブランコにそこまで当たるのは、可哀想」
「忘れて頂戴。ちょっとむしゃくしゃしてたの」
 自分の境遇も忘れて、英里はつい首を傾げていた。
「むしゃくしゃ?」
「ええ、色々とあって」
 嘆息してから、彼女はブランコをこいですっかり乱れていた髪の毛を手ぐしで撫でつけた。
「ブランコに、当たるよりは」
 その様子を見るとなしに眺めながら、英里は口を開く。どうせ道に迷っている最中だし、こんな時に出会ったのも何かの縁かもしれないし。
「誰かに話した方がすっきりするのではないかと思うが」
 少女は微かに眉を寄せて、けれども思うところはあったのだろう。今度は深く嘆息した。
「……人に愚痴るのは趣味じゃないわ。でも、ブランコに聞かせるよりは、多少は建設的ね」


 こうして。
 人形屋英里は、佐倉桜花、と名乗る少女に出会った。


「…狐憑きって言われて、ピンとくるかしらね」
 桜花は独白を落とすような、感情を載せぬ物言いをする少女で、英里と極力目を合わせようとしなかった。迷ってるの、それなら一先ず交番かしら、淡々と言って英里を先導するように歩いていた桜花はそんな言葉を唐突に落として、反応を窺うように英里を見遣る。
「狐」
 その英里はと言えば、一単語にぴくりと反応して目を丸くして、首を傾げる。
「…狐か。狐はいいな…」
「いや良くないわよ。こっちは憑かれてたってのに」
「ああ、そうなのか。…憑かれてた?」
「うん。元々そこら辺の幽霊とかに憑かれ易いの」
 そういう体質なんだって、と他人事みたいに彼女が説明するので、英里も「そういうものか」と曖昧な納得だけで流しておくことにする。
「それで昨日も、どこで拾ってきたんだか、狐の霊に憑かれていたらしくって…」


 淡々とした調子の桜花の説明を一通を聞き終えた英里は何とも言えぬ困惑を銀の目に浮かべて首を傾げた。


「…つまり、佐倉さんは…昨日狐の動物霊に憑かれて、色々奇行に走っていたところを、居候先の神社の同居人に助けて貰った」
「そうよ」
「それで同居人さんに対して怒っている、と」
 間違いないわよ、と肯定の頷きが返ってくる。腕を組んで少し悩んでから英里は真剣な表情で桜花に向き直った。
「何か聞き逃したか? 前半と後半が噛みあわないんだが」
「何も聞き逃してないわ。…そうね、前半と後半の間にもう一つ説明を入れるべきだったわね」
「是非そうしてくれ。怒りの理由がいよいよ分からない」
「藤…ああ、例の同居人の名前なんだけどね、…動物霊のせいで大暴れして、私、藤に怪我をさせてしまったの」
 告げる桜花は落ち込んでいるというよりは忌々しそうに眉を歪めていた。唇を一度軽く噛んで、視線を落とす。
「……なのに藤ときたら、へらへら笑ってるのよ。腹が立つわ」
「そこは怒るところなのか…?」
 人間、喜怒哀楽のツボには個人差がある、それくらいは記憶喪失中の身の上である英里にだって想像はつくのだが、それにしたってなかなか予想外な所で怒り出す人も居たものだ。改めて英里は苛立たしげに眉を寄せたままの表情の桜花を見遣り、目をぱちくりさせ、それから手を顎に当てて思案した。そうしながら思わず口にしたのは、桜花の怒りとは一切関係のないことで、
「…どの狐も悪さをする訳じゃないので、狐を嫌わないでくれると嬉しいんだが」
「知ってるわ、優しいのも居るもの。小学校の近くの稲荷神社のおじいちゃん狐とか」
「ほう、おじいちゃん狐」
 思わず耳をそばだててその単語だけを拾い上げてしまったが、不審そうな桜花の視線とぶつかって英里は気を取り直した。
「…いや、ええと、そうではなくて。怒っている理由の話だったな」
「そんなに狐が好きなの? 良ければ案内するわよ、おじいちゃん狐の居る御社」
 どうせ交番に行く途中にあるもの、と彼女は肩を竦めて言う。そして、英里の答えを待たずに先導するように歩き出してしまった。英里は少々戸惑ったものの、案内してくれると言うのだし、言葉に甘えておくのも悪くないだろう、と後を追う。
「ありがとう」
 ついでに、怒っているなりにこちらに気遣ってくれたのだろう、くらいは予測がついたので、そう礼を述べた。と。
「…っ、べ、別に! ついでだから! 大したことないわよ!」
 見ている英里がきょとんと目を丸くしてしまうほどに、勢いよく。彼女はそっぽを向いた。耳の辺りが赤いけれど、どうも口調だけ聞けば怒っている風で、英里はようやっと得心が行って、思わず小さな笑みを口に乗せてしまった。成程。
 それから英里は考える。この怒りっぽい少女の今の境遇を、改めて。
(同居人に怪我をさせてしまって、でも同居人は怒っていない、か)
 きっとその同居人と言うのは優しい人物なのだろうな、とおぼろげに英里は想像してみた。彼女が真っ先に思い浮かべたのは、現状の彼女にとっては一番近しく、家族とも友人とも呼べぬ距離に居る同居人のことだ。血の繋がりが無くとも一つ屋根の下で暮らしているのだから、まぁ、桜花の語る「藤」さんとやらと近い状況ではあるのだろう。
(…私だったらどうだろう)
 自分のあずかり知らぬことで、それでも自分のせいで、その人を傷つけてしまったら。
 そして翌朝、その人が、素知らぬ顔で笑っていたら。
(――どんな気持ちに、なるだろう)

 少なくとも怒り狂ってブランコに当たり散らしはしないな、という結論が出た。




「おやぁ。神社の居候の嬢ちゃんじゃねぇか珍しい、滅多にこっちにゃ寄らねぇ癖に」
 英里が案内された先、出迎えたのは口の悪い狐であった。
 寂れてはいるものの、小学校の近くの立地というだけはあって辺りはそれなりに騒々しい。所々の剥げた朱塗りの小さな小さな鳥居をくぐったところで白く立派な狐と目があって、英里は目を丸くした。そんな英里に、狐の方も驚いたようにケェン、と一度鳴く。
「――これまた懐かしい、いんやぁ、初めましてと言うべきかね。どちらでも構わんけども、随分な御仁を連れて来るじゃァねぇか、嬢ちゃん」
「…何、あなた、有名人なの」
 桜花の態度は狐の言葉を聞いた後でも変わらない。そもそも目の前で巨大な狐が人語を口にしたところで、表情ひとつ変えない。慣れているらしかった。
「どうだったんだろうな? 私にも分からない」
 あいにくと近辺の記憶を失っている英里には、問われたところでどうとも返しようがなかった。首を傾げて問いを返すと、眼前の狐はココ、と獣の笑い声をあげる。
「では初めまして、で通すとしようや。俺とて会ったことがあるかどうか定かじゃぁねぇし」
「適当ねぇ…」
 呆れた調子で桜花が肩を竦めるのを余所に、英里はゆっくりと前にでた。白い毛並みの尻尾がゆらり、と揺れる。それに合わせて視線を動かしながら、英里はそっと手を出した。
「…触ってもいいだろうか」
 ココ、と狐がまた笑う。おかしそうに髭を揺らし、獣の口をニィと笑むように歪めた。
「どうぞ存分に」
 お言葉に甘えて、と、感情の起伏を感じさせない口調ながら素早く英里は礼を述べた。立派な白狐の尻尾に触れ、撫で、手触りに目を細めていると、不意に、桜花が微かに目元を緩めたのが見えた。
「ホントに好きなのね」
 こくん。英里は頷きだけでその問いに応じる。それからふと、彼女の口を突いて出たのは、さっきから頭の片隅に引っかかっていたことだった。
「…佐倉さんも。その藤さん、って人の事、好きなんだな」
「な…!!!!」
 途端。やや呆れた色さえ浮かべていた桜花は目を丸くして、言葉を呑み込んだ。見る見るうちに頬が赤く染まっていく。
「ちが…違うわよ! だってあいつすごい馬鹿なのよ!?」
 彼女の悲鳴染みた言葉に重なる様にカカカ、と笑い声が響く。英里が触れている尻尾がふわりと膨らんで揺れ、白狐の発した笑い声だとすぐに知れた。どうやらこの老狐は面白がっているらしく、視線を向けると、英里に向けて――獣の姿でどうやったものだか――器用にウィンクなんてして見せた。「いいぞ、もっと言っちまえ」というゴーサインのようにも受け取れたので、英里はただ頷いて、再度桜花に視線を戻す。
「だって、怒っていた理由」
「あれは! 藤が馬鹿みたいにヘラヘラ笑ってるからッ…」
「うん。何でそれで怒るのか不思議だった。…考えてみたんだけど、怒っていたのは…謝りたかったのに、彼が笑っていて、謝るタイミングを逃して気まずかったんじゃないかな、って」
「うぐっ」
 何か言い返そうとしていたらしい桜花が、言葉に躓いたみたいな妙な声を出して黙り込んだ。
「…私も同居人がいるんだ」
 その沈黙に差し出すようにそっと、英里が言葉を繋ぐ。何かを想うような調子の英里の語調に、赤くなって険しい表情をしていた桜花がふ、と目線を向けた。
「うん、きっと佐倉さんと私では感じ方も立場も違うとは思うのだけど。…同居人と喧嘩をすることが、そうだな、うん、無いことは……無かったと思う…多分。皆無ではないはずだ」
「…随分、仲が良さそうね」
 皮肉っぽい桜花の言葉に、生真面目そのものの表情で英里は重々しく頷く。
「そうだな」
 毒気を抜かれたように、桜花は腕組みをしたままそっぽを向いた。それでもこちらに耳を傾けている気配はあるので、英里は更に言葉を続けることにする。
「…とにかく。そんなに怒っていたら、帰った時、ますます気まずいんじゃないか」
「……」
「もし、そうだとしたら。これから、どうするんだ?」
 桜花の応えはしばらくの間なかった。たっぷり1分は沈黙していたように思われる。その間、英里は存分に老狐の尻尾を堪能しながら待っていた。ただ、堪能しながらもこう付け加えるのを忘れない。
「…このまま怒って家に帰っても…すごく気まずくて、嫌な気分になる。最悪だぞ」
「……経験あるの?」
「さぁ?」
 あるような、無いような。そんな曖昧な返答をすると、桜花は深々と嘆息して肩を落とした。それから疲れたような声色で、ようやっと言葉を吐き出す。
「…帰るわ」
「ふむ、謝るのか」
「……これでも一応反省はしてるの。…まぁ、人が真剣に謝ろうとするたびに、あの馬鹿は『桜花ちゃんは全然悪くないよ?』なんて呑気に笑うから…腹が立ってしまうのだけどね」
「付き合おうか?」
 一人で行くより誰かに背を押してもらった方がきっと彼女もやり易いだろう。そう思っての発言に、ちらりと桜花が目を上げる。
「――付き合って貰えよ、嬢ちゃん。お前さん、人に甘えンのが苦手だもんなァ。たまにはいい勉強だろ」
 まさにその背を押す様に。老狐の賢しらな言葉もあって、桜花はようやく心を決めたようだ。一度大きく深呼吸をしてから、頭を下げる。
「…ごめんなさい。言葉に甘えるわ」
「こういう時は、」
 名残惜しく狐の尻尾から手を放しながら、英里は思わず口を緩めた。
「――ごめんじゃなくて、ありがとうの方が、きっといい」




 桜花が帰る家だと言ったその民家からは、微かにカレーのいい匂いが漂っていた。英里が見送る先、玄関の引き戸をからりと開けた彼女に、何やら大仰なくらい嬉しそうに飛び出してくる人物が居る。
「お帰り、桜花ちゃん!」
 すぅ、と桜花が厳しい表情ながら深呼吸をするところまで、見守って。
 英里はくるりと踵を返す。
(今日はカレーがいい、かも)
 そんなことを思いながらトランクを引いて歩く英里は視線を上げて、ふ、と淡く微笑んだ。視線の先に、よく見慣れた人が居る。カレーを作ろうと提案したら彼はなんて答えるだろう、英里はそんなことを考えながら、足を速めた。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 8583 / 人形屋・英里 / 女 / 人形師】