■【ふじがみ神社】ある少年の憂鬱■
夜狐 |
【8596】【鬼田・朱里】【人形師手伝い・アイドル】 |
「…うぅ、俺の何が悪かったんだろ」
神社でぶつくさ言いながら、お御籤を引っ張ったり伸ばしている少年が居た。箒を片手に、多分境内の掃除でもしようと思っていたのだろうが、いじけた様子で座りこんでいるあたりを見ると作業が進んでいる様子はこれっぽっちもない。
「愚図だのバカだの低能だのってのはよく言われるけど、今日なんか朝から口もきいてくれねぇんだぜ?ありえねぇよな。俺何したんだ?…ここのところ怒られるようなことはしてないぞ、うん…強いて言うなら、昨日桜花ちゃんに憑いてた幽霊をお祓いしたけど、あれは怒られるようなことじゃない…よなぁ…」
「あのねぇ、藤、私に女心のことなんて相談しても、分かる訳ないだろう」
神社の屋根の上から、はらはらとピンクの花びらが落ちて来る。季節はずれの桜の花にも、どこか春めいた暖かい風にも、大して驚いた風はなく、少年は顔をあげた。彼の視界では、屋根の上からぶらぶらと揺れる、桜色の着物の裾と白い足が見える。彼以外の人間には見えないだろうし、ふわふわと柔らかい声も聞こえないだろうが。
「縁結びは、申し訳ないけど専門外だよ」
「わかってるよ。愚痴だけ聞いてくれりゃいいさ」
はぁ、とため息。膝を抱えた少年に、屋根の上の神様は鳥居の方を向いて告げた。
「おや珍しい、人が来るよ、藤。――どうせならそういう相談は、人間に聞いてもらいなさい。私よりは役に立つだろう」
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*ある少年の憂鬱――怒りの理由が何であれ。
足がふらりと階段へ向かったのは――目にしてしまった小さな狐達が、誘うように尻尾を振っていたせいだろう。
(彼女が喜びそうです)
脳裏に浮かんだのは、家族とも友人とも呼べぬ距離に居る同居人の姿である。無類の狐好きな彼女の事だ、さぞ喜ぶに違いない。そう考えたところで、見目は少年に見えるその人物、朱里はううむと唸ってしまった。
(…彼女はどこに行ったんでしょう)
途中までは一緒に行動していた筈の、同居人を思い出す。どこかではぐれてしまっただろうか。そんなことを思いつつも、足はふらりと石段を登って行く。まるで誘われるように、朱里は白い狐を追いかけていた。
場所は住宅街のど真ん中だ。公園や空き地でそこそこに緑が見られる場所とはいえ、野生の狐が居るような土地でもあるまい、とすれば今彼が追いかけているのは多分、普通の生き物ではないのだろう。そうは思うのだが、狐と見れば同居人である彼女のことが頭をよぎるもので、矢張り無視することも出来ない。そうして石段を登ってしばし、小さな丘、と呼ぶのもためらわれるような僅かな高台にたどり着いて、朱里は目をぱちくりとさせた。
立派な――とは、呼びにくい。呼びにくいが、それなりに歴史を感じる古めかしい鳥居が彼の目に飛び込んでくる。
「――神社」
思わず呟いて、鳥居を仰ぎ、そして視線を戻すと――いつの間にか。白いふんわりした尻尾の狐が、消えている。
おや、と首を傾げて、それこそ「狐に化かされた」というのはこういう気分だろうか、などと苦笑を口元に滲ませていると。
「あれ、参拝者? こんにちはー」
人懐こい挨拶の声に、視線が動く。神社の関係者だろうか。箒を持った少年が一人、鳥居の前にたたずむ朱里に笑顔を向けていた。高校生なのだろう、制服姿のままで箒を抱えている。
「こんにちは」
つられて微笑み、朱里がそう返すと、彼はずんずん近づいてきた。――何故かほっぺたに大きなガーゼをつけていて、どうやら顔に怪我をしているらしいが、満面の笑みと言い嬉しそうな声色といい、それを少しも気にさせないものがあった。
「参拝者? 賽銭箱ならあっちだよ。何かお願い事?」
「あ、あの、違います…?」
「違うの? まぁいいや、とりあえず何でもいいから拝んでいかない?」
「な、何でも良くは無いと思うんですけど」
『何でもいいから』とはまた豪快な誘い文句である。呆れも交えて朱里が苦笑しながら手を横に振ると、箒を持ち直しながら少年はなおも食い下がる。
「いいじゃん、別に損はしないんだしちょっと拝むだけでも…い、って!?」
台詞の後半は、悲鳴染みた声で掻き消えた。少年は突然後頭部を抑えると、ジト目で虚空を睨みつける。つられて朱里も視線を動かすが、朱里の目にはぼんやりとした――「そこに何かが居る」という漠然とした感覚しか得られない、不思議なモノが見えるばかりだった。少年の方はそこに居る「何か」と何事か会話しているようで、
「何だよヒメちゃん、いきなり人の事叩くなよ…いて、やめろって、何だよ? …はぁ? 美形で好みのタイプだから絶対に参拝させろ…?」
そんなことをぶつぶつと虚空に向けて呟いている。それからこほん、ととりなすように一度咳払いなどして見せてから、彼は朱里に向き直った。今度はやけに腰が低い。
「…なんかウチの神様が『最近テレビで気に入ってるアイドルに似てるし好きなタイプだから参拝して行け』って言ってるんで、申し訳ないんだけど頼むから拝んで行ってあげてください…。ヒメちゃん怒ると怖いんだ…」
――随分と俗っぽい神様も居たものである。
そんな訳で殆ど拝み倒されるような格好になった朱里は形ばかり社殿に手を合わせる羽目になった。お賽銭は別にいいよと少年が言うのだが、折角なので、とポケットから出てきた五円玉を投げ入れておく。
「…珍しくヒメちゃんが満足そうな顔してるよ、全くもー」
我儘なんだから、と、少年は社殿の屋根の辺りを見上げながらぼやいていた。それから、参拝を終えた朱里ににこりと笑みを投げる。
「俺、藤って言うんだ。ここの神社の…跡取りっていうか、神様の友達って言うか。そんな感じ。ごめんね、無理言って。あ、そうだ名前聞いてもいい?」
大丈夫、変なことには使わないから。と両手を振り回して主張するのが何だか可笑しい。
「朱里です。鬼田朱里」
「朱里君ね、うん、ありがと。ウチの神様も喜んでるよ。何かお願い事とか、無い? 簡単なことなら叶えられ…る…かな…」
言葉の後半は自信なさそうに沈んで行った。
「…あんまり結果の保証は出来ないけど」
「いえ、どうぞお気遣いなく。大したことはしていませんし、願い事なら…そうですね、出来れば自分の力で叶えたいものですし。むしろ今、神様の頼みごとを叶えるなんて、随分と珍しい体験をさせていただきました」
「あー、ホントごめんね…ヒメちゃんは人の好き嫌いが激しくてさ…。さくらの奴はさくらの奴で、『縁結びは対象外だからそこの人に頼れ』とか適当なこと言って姿消しちゃうし…」
兄妹揃って使えない神様だよ、等と罰当たりなことを平然と言って、神主見習いであるという藤は頬をかいた。
「縁結び、ですか。ええと、秋野、さんの?」
「藤でいいよ? うん、そう。さっき俺の未来のお嫁さん候補が何故か怒り狂って出て行っちゃったんだけど、何で怒ってんのか見当もつかなくって。…朱里君そーゆーの分かる?」
「そういうのって…女心とか、そういうものですか? それこそ自信は無いですけど…」
答えながらふと脳裏に浮かんだのは、矢張り、同居人である女性のことだった。女心――という言葉を当てはめようとして、果たして彼女は世間一般の女性と同列に扱っていいものなのだろうか、とつい首を捻ってしまう。捻りつつも、朱里は結局こう答えた。
「私で良ければ、お話くらいは聞きましょうか」
普段から何くれと相談事を持ちかけられやすい、ふんわりと人当たりの良い雰囲気を漂わせている朱里である。
こういう事態には、随分と慣れっこになっていたのだった。
箒に顎を預けてだらりとした格好の藤が言うところによると、彼の「未来のお嫁さん」こと佐倉桜花、という少女は、とっても激しい憑依体質なのだそうだ。
「昨日は小学校の近くで狐に憑かれてさ。多分ほら、小さい子って面白半分で『コックリさん』とかやらかすじゃん? あれで呼び出されたんだと思うけど」
狐憑きになって暴れる桜花を何とか抑え込んで動物霊を祓って追い出したのが昨日の出来事。
「そんで今朝、桜花ちゃんいつも通りに起きてきてさ、もう動物霊も憑いてないみたいだったから俺も安心したんだよね。いつも通りにお早う、って言ったら、いきなり」
「怒り出したんですか」
「…俺、何かやらかしちゃったかなぁ?」
等と尋ねられても、朱里は返答に詰まった。自分に一番身近な女性と言えば同居人のことが浮かぶが、彼女とは常日頃喧嘩をすることが滅多にない。物言いはクールだがとても穏やかな女性で、そして朱里の方も穏やかな性分なもので、喧嘩、というもの自体に縁が無いと言ってもいいくらいだ。なので比較対象もなく、朱里は困惑するしかなかった。
「彼女の言い分も聞いてみないと、こればかりは分かりませんね」
「だよね…桜花ちゃん、今日は随分と帰りが遅いから、話も聞けないし…早く帰ってこないかなぁ」
「帰りが遅いんですか」
「遅いんですよ。桜花ちゃんは大体怒ってる時は帰りが遅いんだ」
(…もしかして、帰ってくるのが気まずい…のでは?)
それこそ推測でしかないことを思っていると、藤が不意に頬に手を当てた。そこにはガーゼがあり、大きな怪我の痕らしきものが見える。何故か引っ掛かりを覚えて、朱里は問いかけていた。
「そういえばその怪我、どうしたんですか?」
「これ? あ、さっき言ってた桜花ちゃんが暴れた時に、ちょっとね」
引っ掻かれちゃった、と彼は能天気に答えて笑う。それからはた、と気付いたようで、慌てた様子でぱたぱたと手を振り回し始めた。――どうでもいいが、逐一動作が子供っぽい少年である。
「いや、違うんだよ、桜花ちゃんは確かに俺のこと罵るの大好きみたいだけど、でも基本優しいんだよ? 無意味に暴力は振るわないから!」
「え、ええと、そ、そうなんです…か…?」
いけない、どうやら本格的に自分の身の回りには居ないタイプだ。朱里は聊かならず引いた表情で、しかし賢明な様子の藤に引き込まれたように一緒に眉を顰めて悩み始める。
「本人にきちんと話を聞けないのは困りましたね」
「うん…『何で怒ってるの』って訊いたら、それはそれで怒られるんだよな…」
「でも原因が分からないと、怒らせないように気を付けることもできませんし。…どうしたものでしょう?」
うーん。唸る声が二つ見事に重なった。二人の鼻先に、一体どこから吹き込んできたものか、季節外れの花弁が舞っている。それを見ると無しに見ながら、彼女にも見せたいですねぇ、と朱里は考えて、ふと思いついた。
「…桜花さんでしたっけ。彼女の好きそうなものとか、無いんですか」
「桜花ちゃんの好きなもの?」
問われた藤が不思議そうに首を傾げている。無邪気な表情に合わせてこちらも首を傾げて、朱里は思いつきを口にしてみた。
「好きなものを用意して待っていたら、きっと彼女は喜ぶと思うんです。ご機嫌取り――と言うと言葉が悪いですけど、…秋野さんは、桜花さんの怒った顔より、笑った顔の方が見たいんですよね」
だったらきっと意義のあることじゃないでしょうか。そう締めくくると、ようやっと意図を理解したらしい藤がぐっと握り拳をして――箒を放り投げた所だった。
「ありがとう、相談してみるもんだな! 朱里君すっげぇいい人…!」
境内の掃除途中だった様子なのだがそれはもういいのだろうか、と他人事ながら朱里は心配になったものの、当人がそれはそれは嬉しそうに朱里の手を握ってぶんぶん振り回しながらありがとう、と連呼するもので、まぁいいか、という気分になってしまった。
「桜花ちゃんの好きなものかぁー。あ、そうだ、カレー作ろうかな! 丁度、俺今日の夕飯当番だし!」
「カレーですか」
ごろごろ野菜のいっぱい入った。そんな映像を頭に浮かべて、ふむ、と朱里は頷いた。どうせ乗りかかった舟だ。
「良ければ手伝いましょうか」
「え、いいの!?」
遠慮も何もあったものではない。朱里の手を握ったまま、藤は満面の笑顔で悪びれもせずに彼の提案に頷いた。それが可笑しくて、つられるように朱里は笑う。
「美味しいカレーを作れるよう、お手伝いしますよ」
ついでに願わくば、怒り心頭で出て行ってしまったという藤の同居人さんが、そのカレーを食べて笑顔になってくれれば行幸というものだろう。
そうして紆余曲折、というほどのこともない。順当に出来上がったカレーは、ごくごく普通にカレーだった。
「あ、朱里君朱里君、これ、お礼。折角手伝ってもらったし、持って帰って同居人さんと一緒に食べて」
子供っぽい言動とは不似合に妙に似あっているエプロン姿で藤が言うのに甘える格好で、朱里はタッパーに詰めたカレーを受け取ることにする。野菜のごろごろと沢山入ったカレーは、そのうち朱里の家でも食卓に似たようなものが上りそうな予感がしていた。――彼女はどういう訳だか、野菜を作るのが得意なのだ。
「お役にたてたなら良かった。…本当に、仲直りできるといいですね」
そう言って手を振って、朱里は小さな一軒家を背中に歩き出す。と、どうやら朱里と入れ違いに誰かが帰って来たらしい。背後で、玄関の引き戸を開ける音がしていた。
「…ごめん、藤。怒る積りは無かったの」
感情を抑えた、低い、けれども震えるような少女の声。朱里は振り返ろうかと思って、やめておいた。それよりも、今の彼にはよく慣れた人物の気配の方が、余程重要だ。後ろから彼を追ってくる足音が追いつくまで精々数秒。さて、彼女に今日の顛末をなんと報告しよう?
(…とりあえずは、今日の夕飯はカレーですと報告すべきでしょうかねぇ)
彼女はどんな顔をするんだろうか、などと思いながら。
朱里は、足を止めて、彼女が追いつくのをそっと待つことにした。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【 8596/ 鬼田・朱里 / 男 / 人形師手伝い・アイドル】
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