■召霊鍵の記憶 黒の頁■
紺藤 碧
【2919】【アレスディア・ヴォルフリート】【ルーンアームナイト】
 アクラはあおぞら荘のホールで、豪華な辞典並に分厚い装丁が施された本をゆっくりと閉じた。
 様々な物語が記されたコールの本。
 この本に記載された物語は、霧散したコールの心と夢を繋ぎ合わせる力になる。
「色々な感情を吸収して、キミはキミを取り戻すんだ」
 一度閉じた本をアクラはまたゆっくりと開く。
 そこは、真っ黒に塗りつぶされ、何が書かれているのかさっぱり分からない。けれど、その黒は闇のような深いものではなく、様々な色が重なり合い黒へと変化したもの。
 そう、この黒は思いの集合だ。
 アクラはゆっくりと黒に手を伸ばすと、徐々に本の中へと入り込んでいった。

(そう危険はないと思うんだけど)
 トンっと上下のない空間に靴音を響かせ降り立つ。その音に気が着いたのか、銀髪の少年が振り返った。
「きみはだあれ?」
「翠なの…?」
「ぼくをみどりとよぶきみはだあれ?」
 アクラは大事そうに鞄を抱えた12歳ほどの少年に近づき、膝を折る。
「ボクはアクラ。お兄さんのお友達」
 アクラが自分の名前を告げ、少年に微笑みかければ、少年は嬉しそうにぱぁっと顔を輝かせ、何かを期待するような瞳でアクラを見つめる。
「おともだち、あそんでよ」
 少年は抱えていた鞄を開く。
「…っ!?」
 アクラの身に圧し掛かった脱力感。これは、翠の力じゃない!
 少年はそんなアクラを見やり、詰らなさそうに眉根を寄せて踵を返し、たったと走り去っていく。
「待っ!!」
 立ち上がろうにも足に力が入らず、アクラはその場に転がる。
「騙された……っ!」
 小さくなっていく背を見つめ、悔しそうに口元を釣り上げ舌打ちする。
 翠の姿をしているが、あれは幼い頃の――コールだ。


召霊鍵の記憶 45P







【ルドベキアの心】





 閉じられた外界へと続く扉は、昨日と何ら替わらないのに、酷く重たく感じられた。
 扉を閉じ、行ってしまったコールの背を素直に追いかけられない自分。謝り続ける事を拒否され、どうしたらいいのか分からない自分。
 はっきりと口に出して言ったわけではないが、彼女が死んだ事は、仕方がないことだったのだと言っているような気がして。
 護りたいと庇った結果、受けなくてもいい攻撃を受けて死んでしまった彼女。
 自分からその攻撃に身を乗り出しのだから、死んでしまった事は仕方がなかったのだと。
 だが、そんな事を言いたくない。仕方のないことなどない。
 もっと技術を高ければ、もっと強ければ、もっと周りの気配を感じられたなら、彼女が自分を庇うような状況になどなるはずがなかったのだ。
 そう、何か手はあったはずだ。
 例えば、彼女がアレスディアを庇うことは避けられない運命だったとしても、その瞬間に体勢を崩させるなどして、彼女が受ける攻撃を軽減させることだって出来たのではないか。
 今となっては後の祭りでしかない。だから、自分を許せないのだ。
 だが、それではコールの思いに反することにもなってしまう。

――私は、どうすれば……

 ただ、ここに篭っているだけではいけないという事は、分かる。
 ここはアレスディアが逃げ込んでしまった場所。あの時のコールの恨みから逃げ、自分の不甲斐なさに後悔し、それだけの日々を送るための場所。
 俯き、時間を停滞させてしまったアレスディアを、コールが探した理由は何だったのか。
 怒るため? 恨むため? それとも、励ますため?
 コールの言葉を何度も何度も脳内で繰り返す。
 私は、護りたかった。
 彼女も、護りたかった。
 彼もまた、護りたかった。
 護られたことに後悔してしまったアレスディアは、確かに護ってくれた彼女の意思にさえも、背を向けている。
 誰かが誰かを護りたいと思うことに理屈などない。
 力があるとかないとか関係ないのだ。
 ただ、自分のせいで相手が死んでしまったのだと思われてしまったら、護った方の気持ちは浮かばれない。
 護り、その後の事を考えたことはあっただろうか。
 護りたいという気持ちは、アレスディアが強く持つ感情で、それこそ生きていく理由の全てに近い。
 守護者としての自分しか考えた事が無かったから、庇護者となった者の思いなど、今まで考えたことなど無かったように思う。
 ありがとうと言う人も居た。
 なぜ生かしたと言う人も居た。
 生きれた事を後悔して欲しくない。生とはとても尊いものだ。
 もしあの時、彼女の変わりにアレスディアが攻撃を受けていたら、きっと護りきれたことに満足して死んでいたかもしれない。けれど、それで生き残った彼女はどんな思いで生きて行っただろう。
 アレスディアの命を犠牲にして生き残ってしまったと、悔やむ日々を送ってしまっただろうか。
 ありがとうと言われたいわけではない。けれど、護られたことに後悔などせず、前を向いて生きていって欲しい。
 アレスディアははっと眼を見開く。
 もう答えは出ていたのだ。
 そうだ。誰かを護ることに、自分自身は死をも厭わない覚悟で臨み命を落としたとしても、それは自分が決めた道であるし後悔はない。だが、周りはそうではないのだ。
 護り、護られる状況は、どちらも生きていなければ、幸せになどなれない。
 護るとは、肉体だけではなく、相手の心をも護らなければ、本当に護ったとは言い難いのではないか。
 死んでしまっては、心を護る事はできない。必ず何かしらのシコリを残す。
 護るばかりの立場では分からなかった感情。
 それでも、アレスディアは彼女に護られ、死なせてしまった。
 もしこの場に彼女が居たならば、きっと、すまないという言葉は聞きたくないだろう。
「……ありがとう」
 護ってくれて、ありがとう。
 生かしてくれて、ありがとう。
 もう後ばかり見続けるのは終わりにしよう。
 俯くばかりの日々も終わりにしよう。
 アレスディアは立ち上がる。
 それでも、どんな場面であろうとも、何か手があったはずだという思いは消えない。
 だから、自分を許すなどしない。
 ……だが、自分のせいだと言い続け、何もしないのは逃避だ。
 逃げるのは止めると決めたのだ。
 アレスディアは、重いと感じた扉に手をかける。
 開け放った扉の向こうは、眩しいくらいの日差しが降り注いでいた。







 きっと、コールは故郷の街に戻っていることだろう。
 戦火はまるで走るように過ぎ去り、巻き添えを食っただけという状況だったため、壊滅するということはなかった。
 例え、街が壊滅させられていたとしても、コールは妹の墓があるあの街に必ず戻るだろう。
 コールに会ったら、何を言うべきだろうか。まず、何も告げずに姿をくらましたことを謝るべきだろうか。それとも、心配をかけてしまったこと?
 だが、コールは謝って欲しいとは思っていないようにも感じる。
 だから、何と言うべきか、悶々と考えてしまうのだ。
 自分がどういった道筋を辿ってあの寂れた町にたどり着いたのか、実はよく覚えていない。
 無我夢中に走って、走って、走って、そして辿りついたのがあの町だったから。
 あの町は、今思えば完全に沈みきっていた。
 畑が枯れ収穫不足に加え、争いが勃発したご時勢が乗っかり、地図から消える日も近くなっていた。
 誰かのせいにしたばかりの人。過去の栄光に縋ってばかりで未来を見ない人。
 そんな人々で構成された町から、アレスディアは立ち直った。
 いや、完全に立ち直ったとは言い切れないかもしれないが、抜け出す事はできた。
 アレスディアは彼女の墓へ向かう。
 そこではコールが膝を突き、祈りを捧げていた。
「……コール」
 アレスディアの呼びかけに、コールはすっと眼を開き、ゆっくりと立ち上がって振り返る。
 その顔は真剣な物で、向けられた視線は痛いほど真直ぐだった。
「私はやはり、自分を許すことなどできぬ」
 ぎりっと微かにコールが奥歯をかみ締めたような気がした。
 そして、ならば、どうしてここに着たのかと、その瞳が語っている。
「だが、それを教訓に……二度とあのようなことは、起こさせぬ」
 彼女の死には意味があったのだと、無駄ではなかったのだと、コールに知ってもらうために。
「必ず証明しよう」
 そう言って、アレスディアはコールに向けて不器用に微笑んだ。
































 転寝でもしていたのだろうか。
 カクンと倒れ掛かった身体によって、床に倒れた槍の音で目が覚めた。
「……この、話は」
 以前見た物語の続きだったように思う。
 それは、今まで感じていた気持ちをそのまま表しているような気がして、アレスディアは俯く。
 それでも、今はなにもできることが無いというのなら、その時まで今は座して待つことにしよう。
 コールが目覚めたとき、許してもらえなくても、責められたとしても、構わない。
「…それでも」
 面と向かって、顔を上げて会えるように、俯くことはもう、止めにしよう。
 そう決意を新たにし、アレスディアは倒れた槍を拾い上げた。
















☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【2919】
アレスディア・ヴォルフリート(18歳・女性)
ルーンアームナイト


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 召霊鍵の記憶にご参加ありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
 護られる者の気持ちとは、という観点から結論に至るような感じにしてみました。本物の(と、証していいのか…)アレスディア様に少しでも残れば幸いです。
 それではまた、アレスディア様に出会えることを祈って……


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