■あの日あの時あの場所で……■
蒼木裕 |
【1122】【工藤・勇太】【超能力高校生】 |
「ねえ、次の日記はカガミの番?」
「ああ、俺だな」
此処は夢の世界。
暗闇の包まれた世界に二人きりで漂っているのは少年二人。そんな彼らの最近の楽しみは『交換日記』。だが、交換日記と言っても、各々好き勝手に書き連ねて発表するというなんだか変な楽しみ方をしている。そのきっかけは「面白かったことは書き記した方が後で読み返した時に楽しいかもね」というスガタの無責任発言だ。
ちなみに彼らの他に彼らの先輩にあたるフィギュアとミラーもこの交換日記に参加していたりする。その場合は彼らの住まいであるアンティーク調一軒屋で発表が行われるわけだが。
さて、本日はカガミの番らしい。
両手をそっと開き、空中からふわりとノートとペンを出現させる。
開いたノートに書かれているのは彼の本質を現すかのように些か焦って綴られたような文字だ。カガミはスガタの背に己の背を寄りかからせ、それから大きな声で読み出した。
「○月○日、晴天、今日は――」
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+ あの日あの時あの場所で……【回帰・16】 +
微笑む母さんから何か光のようなものが俺を包み込むように流れ込んでくる。
なんて温かな光り。
それは自分を抱擁する手のような温度。だけど光特有の眩しさはなく、それは静かに俺へと染み渡った。
■■■■■
「母さん、あのさ」
『俺』が母さんに話しかける。
それを見ている俺は驚き、つい瞬きを繰り返してしまった。だが最初こそ第三者の視線で見ていた俺だが、次に目を開いた瞬間にはひゅっと誰かの視点へと変わる。
目の前には自分が通っている高校の制服に身を包んだ『俺』の姿。――『彼』は楽しげに『私』に話しかけてくれた。
「でさー、その時エビフライが好きって言ったらその人張り切っちゃって、凄い量のエビフライを作ってくれたんだ。こーんな量、凄くない?」
それは俺自身も覚えている比較的最近の話。
財布を落として迷っていた際にある知り合いの夫婦に夕食に招かれたという話題はまだ記憶に新しい。
―― これは、俺の記憶なのか?
でも、自分の記憶ならば『俺自身』の姿を覚える事などない。俺が見た光景には自分は決して映る事はないはずだ。ならばこれは誰の記憶?
その時一瞬だけノイズのようなモノが走り、場面が切り替わる。今度は先程よりやや幼い俺が其処にいた。また『俺』に話しかけている。今度は修学旅行の話になった。中学の制服に身を包んだ俺の姿は非常に懐かしく、僅か二年前程度しか経っていないのに何故か心がざわついた。
――また切り替わる。
今度は小学六年辺りの自分が椅子に腰掛けながら床に付かない足をふらふらとさせつつ、「母さん」と呼びながら何か拗ねた様子で話しかけていた。どうやら今日は宿題を忘れて先生に怒られたという話題らしい。
――また切り替わる。
更に身体は小さくなり、今度は友達と喧嘩したと愚痴る自分が其処にいた。ぷっくりと膨れた頬を見ると、不思議と愛おしい感情が芽生える。どうやって仲直りすればいいのか分からないと良い、でも答えを得られずに困っている少年(おれ)。足を抱え込みながらそれでも大事な人をその大きな瞳の中に写し込んで――「母さん」と、俺へ呼びかけた。
―― あぁ、そうだ……、これはすべて俺が見舞いに行った時に母さんに話した事だ……。
俺が目の前にいる。
そして俺の目の前には、母がいるはずだ。
この視点の持ち主は紛れもなく自分の母親。心が感じた温かさやざわめきも彼女の物で、俺の物ではないことを今やっと知った。
研究所から解放された頃、俺自身も精神面で不安定だったが、よく母さんのところに訪れて何でもいいからぽつぽつと話しかけていた。
話しかけた事に対して返答は殆どなかったが、それでも良かった。ただ、母の傍を離れたくなくて、病院に通い詰めた。
「今日も来たよ、母さん! あのね、あのね、今日は大ニュースを持ってきたんだ!」
笑う『俺』を見て、俺が今同調し感じている心が嬉しそうに笑っていた。
でもその表情に変化はないようで『俺』は少しだけ苦笑のような表情を浮かべたが、それでも構わないとばかりの勢いで嬉しかった事を話す。それはテストで良い点数を取っただとか、運動会のかけっこで一番を取ったよ、とか本当に他愛のない話題だった。
それでも、その報告に心は――幸せそうに温かさを湧かせて。
年齢が上がるにつれて面会の間隔は開いていったが、それでも心は子供を求めていた。
何を話してもただ笑顔を浮かべ、無反応の母。視線が合わない事も多く、時には話をしても無駄なのではないかと思う事も多々あった。
リンクしていく。
俺の中にある僅かな時間の残骸と、今見ている母さんの記憶の欠片。
交わり、補い合い、そして補完しようと蠢いて――。
『ゆうた』
誰も居ない病室で紡がれる言葉。
首をこてんと傾げたのか、視界が斜めになった。
視線が手を見る。その手がゆるりと緩慢な動きで持ち上がり、そして誰も居ない椅子へと向かった。誰も居ない、空席。だけど手の持ち主はそこに小さな子供がいるかのように幻覚を見て。
『ゆうた。えびふらい、よかったね』
撫でる。
何も無い空間を。
『りょこうたのしかった? そう、うれしかったのね』
そこに誰かが居るかのように話しかけながら。
何も無い空間を慈しんで。
『ごめんね。うんどうかい、みにいけなくて』
繰り返し。繰り返し。
母は誰も居ない空間でこそ俺に話しかけてくれる。
看護師にも見せない母の行動。それを唯一知っているのは『母(じぶん)』だけ。
俺が話しかけた日々。
母が話しかける日々。
親と子の会話は決して同一空間では成り立たないけれど、それでも俺が話しかけていた日々は決して無駄ではなかった。反応しない母は壊れてしまった人。壊れた心はそれでも時間を掛けて、なんとか反応をしようとする。即座に答えを返す事は出来なくても、必死に俺へと応えようと足掻いている事を俺は知った。
あの日々は決して無意味ではなかったのだ――喜びで心が震え、俺は涙する。彼女と同調したまま、それでもその内側の俺は涙をぼろぼろと零し続けた。
『ゆうた』
呼びかけてくれる母の声。
俺には届かないと彼女は知っている。けれど呼んだ。彼女は笑って、笑って。
『おかえりなさい、ゆうた。きょうは、えびふらい、つくるわね』
壊れた心は乞われた事を思い出しては繰り返す。
人生が狂い始めるその前に息子が望んだ夕食のリクエスト。エビフライが食べたいと望んだ子供の声を脳内で再生させ、そしてそこに我が子がいるかのように笑っていた。
そこにあるのは純粋な母性。母からの愛情だ。
さぁっと景色が散り、それは光となって俺の身体に降り注ぐ。
心の闇、迷いをかき消す多くのそれはキラキラと星の欠片のように降り落ちて、そして俺はその雨を全身で受け止めた。一粒一粒の中に込められた母からの贈り物。当然良いものだけじゃなく、後悔や悲しみもあったけれど――それでも、母の記憶の大多数を占めるのは己の子への愛情と慈しみ。
触れられるものではない。
形として存在するものではないその感情を受け止めるため、無意識に両手を前に伸ばして広げ、そして笑った。
幸せだった過去の記憶を凌駕した悲しみの事実。
だけど間違いなく愛されている事を俺は痛いほどに感じ取る。
染み込み、満ちていく俺の中。
涙が光り、頬に伝うそれは溢れ出した俺の感情。俺が失ったもの以上に母が今見せてくれたモノは多く、だからこそ涙という形で溢れてならない。
愛しています――そう心で言ってくれた母。
「母さん、俺ね。……忘れていた大事なもの、取り戻しに来たんだよ」
―― ……シャラン……。
母親へといつものように報告する俺の声。
それに応えるかのように神楽鈴の音が母の内側から聞こえ、手の中のお守りが何かを示したような気がしたけれど、それが何かなどは今の俺には分からなかった。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【1122 / 工藤・勇太 (くどう・ゆうた) / 男 / 17歳 / 超能力高校生】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは!
第十六話もとい第二部・第六話のお届けです!
とうとうここまで来たかと感無量で御座います。
例の一件で失ったものを取り返す旅路。そしてその中で多くを学び、知り、時に絶望した工藤様がここまで……とライターも感動を覚えております。
時間軸ではまだまだ夏。しかし執筆時間は秋を向かえた頃。長い間書かせて頂いているこのお話がとても愛しいです。ではでは!
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