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■【ふじがみ神社】ある少女の憤懣■

夜狐
【4778】【清水・コータ】【便利屋】
「…ったくあの男はどれだけ人の気持ちを理解していないのかしら…!」

 深く深く息を吐き出して公園のブランコの上、短いスカートが翻るのを気にもとめずに立ちこぎなんかしている女子高生が一人。
 イライラした様子で、その憤懣をぶつけるかのように、ブランコはかなり勢いよく揺れている。

「ド低能、大馬鹿野郎、鈍感、ドケチ、神様バカ!」

 揺れるたびに、思いつく限りの罵倒を叫ぶ彼女の姿は正直――多少どころでなく人目を引く。まして夕暮れ時の公園である。

「お母さん、あれなぁにー?」
「放っておいてあげなさい、ああいうケンカに首を突っ込むのは野暮なんですよ」

 そんな感じで子供たちの好奇の視線を集めている少女だが、当人はそんな周囲の様子にさえ気づいていないらしい。
 野暮な突っ込みかもしれない、それは確かだが。――しかし、もう10分もああして罪のないブランコに怒りをぶつけている彼女を、いい加減、誰か止めてやるべきではないだろうか…。
鈍感さんとのバレンタイン


 小春日和と呼ぶに相応しいふわふわと暖かな日差しの降り注ぐ日であった。そういう日に心地よい日向があれば、そこで眠りに誘われるのも人の性である。果たしてコータも心地よいベンチの日差しに誘われてうつらうつらと眠りに――
 ――入ろうとしたところを怒号に遮られた。

「あ・ンの、馬鹿はッ!」

 全力で吐き捨てるような叫びに続いて地面に何かを投げつけて踏みつける震動。興味本位で瞼を開ければ、黒髪の少女が憤怒のオーラを纏って、地面に叩きつけた何かを踏みにじっているところだ。随分と怒っているなぁ、と、傍目にも分かるほどの姿であった。長い黒髪が乱れてもつれているものだから、その形相はどこかホラー映画めいてすら居る。
 が、すぐに様子が変わる。突然、脱力した様子で彼女が膝から崩れ落ちたのだ。
(ありゃ、これはまずいかな?)
 大方、興奮しすぎて眩暈を起こしたとか、そんなところだろうか。
 コータは左程お人好しでもないが、目の前で倒れそうな女の子を――いかに般若の形相であろうと――見捨てるほどに人でなしでもない。
「大丈夫かー?」
 地面に座り込んだ彼女の指が、もがくように落とした鞄へと伸ばされている。そのことに目ざとく気が付いて、コータは急いで鞄を手に取った。
「これ? 薬でも入ってんの? 持病とか?」
 尋ねながらも彼女の手に鞄を押し付けるようにすると、まるでそれで身体が軽くでもなったかのように、少女が顔を上げた。触れた鞄の中から取り出したのは、お守り、お守り、次いでまたお守り。最後に鞄にどうやって入っていたのか榊の枝が出てきて、それがしゃらり、と妙にはっきりとした葉擦れの音を立てた所で、彼女はようやっと大きく息をついた。
「…有難う。助かりました」
 その口から洩れたややハスキーな声と礼の言葉は存外に大人しい。先の、怒りも露わな怒号の主とは思えないほどだ。
「いやいや、俺はなんもしてないって。でも大丈夫?」
「よくあることですから、お気になさらず」
 矢張り礼儀正しく告げて彼女は砂を払いながら立ち上がり、足元に落ちたモノ――先程怒りに任せて地面に叩きつけて踏みつけていたものだ――を視界の端に留めて舌打ちをする。
「感情を乱すとロクなことにならないわね、我ながら」
 それは独白であったのだろうが、コータは思わず苦笑する。今の落ち着いた彼女の様子と、先程の般若の形相が全く別人のようで結びつかなかったのだが、
「あ、やっぱりさっき、怒ってたんだ」
「怒っている以外の何に見えたの?」
「……もしかしなくてもまだ怒ってる?」
「怒ってないわ」
 ああ、怒ってるなぁ、というのがその言葉を聞いたコータの心底からの感想であったが、彼は幸いにしてそれなりに怒れる女性の扱いというものを心得ていた。こういう時はそう、
(黙ってるに限る)
 コータの持ちうる限りの、最適解である。



 
 言っておくけれど私は怒っていないわ、と前おいてから、少女は気まずそうにコータを見遣った。地面に落ちたピンク色の包装紙を拾い上げ、バツが悪そうに皺を伸ばす。見れば有名菓子店の店名が入ったラッピング用紙で、コータは目を瞠った。
「おぉ、それ、中身食ったのか? いいなぁ、すげぇ旨いらしいよなあそこのプリン」
 思わず口走ってしまったコータに恐らく罪は無い。無いのだが。
 目の前の少女は何を思い起こしたものか、途端に眦を上げ、先の般若の形相を見せ始めていた。まずい、とコータがフォローする暇さえ無く、落ち着きをかなぐり捨てたかのように彼女はどん、と足を踏み鳴らす。――コータには知る由もないが、この少女の「憑き易さ」に惹かれて集まっていた浮遊霊がその足音に一斉に逃げ出していた。
「そうよ、奮発して買ったのよ。休みの日に。朝から並んで。あいつが好きだって言ってたから!」
「…ちなみに商品は…」
 それだけは訊いておこう、とコータは諦観を顔に浮かべながら問う。プリンなら是非後で感想を聞こう。
「この時期だもの、少し考えれば分かるでしょう。チョコレートの詰め合わせよ、高かったわよ!」
「ああ、そっか今日バレンタインか。で、喰ったの? 旨かった?」
「美味しかったわ。高いものはやっぱり相応に美味しいものね。――って本当なら私が食べるんじゃなくて、ウチの同居人に渡す予定だったのよ! それを、あの、馬鹿は!」
「受け取らなかった…?」
「違うわよあの馬鹿、私がこの包みを出した瞬間に」

 ――あ、桜花ちゃんもチョコ食べたかったの? 丁度良かった、なんか今日クラスの女子から沢山チョコもらってさー。一緒に食べよっか!

「……馬鹿なの? あいつは馬鹿なの? 今日は2月14日でしょう少し考えれば分かるでしょうに馬鹿なの!? バレンタインのチョコレートに決まってるでしょう!」
「………うん、思った以上にフォローのしようもないなそれは…」
「おまけにあいつが持って帰ってきた中に手作りのチョコレートがあって居た堪れなかったわ。きちんとハート型に型取りして、あいつの好きなオレンジピール入りのチョコ。手紙がついてたから机の上に置いて来たけど、あいつ気付いたかしら」
「一応訊いとくけど、肝心のチョコは?」
「藤の奴が…ああ、藤っていうのは、ウチの同居人の名前ね。あいつが『桜花ちゃんにあげる』って満面の笑みで言うから貰ってあげたわ。まだ食べてないけど、見た目からして料理には手慣れてなさそうだったわね」
 ふん、と鼻息荒く告げる少女――桜花、という名前らしい――が居丈高にそう評価する。女の戦いって怖ぇなぁ、とコータは他人事のように考え(実際他人事なので仕方が無い)、心の中でそっと顔も知らない、チョコレートを作った少女に同情した。可哀想に。バレンタインに気合を入れて作った、それも思い人の好みに合わせて作り上げた一品を、「同居人」だと名乗っていたこの少女が食べてしまったとは思いもすまい。
「それで怒ってた訳か」
 内心の同情については口に出さず、苦笑だけを浮かべて少女、桜花にそう告げる。彼女は吐き出すだけ怒りを吐き出して落ち着いたのだろう。すっかりトーンダウンした、無感情で抑揚のない口調に戻っていた。
「…そうね。でも、ここで言うだけ言ってスッキリしたわ。――あいつが馬鹿なのは今に始まったことではないのだし」
 それだけ言って嘆息する。怒りが抜けて、脱力してしまった、というところだろう。思ったより怒りが持続しないタイプの女性らしい、とコータも内心で安堵した。怒れる女性というのは扱いが難しいし、何より怖いものである。これは不思議と世界共通の事実であるらしい、というのがコータの今までの経験から導き出された持論だ。そりゃあ良かった、と笑みを浮かべると、つられたように少女は僅かに口元を緩めた。
「じゃあ、きっと藤も待っているでしょうし。私は家に帰るわ。ごめんなさい、小娘の愚痴なんて詰まらなかったでしょう?」
「いやいや、あのまま怒って家に帰ってもきっとロクなことにならないだろーし、役に立てたんなら何よりだよ」
 俺は話聞いただけだしな、と呟きながらコータも彼女に合わせて歩き出す。話し込むうちに夕暮れの冷たい風が公園には吹き込み始めていて、転寝するにしても日を改めた方が良さそうだ。
「なぁ、ところでさ。話聞いた駄賃代わりにちょっと質問していい?」
「あら、何かしら」
 何となしに公園の出口までの歩みを共にして、コータは頭一つ自分より小さな桜花に視線を向けた。さっきまでの怒りの発露など知らなかったかのように、今は殆ど無表情だ。
「帰ってから、同居人には何て言うんだ?」
「何も言わないわよ。いつも通り夕飯作ってこの話は終わりにするわ」
 即答であった。眉根を寄せて、本当に心外なことを言われた、と言う風に彼女は腕を組む。
「私がどれだけ怒ろうが、あの馬鹿は全然分かってないんだもの」
 だからもう諦めたのよ、と。
 淡々と言われてしまって、コータは頭をかいた。思い起こすのは随分昔のような気もする自分の、幼いというか、青かった頃だ。確かあの時自分は十代も半ばで、今目の前にいる彼女とさして変わらぬ年頃だった。きっと彼女の言う「同居人」も同じくらいなのだろう。
「うーん。それ、言い方悪かったんじゃないのかなぁ」
「言い方?」
「…話聞く限りだとさ、相当鈍感だよな同居人」
「そうね。間違いないわ」
 桜花の力強い断言に苦笑が零れたのは致し方あるまい。
「それならハッキリ言わないと分かんないよ、多分。…男って、女の子が考えてるよりずっと鈍感なんだぜ?」
 常が明るいコータの口調に微かに苦いものが混じったのは、過去の記憶が思い出されたからである。想いを寄せられていることにさっぱり気付かず、思い返せば己の鈍感さにさすがに呆れてしまうような、そんな記憶。
「男って割とみんな、どこかしら馬鹿だからなぁ」
 らしくもなくしみじみと呟けば、コータよりずっと年下の少女は呆れたようにため息をついただけであった。
「知ってるわよ、そんなこと」
「身も蓋もねーなぁ」
「でも、そうね。…馬鹿だって分かってるんだから、猿でも分かるくらいハッキリ言ってやらないと」
 猿でも、とはまた随分な言いざまである。
「そうそう、ハッキリ言わないと。桜花だっけ、あんたが同居人のことを幾ら好きでも、言わなきゃ伝わんねぇからさ」
 ところがそのコータの発言に、ここまで酷く落ち着いていた少女が、勢いよく顔を上げた。殆ど無表情なのは変わらず、しかし目元に微かに赤い色が差している。
「…、何で分かったの、自称馬鹿で鈍感な男性のあなた」
「馬鹿で鈍感な分は経験でカバーってことで。…ってか、バレバレだけどなぁ」
 好きでも無ければ。
 渡せなかったチョコレートに憤り、同じように想いを寄せた「本命」のチョコレートに動揺する筈もないのだ。そんなこと、それこそ、猿だって分かりそうなものなのに。
(あー、そういうの分かんないから、馬鹿にされるのか…)
 男って仕様が無い生き物だなぁ、等とやっぱりどこか他人事のように考えつつ、目の前で再び――今度は照れ隠しも含んでいるのだろうが――怒りを孕んで息を吸い込んだ桜花をどうやって宥めたものか。
 コータはしばらく考えたものの、
(まぁ、黙って話聞いてるに限るか)
 結局は、そんな最適解に落ち着いて、彼はふわわとひとつ欠伸をした。転寝し損ねたのは、少し惜しい気もする。
「ちょっと、話を聞いているの!?」
「あー、はいはい、聴いてる」
「真面目に聞きなさいよ! 男ってどうしてこうデリカシーが無いのかしら――」
(あちゃー、更に『デリカシーが無い』、と来たか)
 鈍感で馬鹿でデリカシーが無い、まで揃えられると、ひとつくらいは長所を挙げてくれても良いものじゃないかと彼はぼんやりそんなことを思うのだが、今の桜花には何を言ったところで無駄だろう。
 何せ、怒れる女性は扱いが難しいのだ。



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  登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【 4778 / 清水・コータ 】