■旅籠屋―幻―へようこそ■
暁ゆか
【3850】【A01】【冒険者】
 宿泊施設としてだけでなく、食堂兼酒場も営む『旅籠屋―幻―』。
 暖簾をくぐり、戸を開ければいくつかのテーブルとそれぞれに4つずつの椅子が並んでおり、奥のカウンターには女将、夜が食事の下準備をするために動き回っている。
 少し目線を左へと移せば、テーブル1つを陣取って、見た目では少年とも少女とも分からぬような姿をした、この旅籠屋の用心棒、誠が暇そうに窓の外を眺めていた。
 食堂の奥には2階へと続く階段があり、その先は宿泊施設となっている。

 聖都エルザードに辿り着いたばかりで、宿を探し中の冒険者諸君。
 こんな旅籠屋で、一日を過ごしてみるのはいかがだろう?

■旅籠屋―幻―へようこそ〜A01と仲間たちのある日〜■

 夕暮れ時。
 閉店を前に慌てて買い物をする客で賑わう市場や、飲食店の呼び込みで騒がしい表通りから、1つ通りを中へと入る静かな裏通り。
 そこに佇む旅籠屋兼食堂の名は、幻(まほろば)。
 ひっそりと佇むが故に、表通り構えられた店と違って、訪れるのは常連たちか、彼らから紹介された者たちか、偶然見つけた者たちか。
 今日もその店を訪れたのは、クエスト帰りに偶然、店の前へと辿り着いた、3人組であった。

「……いらっしゃい。お好きな席に」
 3人組を出迎えたのは、店主らしき女性――闇月夜だ。
 まだ夕食には早い時間のためか、客は少なく、カウンター席に座るもテーブル席に座るも自由のようだ。
「あの辺りにでも座りましょうか?」
 長身の男性――ヨアヒム(3849)が、連れの2人へと訊ねる。
「私は何処の席でも構わないから、お任せするわ」
 3人組の中、唯一の女性――夢見月(3851)が微笑みながら応える。
「ボクも何処でもいいよ」
 店内を物珍しげに見回していたもう1人の男性、A01(3850)――アオイも頷いて応えた。
 2人の返答に、ヨアヒムはカウンターに程近いテーブル席へと先立って向かう。
「今日のオススメの品でもいただけますか?」
「……3人とも?」
 ヨアヒムの注文に、夜が訊ね返すと、夢見月もアオイも「同じものを」と頷いた。
「……少々お待ちを」
 夜も頷き返して、早速用意をし始める。
「いらっしゃい。お客さんたちは、ギルド仲間か何か?」
 いつもであれば店の片隅で、店内の監視に勤しむ少年とも見間違いそうな用心棒――如月誠が、冷水を運んで来ながら、訊ねた。
「ええ、そうよ」
 歩き通しで乾いていた喉を、出された冷水で潤した夢見月が頷く。
「へぇ、一緒に食事するくらいだし、仲が良いんだね。付き合いは長いんだ?」
 面白い話でも聞けないだろうか、とワクワク顔の誠が更に突っ込んで訊く。
「長いような、短いような……」
 2人とそれぞれ出会い、どれくらい経っただろうか。
 ヨアヒムはそう思いながら、昔語りでも……と話し始めた。

***

 目覚めたのは、見知らぬ廃墟であった。
「私は一体……?」
 己がレプリス――中世でいう所の錬金術によるホムンクルスを参考に、科学技術の飛躍的な進歩により生み出された、人間的な思考能力をもった人工生命体であること以外、一切の記憶がない。
 廃墟から出て、少し歩くと小さな町へと辿り着いた。
 寝泊りするには宿屋へ。ただ、そのための持ち合わせがなかったので、まずは何かしら仕事でも請けて、金銭を得ねば……。
 そうした、この世界で生きていくための知識はあるというのに、自分が何者であるのか、という記憶だけはいくら考えても出てこない、不思議な状態であった。
 旅人のように、一所に長く留まることなく、記憶を求めて探し回る日々もあった。
 けれども、どれだけ探し回ろうとも、己の記憶の手がかりとなる情報はなく、思い出せず。何も分からないまま、ただ時は過ぎた。
 いつまでも存在不確かな過去に捕らわれているわけにはいかない。
 そう思ったヨアヒムは、街へと辿り着くと、冒険者ギルドへと足を運んだ。この地で定住し、職を求めるために。
「……これはこれは……」
 冒険者ギルドに一歩踏み入れたヨアヒムは、その賑わいに圧倒された。
 ある者は仲間たちとの集合の場にしていたり、ある者は依頼を求めて受付へと話しかけていたり……。
 周りの様子を物珍しげに眺めていたヨアヒムは、ふいに肩を叩かれ、振り返る。そこには20代前半くらいの2人の男女が居て、男の方が彼の方を叩いていた。
「お兄さん、冒険者ギルドを訪れるのは初めて? 何処か、所属したいギルドとかあったり?」
 女の方が訊ねてくる。
「ええ、初めてです。ギルドには所属した方がいいのでしょうか?」
 頷きながら、問い返すと、男も女も「もちろん!」と大きく頷いて見せた。
「まあ、1人でどうこう出来るような術があるっていうなら、話は別だろうけどね」
「そうでないなら、所属した方が、助け合うことが出来るわよ」
 2人の応えに、ヨアヒムは思案する。
 何処かギルドに所属しようにも、事前に何も調べていないため、まずはそこからだ。
「これといって決めてないなら、うちの――【エインヘリャル】に入らないかい?」
「【エインヘリャル】……ですか?」
 聞き慣れない言葉に、訊ね返す。
「私たちが所属するギルド……というほど大きなものではないのだけれど、グループね。魔術師たちが集っているわ」
 女の応えに、ヨアヒムは暫し考え込む。
 ここで出会ったのも何かの縁か――。
 そう考えた彼は、その勧誘を了承し、魔術師集団【エインヘリャル】の一員となった。

***

 ヨアヒムがそこまで語り終えたところで、「……料理を運んで」と、夜が誠を呼ぶ。
 お膳に載せられ運ばれてきたのは、魚の煮付けをメインに、野菜の和え物などの小鉢が数点、白ご飯に汁物、漬物といったものたちであった。
「本日のオススメ、日替わり定食お魚コースだよ。肉や野菜メインのセットもあるけれど、新鮮な魚が入った日はこれがオススメ」
 そう告げてから、それぞれの料理についても誠は説明しようとするが。
「冷めちゃうし、食べながら聞いても良い?」
 アオイがそう訊ね、誠が頷く。
「「「いただきます」」」
 3人の声が重なり、それぞれは早速、魚の煮付けや和え物などから手を付け始めた。
 その傍らで、誠がそれぞれの料理の説明をし、終えると「さっきの続き、聞きたいな?」と、ヨアヒムを窺う。
「そうですね……それからは、暫く【エインヘリャル】の仲間たちと行動を共にしていて、あるとき、夢見月と出会ったのです」
 ヨアヒムの言葉に、夢見月が頷き、「私が話すわ」と続ける。

***

――この世界に来るまでは、まるで夢を見ているかのように毎日を過ごしていた。
  家族のことは大好きだったし、友だちも多くはないけれど居た。
  しかし、自分の生きる世界は此処ではないような……。
  常にそんな気持ちで、日々を過ごしていた。

(いい歳なんだから、もう夢ばかり見てないで、現実に目を向けなきゃ……)
 夢見月は、バイトを終えての帰り道、そんなことを考えながら、歩いていた。
 寒さの厳しい季節――、早く帰り着きたいと、帰路に着く足は自然と駆け足気味になる。
(あ。買って帰らないといけないものが……ん?)
 帰り道、買い物をしようと思っていたのを思い出したところで、財布を置いてきてしまったことに気付いた。
 このままでは買い物もできないし、あってはならないことだが盗られないとも限らない。
(あぁ、もうっ!)
 慌てて、身体を反転させ、元来た道を取って返す。
 先ほどより更に駆け足になりながら、幾らか進んだところで、小石があったらしく躓いてしまった。
 身体が傾ぎ、転んでしまうと思ったところで、反射的に目を閉じた。

「……うん?」
 目を開けて最初に飛び込んだのは、木目張りの天井であった。
 身体は、硬いベッドにでも横たえられているようで、身じろぐとギシリとベッドが軋む。
「ああ、起きた?」
 その音で、傍に居た者が気付いたらしい。
「ここは……?」
 夢見月は視線を巡らせる。病院の一室にしては壁や天井の雰囲気が違うようだ。
「うちのギルドが拠点にしてる建物の一室よ。出かけようと思って外に出たら、玄関の目の前に倒れてるんだもん、ビックリしたわ〜」
 起きれる? と訊ねてくるその女性の手を借りながら、夢見月はベッドの上で身体を起こす。
「ぎるど、って?」
「仕事とかを共にするような、グループのことよ? 知らない?」
 本やゲームの中の世界でしか聞かないような単語に、首を傾げると、その女性もやや首を傾げながら応えた。
「そう……」
 俯きながら応える夢見月の様子に、女性は「もう少し休んだら?」と声を掛けながら、ベッドの上に半身起こしている夢見月に横になるよう促す。
 促されるまま夢見月は横になり、混乱する頭を整頓するべく、そっと目を閉じれば、数分と経たぬうちに、意識を手放した。
 そうして再び目覚めたとき、夢見月はやはりこの世界に居た。

「初めまして、夢見月さん。ヨアヒムと言います」
 数日後、行く充てがないと告げた彼女の前に、このギルド【エインヘリャル】に居ればいいと言ってくれた面倒を見てくれていた女性が、世話役として連れて来たのはヨアヒムであった。
(うわぁ……)
 長身な彼の見た目、そして纏う雰囲気に、夢見月は一目で恋に落ちてしまったのを感じた。彼の姿は、夢見月が描いていた理想の王子様そのものなのだ。
 それから、ギルドのメンバーの中でもヨアヒムと行動を共にし、その度に彼のことを知っていく。知れば知るほど好きになるのに、そう時間は掛からなかった。

***

「……っとまあ、そんな感じで、私は【エインヘリャル】で保護されたことで、ヨアヒムと出会って、この世界に落ち着くことが出来たんだけど……」
 話の流れのままにポロリと、、胸に秘めた想いを口に出してしまいそうになり、夢見月は取り繕って纏めた。
「へぇ。じゃあ、おねえさんはこの世界の住人ではないんだね」
 さほど珍しいものではないけれど、改めて話を聞いて、誠はやや驚きの声で夢見月に返した。
「そうなるわ。それから、大分経って……のこと、かしら。アオイと出会ったのは」
 1つ頷いてから、夢見月が言葉を続ける。
「それじゃ、今度はボクが」
 話を聞きつつ、すっかり料理を食べきっていたアオイが手を挙げた。

***

――A01。
  それが、幼い頃から過ごしてきた研究施設での、ボクの呼び名だった。
  幼いが故に、そう呼ばれているうちに、本当の名前は忘れてしまっていた。

『では、実験を開始する』
 今日はテレポートの実験だと言っていたか。
 似たような装置が複数並び、そのうちの1つから、別の1つへと瞬時に移動する、そんな実験をしようとしていると、説明された気がする。
 装置の中でぼんやりとそんなことを思っていたアオイは、不意に生じた時空の歪みに気付かない。
「……うわっ!?」
 その歪みの狭間に急に引き込まれてしまった。
『A01!? 応答せよッ!!』
 装置の中に、隣室からガラス越し、そして装置内のカメラ越しにしか様子を窺っていなかった、研究者の声が響いたが、それに応答する者は居なかった。

 目覚めたとき、研究施設でないのは明らかだった。
 更に言えば、幼い頃より施設に隔離されて過ごしてきたアオイは一般常識すら知らない。そのため、犯罪意識もないので、空腹を訴える身体を満たすべく取った行動は、通りの店先に並ぶ果物を買わずにそのまま食べてしまうことであった。
「泥棒ッ!」
 気付いて声を上げる店主に驚き、アオイはそのまま走って逃げていく。
 宿に泊まるお金などなく、それを稼ぐ術も知らない。
 アオイは日々、裏通りの廃墟などで寝泊りし、暮らすに必要なものは盗みを働き、身なりも酷くなっていく一方であった。
 そうした生活が続く中、街の人たちの間でもアオイのことは噂になっていて、困っているから対処して欲しい、という依頼が冒険者ギルドへと舞い込む。
 その依頼を請け、訪れたのは夢見月とヨアヒムであった。
 2人が街の人たちから話を聞いているとき――、
「また着やがったか、この泥棒ッ!」
 数軒先の店主の声が響く。
 その声のした方に注目すると、丁度、少年がパンを手に駆けて来た。
「あいつだっ!」
 ヨアヒムたちと話をしていた街の人もまた、声を上げる。
「やべっ」
 呟きつつ、脱兎の如く逃げるアオイをヨアヒムと夢見月は追いかけた。
「何なんだよ、あの、赤いのとでかいの……」
 街の人たちとは違う2人が追いかけてくることにアオイは焦り、入る通りを1つ間違えてしまった。
 行く先は袋小路になっており、高い壁に囲まれているために、上に逃げることも出来ない。
「もう逃げ場はありませんよ」
 狭い通路の出口に2人、並ばれているために、横を擦り抜けることも難しそうだ。
 思わず、アオイは舌打ちする。
「ねえ、あなたがしているのは悪いことだって、分かってる?」
「悪いこと? 生きるためには食べなきゃいけないし、あれだけ食べ物並べてんだから、持っていけって言っているようなものだろう? 何でか、いつも声上げて、追いかけてくるけど」
 夢見月の問い掛けに、アオイは首を傾げた。
「悪いこと、という認識がないのですね」
 彼の応えとその様子に、ヨアヒムがぽつりと呟く。
「確かに、食べることは生きていく上では必要です。ですが、自然の中と違い、ここのような街で食べ物を手に入れるには、それに対する対価が必要なんです。店先に並べているのは持っていっていいと言っているわけではないんですよ」
 アオイの言葉を受け、ヨアヒムは説明するものの、当人はその中身についてピンと来ないらしく、理解できないといった顔を浮かべた。
「ねえ、まずはあなたのこと、話してくれない? お腹が空いてるなら、食べさせてあげるから、うちのギルドにでも行って」
 ぽん、と1つ手を叩いてから夢見月がそう提案する。ヨアヒムもそれはいい、と頷いた。
 一先ず街の人たちにはアオイを保護し、連れ帰ることを告げ、先ほど彼が盗みを働いたお店には代金を支払ってから、3人は【エインへリャル】が拠点としている建物へと帰る。
 帰り着いた後、夢見月が料理を作っている間に、アオイはバスルームへと案内され、身体を清潔にした後、ギルド仲間の中で背格好が似た者の服を借りて、着替えた。
「あ……」
 ヨアヒムに案内されて、食堂としている部屋に入ったアオイは、温かなご飯の匂いを感じ取る。
「さあ、召し上がれ。もちろん、あなたのことも聞かせてね?」
 夢見月が、手料理を並べたテーブルへとアオイを促す。
「い、いただきますっ!」
 テーブルに着いたアオイは早速、温かな料理の数々を貪るように食べた。
 ある程度食べたところで、向かい側に座って、彼の様子を眺めている2人のことを思い出す。
 アオイは水を飲んで一息置いてから、幼い頃からの暮らしと、この世界に来た理由を2人へと話した。
 今まで受けたことのない優しい対応を2人から受けたことも含めて、話しているうちにアオイの瞳に涙が浮かぶ。
「分かりました。先ほどの悪いことの認識がないのも、そういう理由から、だったのですね」
 ヨアヒムは納得し、先ほど口頭で説明したことを図も交えて再び話す。
「何となく分かった気がする……けど、やっぱ難しい」
 眉間に皺を寄せつつ、アオイはぼやく。
「分からないことはどんどん聞いて、覚えていけばいいのです。行くところがないのでしたら、このギルド【エインへリャル】に入ってもいいわけですし」
「ここに居ていい、てことか?」
 ヨアヒムの言葉に、アオイが問い返すと、2人ともが頷いた。
「よろしくね、えっと……」
「ああ。A01、だ」
 名前を呼ぼうとして詰まった夢見月に、アオイは研究施設で呼ばれていた名を告げる。
「エーゼロワン?」
「こう」
 広げられていた羊皮紙に、アオイはそのまま『A01』と書いた。
「名前というより、コード、よね。……あ、『アオイ』って呼ぶのはどう?」
 書かれた文字を見た夢見月が、そう読み替えることを提案する。
「アオイ?」
 繰り返すアオイに、彼女は1つ頷いて見せると、理由を話した。アオイもヨアヒムもその理由に納得し、この少年の名は『アオイ』ということになった」

***

「そんな感じで、【エインへリャル】に世話になってるんだ」
 話し終えたアオイは、残る料理を食べてしまう。
「そうだったんだ。話聞かせてくれてありがとう。デザート運んでくるよ」
 話を聞いていた誠は礼を告げてから、丁度カウンターにデザートが用意されたことに気付いて、それを受け取りに行く。
「これは、サービスね」
 そして運んできたデザートを3人の前に並べると、改めて「ありがとう。ごゆっくり」と告げて、話を聞いている間に増えてきた客へと対応すべく、誠は店内をあちこちへと移動し始める。
 その様子を見てから、ヨアヒムはすっかり長居していることに気付いた。
「まあ、お言葉に甘えて、ゆっくりしてきましょ」
「デザートも美味しいな!」
 夢見月とアオイの言葉に、ヨアヒムは微笑み頷いて、彼らは今しばらく、食事の時間を楽しんだのだった。


□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

PC
【3850 / A01 / 男性 / 17歳 / 冒険者】
【3849 / ヨアヒム / 男性 / 33歳 / 賞金稼ぎ】
【3851 / 夢見月 / 女性 / 24歳 / 幻影師】

NPC
【闇月 夜 / 女性 / 23歳 / 女将】
【如月 誠 / 女性 / 18歳 / 用心棒】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

 A01(アオイ)さん、初めまして!
 この度は、『旅籠屋―幻―』で過ごしてくださり、ありがとうございました。
 納期、ギリギリになってしまいまして……大変お待たせしました。

 ヨアヒムさん、夢見月さんとのひと時を楽しく過ごしていただけたなら、幸いです。

 また機会がありましたら、『旅籠屋―幻―』へお寄りくださいね。




窓を閉じる