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■江戸艇 〜舞台裏〜■

斎藤晃
【8504】【松本・太一】【会社員/魔女】
 時間と空間の狭間をうつろう謎の時空艇−江戸。
 彼らの行く先はわからない。
 彼らの目的もわからない。
 彼らの存在理由どころか存在価値さえわからない。
 だが、彼らは時間を越え、空間をも越え放浪する。

 その艇内に広がるのは江戸の町。
 第一階層−江戸城と第二階層−城下町。
 まるでかつて実在した江戸の町をまるごとくりぬいたような、活気に満ちた空間が広がっていた。

【江戸艇】舞台裏


 ■Opening■

 時間と空間の狭間をうつろう謎の時空艇――江戸。
 彼らの行く先はわからない。
 彼らの目的もわからない。
 彼らの存在理由どころか存在価値さえわからない。
 だが、彼らは時間を越え、空間をも越え放浪する。

 その艇内に広がるのは江戸の町。
 第一階層−江戸城と第二階層−城下町。
 まるでかつて実在した江戸の町をまるごとくりぬいたような、活気に満ちた空間が広がっていた。




 ■Welcome to Edo■


 ディスプレイの片隅に表示されたデジタル時計は14:52。後2時間余りで終業時刻。明日のプレゼンのための資料を準備中。終わるかどうかは正直際どい。とはいえサービス残業は避けたい所存。だから松本太一のキーボードをたたく手はいつにも増して気合いが入っていた。分刻みの段取りを脳内に組み上げながらEnterキーを押し込む。
 刹那。
 パソコン画面が突然真っ白になった。
 この期に及んでまさかパソコンがスパーク!?
 焦る気持ちとは裏腹に、視界の全てがフラッシュを焚かれたような状態で気づけばパソコン画面だけではなく世界が真っ白に飲み込まれていた。



 ◇◇◇ ◇◇ ◇



 開いた口の塞ぎ方も思い出せないまま、阿呆みたいにポカーンとしていると何やら和風な音楽が聞こえてきた。白い世界は徐々に影を作り輪郭を象り色を帯びてくる。
 ようやくものが見えるようになって太一の目に最初に飛び込んできたものは、艶やかな着物姿の女性だった。
 …………。
 思考の空白。
 また“中にいる女悪魔”の仕業かと勘ぐりつつ視線をさまよわせる。今回はまた凝ってますね……などと落ち着いている場合ではなかった。仕事が終わらなければ残業決定なのだ。それはつまりアフターファイブの予定が全部なくなるということに他ならない。
 太一は軽くかぶり振った。畳敷きの純和風な部屋には膳が並び部屋の隅で三味線を抱えた女がBGMを奏でている。
 しかし、それにしてもいつもとなんだか勝手が違うな、と思った。ただ和服を着たコスプレの女性たちではない。社会の教科書ぐらいでしか見たことのない髪型までしている。大がかりにもほどがあるだろう、ここは会社だったのだ。他の同僚たちは一体どこへいったのやら。
 立ち上がって初めて気づく自分の姿。そも、自分は座っていた。椅子ではなく畳の上に。
 ―――あれ?
「主さん? どうしたでありんす?」
 耳慣れない語尾でやけに色気を誘う女の声が自分の足下から聞こえてきた。先ほど目に飛び込んできた女性が自分を訝しげに見上げている。
 太一は改めて、自分も含めた周囲を見渡した。
 なんか見たことがあるようなないような。
「えぇっと……ここは……?」
 何処なのか、といえば何処なのか、なのだが、微妙にニュアンスが伝え難くてなんと尋ねればいいものかと言葉を探していると女はころころとおかしそうに笑って答えた。
「吉原でありんす」
 再び訪れる思考の空白。
 吉原ってどこだ。聞いたことがあるようなないような。
「それは一体……?」
 恐々といった調子で尋ねると女はきょとんとした顔で太一を見上げて言った。
「江戸吉原は主さんに一夜の夢を見せるでありんす」
 夢。なるほど、夢ですか。納得しかけて慌ててセルフ突っ込み。それはいけません。明日までに資料を用意しなければならないのです。寝ている場合ではありません。このままでは残業が……。
 ―――頼みます! 早く目覚めてください、私!!
 思いっきり自分の頬を殴ってみたが痛いだけで一向に目が覚める気配はなかった。
 女がびっくりしたように太一を見上げている。完全に引かれている顔だ。
「あ、いや……これは目を覚まそうと思いまして……」
 太一が言うと女はまたおかしそうに笑った。
「主さんはおかしなお人でござんすなぁ」
 そうして彼女―――椛は吉原というこの場所と、ここでのしきたりについて教えてくれた。
 それによると、ここは江戸の公娼で、遊郭とか、郭とか、色里とか。要するに男が女と疑似恋愛をし疑似結婚する場所なのだという。疑似とはいえ結婚。故に一妓一客。1人の遊女に1人の男。浮気は御法度なのだそうな。もちろん、初めてでいきなりいい相手が見つかるわけではない。故に同じ遊女に3度通う前なら別の遊女に変える事も出来る。当然、遊女だからといってすぐに事に及ぶことはなく、3度通って自分の箸をゲットしなければ女の帯を解くことは出来ない。
 試みに自分の事を聞いてみたらば椛はやっぱり不思議そうな顔をして教えてくれた。自分はどこぞの「若様」らしく初めて遊びに来たということらしい。つまり、椛はお試しの相手ということか。自分が選んだらしい椛をマジマジと見た。自分の好みはこういうタイプなのだろうか、などと他人事のように思ってみたりする。
 とにもかくにも、ここは疑似恋愛という夢を売る場所、という意味で彼女は夢という言葉を使っただけで、どうやら寝ている時に見る夢ではないようだ。
 時代劇は詳しくないが歴史くらいは小学校の時に多少やっている。要するにここは江戸時代というわけだ。
 とはいえ、ただタイムスリップしたというわけでもなさそうである。江戸時代の誰かの体に意識だけ入ってしまったような、どこかの魔女みたいな話でもない。綺麗に磨き上げられた黒檀にうっすら映る自分は髷を結ってるわけでもなく、至っていつも通りの自分だからだ。体は間違いなく自分のもの。しかし背広ではなく着物姿でこの世界にとけ込んでいる。とすれば一体これはどういうことなのか。
 益々わけがわからなくなって太一は不安を隠すように窓辺に立った。外の風に当たりたいと思ったのだ。そうすれば少しは頭がすっきりするかもしれない。しかし、窓の外には日本史の便覧でよく見たような光景が広がっているだけで太一は現実を噛みしめるよりほかなかった。
 ―――もうダメです。終わりました。残業決定です。
 いや、わかっている。それどころか元の世界に戻れるかも怪しいことは。それはなけなしの現実逃避であった。
「どうすれば、かえれるんでしょう……」
 無意識の独白に椛が微笑む。
「もう少し遊んでおくんなんし」
 どこか寂しげに。儚げに。
 太一が知りたいのは吉原から“家”に帰る方法ではなく、この世界から“元の世界”に還る方法なのだが。
 いくら考えてもわからなかった。現状把握さえままならない。ただ一つわかっていることがあるとすれば、もう明日のプレゼンに自分が資料を揃えることは出来ない、ということぐらいだろうか。もしかしたら誰かが穴埋めをするのかもしれない。もしくは上司が叱られ頭を下げるのかもしれない。いずれにせよ、現場に赴けない自分には最早どうでもいい話となったのだ。
 …………。
 よし、飲みましょう、と太一は思った。こんな真っ昼間から酒を煽るなんて滅多にあることではない。やれる時にやってしまえ、そんな気分だ。
 やけ酒である。飲んで食べて遊ぶ。ここはそういう場所だろう。半ば投げやり気味に座布団に腰を据えて太一は椛に促されるままにお猪口をとった。
 その時だ。
 天井からコンコンと板を拳骨で叩くような音がした。何だろう、とばかりに見上げると天井板がはずれて潜められたような声が届いた。
「若……」
 太一はぎょっとして腰を抜かしかける。これが世に聞く忍者というやつだろうか、としげしげと天井を見上げながら板が外れている場所の下まで移動した。
「何者かが若のお命を……」
 と語り初めた忍者なのか、それともお庭番とかいうやつなのかよくわからない者―――便宜上“草の者”と呼ぶことにする―――の話によれば、太一を狙う何者かがこの茶屋を囲んでいる、らしい。
 100%人違いと主張したい太一であったが、知らない間に若様なのだから、知らない間に何かの犯人でもおかしくないかもしれない。間違いなく、心当たりはないわけだが。
 さて、どうしたものか。太一は首を傾げてみた。
 江戸時代に“今”の日本の警察のようなものを宛にしてもいいのだろうか。……たぶん無理な気がする。そして自分が何かをやらかした犯人であるなら尚更助けは求められなかった。自分の中にある女悪魔のおかげで幸い不死ではあるが、斬られたら痛いだろうな、などと考えていると。
「主さん、主さん」
 椛が太一を促した。
 てっきり押入だと思っていた戸を彼女が開くと中に布団の類はなく代わりに1階へ続く階段があった。どうやらここから逃げろという事らしい。実はそれは少しばかり違っていたと気づくのには半刻も必要としなかったのだが。
 とにもかくにも太一は促されるままに階段を下りた。
 そこは物置のような部屋だ。
 しかしこの茶屋は既に囲まれているという。どうやって外に出るのだろうと思っていたら、数人の遊女が長持のようなものを持ってやってきた。
 なんだかよくわからない小物から、女物にしか見えない着物に、見紛う方なき女性の鬘。
 嫌な予感がふつふつと沸き立った。
 ノリノリの彼女らに取り押さえられ、手馴れた感じで有無も言わせずとりつく島もなく―――。



 ▼▼▼ 



 この世界に女悪魔は一切関係していないと誰も証明出来ない以上、これはきっと女悪魔プロデュースというやつに違いない。
 立見鏡に映る自分からそっと視線を逸らせて太一は強く思った。
 女たちはべっぴんさんなどと褒めてくれるが大して嬉しくもない。ただ、江戸時代の割にはよく映る鏡ですね、と内心で八つ当たりするだけだ。黒地の地味な着物に見えたのは気のせいで金糸銀糸に大輪を思わせる前帯に深いため息を吐く。
 ところで、遊女に化けたはいいが、そのままなんとか茶屋を脱出出来たとしてもその姿で吉原の大門を抜けることは出来ない。太一を襲撃するつもりらしい連中が諦めて去るなどして、再び男……というか吉原に遊びに来た客に戻らねば吉原から太一は出られないのだと着替えが終わってから気づかされる。
 つまり、このカッコで逃げるのではなく、花魁のコスプレで襲撃者をやり過ごせ大作戦だったのだ。
「…………」
 濡れ衣に女ものの衣まで着せられて太一はふつふつと怒りがこみ上げてくるのを感じた。一体、自分は、或いは別の誰かは何をやらかし狙われるに至ったのだろう。このまま無事にやり過ごせたとしても気持ちが悪い。何より、自分にはそれを知る権利があるはずだ。
 せっかくだから聞いてみましょうか、と思う。
 遊女に化けたわけだし。
 太一は縁側に降りた。二階の窓から裏口を見張る男の袖が見えていたのだ。
 えぇっと確か……。
「主さん、主さん」
 太一は裏口に立って中を窺う男に声をかけてみた。
「去れ」
 男は素っ気ない。
「怒らないでありんす」
 なんか違うような気もするが、こんな語尾で女たちは喋っていた。
「うるさいと言ってるだろ」
 男は別段言葉がおかしいのには気づいた風もなく。恐らくは意味を理解して聞いていないのだろう、しっしっと手を振って太一を遠ざけようとする。
「連れないでありんす。何をしておくんなんし」
 男の袖を引こうとした太一に。
「うるさい!!」
 男が怒って腰の刀の柄を掴んだ。
 一瞬身構える太一に椛が2人に気づいたのか慌てて割ってはいる。
「水揚げ前の子でありんす。収めておくんなんし」
 太一を庇うように自分の後ろへ押しやりながら後退していくと、男はふんと鼻を鳴らして柄から手を離した。
 逃げるように背を向けた2人に男がふと思い出したように声をかける。
「おい、女。総髪の男が客にいなかったか?」
「さて、どうだったでおざんしょう?」
 椛が視線を空へさまよわせながら答えると男は「もういい」と言って2人を追いやった。
「…………」
 椛は太一を庭の隅にある物置小屋の方へ誘導する。その後に続く展開を察して、太一は椛のお小言が始まる前に話題を逸らすように尋ねた。
「水揚げ前の子ってなんです?」
 椛はふっと気が抜けたように息を吐いて答えた。
「見習いの遊女のことでありんす」
「なるほど」
 この姿で見習いも何もないのだが、吉原に来慣れていなければ、そうなのかと思うのかもしれない。
 と、その時、物置小屋の中から音がした。
 椛と顔を見合わせつつ太一が物置の戸を開ける。
「!?」
 そこには1人の小柄な男が小さくなっていた。
「あ、あの……助けてくれ」
「総髪……それで主さんと間違われたでありんすか?」
「総髪?」
 そういえば、先ほどの男もそんなような事を言っていた。これは後で知ったことだが、総髪とは月代を剃ったりせず髪が全部ある状態の事を言うらしい。その上、短い髪というのは江戸時代では珍しいから間違われたようだ。ちなみに短い髪は蘭法医に多かったようで、物置に隠れていた男も医師であった。
 彼の話によればこうだ。彼が命を助けようとしている人物を気に入らない連中が彼を襲おうとしている。それで彼は咄嗟に馴染みのいる吉原のこの茶屋に逃げ込んだのだ。しかし、彼が大門をくぐるところを見られたのだろう。
 彼が助けようとしている相手がどういう人物かはわからなかったが、少なくとも彼は悪者ではない。密かに襲撃なんてものを企てる連中の方が怪しいに決まっていると感じた太一は言った。
「わかりました。なんとか貴方を大門の外へ逃がしましょう」
 吉原は周囲をお歯黒どぶで囲まれた袋小路だ。考えてみれば大門を見張られたら茶屋でいくらやり過ごそうが捕まるのは時間の問題である。出来るだけ早く出てしまった方がいい。
「でも、どうやって?」
 医師の男が尋ねる。化けるにしても遊女の姿では大門を抜けられない。男の鬘はすぐには用意出来ない。
「ここのしきたりに則ってみましょうか」
 太一は椛に耳打ちした。
「おもしろそうでありんす」
 椛が笑った。
 医師の男は不安げに太一を見上げていた。



 ▼▼▼



 “草の者”の話によれば、襲撃者は茶屋の出入口にそれぞれ1〜2人づつが見張りをしているらしい。
 当然、1人で見張りをしている場所で、出来れば裏口などより表通りに近い方がいい。
 その勝手口で太一は1人で見張りをしている男に近づいた。
「主さん、やっと会えなんした」
 何もしなくても体は勝手に妖艶にシナを作ってくれる。魔女の呪い万歳。心の視線は斜め下で。
「は? うるさい。近づくな」
 見張りに忙しいとばかりに手だけで追い払おうとする男の手を太一はそっと掴んだ。
「主さん、わっちはもう……」
 着物の下で膝を軽く折って中腰に。上目遣いに潤んだ目を瞬いてみる。袖の中に仕込んだ水を含んだ綿であらかじめ濡らしておいたのだ。いつでも泣ける。しかし、こんな小細工も彼がこちらを見てくれなくては意味がない。
 だが、その点に関して太一は微塵も不安を感じてはいなかった。体は知っているのだ。太一が知らなくても。やっぱり心の視線はそらしたままで。
 彼の方へ躓いて、咄嗟に手を貸してくれた男に抜かれた衣紋からのぞく白い首筋を見せつける。
「あ……」
 それから恥じらうように指で首筋の髪を払うと、どけとばかりに太一を押しやろうとしていた男の手はチラリズムに力を失った。どうせ女に飢えていただろう男の腕に自らの腕を絡めてわざとらしく着崩した胸元を見せつけ男にわずか体重を預ける。
「…………」
 正直に言おう。気持ち悪い。ツリ目の爬虫類みたいな男の顔が息がかかりそうなほどの至近距離にあるのだ。このまま押し倒されたらどうしよう。もちろん、そうなる前に助けが入るはずなのだが。
 男の中で仕事と女への短い葛藤があって太一を選ぶことにしたのか男の手が動いた。
 その時だ。
「主さん! どういう事でござんしょう?」
 その声に男が振り返る。そこに立っているのは椛だ。
「わっちを敵娼(あいかた)にしてくれたのは嘘でありんすか?」
 そうして椛は、男の空いてる方の左腕に抱きついた。
 太一は負けじと右腕を掴む。
「え? なっ……」
 男は突然訪れたモテ期に大いに面食らったことであろう。女2人に取り合いされるなんてきっと彼の人生の中ではもう2度とあるまい。
「わっちの敵娼でありんす」
「わっちと約束したでありんす」
 太一と椛はわざと大きな声で男を取り合った。すると、茶屋の男衆らがそれを聞きつけ駆けつけてくる。一妓一客の禁を犯した男に制裁を加える吉原の法の番人だ。
「!?」
 髷を切ったり女物の着物を着せたりする。他の客に禁を犯すとどうなるのか見せしめるため、人目のないところでひっそり私刑を行うことはない。
 混乱と騒ぎに野次馬たちが集まった。男衆にどつきまわされる仲間に、見張りをしていた者たちも数人やってきて、彼の無罪を主張し始める。
 狭い通りに人だかり。
 とりあえず、どつきまわされている男が見張りをしていた勝手口に見張りはいない。
 椛の目配せに太一はそっとそちらへ移動した。医師の男を呼んで勝手口から茶屋の外へ促すと、太一は人混みに紛れるようにして、彼を襲撃者の包囲網から抜け出させた。
「人違いでありんした」
 などと言う椛の声が背を叩く。一妓一客を守らせる、客には厳しいが、一人で何人もの上客を持つ稼ぎどころの遊女には甘いのがこの世界。人違いで彼女が咎められることはないだろうが。後で花代を上乗せしておきましょうか、などと内心で呟いて。
「若、こちらです」
 “草の者”が先導してくれるに任せ、太一は医師の男と大門へ駆けた。騒ぎに乗じて逃げられた事に気づかれずに済んだのか、無事大門へ辿りつく。
 大門にも見張りがいたようだが、幸い仲間の異変に持ち場を離れてしまったらしい。
 とはいえ、外にも見張りがあるかもしれない。太一は“草の者”に男の護衛を頼んだ。
 男は“草の者”と太一を交互に見やって不思議そうに首を傾げた。太一がただの遊女でないという事は悟ったようだが、男であると感づいていたかどうかは謎である。
 ただ、門を出ようとする男が太一の手をとって言った。
「ありがとうございます」
 予感めいたものはなかった。ただの乗りかかった船だ。
 これから自分はどうしようと思っていた。その一方で何とかなるんじゃないかと傍観もしていた。
 医師がお礼を言った瞬間、唐突に、何の脈略もなく視界が真っ白になった。
 ここへ訪れた時と同じように。



 ◇ ◇◇ ◇◇◇



「…………」
 目の前にはパソコンがあった。
 自分の手はキーボードの上に乗っている。白昼夢というやつか。ハッとしてパソコンの画面の右下にあるデジタル表示を見た。14:52。ホッと安堵の息を吐く。時間は殆どというか全く経っていない。大丈夫だ。プレゼン資料は間に合う。しかし、さっきのは一体何だったのだろう。やはり夢だったのだろうか。おかしな夢を見たな、と思う。
 それからふと、視線を感じて顔をあげた。
 職場の同僚たちが口をポカーンと開けて自分を見ている。誰も何も言わない。ただ、いつもより大きく目を見開いて太一を見ているのだ。
「?」
 どうしたのだろうと思いつつ太一は視線をパソコン画面から下へ落とした。そこに背広はない。艶やかな娼婦の制服があるだけだ。
「!?」
 夢じゃなかったのか。あれは一体なんだったのか。
 ただ。

 どうやら残業が決定したようだった。






 夢か現か現が夢か。
 時間と空間の狭間をうつろう謎の時空艇。
 彼らの行く先はわからない。
 彼らの目的もわからない。
 彼らの存在理由どころか存在価値さえわからない。
 だけど彼らは時間を越え、空間をも越え放浪する。
 たまたま偶然そこを歩いていた一部の東京人を、何の脈絡もなく巻き込みながら。
 しかし案ずることなかれ。
 江戸に召喚された東京人は、住人達の『お願い』を完遂すれば、己が呼び出された時間と空間を違う事無く、必ずや元の世界に返してもらえるのだから。

 但し、服は元には戻らない。





 ■大団円■


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【8504/松本・太一/男/48/会社員/魔女 】


異界−江戸艇
【NPC/江戸屋・椛/女/20/若い女役】


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■         ライター通信          ■
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 ありがとうございました、斎藤晃です。
 楽しんでいただけていれば幸いです。
 ご意見、ご感想などあればお聞かせ下さい。