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■【ふじがみ神社】はた迷惑な夢の国■

夜狐
【4778】【清水・コータ】【便利屋】
 神社に、桜が咲いた。立派な古木に溢れんばかりに。花びらが雪のように降る如くに。立派な立派な、桜が咲いた。
 ――のは、ずいぶん昔のことで、その古木はとうに切られて久しいはず、なのだが。



「桜が咲いてるわね」



 桜は咲いていた。現実と季節と、色々な物理法則をぶっちぎりで無視して咲いていた。
 当たり前だ。あれは夢の中の世界。夢の中の世界の桜が、どういう訳だか現実の神社まで浸食している。

「ごめんなさいすみませんあたしが悪かったですそろそろ下してください佐倉先輩」
「しばらくそこで頭を冷やしなさい天然暴走トラブルメーカー」

 冷淡な声は木の根本。平謝りに謝る声は木の上から、それぞれ聞こえて来る。冷淡な方が嘆かわしげに、呟いた。

「全く。仮にも神様ともあろうものが、<夢魔>に憑かれるなんて前代未聞だわ…」


 夢魔、というものがある。一般的には魔物の一種として伝えられる名称だが、一部の錬金術師にとっては、「望んだ夢を見る為の道具」として伝えられてもいる、一種のマジックアイテム、ないしは使い魔的なもののことだ。対象へ憑依させて使うものなのだが、稀に暴走を起こすため、あまり好まれるものではない。
 ちなみにこの場で桜を咲かせている元凶は、後者の方である。絶賛暴走中の<夢魔>――それがこの、「あり得ない桜」の元凶であるらしい。
 ――そんな風に説明されたことを思い起こしながら、苛立たしげに腕を組む木の根元の少女。そのすぐ目の前、古木に体を預けて、一人の少年がぐーすか寝入っていた。

「しかもこんな肝心な時に、使えないバカは寝てるしね…全く」
「超絶憑依体質の先輩が<夢魔>に憑かれなかったのに、藤が先に憑依されるなんて珍しいね」

 ふと思いついた風な樹上の問いかけに、額をおさえて佐倉は応じた。吐き捨てるように容赦なく。

「このバカはね。あたしを庇って憑依されたのよ。どうしようもないクズだわ。アホだわ。救い難いと思ってたけど私の想像以上に救えないバカだったのねこのバカ。ダイバカ。」
「うわー助けたのにそこまで言われちゃ散々だよ先輩、いくら藤でも可哀想だよ」
「事実でしょうが。…こんな、わけのわからない事態、ただの憑依体質の私にどうしろって言うの。こういうときにこそ、このバカの方が必要なんでしょうに」

 溜息をついて、少女は少年の頭を叩いた。割と本気で叩いたように見えたが、少年が目を覚ます様子はない。樹上につりさげられた――どうやら木の根元の少女がやったらしいが――少女が、ううんと唸った。

「先輩ってツンデレ?」
「私は事実を指摘しただけよ。…それで響名。<夢魔>とやらはどうすれば除去できるの?」
「うーん、ホントなら夢の中に入る必要があるから、特別な魔法なり、能力なり、道具なり必要になるんだけどね。そんで夢を見てる本人をたたき起こすの。でもこの夢、現実側までバリバリ浸食してるからなぁ。多分この桜の咲いてるトコ…神社の裏に続いてるのかな?そっちの方行けば、寝てる本人たちもいるんじゃない?」
「またずいぶんと曖昧なのね」

 佐倉がまた、溜息をつく。樹上の少女、響名を見上げて、冷たい目をした彼女はこういった。

「――これはあなたの作った<夢魔>でしょう、響名」
「いや、あたしもまさかここまでとんでもない性能を発揮するとは」
「お黙りなさいこのへっぽこ錬金術師」

 ぴしゃりと言い置いてから、彼女はまた腕を組んだ。春の匂いがするやたらと優しい眠りを誘う風に抗うように、眉根を寄せてしかめつらをする。――元来、ありとあらゆるモノに憑依されやすい体質の彼女は、ここに居るだけで<夢魔>に誘われそうなのを懸命に堪えていたのだ。

「全く。神社の関係者がこぞって倒れたりしたら、誰がこの桜の説明をするのよ…。響名、あなた、ちゃんと責任とりなさいよ。とらないと後で酷いわよ」
「既にひどいことになってるよ…」

 縄でぐるぐるに縛られた上に桜の枝のひとつにつるされた、ミノムシのような恰好の少女・響名は、呻くように答えたが。
 ――どうやら佐倉には聞こえなかったようだ。彼女は、根元に倒れ込むようにして、眠ってしまっている。
 じたばたと暴れながら、響名は叫んだ。

「せめて縄を解いてから倒れようよ、せんぱーい!」




 少女の甲高い悲鳴を聞きつけたか、それとも場違いな桜の花に惹かれたか。神社に訪問者が訪れるまで、まだしばしの時間が必要だ。
神様の夢の中


 寂れた境内から裏手へ向かう道を歩いていく最中、コータは眩暈を覚えて瞬間、足を止めた。ほんの少しの瞬間的な断絶の後で目を瞬くと、辺りの風景は一変している。
 背後の方――確かに今歩いてい来た方向から、少女の甲高い声だけが響いてきた。
「そこから先は夢の中だから、ホントに気を付けてね!」
「気を付けろ、ったって…」
 声はそれきり、聞こえてこない。当然コータの零した言葉にも応えは無い。しかし肩を竦めたきり、コータは頓着せずに前を向いて歩きだした。境内の方から歩いてきたはずだが、不思議なことに、彼の前方には広い境内が開けている。それも酷く賑やかな気配をさせて。
 微かに聞こえる祭囃子に、コータは知らずに口を緩める。楽しげな気配は心地よく、忠告の声に足を止めるのも勿体ないような気がしたのだ。




 事の発端はさして珍しい話でもない。初夏の街並みには悪目立ちする見事な桜が満開になっていて、面白そうだとふらふら立ち寄った神社の境内には、眠りこける少年と少女、それに桜に吊り下げられた蓑虫が一人。枝を揺らしながら暴れる蓑虫、もとい、簀巻きにされた女子高生いわく。
「この神社の神様がね、寝惚けてるのよ。それで、彼の見てる夢が現実側に侵蝕しちゃってるの」
「わーお。それってよくあること?」
「ンな訳ないでしょ。あたしのあげた魔道具がちょこーっとだけ、ほんのちょびっとだけ、暴走してるのよ」
 ――そっぽを向いて大変控えめに告げられたその言葉についてはコータは言及を避けた。代わりに指差したのは桜の樹の向う側、陽炎が揺らめく様に風景が歪んで見えるのだ。好奇心の赴くまま、彼は蓑虫を見上げる。
「で、蓑虫ちゃん。あっち側は?」
「ああ、夢ン中よ。さくらちゃん、本気で置きたくないみたいだし、あれで結構寝起きが悪いから、入らない方が…ってちょっと、人の話聞いてんの!?」
 聞こえてるよ、とコータはひらひら手を振るだけの所作で応じながら、しかし歩みは止めずに躊躇なく陽炎の方へと向かっていた。後ろで大きく枝が軋る音がする。
「ねぇ、どうする積りー!?」
「んー、そうだなぁ、神様の夢だっけ? 俺が起こしてくるよ」
 振り返らずに真っ直ぐ歩いていくが、コータの顔は完全に緩んでいた。歩いて行ける夢の世界、それも夢の主は「神様」だと言う。口ではとりあえず何とかしてみる、と言いつつ、彼の思考は、
(すげぇな、他人の夢ってだけでも珍しいのに神様の夢かー、面白そうだ!)
 すっかり楽しんでいたのであった。


 夢の中は祭りの最中の様子であった。ただし空の色は鮮やかな薄紅色で、現実世界のどんな時間帯のそれとも違うことだけが違和感を醸し出している。薄い膜が張った様な空を見て、それから辺りを観察する。境内には多くの人が行き交い、どこからかは分からないがお囃子の音色が聞こえていた。数は少ないが縁日の屋台も出ているのだが、その品揃えを見てコータは目を瞠る。今時見ないような古い特撮関連のグッズや子供向けの商品が並んでいる。恐らく、「神様」の記憶に基づいた夢の中だからなのだろう。冷静になって行き交う人々を観察してみれば、ファッションや髪型がてんでバラバラの時代の流行りを反映していて、これはこれで興味深い光景ではあった。
「…おや」
 きょろきょろと辺りを見渡していると、ふと声をかけられる。
 周りの人々は虚像のようで、コータが参道のど真ん中に立っていても彼を「すり抜けて」消えてしまうのだが、そんなコータを間違いなく認識しているらしい。声の主を探して視線を上げると、一件の屋台の横で、狐面を被った和装の青年がコータを「見て」居た。
 ぞくり、とする。
 コータはいわゆる「霊感」と呼ばれるような特別な感覚は持ち合わせていないが、その代わりに放浪の最中に幾つもの経験を得ている。加えて彼は、人を見る観察力に関してだけは人並み外れた鋭さを供えていた――その勘が告げている。視線の主は多分、人ではないものだ。
「神様?」
 問いかけてみると、狐面の下から笑う気配がした。
「そうだよ。人にはさくら、と呼ばせているから、そう呼んでくれると嬉しい。君は?」
「俺? 清水コータってんだ。よろしく」
 握手を求めるのはあまりに気安すぎるやもしれないが、結局コータは右手を差し出すことにした。すると彼はこくり、と首を傾げてから、軽くその手に触れて放す。
「ところでどうしてこんな所に? ここは夢の中だよ」
「えーと、そうだなー、現実の方に居た女の子が、『現実が夢に侵蝕されてる』とか言ってたし、表で倒れて眠っている子達も居たし、心配になって…?」
「心配?」
 仮面の下の含み笑う気配に、コータは頬をかく。相手は神様だと言うから、多少の嘘は容易に見抜かれてしまうのかもしれない。
「…うん、半分くらいは好奇心。神様の夢なんてどんなもんだろって」
 すると相手は今度は不思議そうに首を傾いだ。長い桜色の髪が揺れて流れる。
「わたしの? 人の子は面白いことに興味を持つんだね。…でも、気を付けて」
 それまで楽しげだった声が微かに警告を帯びて低く。
「――私はまだ、眠っていたいんだ」

 言葉と同時に、全てが暗転した。

 次に視界が開けた時。コータが拍子抜けしたことに、辺りの風景は何も変わっていなかった。響いているのは祭囃子、行き交う人々の微かなざわめき。通行人がコータの存在に気付いた風なくすり抜けていくことも変わらず同じ。ひとつだけ変わっていたのは、先程まで目の前に居た和装の青年、「さくら」と名乗った神様の姿が消えていることくらいだ。
「…あれ、逃げちゃった?」
 何がしかの抵抗、襲撃を想定していたコータは自分を庇うように両腕を顔の前にしていたのだが、拍子抜けして腕を降ろすほかない。再度辺りを見渡したところで、今度は別の人間と目が合った――目が合うということは、相手はこちらを認識している、ということだ。つまり夢の中の虚像ではなく、意識を保った人間なのだろう。
 さっきと違い、相手は男女二人だった。二人とも袴姿ではあるが、一人は浅黄色、一人は紅白の巫女姿で、おまけに後者に関してはコータは見覚えがあった。
「…あれ? どこかで会ったっけ」
「何であなたがここに居るの?」
 コータの言葉と、酷く不機嫌そうな巫女姿の少女の声が同時だ。もう一人の人物、コータよりは年下に見える少年は二人を不思議そうに見比べて首を傾げる。子供のような所作は、けれどもさっき見た「神様」のそれに似ていた。
「桜花ちゃん、知り合い?」
「…ただの通りすがりよ。何でここに居るの?」
 鋭い眼光に、コータは苦笑する。
 記憶が確かなら、少し前に。公園で修羅のような表情で怒りをまき散らしていた女子高生に違いなかった。
「久しぶりー。どう、その後?」
「一歩たりとも進歩してないわ。そちらはどういったご用件?」
「んー」
 腕組みをした少女は不機嫌そうで、少し突けば容赦なく怒り出しそうでもあったので、コータは言葉を選ぶことにする。
「…現実側? って言うのかな、ちょっと変な気分だけど。通りかかったら桜が咲いてるし、君ら倒れてるし、女の子が簀巻きになって助けを求めてるし、で気になったから。この、神様の夢って言うのか? 神様起こさないと、現実側まで侵蝕するらしいし、大変だなぁと思って」
 彼の言葉に、少女は胡乱な目つきをした――どうやら信頼されていないらしい。が、少女の隣に居た少年の方は、にこりと笑みを浮かべてくれた。こちらはいっそ無邪気と言っていいくらい疑いを持たない性質らしかった。
「じゃあ、手伝ってくれるんだ! いい人だね桜花ちゃん!」
「……。そうね…」
 何であっさり信じるんだ、と言わんばかりに一拍間をおいて、完全に呆れを含んだ様子で桜花、と呼ばれた少女は嘆息したが、少年はろくに気にも留めていない様子だった。
「俺は藤。秋野藤って言うんだ。あんたは?」
「清水コータ。コータでいいぞ。で、…そういや名前、訊いてなかったよな。そっちの巫女さんは?」
「佐倉桜花」
 素っ気なくそれだけ答えて、少女――桜花が腕組みを解く。その手には、榊の枝が握られていた。
「…来るわよ」
 彼女の言葉は端的にそれだけだったが、付き合いが長いのだろう、少年の方は心得た様子で頷いて、こちらは懐から払え串を取り出す。二人がそれぞれ構えた瞬間だった――ごう、と辺りを強烈な風が吹き荒れる。
<全くもう、二人とも暴れないで。もう少し位、ゆっくり眠らせておくれ>
 どこからともなく声が聞こえてくる。
 コータにも覚えがあった。先程見かけた、狐面の青年。この夢の主。「さくら」と名乗った神様の声。どこか侘しげにも聞こえる声色で、その声が続ける。
<…良い夢を見るのも、久々なんだから>
 だが風の中、榊の枝を握った桜花の応じる声はとことんなまでに低く、鋭い。
「さくら様、いい加減になさってください。これ以上は町に被害が及びます。仮にも神格持ちの方の夢なんて、並の人間には抵抗が出来ません――町の人達が夢に取り込まれたりしたら、どうなさるおつもりですか」
 口調は丁寧でトーンも静かなのが却って怖い。が、正論で責められたさくらはと言えば、少し沈黙した後。
<…あと5分…>
「先程からそればかり仰ってるじゃありませんかッ!」
 気合一閃、桜花が叫びと共に榊の枝を振るうと、まるで切り裂かれたかのように渦を巻く風が割れ、霧散する。また微かに祭囃子の聞こえる風景が辺りに戻って来るのを見て巫女さんが巫女らしからぬ舌打ちをしたもので、二人の男性は顔を見合わせるより他にはすることがなかった。
「あれってかなり怒ってるよな?」
 耳打ちするように少年、藤に問えば、彼はうん、と頷いて払え串を懐へ戻しながら、
「桜花ちゃん、結構怒りっぽいからなー。さくらの奴、後でどうなっても知らないぞ…」
 神様、と呼ぶには酷く気安い調子でそんな風に名前を呼んで、大きく息をつく。途方に暮れた様子の溜息だった。
「…それにしても、どうするかなぁ」
「困ってるねぇ」
「困ってるよ、お兄さんだって、さくらが起きないと『向こう側』に還れないんだよ? 大丈夫?」
 うーん、とコータはその言葉に鼻の頭をかいてから、周りを見渡した。どこまでも続く平穏な、祭の風景。賑やかな癖に虚像であるが故か、どこかそれは遠いもののように感じられる。
(そろそろ夏だからなぁ、いい時期だよな)
 東京だけではなく、各地で大小問わず祭りの多い時期になるのだ――というのがコータが次に考えたことで、我ながら呑気な思考回路だとは思うのだが、現状危険を感じないのだからどうしようもない。
「そうだな、祭りでもすりゃいいんじゃないかな」
 次いでコータがぽつりとこぼした言葉は唐突に過ぎたかもしれない。怪訝そうに藤が首を傾げているのを見て、コータは慌てて言葉を継いだ。
「いや、だからさ。さくら様、だっけ。この夢が『いい夢』だって言うなら、現実でもお祭りやればいいんじゃね?」
 軽い調子で告げられた内容に、即座に反応を返したのは桜花の方だった。
「あなた、簡単に言うわね。夏祭りは確かに近くやる予定だけれど、ここまでの規模でやるのはもう無理よ」
「何で?」
「予算と、人手の問題。ウチの神社の夏祭りは小規模でひっそり続けているけれど、参加者も少ないし、今はせいぜい2,3件の縁日を並べて、小さなお神輿で町を回るのがせいぜいってところだわ」
「桜花ちゃん、悲しくなるからもう少しオブラートに包もうよ」
「現実見なさい」
「ここは夢の中だよ…」
 項垂れる藤の様子を見るに、桜花の言葉は的を射ているらしい。なるほどなぁ、と頷きつつコータが脳内であれこれと算段をしていると、不意に地面がぐらり、と大きく揺れた。
「お?」
<もう少しくらい、ゆっくり寝ててもいいよねぇ>
 聞こえてきた温和そうな口調とは全く相反して、辺りが暗くなる。祭りの虚像が次々と消え去っていくのを、嫌な予感と共に見守っていると、唐突に頭上から何かが降ってきた。
 桜の花弁――に、見えた。ただし、それらは全て、人間目がけて降り注いでくる。
「わー!?」
 悪寒を覚えて逃げ出すコータの背後、桜花と藤がそれぞれに柏手を打った。
「祝詞全部省略! サクヤちゃん、お願い!」
「はらいたまえ!」
 二人の柏手は空気を破裂させるような強烈な音を響かせ、意思を持つかのように襲い掛かってくる花弁を喰いとめる。コータが足を止めて振り返ると、嵐のような花弁の渦の中央で、あの青年が――狐面の青年が、こちらを見下ろしていた。ごくりと唾を飲んで、しかしコータは口を開く。
「…ここまで立派にやれるかどーか分からねぇけどさ、お祭り、やろうぜ、さくら」
<それは面白そうだけど、でも、きっとこんな風に楽しくはなれないよ>
「分かんねーじゃん、やってみないと」
 わー、刺激するなー、と柏手を打った姿勢のまま固まっている藤がこちらを振り返って口パクで伝えて来るがこれは無視して、コータは腰に手を当てた。
「縁日の屋台なら、アクセサリーとか、古物の露店やってる知り合いが何人かいるから声かけてみるよ。普段の祭りと毛色は変わっちまうかもしんねぇけど、たまには悪くねぇだろ?」
<…ふむ>
 興味を示したか、桜の花弁の勢いが落ちる。ふわり、と音も無く地面に降り立ち、狐面の青年が首を傾げた。
「あとはお囃子も、音楽やってる知り合い呼んでみるし。知り合いの伝手たどって、お客さんも呼ぶよ」
<……。面白そうではあるけど…>
 あと一押し、という手応えを感じて、コータはにこりと笑みを浮かべる。
「やってみようぜ。現実にだって面白いことはまだまだあるんだしさ」
<じゃあ、約束をしてくれるかい、コータ>
 さくらの言葉に、頷こうとしたコータは眼前の少年少女が猛烈な勢いで首を横に振っているのを見て取り、少しだけ沈黙した。何で? と視線だけで問えば、藤がこう続ける。
「さくら、その約束は俺がするよ。この人はあくまで協力者。いいね?」
 桜花がひそひそと、コータにこう説明してくれた。
「神様と安易に『約束』をしては駄目よ。それを万が一にでも破ったら、あなただけではなく、あなたの周囲にまで祟りが及ぶわ」
「……そうなんだ。あれ、藤はいいの?」
「あの子は別。神様との直接交渉権を持ってる人間だから、約束を破った場合でも影響は殆どないの」
 そういうものなのか、とコータは深く考えずに納得することにした。
<全く、藤は敏いねぇ>
「さくらこそ、そういう祟り神の真似事みたいなことはやめなよ。そんで、起きるの?」
<そうだね。楽しみが一つ出来た。そろそろ目を覚ましてもいいかな>
 おや起きてしまうのか、と、少しばかり惜しい気もして、コータは目に焼き付けるように辺りを再度見渡す。神様の記憶から再構築された風景は、時代も何もかもちぐはぐで、絶対に現実では見られないだろう光景だったからだ。






「コータさん、コータさん」
 ――揺さぶられて、目が覚める。
 はっと起き上がると、初夏の気の早い蝉の鳴き声が聞こえた。照りつける日差しは既に夏のそれだ。
「…おぉ、起きたのか俺」
「うん、おはよう。さくらを起こしてくれて、ありがとう」
 見れば、コータは境内の地面に倒れ伏しているところだった。さっきまで見えていた虚構の祭りの風景は無く、お囃子も聞こえては来ない。眩しい日差しに目を細めつつ、コータは差し伸べられた少年の手を取った。
 夢の中と違い、高校の制服姿だが、夢の中で確かに出会った人物――藤がそこに居る。ぱちぱちと二度瞬いてそれを確認し、コータはおぉ、ともう一度感嘆の声を漏らした。
「凄いな。現実かこれ」
「現実よ。…全く、あんな口約束をして。どうするの、これから?」
 その背後から姿を見せたのは、こちらも巫女服では無く制服姿の桜花だ。問いかけは一旦無視して、コータは背後を振り返る。良かったぁ、と安堵の笑みを浮かべているもう一人の女子高生――大樹に吊り下げられた蓑虫になっていたあの子だ――を確認して、その更に後ろを眺める。
 桜の大樹は、そこには無かった。注連縄をかけられた巨大な切り株があるだけだ。
「…なぁ、もしかして、さっきの夢の神様って」
「そうよ、あれが本体。…さくらはね、もう瀕死の神様なの」
 本体が死んでいるから、いつか消えるのよ、と淡々とした調子で桜花が告げる。嗚呼、と、先とは違う感嘆の声が漏れた。だから、彼は夢に籠ったのか。
「まぁ、これから知り合いに声をかけてみるよ」
 ふわふわと大きく伸びをして、あえて気楽な調子でコータはそう告げた。
「どれくらいのことが出来るか、保証はできねぇけどさ。…たまにはそういう、先の見えない無茶をやってみるのも、きっと楽しいよ」
 そうかしら、と怪訝そうな桜花の隣で、藤が笑う。
「そうだね、多分悪くないんじゃないかな。さくらだってそう思うだろ?」
 虚空へ向けた藤の言葉の答えがどんなものだったのか、コータには知るべくもない。だが、不意に季節外れの柔らかな風が吹いて、ほんの一瞬――そこに咲き誇る桜の姿を見た、ような気がしたのだ。
 多分、神様のご機嫌はそう悪くはないのだろう。



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  登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【 4778 / 清水・コータ 】