■とある日常風景■
三咲 都李 |
【2778】【黒・冥月】【元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】 |
「おう、どうした?」
いつものように草間興信所のドアを叩いて入ると、所長の草間武彦(くさま・たけひこ)は所長の机にどっかりと座っていた。
新聞片手にタバコをくわえて、いつものように横柄な態度だ。
「いらっしゃいませ。今日は何かご用でしたか?」
奥のキッチンからひょいと顔を出した妹の草間零(くさま・れい)はにっこりと笑う。
さて、今日という日はいったいどういう日になるのか?
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とある日常風景
− 秋は誘惑も多いのです −
1.
「なぁ、何か最近少し丸く柔らかくなった気がするんだが‥‥」
「‥‥は?」
初秋の柔らかな風が吹き抜ける草間興信所事務所に、一陣の嵐が吹き抜ける。
興信所所長・草間武彦(くさま・たけひこ)の恋人・黒・冥月(ヘイ・ミンユェ)に対する爆弾投下である。
「今、なんて言ったの?」
聞き間違いかもしれない。‥‥なんて、淡い期待を込めて冥月は聞き返してみた。けれど。
「なぁんかこうな、抱きしめた時の感触とか‥‥こう、ぷにっと感というか、手を回した時の掴み具合とかがな」
久しぶりの逢瀬。温かな腕の中で幸せを感じていた指先が、スッと冷えるのを感じた。こんな感覚はクールな元暗殺者でも早々感じられるものではない。『超弩級の修羅場』の予感だ。
目の前にある恋人との甘い蕩ける夜も、身を焦がすような恋情も一発で吹き飛んだ。
「何? 私が太ったと? 武彦はそう言うの? こ の 私 が ?」
知らず知らずに低くなる声に、草間の顔に怯えが走る。
「いや、誤解するな! あくまでも『いい意味』でだ! 別に太ったってわけじゃなくて、触り心地がいつもとちょっと変わったかなって‥‥だから、太ったとか言ってるわけじゃ‥‥!」
口を開けば開くほど墓穴を掘っていく感覚。焦れば焦るほどほつれは大きく修復不可能になる。
「つまり武彦は『太ったわけじゃないけど、いつもと違う抱き心地』だと主張するのね? 『太ってはいないけど、何かが変わった』というのね?」
冥月が優しくそう言うと、草間はコクコクと縦に大きく首を動かす。
ようやく俺の意図が伝わった! ‥‥と草間は安堵した。
けれどそれは大きな間違いであった。
「わかったわ。原因究明のために今日はこれから部屋に帰るから」
にっこりと笑った冥月の笑顔が、何物にも代えがたい鋭い刃のように光る。
地雷を‥‥踏んだ‥‥。
おもいっきり踏み抜いてしまったと、草間はこの時ほど後悔したことはなかった。
2.
冥月がその夜、部屋に帰って行ったことは簡単である。
ひとつ、体重計に乗る。
ひとつ、裸になって姿見でおのれの姿をくまなく観察する。
体重計はいつも乗っているので正直今この時に乗ったからといって唐突に変化するものではない。
だから多少の前後はあるものの、その誤差は必ず次の日にはなくなるように調整もしていた。だから、常にベスト体重をキープし続けている。裏の仕事をしていた時の生活習慣ゆえ、体調管理は欠かしたことはない。
では、体型は‥‥こちらは正直、毎日見て確認するのみなので何とも言えないが、変わっているとは思えない。体調管理の延長線で行ってきたトレーニングも‥‥とそこまで考え、冥月はハッとした。
‥‥そういえば、最近動きのキレが鈍いかも‥‥。
いやいやいやいや。そんなはずは。まさかまさか。
打ち消してはみるものの、自分自身は誤魔化せない。慌ててメジャーを体に巻きつける。ぷにっとメジャーが肌に食い込む。
これは‥‥もしかして‥‥。
『脂肪増加』
目の前がクラクラして、思わずへたり込んだ。
そ、そんなまさか‥‥けれど、それしか考えられない。というかおそらく現実問題それだ。
原因究明という名のもとに自分の怠慢が白日の下に晒されて、眩暈すらする。
確かに、武彦といると楽しくて嬉しくてつい遊んで、食べて、眠って‥‥だって楽しかったんだもの。
これがもしや幸せ太りなの!?
『幸せの証』と言えば聞こえはいいが、それは冥月にとって言い訳にもならない。許せない。
かくなるうえは‥‥。
「私、訓練するわ」
翌日、厳しい顔をした冥月が草間の元に現れてそう宣言した。
「何の訓練を?」
冥月の姿を上から下まで見た草間は首をひねる。
それもそうだ。冥月はいつもの黒いスーツ姿にハイヒールの出で立ちで来たのだから。
「‥‥う、運動よ。軽い運動」
言葉を選びつつ、冥月は答える。
ダイレクトに『ダイエット』とは素直に言えない乙女心。ちょっと顔が赤い。
「運動だったら俺が付き合ってやるよ」
草間はにやりと笑う。ほんの少し、ほんの指先ほどの期待をした冥月をいとも簡単に草間は裏切る。
「運動なら俺がいっぱいさせてやるぜ、夜に」
百戦錬磨の拳が唸る。神速の鉄槌で草間が倒れた後、冥月は少しだけ顔を赤らめて言う。
「元に戻るまで接触禁止令を発動するわ。‥‥でも、普通の運動に付き合ってくれるならいいけど」
「お、お供させていただきます‥‥」
瀕死の草間は、ただそれだけ言うと気を失った。
3.
次の日の朝から、冥月 With 草間の訓練という名のダイエットが始まった。
「まずは軽くウォーキングからね。基礎体力向上と共に体を温めるのよ」
そう言いながら歩き始めた早朝の2人。歩く・歩く・歩く・歩く‥‥。
「‥‥おい、どこまで歩くんだ?」
10分ほど歩いた時、草間が訊ねると冥月はさも当然と答える。
「20kmほどよ」
「!? いやいやいやいや、嘘だろ? 無理だろ!?」
「? 普通でしょ?」
颯爽と長い髪を揺らして歩くその後ろ姿。その姿を必死に視界に留めながら草間も歩く。
「あ、あそこの公園に子供用ののぼり棒があるわ。あそこで軽くポールダンスをしましょう。全身の筋肉も使うし、しなやかな動きをするのになかなかいいのよ」
「ぽ、ポールダンス‥‥」
するりとポールに絡みつき、妖艶で繊細な動きの踊りを披露する冥月。そんな冥月を見て草間は『これは誘っているんじゃ!?』なんて妄想炸裂させるのだが、そんなわけはなく‥‥。
「さ、武彦もやるわよ」
「お、俺も!?」
「? 当然でしょ?」
菩薩のように優しく清らかな笑顔でそう言われては、返す言葉もございません。しなやかな動きとは裏腹に全身が悲鳴を上げるような激しい筋肉の動きに草間は徐々に気が付いていく。
「な、なぁ。この後は何をするんだ?」
恐る恐る訊いた草間に、冥月はこともなげに微笑んで言う。
「そうねぇ‥‥この後は水泳ね。大丈夫、100mを3本ほどだから。それから山の上にあるお寺まで行きましょうか。階段の上り下りはいい運動になるわ。精神統一の座禅もできるから素敵なお寺よ。帰りももちろん階段でね」
笑顔の彼女はいつもと変わりのない美しさ。けれど‥‥けれど冥月の言っていることが草間には全くわからない。
「朝のメニューは軽くしたけど、夕方はもう少し厳しめにしたいわね。夜しっかり眠って、明日に備えることもできるものね」
‥‥これはきっと魔法の呪文か何かだ。
元暗殺者の彼女の身体能力を舐めていた草間は、冥月の呼ぶ声を遠くに聞きながらもおのれの深淵に呑み込まれていくのを感じていた‥‥。
4.
早々にリタイアした草間は置いておき、冥月は見事に自分の立てた訓練をこなした。
その消化率は現役の比ではなく、それは愛ゆえ! ひとえに愛ゆえ!!
一般人であれば過酷すぎる訓練であるが、冥月にとってはそれほど辛くはないメニューを淡々とこなした。
半月も立たないうちにそのスタイルはまさにパーフェクトなまでに仕上がっていた。もうぷにっとメジャーが肌に食い込むこともない。
「さ、武彦‥‥私に触って?」
そう誘う冥月の体を抱きしめる草間は髪に顔を埋めると耳元で囁いた。
「そうそう、この感じ。この感じ」
ぎゅっと抱きしめられて悪い気はしない。草間の匂いがなんだか懐かしく感じる。
「武彦‥‥苦しい」
でも、悪い気分じゃない。むしろ久しぶりの抱擁は気持ちがいい。
「あ、でもひとつ言ってもいいか?」
草間は冥月の顔を覗きこむ。冥月は少しだけ不安になった。
「胸はいくらでも大きくなっていいぞ」
そう言ってにやりと笑って胸に手を当てた草間に、冥月は赤くなって草間の胸に顔を埋めた。
この男の脳内は一体どうなっているのやら。恥ずかしくもあり、嬉しくもあり。
「武彦が‥‥協力してくれるなら‥‥」
最後に『バカ』と付け足したかったけれど、降ってきた唇にその言葉を飲み込む。
そして、甘い夜の誘惑にそのまま目を閉じた‥‥。
■□ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) □■
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
2778 / 黒・冥月(ヘイ・ミンユェ) / 女性 / 20歳 / 元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒
NPC / 草間・武彦(くさま・たけひこ)/ 男性 / 30歳 / 草間興信所所長、探偵
■□ ライター通信 □■
黒・冥月様
こんにちは、三咲都李です。
ご依頼いただきましてありがとうございます。
イチャラブ♪ & コメディ♪ 楽しく書かせていただきました!
少しでもお楽しみいただければ幸いです。
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