■あおぞら日記帳■
紺藤 碧
【2919】【アレスディア・ヴォルフリート】【ルーンアームナイト】
 外から見るならば唯の2階建ての民家と変わりない下宿「あおぞら荘」。
 だが、カーバンクルの叡智がつめられたこの建物は、見た目と比べてありえないほどの質量を内包している。
 下宿として開放しているのは、ほぼ全ての階と言ってもいいだろう。
 しかし、上にも横にも制限はないといっても数字が増えれば入り口からは遠くなる。
 10階を選べば10階まで階段を昇らねばならないし、1から始まる号室の100なんて選んでしまったら、長い廊下をひたすら歩くことになる。
 玄関を入った瞬間から次元が違うのだから、外見の小ささに騙されて下手なことを口にすると、本当にそうなりかねない。
 例えば、100階の200号室……とか。
 多分、扉を繋げてほしいと頼めば繋げてくれるけれど、玄関に戻ってくるときは自分の足だ。
 下宿と銘うっているだけあって、食堂には朝と夜の食事が用意してある。

 さぁ、聖都エルザードに着いたばかりや宿屋暮らしの冒険者諸君。
 あなただけの部屋を手に入れてみませんか?

精神論








 部屋で飛び起きるように、ばっと目を開けたアレスディア・ヴォルフリートは、取るものも取りあえず部屋から出ると、階段を駆け上がりコールの部屋の前で軽く浅い息を吐く。
 ノックをしようと手を上げたものの、何故だがすぐさまその手が降りてしまった。
「どうして止めたの?」
 横から声をかけたのはアクラだ。
「アクラ殿! コール殿が目覚められたとは、誠か?」
「自分で確かめてみたら?」
 ドキっとした。今、そうしようと駆けつけ、今すぐにでも確かめようとしたのに、それを止めた自分。
 ちょっとだけ。本当に、ちょっとだけ、心が足踏みしたのだ。
「そのアクラ殿、体調は……?」
 話題を変えるかのようにアクラに話しかけたころには、彼はもう階段を下り、アレスディアに向けてひらひらと後ろ手に手を振っていた。
 アクラに言われ、一度大きく深呼吸をすると、アレスディアは数回扉をノックする。
「どうぞ」
 返って来た言葉に、アレスディアはゆっくりと扉を開ける。そして、窓の前に立つコールの姿を見止めた瞬間、口元が綻んだ。
「ああ、コール殿。本当に目覚められたのだな」
 アレスディアはほっと胸をなでおろす。
「世話をかけてしまったようだな」
 振り返りざまそう言ったコールの表情に、一瞬、アレスディアの動きが止まる。
 以前のように咲くような笑顔も、人懐っこそうな口調もない。けれど、そこに立っていたのは紛れもなくコールで、その声もコールのもの。
 あの騒動と、夢の結果は、彼に何かしらの変化を与えたのは確かだった。
「いや…私は何もしておらぬよ……」
 夢馬を封印したのは双子で、目覚めるよう策を廻らし実行したのはアクラ。むしろ、自分は――
「……今回の件は」
 何も出来なかった。
「いろいろ……いろいろと、言わねばならぬことがあるのはわかっているのだが」
 後手後手となり、彼を護れなかったことは、アレスディアにとって大きな針となって確かに心の臓を貫いた。だが、それはアクラに呼び込まれた物語によって、自分なりにある程度覚悟はついたのだ。
「積もる話というものは、確かにある。私はどれくらい眠っていたのだろうか」
「あ、いや…! そういうことでは、なく……」
 言いよどむアレスディアに、コールは軽く首をかしげる。
「私がこのようなこと言う資格はないかもしれぬが」
「何か言葉を発することに資格が必要とは知らなかった」
 そんな屁理屈のような返しをされるとは思わず、アレスディアは一瞬言葉を詰まらせる。
「…それでも!」
 そして、意を決するように声を発したアレスディアの続きを待つように、コールはそっと彼女を見つめた。
「それでも……良かった……コール殿が目覚めて、良かった……」
「ありがとう」
 コールは礼の言葉を返すが、微笑んではいるがどこか晴れない表情のアレスディアに、軽く目を細める。
「君は、悔いているのか?」
 私が、倒れたことを。と、続いた言葉に、思わずアレスディアの瞳が泳ぐ。その様を見られたくなくて、軽く目を伏せた。
「それは……むしろ、謝らねばならない。すまなかった」
「そんな…! 後手に回り、コール殿を護ることが出来なかったのは私の落ち度だ」
「私は充分護られていたよ」
 穏やかなコールの表情と言葉に、アレスディアはぐっと言葉を詰まらせる。
「この世界で“生まれた私の心”は、君たちから貰った厚意に包まれて護られていた。ありがとう」
 アレスディアを含め、いろいろな人と出会い触れ合い、空っぽだったコールの中に新しい記憶と感情が育っていった。その日々があったからこそ、夢馬に引き摺られた際も、好意を持っていた人たちに致命傷を与えることをしなかった――いや、出来なかった。
「君は護れなかったと言うが、それは形骸の話だ。いつか来る問題だったのだから」
 同じようなことを、コールが目覚めるかどうかをアクラに尋ねた際に言われた。この騒動があったおかげで、コールの中から夢馬は完全に居なくなったのだと。
 最良の道ではなかったかもしれないが、よい結果が訪れていることは確かなのだ。
「君は、同じ事は繰り返さないのだろう?」
「勿論だ!」
「ならば、それでいい」
 アレスディアの間髪あけずに返された答えに、コールはふっと微笑む。
「覚えておられるのだな」
 口調が全く違うものへと変化していたため、もしかしたら全てを忘れてしまっているのではないかという思いが、アレスディアの中で一瞬頭を過ぎったのは事実。
「以前のように無邪気に振舞えた“自分”を少し羨ましく思う」
 コールは軽く頷き、今はもう以前のように振舞うことが出来ないと、苦笑した。





 コールの部屋を後にして、アクラを追いかけるようにアレスディアはホールへと降りる。
 アクラは、ホールでゼリー飲料のようなものを吸いながら、分厚い装丁の本をペラペラとめくっていた。
「アクラ殿……!」
 さっきコールの部屋の前で尋ねようとした言葉を再度投げかける。
「夢の中ではお辛そうであったが、もう、大丈夫なのだろうか?」
 ちゅ〜〜と、アクラは最後の飲料を吸いきり、んーと小首を傾げる。
「辛そうだったというか、しょっぱなからコールに力を殆ど吸われちゃっただけなんだよね。実際」
「そ、それは、本当に大事に至っておらぬようで良かった…!」
 幸か不幸か、アレスディアはあの夢馬事件の折、コールの潜在的な力の断片を知ってしまった。故に、けろりとしているアクラの姿に、素直に感嘆の声が零れた。
「まぁね。でもあんなに疲れるのはもうこりごりだよ」
 誰よりも――自分でさえも底がないと思っていたカップの水が、こうも簡単に空にされる感覚は、やはり当事者でなければ分からないのだろう。
「何はともあれ、心配してくれてありがとう」
 そう言ってにっと笑ったアクラの笑顔に、アレスディアもほっと一息つくと、それは良かったと笑い返した。













☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【2919】
アレスディア・ヴォルフリート(18歳・女性)
ルーンアームナイト


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 あおぞら荘にご参加ありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
 取るもの取りあえず駆けつけるとのことでしたので、誰よりも先にコールと会話した時間軸になるのかなと思います。覚悟はつけたといっても、事に直面してしまったら多少はうろたえるかもしれないな、と思いながら書かせていただきました。
 それではまた、アレスディア様に出会えることを祈って……

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