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■あおぞら日記帳■ |
紺藤 碧 |
【3087】【千獣】【異界職】 |
外から見るならば唯の2階建ての民家と変わりない下宿「あおぞら荘」。
だが、カーバンクルの叡智がつめられたこの建物は、見た目と比べてありえないほどの質量を内包している。
下宿として開放しているのは、ほぼ全ての階と言ってもいいだろう。
しかし、上にも横にも制限はないといっても数字が増えれば入り口からは遠くなる。
10階を選べば10階まで階段を昇らねばならないし、1から始まる号室の100なんて選んでしまったら、長い廊下をひたすら歩くことになる。
玄関を入った瞬間から次元が違うのだから、外見の小ささに騙されて下手なことを口にすると、本当にそうなりかねない。
例えば、100階の200号室……とか。
多分、扉を繋げてほしいと頼めば繋げてくれるけれど、玄関に戻ってくるときは自分の足だ。
下宿と銘うっているだけあって、食堂には朝と夜の食事が用意してある。
さぁ、聖都エルザードに着いたばかりや宿屋暮らしの冒険者諸君。
あなただけの部屋を手に入れてみませんか?
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唯心論
ぱちり。と、千獣が眼を覚ましたのは、エルザード近郊の森の中だった。枝に足を幹に背を預け、緑の風が引き抜ける中、千獣の髪がふわりと揺れる。
「夢……?」
あの夢の中で言われた。元の世界で待ってて、と。だとしたら、きっと今何かしらの変化が起こっているはずだ。
千獣はすっと木から降りるとと、この何かしらの変化を確かめるためにあおぞら荘へ出向くことにした。
「こんにち、は……」
カラン。と、ドアベルを鳴らして中に入ったあおぞら荘は、思った以上に静寂に包まれていた。
「誰も、いない、の……?」
数歩ホールへと歩み寄って、中をキョロキョロと見回す。そういえば、あの時も誰も出てこずに先へ進もうとしてアクラに止められたことを思い出した。
出直すことも考えたが、それにしたって相変わらずの無用心さである。
もしかしたら、声が小さくて気付いて貰えなかったのかもしれないと、千獣はもう一度「こんにちは」と少しだけ息を沢山吸い込んで挨拶した。
これも前と同じだな。なんて思いながら、誰かが答えてくれることを待ったが、今回は本当に誰も答えてくれない。感じられる人の気配もかなり薄い。あまりの薄さに残り香ではないかと勘ぐってしまうほど。
ますます不安になってきた。
鍵は開けっ放しで、声を大きくしても聴こえてなくて、誰も居ないなんて考えたくは無いが、誰も出て来れない状況とかだったらどうしようなどと、頭の隅で考える。
ホールを横切り、そのまま廊下へと向かう。何となくそうすれば『このまま進むと迷子になるよ』と声をかけてくれたアクラに、同じように出会えるのではないかなんて、確証の無い勘を信じて。
千獣は廊下を進み、階段を上る。次の階段を探して左右に顔をキョロキョロとさせれば、どちらも同じような扉が続いており、何だかミラーハウスの中に迷い込んだかのような気がしてくきた。
「あれ?」
「……アクラ」
後ろからではなかったけれど、上へと続く階段から眠気眼で欠伸をしながら降りてきたアクラと千獣の視線がかち合う。
「会いにきたの?」
少しだけ眼を細めて笑ったアクラに、千獣は素直に頷く。
「行ってきなよって言おうかと思ったけど、そういえば君、コールの部屋知ってたっけ?」
「……知ら、ない」
アクラの顔にだよねーという表情が浮かぶ。
「場所……教えて、くれ、れば、自分で、行く……」
今だって呼びかけにも応えず、自分が来たことさえ顔を合わせるまで気がつかないほど眠かったのだろう。それほどに疲れている彼に、これ以上面倒をかけるのも悪いと思った。
「コールの部屋は、一番上なんだけど……まぁいいや、前まで連れてってあげるよ」
「ありが、とう……」
あまり予想していなかった言葉に、千獣は一瞬虚を突かれた様に瞳を大きくしたが、すぐさま礼の言葉を告げる。
この建物の中が不思議な場所だというのは知っているから、素直にアクラの後ろについていった。
トントン。と、わざと足音を立ててるみたいに軽快な音で階段を上っていくアクラに千獣は着いていく。
ふと、どれだけ昇っただろうか? と、思ったが、その結論が導き出されるよりも前に、足音が止まった。
「ここがコールの部屋だよ」
扉のデザインが明らかに今まで通ってきた階の部屋の扉とは違っていた。ここは、住人のプライベート空間も兼ねているのあろう。
「……ありが、とう」
千獣は再度お礼を言い、アクラに頭を下げる。
アクラは何てことはないという風に手を振って、来た道を戻っていった。
ふぅっと一度息を吐いて、千獣は扉に向き直る。そして、軽く扉をノックした。
「どうぞ」
中から帰ってきた声は、コールのものだ。
千獣は少しだけほっとしたような、嬉しいような色を顔に乗せて扉を開けた。
「コール……目、覚ました……もう……大丈夫……?」
「ああ、もう大丈夫だ」
あれ? と、千獣は微かに首をかしげる。
広義的な意味を持つ“大丈夫”とうい言葉。千獣としては、あの夢馬の影響はもうなくなったのだろうかと問うたのだが、果たしてコールに伝わっただろうか。
「心配をするような事は、もう何も無い。ありがとう」
堅苦しい物言いに、千獣は今度は軽く瞳を瞬かせる。
「……コール……ちょっと……違う……?」
以前とどこか様子の違うコールの瞳をじっと見つめる。
以前は子供のようにキラキラとしていた瞳が、今は落ち着いたアンティークの宝石のよう。
「今の、コールが、元々の、コール……?」
「元々かと問われると、間違いではないのだろう」
「前の、コールは……いなく、なった……?」
「君からしたら、この世界に着たばかりの頃の“私”が“本当の私”なのだろうか?」
質問で質問で返され、千獣は大きく首をふる。別に、前のコールが良かったとか、そういう事を言いたいわけじゃない。
千獣は、物語を聞かせてくれていた時と、今受け答えをしているコールの変化を感じ取り、それをそのまま唇に乗せてしまっただけ。
「本当……とか、そういう、訳、じゃ……なくて……」
ただ、ふと思ってしまった。もうあの明るい笑顔を見ることは出来ないのだろうか? あの人懐っこそうで、どこか抜けている行動も含めたあの頃のコールは、もう居ないのだろうか? と。
(悲しい……? 寂しい……? ううん、違う……)
不思議だった。記憶が戻ったとは言っていないけれど、ここまで人は別人のようになってしまえるものなのだろうか。
「居なくなった訳ではない。あの“自分”もまた、私の中の一部なのだろう」
コールも少し難しい質問をしたことは自覚しているし、全てを無くしていたとはいえ、自分でもどうしてあんな行動を取れたのか過去の自分に尋ねたくてもそれは出来ない相談で。
「そうだな。無邪気に振舞える年齢を超えていたことを自覚した……と言えば、分かってもらえるか?」
分かっている。この世界で築かれた“自分”が知り合った人々にとっては、違和感を覚えるだろうことも。
「……なんと、なく……」
千獣に向けられている瞳は、とても優しい。だから今は、コールが無事目覚めたことが一番いいことなのだと納得する。
「……あ…」
ふと、何かを思い出したように呟いた千獣に、コールは首をかしげた。
そういえば、言っていなかった。
「……おはよう、コール……」
「ああ、おはよう千獣」
そうしてほんのり微笑めば、今更かとどこか楽しそうなコールの微笑が返って来た。
☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆
【3087】
千獣――センジュ(17歳・女性)
異界職【獣使い】
☆――――――――――ライター通信――――――――――☆
あおぞら荘にご参加ありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
あまり時間軸はお気になさらず! 時間軸的に、前でも後でもあまり影響は今のところなかったのですがお気遣いありがとうございました!
それではまた、千獣様に出会えることを祈って……
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