■あおぞら日記帳■
紺藤 碧
【3087】【千獣】【異界職】
 外から見るならば唯の2階建ての民家と変わりない下宿「あおぞら荘」。
 だが、カーバンクルの叡智がつめられたこの建物は、見た目と比べてありえないほどの質量を内包している。
 下宿として開放しているのは、ほぼ全ての階と言ってもいいだろう。
 しかし、上にも横にも制限はないといっても数字が増えれば入り口からは遠くなる。
 10階を選べば10階まで階段を昇らねばならないし、1から始まる号室の100なんて選んでしまったら、長い廊下をひたすら歩くことになる。
 玄関を入った瞬間から次元が違うのだから、外見の小ささに騙されて下手なことを口にすると、本当にそうなりかねない。
 例えば、100階の200号室……とか。
 多分、扉を繋げてほしいと頼めば繋げてくれるけれど、玄関に戻ってくるときは自分の足だ。
 下宿と銘うっているだけあって、食堂には朝と夜の食事が用意してある。

 さぁ、聖都エルザードに着いたばかりや宿屋暮らしの冒険者諸君。
 あなただけの部屋を手に入れてみませんか?

傷の追複曲










 あれからチリチリとした痛みが翼について廻っている。
 覗きこんで見てみると、何だか変な色――あの異形のような腐食した黒に染まっていて、千獣は不快感に眉根を寄せた。
 あの異形が双子達と同じ世界から来たというなら、この翼の痛みと染みも、彼らに聞いたほうが早いだろうと、千獣はあおぞら荘の扉を開ける。
 ドアベルを鳴らして開け放たれた扉の向こうには、タイミングよく双子と末弟がお菓子を頬張っていた。
「ねえ……」
 双子達が座っているテーブルの一角に歩み寄り、千獣はちょこんと座っているライムを一度視界に入れた後、双子に向き直る。
「診て、もらいたい、ものが、あるんだけど……いい……?」
 そして、翼を出現させると、染みがついた部分を指差して尋ねた。
「翼の、傷……これ……普通の、傷、じゃ、ない、よね……?」
 血が出ているわけでもなく、ただ、チリチリとした痛みを伴いながら、黒く変色しているだけ。
「怪我なんて、そんな直ぐ治るものじゃないだろ?」
「いや、違う、こいつは直ぐに治せる」
 サックの疑問に、一度千獣の足を焼いたことがあるアッシュが答える。
「そう……私の、体……普通、は、すぐ、治る……でも、これは……治らない」
 千獣の身体は、通常の武器や自然由来の魔法であれば直ぐに治る。それはアッシュの言葉が証明してくれている。けれど、今回の染みだけは今になっても全く治らない。
「……痛い、だけ、なら、別に……いいん、だけど……」
 そして、何時までもチリチリとした痛みを訴え続ける。それは少しずつ何かが入り込んできているのを、身体が拒否しているかのような感覚があった。
「嫌な、感じ」
 千獣は再度自分の翼を見やり、眉をしかめる。
「これ……治せる……?」
 出来るだけ早く、この染みを取り除かなければ。そんな警鐘が脳内で響いているかのよう。
「残念だが」
「オレ達には無理だ」
「その傷を癒すには、法術師じゃないと」
「知ってるだろ? オレ達は魔術師だ」
 そういえば、アッシュは猛火、サックは泉水の魔術師だと言っていたような気がしなくもない。
「……治せ、ない?」
 無理ならば仕方がないとは思っていたが、双子は顔を見合わ口をもごもごとさせている姿に、千獣は首をかしげる。
「なんていうか」
「頼みにくい」
 その言葉に、治せないわけではないことを知り、内心ほっとする。
「誰に、頼めば……いい……?」
「「アクラ」」
 声をそろえて発せられた名に、妙に納得してしまう。不思議な力を持っている彼のことだから、このくらいの傷も治せてしまうのだろう。
「……分かった……自分で、頼んで、みる……ありが、とう……」
 双子から踵を返して廊下へと進むが、そう言えばアクラの部屋がどこにあるのか分からない。千獣は返した踵を戻して、双子達のもとに戻ると、申し訳なさそうに頭を垂れた。
「……アクラ……呼んで、もらっても、いい……?」









 まさか双子に呼び出されるとは思わず、アクラは物凄くやる気のなさそうな顔で、ホールへと出てきた。実際、直接双子から呼び出されたのではなく、双子がコールに頼み、コールからアクラへと話が移動していったのだが、それは今はどうでもいい。
「ああ、君だったんだ!」
 アクラ自身も話し半分だったのだろう。千獣を見るなり、表情から不機嫌さが消える。
「この……翼の、傷……」
 千獣は、双子達にした説明をアクラにもう一度話す。
「……この、傷、どんな、力の、もの……?」
 魔を退ける力や、神聖な力で与えられた傷は、直ぐには癒えない。だから、その手の類の力かとも思ったけれど、それにしては禍々しさが拭えないのだ。人の思いが強く出るまじないの類はその時よって違うが、それも違う気がする。
「どんな力って言われてもね。よく分からないや」
「……? 分から、なくても、治せる……?」
「そこは、問題ないから」
 アクラは千獣を椅子に座らせ、自分の手の位置に丁度翼がくるように高さを揃える。そして、徐にいつも被っている帽子を脱ぐと、その前のテーブルに置いた。
 千獣はなぜアクラが帽子を脱いだのか分からず、瞳を瞬かせアクラを見やる。
 静かに細く息を吸って瞳を閉じたアクラの額から、ゆっくりと螺旋の角が現れた。
「そっか、角は見せたことなかったね」
 白い翼と、螺旋の角。ふわっと笑ったアクラから、青白い光の玉が浮いている。
 アクラがそっと翼に手を翳すと、翼についた染みを中心に、小さな方陣がいくつも現れる。双子達が使う方陣とはまた違ったそれは、とても透明で優しい力に満ちていた。
 すうっと手を引くアクラの動きに合わせるように、翼についた染みが浮かび上がり、方陣の中央で捕われるように浮いていく。
 握るような動作でその方陣を1つに纏めた後に現れたのは、小さく透明な板のような羽根。その羽根が手の平の上に舞い降りた瞬間、アクラの顔色が変わった。
「これって……」
「……知ってる、の……?」
 千獣は翼の具合を確かめるように少し動かして、アクラに問いかける。
「これって、光翼種(エンジェリオ)の羽根じゃないか……」
 どうして千獣の翼に染みを作るほど、色が変色してしまっているのか。それよりも、なぜこの羽根の残滓が千獣の翼についていたのか、それがアクラには全く分からなかった。
 いや――思い当たる人物が一人だけ……
「それは、ない。そんなはず、ない」
 アクラは千獣がそこに居ることさえ忘れてしまったかのように、一人ぶつぶつと呟いて、パリンと薄いガラスを握りつぶすように羽根を壊してしまった。
「……アクラ?」
「え、あ、何? ああ、翼だよね? もう大丈夫だよ」
 誤魔化すように明るく告げたアクラに、千獣は眉根を寄せる。
「何か、知って、るん、だよね……?」
「何も?」
 だってそれは、ありえるはずが無いから。
「ボクの役目は終わったよね? 双子、呼んでくるから」
「待って……!」
 千獣の引きとめる言葉よりも早く、アクラは帽子を掴んでその場から姿を消してしまう。
 戻ってきた双子に、千獣は逃げるように去ってしまったアクラのことを聞きたかったが、コール経由でアクラを呼んだ双子に、それを求めるのは無駄だと判断し、別のことを問いかける。
「……追われてる、ん、だっけ……?」
「「まぁな」」
 ハーモニーで返って来た答えに、千獣は頷き言葉を続けた。
「多分……諦めて、ない、よね……?」
 追跡者が、双子――ライムの身柄を確保することを。
「こういう、相手と、戦う、注意、ある……? これから、も、戦う、ため……相手、知りたい……」
「悪ぃ。俺達本当に良く知らねぇんだ」
「直接ぶつかったお前達の方が詳しい気がする」
 双子はどちらも遠距離魔法型であるため、直接攻撃を受け止めた千獣の翼に、あんな染みが出来るだなんて初めて知ったし、攻撃パターンさえも同じようにあの時初めて知った。
「あんなの俺達も始めて見た」
「ただ、あれは善いものじゃない」
 あの羽根の持ち主と思われる奴の顔を、双子は一瞬だけ垣間見た。その時の、冷えた背筋の感覚は今でも忘れられない。
「それ、と……さっき、アクラが、エンジェリオ、の、羽根って、言って、た……」
 光翼種って、何? そう問いかける千獣の瞳に、双子はただ首をかしげる。
「光翼種? 確か、大昔に滅んだ希少種の1つだよな?」
「創世記に出てくる、神に一番近しい種族だろ?」
 双子は、よくそんな昔の種族の名前を知っていたなと言う顔つきだ。
「伝説とか神話、伝承だよ」
「この世界にだってあるだろ?」
 そう言われてしまうと、なぜそんな種族の名前をアクラが口にしたのか本当に分からなくて、千獣は思考の波に溺れてしまいそうになる。
 ただ、この名前は覚えておこうと、強く思った。













☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【3087】
千獣――センジュ(17歳・女性)
異界職【獣使い】


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 あおぞら荘にご参加ありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
 ちょろっと新しい種族のことを出しましたが、現状無視してやってください。染みがどちらの方向性の力によるものなのかということは作中あえて触れていませんが、元々は圧倒的な神聖であるとだけお伝えしておきます。
 それではまた、千獣様に出会えることを祈って……

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