■【炎舞ノ抄 -後ノ壱 内-】糸を解く■
深海残月
【3434】【松浪・心語】【異界職】
 ちぃっとおれの話に付き合っちゃくれねぇかい。

 不意に、夜霧慎十郎からそう声を掛けられた。
 そんな声を掛けられた舞にしてみれば、何の事かと問い返すまでもなく、断る理由も無い。そもそも彼女が――そして慎十郎がここソーンに訪れている理由はただ一つ。獄炎の魔性と化して暴走、出奔した佐々木龍樹を元に戻し、自分たちの元へと連れ戻す事こそが何を措いても最優先事項。故に、ここで舞が慎十郎から持ち掛けられるような『話』の心当たりと言えば、そこに関わる事でしか有り得ない。

「何か新しくわかったって事?」
「…いや。そういうんじゃなくてな。これは…お前にだから訊いてみてぇ話なんだよ」
 つぅ訳で、白山羊亭の方に来ちゃあくれねぇか。



「――…朱夏さんに秋白って子の事を直に訊いてみる?」

「ああ。ただの思い付きっちゃその通りだが、名前が名前…たァ舞姫様は思わねぇか」
「確かに、『秋白』って名前は…『朱夏』さんの名前と何か関わりありそうには聞こえるけど」
 ソーンではどうだか知らないけど、あたしらの故郷の謂れに照らすなら。陰陽五行に応じた季節と色と見做せる。夏は朱。秋は白。…そして夏の次に来る季節は秋。
「でも、ここまで来てると、朱夏さんも『秋白』って名前はもう知ってるんじゃないのかな」
「多分な。…こないだ白山羊亭に来てた調査の依頼あったろ。街中のあちこちが壊されてた、秋白が原因らしいって奴。あれの依頼ビラが撒かれてた時、ここの看板娘に勧められて蓮聖様と朱夏が連れ立って調査行ったって話だからな。秋白の話の一つや二つ耳にしてておかしくねぇ」
「それで、改めて訊くの?」
「舞姫様は意味が無ェと思うかい」
 ただの偶然でしか無ぇ、と。
「…。…ああ。それであたしに話、って事か」
「そういうこった。まずはお前の『勘』に確かめてぇ。…故郷じゃあちこちから頼られた、半端無ぇ巫女気を持つお前の勘に、な」
 今言った『調査』の時にでも、蓮聖様は朱夏にも何か秋白の心当たりが無いかとか聞いてるのかも知れねぇ。…そうでなくとも一方的に何か気付いたって事もあるかも知れねぇ。が――おれたちの方は特に何も聞いてねぇ。考えてみりゃ、朱夏に秋白、名前に通じるものがあるってぇ事だってあの人はとっくに気付いてて当たり前だ。なのにそこに全く触れようともしねぇ。…少なくともおれらの前じゃあな。

 …つまりよ。
 本当に、朱夏と秋白にゃ関わりがあるのか無ぇのか、おれらの方でも確かめてみた方がいいんじゃねぇか、ってこった。

「これまで拾った情報やら何やら色々考えちゃみたんだが、今の龍樹にゃどうやらおれらは避けられてる節があんだろ。だからって秋白ってガキをおれらが容易く捉まえられるとも思えねぇし、蓮聖様ァあれ、おれらに手が出せそうに無ぇところで何か心に決めちまってる。…つぅと正直、あの辺の連中におれらが真っ向から当たってどうこうすンのはまず無理だ。そっちの話ばっかり考えてたら置いてけぼりになる気しかしねぇんだよ。でだ」

 何か見逃してる事は無ぇか、目先変えて物事見るのはどうかって考えてたら、朱夏に行き着いた。

「言いたい事はわからなくも無いけど」
「で、舞姫様はどう思うよ」
「…わかんない」
「読めねぇって事か」
「うん。…でも、『わかんない』って感じる事自体が変な気はしてる」
 これまでの成り行きを素直に考える限りだと、「今改めて朱夏さんに秋白の事訊いてみたって、意味無いと思うよ」って即答していい話な気がするから。
「なら、やってみる価値はあるな」
「…て言うか、あたしここに呼んだ時点で慎十郎さんは初めからその気だったって事だよね」
 ここ白山羊亭だし。…朱夏さん今もここで働いてるし。
「ま、否定はしねぇが。少なくともここに来りゃ朱夏の様子を窺う事は出来るだろ。…今、他におれたちで事が動かせそうなネタあるか?」
「…無いかな」
「そういうこった」
「でも、やるならあたしたちだけじゃない方がいい」
 あたしも慎十郎さんも、龍樹さんの絡みで朱夏さんに対してはどうしても含むところ持っちゃってるし。
 だから何か、根っこのところで偏った思い込みがあるかもしれないよね?
 この場合、そういうのが無い人にも同席して貰った方がいいと思う。
「それがお前の託宣か」
 つまりァ、これまでこっちの事情に幾分関わって来てる奴らにでも頼んだ方がいい、と。
「うん。そう。…でもそれでも、ぎりぎりかな、って気はするけどね」
「?」
「『放っといたら、どうしようも無くなる。ここで行えば、止まる術はまだ残る』――どうしても託宣扱いするんだったら、ここまで頭に置いといてくれる?」
「どういう意味だ?」
「わかんない。それこそ今託宣が降りて来た感じだから」
【炎舞ノ抄 -抄ノ伍-】糸を解く

 仕事帰りに、白山羊亭に寄るのは珍しい事じゃない。
 義兄の松浪静四郎が勤めている事もあり、俺にとっては食事をと選ぶ事も多い店。今日もまた同様、義兄の顔を見がてら、食事をする為にこの店を選んだ…それだけだったのだが。
 テーブル席に座る客の中に、見た顔があった。夜霧慎十郎――俺の方がそう気付くのと、相手が気付いたのは恐らく殆ど同時。それだけならば久し振りとでも軽く挨拶をすれば済む程度の話だったのだが…何やら挨拶どころか改まった声をかけられた。

「ちょうど良かった。ちと不躾だが、ここに同席して貰ってもいいかい?」
「? ああ。…構わんが」

 今日の慎十郎は一人では無い。慎十郎よりやや年若の、彼と同郷らしい和装姿の少女が同席している。こちらを見たかと思うと、俺に会釈をしても来た。名は、舞と言うらしい。

 何か…あったのだろうか。



「今、秋白…と言ったか」

「ああ。…そういやあんたの兄貴が気に懸けてるとか前に言ってたな」
「…その通りだ。…秋白の事なら…何度も関わった義兄が…何か知っているのでは…と思う」
「て事は、話を聞くなら朱夏さんよりそっち先にさせて貰った方がいいかも」
「…だが聞いてみるにしろ、今すぐその兄さん呼んでどうこうたァ行かんだろ」
「…いや。義兄は…松浪静四郎と言うのだが…ここのウェイターとして…勤めている」

 俺はひとまず、それだけは伝えておく。…どういう事情でかは今はまだはっきり聞けていないが、慎十郎と舞の二人は「秋白の事を朱夏と言う少女に改めて訊いてみよう」と考えていたらしい。…わざわざ俺の同席を求めたのは、第三者が同席した方が話が偏らなさそうだと考えたからなのだとか。
 そしてその朱夏と言う彼女もまた、ここに勤めている、らしい。

「え、じゃあひょっとして心語さんのお兄さん、朱夏さんとも顔見知りだったりするかも?」
「…朱夏、と言うその少女が…ここに勤めている、と言うのなら…その可能性は低くない…と思う」
「…おいおいマジかい…灯台下暗しっつぅか何つぅか…あんたにももっと早い内に朱夏の話ァしておくべきだったか」

 と。

 いらっしゃいませ、と聞き慣れた声がした。兄上――義兄の静四郎。ここの席に着いたのが俺だと気付いて、注文を取りに来てくれたらしい。
 …ちょうど良かった。

「…兄上」
「はい。…今日は同席の方がいらっしゃるんですね」

 言いつつ、兄上は俺と同席している慎十郎と舞の方にも微笑みと会釈を。それから――注文は決まりましたか? と促して来る。勿論、食事に来たのだから注文はするつもりだが――今は、それより先に。
 …兄上の方でもきっと、この話は気になる事だろうから。

「注文の方は…その、まだ、なのだが、兄上に少し話が」
「?」



「秋白様に関わるお話しなのでしたら、わたくしも是非、同席させては頂けませんか」

「…ああ。いや、そりゃ構いやせんが…」
「有難う御座います。舞様の方は…」
「っと…勿論構いません。秋白って子に何度も関わってるのなら、むしろこっちからお願いしたいくらいですし」
「そう言って頂けると。…ああでは、ひとまず店の方に断りを入れて参ります」

 慎十郎らに兄上を紹介し、兄上に慎十郎らを紹介してからの事。俺が兄上に話を求めた理由が秋白だと――秋白の関わる話だと聞くなり、黙っていられないとばかりに兄上の方からこの場に同席する事を求めて来た。その時の兄上の真剣な様子に慎十郎と舞は少し驚いていたようだったが…少なくとも兄上が秋白の事を気に懸けていると言う事は、今の兄上のこの態度だけでもわかったと思う。
 兄上は一度店のバックヤードの方へと戻ったかと思うと、程無く給仕用のエプロンを外して戻って来た。では改めて失礼します、と同じテーブルの空いている席に着き、心持ち、前に身を乗り出してまでいる。

「秋白様の事でお知りになりたい事があるならば、わたくしで知る範囲ならば全てお伝えできます。朱夏様とお話しするに当たっても、わたくしでお役に立てる事があるのなら、できる限りの事は致します。…ですがその前に…御二人と秋白様の御関係や…これまでの経緯など、聞かせてはもらえませんか」

 兄上のその言に、俺も同意し頷く。これまで、秋白の…と言うより獄炎の魔性…に関わる「さわり程度」の話なら慎十郎から聞かせてもらってはいたが…礼を失するかと考え、あまり突っ込んだ話は敢えて聞いてはいなかった。が、今は…話がこう転がるのなら、二人と彼らとの関係についてもある程度は事前に聞いておくべきかと思う。

「…秋白って子との関係って言われても、その子についてはあたしたちは名前しか知らない感じなんですよね」
「ええ。秋白については…おれたちにしてみりゃ、何者であるのかが知りたい相手、になりやすか」

 獄炎の魔性の――出奔した佐々木龍樹の現れる先で、現れる前後に何かしらの痕跡を見せているのが、秋白。痕跡は姿の時もあれば名の時もある――慎十郎が調べた結果、そうだと言う話くらいは俺の方でも聞いている。以前その話を聞いた後、俺の方では兄上が秋白と会ったと言う場所を慎十郎に伝えもしたのだが――その場所に行ってみたのかを確かめたら、行ってみたけれど案の定影も形も無かった、との事だった。
 そして二人が「秋白が何者か知りたい」のは何故か――龍樹が『獄炎の魔性』として出奔した理由について何か知っているかもしれないから、に尽きると言う。そもそもがこの慎十郎と舞がソーンに来た事自体、龍樹を元に戻して自分たちの元に連れ戻すのが目的で、龍樹の剣の師匠で親代わりのような存在になる蓮聖と言う男――風間蓮聖に「今の龍樹の状態」を知らされた事で、何か力になれれば、とその蓮聖の力を以ってソーンに来訪したのだとか。
 ソーン来訪前の二人と龍樹との関係については、要するに身内のようなもの。更に言うなら、慎十郎が術の為の道具を作り、舞が使う事で元々『獄炎の魔性』の封印を手がけていた事にもなるのだと言う。

「…あれを、封印していただと…?」
「…。…おい。…ひょっとして、あんたも直に龍樹に遇ったのか?」

 慎十郎に目敏く気付かれた。
 隠す事でもないので、肯定する。…何か、少しでも役に立つなら。話す事は吝かではない。兄上と目配せをしてから、話す。…兄上の方にも、当の龍樹に遭った直後に話してはある。

「ああ。先日…戦った。ここ聖都に来る旅の途中でな」

 慎十郎が以前言っていた、天災に近い、と言われた理由をこの身で実感させて貰った。正直、倒される事を覚悟した。最大限に『気』を駆使した戦法を以っても追い付けない速さと力で、「人」と言うより「現象」を相手にしているような気さえした。…俺の扱う『気』の力自体と、突き詰めれば同じものなのではとさえ、感じた。
 だが、こちらの話を理解している人格は確かにあった。慎十郎が影でも動いている事を話したら、僅かだが揺らいだ。義兄が秋白を気に懸けて信じている事を話したら、何か覚悟を決めたような…揺らいだ己を切り捨てるような様子を見せた。
 最後に、意識が飛ぶ寸前だったのではっきり言い切れはしないのだが、『済まないな、応えられない』、とも俺に言っていた…と思う。俺がした話の何処にかかる返答だったのかは、わかりかねたが。

「そう。最後…意識が飛んで、殺された…と思ったのだが、何故か俺はその後に目が覚めてな」

 付けられた致命傷どころか、『爆闘気』――その時駆使した『気』の中でも特に消耗する技なのだが――を使った事での『代償』すら、どうやらその龍樹に回復されていた節がある。

「真っ当な方法で回復できるような『代償』じゃない。…だがその分の消耗は…目覚めたその時の俺の身には…もう無かった。あの場で…それが可能な力と考えたら…並の理屈が通りそうにない、あの…獄炎の魔性の力しか考えられなかった」
「…『今』の龍樹さんが、そんな事を?」
「やる、とは到底思えなかったのだが…あの場で「可能な力」と考えると、それしかなかった」
「…ありゃあ、壊すだけの力じゃねぇ、って事か」
「少なくとも…俺にはそう思えた。…ただ、あれの場合は…あまりにも桁が違う力だとも思えたが」

 だからこそ、あれを封印していたとなると…凄い、と思う。

「えっと…多分、心語さんが想像されているのとは意味がちょっと違うと思います。…あたしたちの言う龍樹さんの封印は、そもそもが力尽くでする封印じゃないんですよ。龍樹さん自身で魔性を御する為に使う術具を、あたしたちが作ってた、って感じです」
「で、今はその辺の事ァ…奴はてめぇで全部振り切っちまってるみてぇでして。現に今も封印の術具、着けっぱなしでいるみてぇですしね。元々封じてた力があるたァ言え、こうなっちまやァあんまり期待ァできやせんよ」
「でもそれがあったから蓮聖様があたしたちをソーンに連れて来てくれた訳でもあるんで、諦めるつもりもないですけど」

 蓮聖。その名もまた、彼らの事情を聞くと、よく出て来る。どうやら龍樹の師匠で親代わりと言う前に、朱夏の父親に当たる人物でもあるらしい。そして慎十郎と舞にすれば龍樹と出会う前の話になるらしいが――朱夏は元々龍樹の許婚…でもあったのだとか。更に言うならこの朱夏、剣の方でも龍樹とは兄弟弟子に当たるらしい。
 そして、いまいちはっきりしないのだがこの蓮聖、秋白の存在に心当たりがあるようだと言う。

「でも、はっきり「知り合い」って感じじゃないんですよね」
「蓮聖様にゃ、どうも思わせ振りな態度取られてる感じがしましてね。何つぅか、秋白当人が知り合いっつぅんじゃなく、「そういう奴が現れる心当たり」が前からあって、現に姿を見せたのが秋白って名前のガキだった…って後から当て嵌めたみてぇな節もありやす」

 更には、その蓮聖の娘と言う関係性を持つ朱夏にもまた、ややっこしい事情があるのだと言う。
 朱夏は本来、故郷世界では死んでいる…どころか魂ごと喪われている筈の存在なのだとか。

「…それは…具象心霊、とは違うのか?」
 元の世界では本来死んでいる筈の存在が、ソーンで普通に「生きて」いるとなると。…このソーン世界ではそういった事もままある。特に珍しい事ではない。

 が。

「…そう、とは考え難いんですよね。色々と訳はあるんですが…『今』の朱夏さんがここに居るのは、考えれば考える程、何かがおかしくて…父親の蓮聖様ですら計りかねているみたいで。ここがソーンだからこその理屈で計れない不思議…であるだけならいいんですが、そうとも限らないから」
「…ええ。つまりァ、秋白だけじゃなく朱夏についてもそもそもよくわかんねぇって次第でして。ただ朱夏の場合は…一応こっちに力貸しちゃくれる立ち位置にァ居ますが。ただ厄介なのは、龍樹が『今の』獄炎の魔性と化した引き金が、『今の』その朱夏…ってところがあるみてぇでして」

 曰く、『今の』この朱夏が、ソーン世界で生活していた龍樹の元に訪れ顔を見せたまさにその時に、龍樹が獄炎の魔性と化して出奔した、らしい。
 その時何があったかについては、慎十郎も舞も朱夏から既に聞いているとの事。…本当にただ訪れて顔を見せただけで話すらもしておらず、何でそうなったのかは朱夏にもわからない、と。…敢えてその言葉を嘘と疑う理由も無い。そもそも、朱夏も朱夏で、龍樹を連れ戻したい立場に居る事は同じであるらしいから。…むしろ、その件がある為に、今の龍樹の状態は自分のせいかもしれない、と責任を感じている節すらあると言う。

「…まとめると…朱夏が引き金で龍樹が獄炎の魔性と化し出奔、その龍樹が現れる先で、秋白の姿が見え隠れしている…と、言う事か」
「蓮聖様…と言う御方が、秋白様に心当たりがおありのようなのですね…秋白様も、ずっとどなたかの事を心に留め置いているようではありましたが…その、蓮聖様の事なのかもしれませんね」

 直接お名前を出す事はありませんでしたが、と兄上が言う。秋白がずっと心に留め置いている、恨み事を言いたいと言う相手――それが蓮聖なのではと思ったらしい。
 参考になるかはわかりませんが、と前置きして、今度は兄上が話し出す。秋白の事――聖都に程近い丘で、寂しげな様子で一人で居た事。何か、辛い事があるように兄上には見えた事。生命について問われた事。その問いの、秋白なりの答えも聞かせて貰った事。
 恨み事が言いたい相手は、自分の『位置』を奪った相手。返して貰える当てがない事もわかっているけれど、文句も一つも言いたいと。その為にここに来て、何かしら…兄上にとって悲しい方法を取って動いているとも言っていたと。
 今の自分は一人じゃなくて全てだとも言っていた事。…そして、その言葉を証明するように、様々な事を見通しているような、一段上から俯瞰して物事を見ているような、余人には計り難い言動を取っていた事。不思議な力を持ってもいた事。掻き消えるように居なくなってしまったり、何処からともなく現れたり。
 兄上の言葉を聞き、話す事で、安らぎを見せてもいた事。自分の『位置』を新たにここに作ればとの兄上の提案に、途惑いながらもとても嬉しそうであった事。

「…やめてもいいかもしれない、と。そうも仰っていました」

 何を「止めてもいい」のかまでは、理解できる形で聞いている訳ではないけれど。けれど、それは…舞や慎十郎の憂い事…龍樹に関わる事であるのかもしれない。…今聞いた話から、兄上はそうも思ったらしい。
「てぇ事は『やめる』以前に…その秋白が『何か仕掛けた』結果、龍樹や蓮聖様がああなったのかもしれねぇってぇ事かもしれやせんね」
「その前に。秋白様の方でも譲れない事情がおありのようでした。…元の世界での『位置』が奪われ、押し付けられた事の意趣返し…だと。そう説明しては頂けたのですが、残念ながらわたくしではわかりかねる内容のお話でした」
「…。…朱夏さんも、秋白って子が何かしたから、今ここに居る、って事、あるかな」
「…そうかもしれねぇ、そうじゃないかもしれねぇ。ただ、確かめてみる価値ァある話だ」

 そろそろ、いいですかい。そう纏めて、慎十郎は店内、やや遠くへと目をやる――俺の方でもその視線を追うようにそちらを見たら、慎十郎や舞と似た印象の着物…の上に革製らしい朱のコートを羽織った、髪を背に丸く纏めている少女がバックヤードから出て来るのが見えた。…恐らく朱夏なのだろうと思う。
 問うように兄上を見たら、頷かれた。



「…秋白、ですか?」
「ああ。お前の方に何か違った心当たりがねぇか…確かめたくてな」
「うん。秋白って子については…知ってるよね、前に白山羊亭であった依頼の時にその名が出て来てるし」

 朱夏を呼び止めて、本題である話を始める慎十郎と舞。…三人とも、それぞれに違った立場からの言い分や見方があるだろう。そう思い、俺は兄上共々、まずは黙って聞く側に回る。

「…父上様ではなく私に聞くのですね」
「おれらの方じゃそんだけ手詰まりだって事だよ。蓮聖様ァ…時を追う毎に話してくれるようになって来ちゃあいるが、その分、こっちに何を言う前に手前で動いちまってる節があンだろ」
「わかります。…近頃、姿すら見せて下さいませんし」
「…朱夏さんにも会いに来てないんだ」
「…はい」
「…あたしたち避けてるだけならまだわかるけどそれどうなんだろ」
「今は、もっと大切な事が、おありなのだと思います。…きっと、秋白と言う御方の事もその一つ」
「龍樹じゃ、なくてか」
「同じ事に、繋がるかと」
「それを言うなら『お前も』じゃねぇのか」
「…」
「龍樹の事、秋白の事、お前の事。『同じ事に繋がる』っつぅ言い方をするんなら、お前の事も分けられねぇと思うがね。こう言っちゃなんだが、お前が今ここでこうやってるだけの事も『わからねぇ事』で括れる中にあるんだぜ」
「…」
「『秋白』って名前についても気が付いているよね。あなたの名前との繋がりが、連想できるって事」
「父上様は、秋白について私に何も話してくれてはいませんよ」
「…。…何か思うところがあるなら、一人で抱え込まない方がいい」

 俺はそこで、控え目に口を挟む。どうも、慎十郎と舞の話し振りが――その気はないのだろうが、少し朱夏を追い詰めてしまっているように感じられたから。…そのせいか、朱夏の方でも質問の答えをさりげなく逸らしているようにも聞こえる。…自分たちだけでは話が偏ると言っていた理由がわかった気がした。どうも彼らの間には、微妙なぎこちなさがある。
 見れば、兄上も同じように感じた…のかもしれない。

「朱夏様も、何か、お辛い思いをなさってはいませんか」
「静四郎様。…そういえば、どうして舞さんたちと…?」
「秋白様に関わる話であると伺ったので、先程、無理を言って同席を求めました。朱夏様には…いきなり踏み込んだ話に関わる事になってしまい、大変恐縮なのですが」
「…静四郎様は、秋白…と言う御方を御存知だったのですか」
「何度か、関わる事がありました。…聖都に程近い丘で。できる事なら心安らかでいて欲しい、御方です」
「…。…貴方、だったのですね」

 不意に、朱夏の様子が変わる。兄上を見ている。兄上が、秋白の話をした時点で。悪い方向に、ではないと思う。何か、軽く驚いて。それから、安堵したような――そんな様子を見せて。
 そうだったのですねと、何か得心するような。
 兄上が不思議そうな貌をする。…それはそうだろう。何が『兄上だった』のか。脈絡がない。ただ――秋白の、何か。そうだとだけは察しがつきそうな反応。
 改めて、兄上が話を続けようとする――朱夏の今の発言の意味を確かめようとしたのだろうと、思う。慎十郎の方でも何かを訊こうとしたようだった。けれど、その前に――理屈より感覚の方で、ぞっとした。
 まるで、何か危険なものと対峙し、戦いに臨む時のような。予感染みたひりつく感触が一気に来る――何故今この場でそんな風に感じるのか。何に――誰に対して感じているのか。…俄かにわからず、困惑する。
 …朱夏の、声がした。

「貴方が、秋白と言う御方の御心を解いて下さっていたのですね。よかった、やっとわかりました」

 何を言っているのか、と思う。
 思う間にも、頭の中でうるさいくらいに警告が鳴り響く。

「あの揺らぎが、謀でないのなら――もう、堪えはしません。…きっと、大変な御面倒をおかけしてしまう事になるかと思いますが――私は『私』に戻ります」

 何処か、不穏さを感じさせる声音。
 直後、朱夏の羽織っていた朱のコートが風を孕んではためき、形を変える――否、形すらなくなり、燃え盛る灼熱の翼と化していた。更には圧力染みたものさえ感じさせる朱金の炎が、朱夏の身から揺らめき立ち上っている。
 まるで、龍樹の――獄炎の魔性を思わせる姿。
 けれど同時に――あの獄炎の魔性より、危うさを感じる姿でもあって。

 先程、感覚の方でぞっとしたのは何故か、やっと頭の方で理解が追い付く。
 …呑気に見守っている場合じゃない。これとよく似た獄炎の魔性と対峙した経験のある自分こそがまず対処に出なければ、と考える。考えた時には――『気』を全身に廻らせるのと同時に愛剣の柄に手をかけていた。

 それでも、この膨らむ光の圧に対し、咄嗟に動けていた事になるのかどうか――自信は、無い。



××××××××
 登場人物紹介
××××××××

■視点PC
 ■3434/松浪・心語(まつなみ・しんご)
 男/13歳(実年齢25歳)/傭兵

■同時描写PC
 ■2377/松浪・静四郎(まつなみ・せいしろう)
 男/28歳(実年齢41歳)/放浪の癒し手

■NPC
 ■夜霧・慎十郎
 ■舞

 ■朱夏

(名前のみ)
 ■秋白

 ■佐々木・龍樹
 ■風間・蓮聖

窓を閉じる