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■【ふじがみ神社】ある少女の憤懣■

夜狐
【8556】【弥生・ハスロ】【魔女】
「…ったくあの男はどれだけ人の気持ちを理解していないのかしら…!」

 深く深く息を吐き出して公園のブランコの上、短いスカートが翻るのを気にもとめずに立ちこぎなんかしている女子高生が一人。
 イライラした様子で、その憤懣をぶつけるかのように、ブランコはかなり勢いよく揺れている。

「ド低能、大馬鹿野郎、鈍感、ドケチ、神様バカ!」

 揺れるたびに、思いつく限りの罵倒を叫ぶ彼女の姿は正直――多少どころでなく人目を引く。まして夕暮れ時の公園である。

「お母さん、あれなぁにー?」
「放っておいてあげなさい、ああいうケンカに首を突っ込むのは野暮なんですよ」

 そんな感じで子供たちの好奇の視線を集めている少女だが、当人はそんな周囲の様子にさえ気づいていないらしい。
 野暮な突っ込みかもしれない、それは確かだが。――しかし、もう10分もああして罪のないブランコに怒りをぶつけている彼女を、いい加減、誰か止めてやるべきではないだろうか…。
思い出すに苦く、口には甘く


 早足に通り抜けようとしたのは、近道になる小さな児童公園だった。あと何年もすれば、我が子もこういう場所で遊ぶだろうな、と胸に去来した感情に弥生は僅かに笑みを浮かべ、にやけそうになった口元を慌てて引き締める。傍目に見られたら何事かと思われるに違いない。
 両手には頂き物の入った紙袋を下げて、弥生は再び急ぎ足になろうと足元に力を籠め、

「あああああっ!!!」

 叫び声と共に何かをぶちまける音が響いたので、ぎょっとしてその方向へ顔を向けた。向けたところで見知った人物が、見たこともない表情でブランコを蹴り飛ばし、戻ってきたブランコをかわし、鎖を掴んで飛び乗るという奇行を繰り広げているのを目撃する。
 声をかけるべきか否か。
 躊躇はざっと30秒程だったか。もしかすると声をかけず、見なかったことにしてそっと立ち去るのが知人としての思いやりではないか、とそんな思考が脳裏をよぎったのは事実だ。ともあれ結論から言えば弥生はその人物に声をかけることにした。
「あの。桜花ちゃん?」
 声をかけられた少女は、と言えば、瞬間硬直し、それからゆっくり振り返り、弥生を見止めてしばし沈黙する。瞳に明らかな狼狽の色を見てとり、やっぱりそっと見守った方がよかったかしら等と余計な心配を弥生がし始めた頃になってようやく彼女は気を取り直したようだった。長い黒髪を整えるように手ですいてから、
「…弥生さん。お久しぶりです」
 何事もなかったかのような口ぶりであった。弥生は苦笑し、彼女が八つ当たりをしていた――ように傍目には見えた――ブランコの隣に腰を下ろす。子供用に調整された椅子の高さは、いささか窮屈ではある。
「ええ、お久しぶりね。奇遇…でもないか、神社はこの近くだもの」
 桜花――佐倉桜花、という名前のこの女子高生は、町中の小さな神社に勤める巫女見習いであり、神社の神主宅の居候だ。弥生とは少しばかり前、縁があって何度か顔を合わせた経緯もある。
 重度の憑依体質、という点を除けば、とにかく気が強いばかりの普通の女の子だと、弥生は彼女をそう見ている。多感な年ごろの女の子だ、と。その彼女が憤懣やるかたない様子で人気のない公園で奇行に走っていたからと言って、まぁ、そう、多感な年ごろなのだ。仕方がないことなのだろう。
「何かあったの? 藤君と」
 ここは人生経験の豊富な年上として話を聞くところではあるまいか。
 弥生は最終的にそう判断し、ブランコに座った格好で上目遣いに桜花を見上げた。腕組みをして目を反らしていた桜花だが、バツが悪そうに僅かに口を尖らせた後、
「…どうして藤が絡むと思うんですか?」
 悔しそうに、そう問うてくる。
「だって、桜花ちゃんがそんなに感情をむき出しにするのって、藤君が絡んだ時じゃない」
 応じて返せば、桜花は深々と何やら嘆息した。それから、脱力した様子でブランコに腰をかける。キィキィと鎖が不服そうに――桜花の不機嫌を代弁するかのように鳴いた。
「……どうせ、くだらない喧嘩ですよ…」
「あら。くだらないかどうかは私には判断できないわ。よかったら話してみない? 使い古されたセリフだけど、そうね、『人に話せばすっきりすることもある』わ」
 にっこり笑ってそう言えば、敵わないなぁ、と桜花は小さく呟いたようだった。ブランコを揺らしながら、自分の爪先へ目線を落として。
「…笑わないでくださいね」
 そう前置いて、彼女はぽつぽつと、経緯を語り始めた。



 話を終える頃には桜花はすっかりしょげ返っていた。
「…改めて話してみると、馬鹿げた喧嘩ですよね…」
 項垂れる彼女の様子にこみあげて来る笑いを殺しつつ、弥生は首を横に振る。聞けばいっそ微笑ましいくらいの、喧嘩とも呼べないような話だ。桜花はどうも藤の態度に――彼は何でも小学生のころから飽きることなく、桜花へ求婚を繰り返しては振られる、ということを繰り返しているらしい――いら立ちを募らせて一方的に当たり散らしてしまったらしい。
「子供みたいなこと、してると思うんですよ」
「そうね、いえ、そうじゃないわね。何ていうのかしら。…大丈夫よ、私も覚えがあるわ、そういうの」
 自己嫌悪と腹立ちがないまぜになって、桜花のように癇癪持ちの少女なぞは何かに当たらずにはいられなくなってしまうのだろう。モノに当たっているだけ平和なストレス処理方法だと弥生は判断する。
「…弥生さんが、ですか。あんな素敵な旦那様が居るのに」
「うーん、そうねー、うん」
 ――思い返すにも、いわゆる若気の至りで、思い出はあまりに苦い。笑みの中に苦いものと、遠くを見る眼差しとを浮かべつつ、弥生は視線を上げた。
「…最初はね、あの人とは、あまり…いえ。険悪だった、とも言えるかもしれないわね」
 思い切ってそう伝えると、桜花が驚いたように目を丸くする。余程に意外だったろうか。
「今は、ご夫婦なのにですか」
「うん。色々あったのよね…」
 詳細は濁しておくが。
「…でもそうね。私、昔はその――ちょっと色々、荒んでいたのだけれど。…思えばあの人に救われたようなものなんだわ」
 その言葉に、桜花は視線を落とした。しばし沈黙してから、俯いたままぽつりと、口から言葉が漏れる。耳をそばだてていなければ聞き落とす程、弱弱しくか細い声だった。
「――私も」
「え?」
「私も。藤に、救われたようなものだから。…藤には腹が立つことも多いけど、でも、…」
 いつか、そんな風になれますか。
 か細い問いに、弥生はブランコから立ち上がり、彼女に手を差し伸べることで、その問いに応じた。
「桜花ちゃんがそうなりたいのなら、きっと」
 その言葉に桜花は顔をあげ、この日弥生の前で初めて、屈託の無い笑みを浮かべた。

「ところで、仲が悪かったのに、どうして結婚しようって思うくらいになったんですか?」
「え、そうね。色々契機はあったと思うのだけど、あの人ったらね――」
 ちなみにその後、帰る道すがら何の気なしにそんな話題を振った桜花は、帰宅する頃には、すっかり疲弊した表情になっていた。機嫌取りのためにお茶とお菓子を用意して待っていた藤に向けて、深々とため息をついて彼女が吐き出すように告げて曰く。

「…他所の惚気なんて聞くもんじゃないわね」
「何があったの桜花ちゃん…?」
 おずおずとした問いには答えず、桜花は差し出された三色団子を頬張ることにした。わざわざ他人に語らない方がいいことも、世の中にはある。