■【炎舞ノ抄 -後ノ参-】私、の始末/玄を湛えて春を待つ■ |
深海残月 |
【2377】【松浪・静四郎】【放浪の癒し手】 |
そういう事か。
すべてわかった。
………………『お前』が此処までした訳は。
どれも『お前』の勘違い。
だが、勘違いをさせ『お前』を惑わせたのは他ならぬこの『私』。
『私』の為に、『私』の代わり――すべて、『私』が己の責から遁げたが故。望んではならぬ道を望んだのが始まり。彼の山で、緋桜の花精を――春を望んだこの『私』こそが。仮初めの生を押し通し、茨の夢にまで性懲りも無く遁げ延びた。
それでもまだ、選び直されなどしていない。
…『私』が戻れば、また戻る。
取り返す事もまだ叶う。
………………何処から語れば、『お前』に届く?
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【炎舞ノ抄 -抄ノ終-】私、の始末/玄を湛えて春を待つ
朱夏様が――その身の炎が、鎮まられたのを見て。
その身から一気に力が抜けた様にして、朱夏様が、落ちる様にその場に崩れるのも見て。
わたくしはまず逸る気持ちを押さえ、その場で――偶然居合わせただけの方も含め、怪我をした方が居ないかを確かめました。
大丈夫だと見た時点で、朱夏様や心語の元に駆け付けます。彼らの元に辿り着き、その無事も――すぐに、確かめられました。秋白様と蓮聖様は無傷。心語も――流石に消耗はした様ですが、大過なく済んだ様です。蓮聖様の腕に抱えられていた朱夏様は、一時的に意識を失われているだけだとの事で、安堵致しました。
舞様と慎十郎様、龍樹様も、わたくし同様、その場に駆け付けていました。龍樹様の身には、今は炎はありません――ひとまず、朱夏様を鎮めても、悪い影響が出てはいなさそうだとお見受け致しますが…実際は、どうなのでしょう。
ふと、何かに気付いた様にして、龍樹様が心語を見ました。そして――僅か、目を細めたかと思うと。
心語の身が、不意に燃え上がった――様に見えました。突然かつあまりの事に、思わず目を瞠ります――ですがその炎が、土色の…龍樹様の御力である「炎」だとも、すぐに気が付きました。程なく――その土色の炎は、徐々に弱まって、消えました。
龍樹様が、わたくしを見ていました。
「…驚かせてしまいましたか」
「…今のは」
「…また…手数を掛けたか」
心語の声が、先に届きます。…その声で、私も悟りました。…今の「炎」は、心語の回復を――恐らくは心語の扱う通常の『気』で行える以上の、深い消耗分の回復を、してくれていたのだと、思いました。
「…有難う御座います。龍樹様」
「礼は不要です。この身でお返し出来る事をしたまでですから」
「…それでも。わたくしがお礼を言いたいのです」
そう、伝えてから。
わたくしは、一度白山羊亭に戻って、落ち着いてから話をしませんか、とその場の皆様に提案しました。
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わたくしのその提案は、受け入れられました。…ただその前に、遅れて現場に駆け付けていた騎士団の皆様との折衝も必要となりはしたのですが――元々、騎士団に出入りもしていたらしい蓮聖様と慎十郎様と舞様の尽力で、そちらへの話には暫しの猶予を頂けた様でもありました。
白山羊亭の方々も、御無事でいらっしゃいました。
意識のない朱夏様の様子を見て、慌てて場所を空けさえしてくれました。…店を飛び出す直前の「あの様」を見ていながら、ごく自然に、そうしてくれました。わたくし達も、テーブルに着かせて頂いて。
そうして、やっと。
お話しを伺える様に、なれました。
初めに声を上げたのは、秋白様でした。
あと僅か、とはどういう事か。…わたくしの手前、朱夏様が鎮まるまで訊くのを待っていたとのお話でしたが、まず真意を聞かせてくれと、絶対に譲れない、との態度でいらっしゃいました。
それは、朱夏様と心語が戦うあの場に向かう直前、蓮聖様が秋白様に言っていた事、なのでしょう。あと僅かの事だから堪えてくれと。ここを越えれば『位置』の縛りも消えると仰っていた、あの意味深な。
蓮聖様は、言葉通りだとお答えになってらっしゃいました。また、秋白様が勘違いをなさっているとも、仰っていました。秋白様はそもそも、蓮聖様の『代わり』になどされていないのだと。
そこまでをお話しになってから、蓮聖様は秋白様だけではなく、わたくし達の顔も見渡していました。そして――そうですね、何処から話しましょうか、と。
漸く、こうなった事の経緯を、ぽつぽつと、話し始めて下さいました。
まずは、蓮聖様御自身の事からです。
蓮聖様は、故郷の世に於いて『天網を違えて進んだ道筋を正す為の目印』、であるのだそうです。人どころか生き物ですらなく、世界の『仕組み』の一部だと。常に人の世の傍らに在り、役目を果たす為だけに、付かず離れずで人の世と関わる者だと、仰いました。
人の形を取るのは、仕組みとして「死を迎えなければならない」から、に過ぎないのだそうです。
天網を違えて道筋が進もうとする時、何がしかの流れでそれを識り、自ずから肉の死を迎える。その死を以って目印は打たれ、打たれた目印から時は遡上し、正しい形に編み直される。
そして編み直された世にもまた、再び新しくその『仕組み』の一部として居る事になる。その繰り返しが続く役目。肉の人としては役目の度に死を迎えても、本質的には、死は無い事になるそうです。
人の世の傍らにあっても、人と深く関わる事はなく。いえ、人だけではなく、人の世に、故郷の世にある全ての命と深く関わって行く事は役目から逸れると、自覚はしていたそうです。
ですが、そんな身の上で。
強く惹かれてしまう命を、見付けてしまったのだそうです。
それが、朱夏様の母上様、に当たる緋桜の古木の花精だと仰っていました。人の似姿を取る精ではなかったそうですが、些細な事であったのでしょうね。
やがて幾度目かの逢瀬の後、その古木の下に現れたのが、朱夏様だったそうです。
蓮聖様と感応した緋桜の花精が、蓮聖様の姿を映して生み出した娘。蓮聖様は一目見てそうである事が解って、御自身が惑った花の、春の次、と――朱夏と名付ける事をしたそうです。
『人』の形をした朱夏様が生まれた事で、蓮聖様は喜びと同時に、悩みも得たのだそうです。人の姿を得てしまった以上は、人として暮らさせてやりたいと思うのにそのやり方が解らない。だからその為にこそ自分も人らしく暮らす事を選んだと仰いました。…そんな事をしては役目を果たす事に躊躇いを覚える様になると知っていたのに、そうしたいと強く望んでしまったのだ、と。
それが『今』の蓮聖様で、龍樹様と出逢ったのもその頃だったとの事です。人里の者とは何処か違うだろう御二人の事を、拘らず慕って接してくれた初めての御方だったのだとか。その頃に、語り合い、御心を近付けている二人を見て、龍樹様と朱夏様を許婚に、と言うお話しにもなったのだそうです。
ですが、その頃に大戦が起き、その片隅で、朱夏様が亡くなりもしたそうです。
当初は、割り切れぬ事だとは言え、よくある人の世の理不尽の一つと思っていたのだそうですが――後に、蓮聖様が本来の役目を果たす為の障りになると、理の歪みと見做され消されたのだと、気付かされる事になったのだそうです。
ただ、それは半分は違っていたのだと、つい先程の騒動の中で、初めて解ったのだそうです。
朱夏様の魂は、死した後、「消される直前」に秋白様が取り込んでいた事になるのだと。秋白様の方では――少なくともその御言葉を聞く限りでは――その気はなかった様ですが、蓮聖様曰く、それは朱夏様の魂を救い、繋ぎ止める事にもなる行いであったのだとか。…そうされていなければ、霧散していただろう、と。そうも仰って、蓮聖様は秋白様に深く頭を下げていました。
…そうされた秋白様の方では、酷く途惑っている様でもありました。どうやら、それまでの御二人の関係では、有り得ないやりとり…でもあった様です。
何となく、秋白様は…放っておけば霧散する事を知っていて、そうさせない為にこそ朱夏様の魂を取り込んでらっしゃったのでは、とわたくしには思えるのですが、きっと秋白様は否定なさるのでしょうね。
秋白様は元々、自分と似た性を持って生まれついていたのだろう、と蓮聖様は仰いました。
だからこそ、蓮聖様が本来の役目から外れつつあった頃に、蓮聖様の本来の役目を感じ取る事ができてしまっていた。…「できてしまった」から、「そうしなければならない」と「思い込んで」しまった。思い込み、応える者が居てしまったから、『世界』もそれで『仕組み』が動いていると見做す事をした。…だからこそ、秋白様に取り込まれた朱夏様も目溢されたのだろう、と。
そう、仰いました。
…それが、秋白様が仰っていた、蓮聖様から押し付けられた『位置』、その縛り、である様でした。その『仕組み』の役目を押し付けられた――御自身でそう思われていた事こそが、秋白様の中にある憂いの正体だった様です。
ですがそれでも、秋白様は本当に蓮聖様の「代わり」にされている訳では無い、のだと蓮聖様は言い切られました。
蓮聖様が仰るその根拠は、今の蓮聖様が蓮聖様で、秋白様が秋白様のままの記憶を今もなお持っているから。
本当に『仕組み』の役目が秋白様に代替わりしているのなら、秋白様は秋白様であった記憶がなくなっていて然るべきなのだそうです。即ち、前任者へと意趣返しを企む程の想いを抱く事自体が、まず有り得ないと。事実蓮聖様も、役目として『仕組み』が動く度、次の生では以前の生の記憶は全く失くしているとの事。次の生にまで残るのは、ただ「役目の果たし方」と「その為に必要な知識」だけ。
それを聞いた秋白様は、やっと、蓮聖様のお話を受け入れられた様でした。ただ、ならば何故言わなかったのかともすぐに切り返していました。すると蓮聖様は…自分が役目に戻らない限り、秋白様の憂いは本能に近い部分に刷り込まれてしまっている事になり、苦しませている事は何も変わらないのだと仰っていました。だからこそ、秋白様の憤りを受け入れる以外にどうしたらいいか判らなかった、とも。
けれど同時に、その秋白様の行いとは言え、龍樹様に手を出させる訳には行かなかったのだと、そうも仰いました。元を辿れば「人」ではない蓮聖様と朱夏様にとっては、龍樹様は、とても大事な御方だったのだと。
龍樹様は、本来何者であるのかなど知らぬにも関わらず――蓮聖様と朱夏様の事を受け入れて、深く寄り添おうとしてくれた「人」の子だと、蓮聖様はそう仰いました。朱夏様が人として死んだ時に、それでもまだ『人でないもの』として在るのかもしれぬと察して、変わらず寄り添おうとまでしてくれた、と。
その結果が、龍樹様の『魔性』――あの土色の炎の力だろうと、蓮聖様は推察されていたそうです。人の身から傾いて、『私』達と近い形に変わる事ができてしまったのではないか、と。
慎十郎様の逆だとも、仰っていました。
曰く、慎十郎様の祖は…持ち得る力全てを以って『人』に成った『精霊』なのだと。そう言われた時点で、慎十郎様御本人が一番驚いていた様でしたが…それはつまり、朱夏様の在り方とも重なる事にはならないでしょうか、とわたくしには思えます。…同じ形で、安定されている御方。もし本当にそうであるなら、朱夏様方のこれからを考えるに当たり、良きヒントになるのではないか、とも思いました。
人に成った精霊。そう形容するのなら…龍樹様は、精霊に成った人、と言う事になるのかもしれません。
龍樹様も、御自分の行動の理由を聞かせて下さいました。
御自分の『魔性』の「力」が、蓮聖様の仰る通りのものなのかは判らないそうですが、持て余す程に大きい「力」ではあったそうです。ここソーンで初めて朱夏様と顔を合わせた時、何を感じたのか、自分が今のままではいけないと、舞様と慎十郎様の手による制御の為の封印すら忘れる程に衝き動かされたのだとか。そして扱い切れぬ程の力を以ってそうすれば、下地に己の意思はあるとは言えほぼ暴走同然。そうなる事こそが、その様を関わる者に見せる事こそが――秋白様の狙いだったのかもしれない、とも仰っていました。
自分が何をするべきか、自分が何に衝き動かされたのか。『魔性』の力に身を任せ、衝き動かされるままに数多へ力の指先を伸ばし触れるだけでも、龍樹様には触れた先の物事を識る事が叶うのだそうです。そうやって尋常ならざる手段を以って、龍樹様はずっと調べ続けていたのだとか。だからこそ、それで心を痛める人が居る事が解っていながらも、皆が承知している通りの『獄炎の魔性』、の様を晒していたのだと仰いました。
そうやって各地を巡っている中で、漸く付き止めた己の衝動の向く先の正体が、秋白様。龍樹様が感じ取っていたのは、蓮聖様への深い害意。その持ち主を除きたい、除かねばならないとの決意のままに、それまで無効化させていた舞様と慎十郎様の手になる封印を再び頼りにし、はっきりした目的として秋白様を除く為の行動を取る様になって――今に至るのだそうです。
ですが今になって――蓮聖様と同じく、つい先程の騒動の中で初めて、秋白様が本当に朱夏様を取り込んでいた事を知って。
そうなれば、秋白様の事は、除かねばならぬどころか恩人とさえ言えるらしく。
どうしたものかと、何処か困った様な表情を見せてらっしゃいました。
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「では、龍樹様が、秋白様を除く理由は、なくなった…と思って宜しいのでしょうか?」
一通り話を聞いて、わたくしはまず、そう確かめました。ある意味では一番気懸かりだった点。…秋白様を除くなどと、言われては。わたくしは龍樹様にそう問うたのですが、その反応は――蓮聖様から来ました。
龍樹様への、言葉として。
「秋白を除いても、お前の望む様に事が動きはしないぞ」
「…そうなのでしょうね。恐らくは」
龍樹様のお返事は、わたくしの質問を肯定する言葉でもありました。それだけでも安堵を覚えます。
今度は心語の、声がしました。
「…俺も…解らない事があるのだが、訊いてもいいだろうか」
「何でしょう」
「龍樹や朱夏の…力の事だ。元が「人」であると言うなら尚更…花精の娘であるだけであれ程の力とは…『仕組み』である蓮聖の力が、関係していると言う事か…?」
「ああ、それは…恐らくは、『在る為の力』が、ほぼ剥き出しのまま顕れているだけの事なのだと思われます」
「…?」
「形にも現象にもなる、様々な形に練られる前の、力の根源の様な何か。その「力」は誰もが――いえ、器物すらも等しく持っていますが、個々の存在が本来的に取る筈の形を成す事により多くが使われ、剥き出しのままで在る事の方がまず無いのです。ですがその『形を成す事』を取っ払えてしまうと、成すべき形を成せない代わりに、容易く御し切れぬ程の力の塊と成る事がありかねない――朱夏や龍樹の様に成る事は、有り得ます。…ただ「在る」と言う事だけでも、そのくらい強く大きな力で成り立っているものなのですよ。
私が朱夏と名付けた事で、二人の場合は力として練り上げる仮の形が炎となったのでしょう。ちなみに慎十郎などは…形を保ったまま、他者の手を借りて引き出すと言う手順を使う事で、強いままの力を上手い具合に御す事が出来ている事になりますね」
それが、肉の抑えって事、と。
秋白様も、付け加えられていました。
「ボクが取り込んだままなら、ボクの肉の人としての身体が抑えになる。今のあの子――朱夏は魂として在る事すらあやふやな様って言えるし、肉の抑えを離れたらそれだけで暴走するのが当たり前。そのまま放っといたら「朱夏」である事すらいずれ保てなくなるくらいに強い力になってる」
「…。…今の朱夏様は、秋白様の内に、戻られた…と言う事になるのですか? それで鎮まられたと」
わたくしはそう、伺います。
と。
どうでしょう、と朱夏様の声がしました。わたくしははっとして朱夏様の横になってらっしゃった場所を見ます――上体を起こしてらっしゃいました。お気付きになられた様です。
「魂の根は、秋白様の中に在るままでしょうが。ですがきっと、今の私が私として在っていいのだと、父上様が心底から認めて下さった事が、大きいと」
「…朱夏」
「秋白様と共に、現れたあの時。呼ばれたあの時に、解りました」
それで、私は『私』と言う形を成す事に、己の力を使える様になったのだと、思います。
朱夏様はそう、仰いました。
「名前の件は、考え過ぎだったって事か?」
慎十郎様がぽつりと仰いました。…朱夏と秋白。関わりがありそうだと見た名前。その話は、慎十郎様と舞様から伺っていました。だからこそ、わたくしも先程の戦いの最中、その名前にも関わる何かがあるのかと考えたのですが…。
どうだろうな、と蓮聖様の声がしました。
「私の惑った青い春の次に朱き夏が訪れ、今白き秋に至る。『秋白』の名は、そうも受け取れる。字は司るべき本来の己の質に、音は私に――『時』の『代』、と『仕組み』に寄ったのだと思っていたが…こうなると、朱夏を繋いでくれたからこその名でもあったかもしれないな」
「…ボクはただ、あなたの代わりにされたと思った時点で、そう名乗るべきだと思っただけだよ。意味なんて知らない」
「そうか」
「…うん」
そこまでの話を聞いてから。何処か改まった、龍樹様の、声がしました。
蓮聖様、と呼ぶ、硬い声です。
その『仕組み』の役目とやらに戻るつもりなのですか、と、龍樹様は、そう続けていました。…先程、蓮聖様が秋白様に仰っていた事だと、思いました。
その意味に気付いて、俄かに皆の視線が蓮聖様に集まります。
それは、つまり。
「秋白様の為に、全てなかった事にするおつもりですか? いえ、それだけではなく――自ら死にに行くおつもりなのですか?」
龍樹様の問いを受けて、わたくしの方でも思わずそう、口を衝いて出てしまいました。…二点とも、聞き流す事ができない話です。今聞かせて下さった理屈に則るのなら、蓮聖様のこれまでの行いが――今回の件で関わってきた皆様の今在る姿それ自体が、わたくし達と過ごした時間まで、全て「あってはならない事」になるのではと思いました。ならば、その上で役目に戻るとなれば、蓮聖様の仰る、その『仕組み』をすぐにも動かすと言う事になるのでは。そしてそもそも死にに行くなどと。それが正しい事なのだと言われても…わたくしの勝手な想いだと罵られたとしても、認めたくなどない、話です。
そう憂慮しての発言だったのですが、蓮聖様は…違うとでも言う様に、緩く頭を振っておられました。
「心配は無用です。『仕組み』に編み直されずに済む術なら、用意しておきました」
「…それは、どういう」
「この世界です。ここソーンは、『私』が見守るべき『世界』じゃない。戻れば時に編み直される。だがここに残るなら、天網の外になる。『私』だけが戻るなら、皆がここに残るなら――『私』が役目を果たしても、全て忘れる事無く居られる筈ですよ」
「それでは答えは半分です。貴方を害するものは貴方だった、と言う事ですか」
龍樹様が、厳しい声でそう返していました。…仰る通りだと、わたくしも思います。
ですが蓮聖様は――済まないな、と謝るだけでした。他にどう言えばいいか判らないと。秋白様もまた、何だよそれ、と声を上げています――そうすれば元に戻ると言われていても、憂いが晴らされると言われても、納得が行かない。それは、そうだと思います。
…何もかも忘れて元居た『位置』に戻るか、ここに残りここでの出来事を忘れずに居るか。
そんな二択は、あんまりです。
「違う道を選ぶ事は、難しいの…だろうか?」
心語の声が聞こえました。
舞様や慎十郎様も、御心は同じ様で、答えを促す様に、蓮聖様をじっと見てらっしゃいました。
蓮聖様は。
今の『私』は『人』として生き過ぎました、と仰いました。
「…これ以上秋白に背負わせたくはない。私が戻らねば、秋白の思う『位置』の縛りはどうあっても消えない」
「って今更何だよ…!」
「そうだな。今更だ。だが図々しい事は承知で頼みたい」
ここに、残る事を。
蓮聖様は、そう仰いました。
秋白様には、朱夏様の事を頼みたいと。
ここに残って欲しいと。
戻ったら全てが消えてしまうから。
「だからこっちの話を聞かずに勝手に色々決めるな!」
「…だが、お前にもこのソーンで、かけがえのない相手が出来たのだろう?」
そう言って、蓮聖様は、わたくしを見ました。
え、と思いました。
思わず、秋白様のお顔を見ます。
秋白様もまた、わたくしを見ていました。目が合うと、何処か、縋る様にしてわたくしを見つめ返して来られます。ほんの少しであっても、わたくしにもお心を寄せて下さっているのだと、自惚れてしまいそうなお顔でした。
…秋白様はそのまま、何も言えなくなってしまった様で。
わたくしは、本当に蓮聖様の仰る通りなのかと、驚きと共に、喜びを感じもしました。
ですがそれらは。
蓮聖様が「役目」に戻られる事が前提です。
まずその事自体、皆、納得されていないのだと思います。
そんなわたくし達を見て。
蓮聖様は何処か寂しげな、けれど同時に嬉しそうでもある様な――何処か透徹した貌で、微笑んでらっしゃいました。
「私はもう充分、『人』として生かさせて貰いましたよ」
「…」
「朱夏が生まれて。人として、朱夏と龍樹と共に暮らし。朱夏を喪って後。それでも龍樹が居てくれた。龍樹の中の魔性を、止める事が適う舞姫とも出逢えた。初めて出逢った時から舞姫もまた『私』達に寄り添おうとしてくれた。…人として、人の立場を保ったままで。…人に成った者の血を継ぐ慎十郎にも出逢えた。その慎十郎が、龍樹と舞姫を支えようとしてくれていた。…三人共に、『私』が出来ない事、出来なかった事を、『私』の前で。代わりにしてくれている様に思えた。…その上に。『私』に脅かされていた秋白が、疾うに喪ったと諦めていた朱夏を繋ぎ止めてくれてまで。
お前達さえ居てくれるなら充分だ。私はもうそれでいい。…私が、そうしたいんだ」
「蓮聖様」
「白き秋に繋がれた『次』は、玄き冬に臨む番とでも思おうか。『風間蓮聖』はそろそろ終いだ。残るか戻るか決めるのは、お前達に委ねる。…お前達に、私の生につき是か非かを託したい」
そして叶うなら、是としてここに残って欲しい、と。
絶望ならば疾うに見飽きた。だから、お前達と言う希望を、私にくれ、と。
蓮聖様は、そう望まれました。
何処か、縋る様な言い方で。
考えた末の道、一番の望みなのだろうと判る、仰り様でした。
これを聞いてしまっては、応えるより他にない、と思えました。
止める事はできない、と。
でも。
「蓮聖様。貴方様が緋桜の花精に惹かれたのは何故ですか」
またも、そう、口を衝いて出ました。
唐突な話に聞こえたのでしょう。蓮聖様は、不思議そうな貌でわたくしを見ています。
「人であるのはあくまで肉としてで、役目が全てだと言うのなら。そもそも、そんな風に他者に惹かれる事など有り得ないのではないですか」
それでも、貴方様がその身の上で、その感情を得られるのであるならば。それが「あってはならない事」である筈は、ないとわたくしは思います。
…止められないまでもそれだけは、蓮聖様に伝えておきたいと思いました。
蓮聖様は。
驚いた様に、軽く目を瞠ってらっしゃいました。
どう受け取って下さったかまでは、判りません。ですが、届いていて欲しいと思いました。
わたくしは、貴方様の生を是と信じます、と。
それから。
蓮聖様の願いを託された皆の選択を、わたくしと心語も、聞かせて頂く事ができました。
…元の世界に戻る選択をした方は…いらっしゃいませんでした。
皆それぞれ、ここソーンに残る事になさったのだそうです。
舞様と慎十郎様、朱夏様はエルザードに残られると。
龍樹様は、贖いの旅として、各地を巡ると仰っていました。足りないまでも獄炎の魔性として災禍を齎した方々への償いや、それ以外にも――御自身の力で可能であって、助けの要る誰かの助けになる事をしたいのだ、と。
秋白様は。
わたくし達と、共に来る事になりました。
蓮聖様に言われて、わたくしの事をお心に留め置いて下さっていると判ってから。わたくしは、秋白様さえ良ければと前置きの上、当てがなければわたくし達と兄弟、あるいは友人として共に暮らして貰えないか、と提案しました。
秋白様は、驚かれていました。考えてもみなかった様で、けれど、わたくしにそう言われる事に喜びを感じても下さった様です。
…いいの? と恥ずかしそうに躊躇った後、嬉しそうに、受け入れて下さいました。
蓮聖様は。
せめて義兄共々見送らせてほしいとの心語の頼みに、快く応じて下さいました。
ただ、その前に少しやる事があると、一部焼けてしまった白山羊亭の補修や、騎士団への出頭やら何やらと、やけに現実的な実務の話を言い出されて。旅立つ予定の龍樹様も、当然の様にそちらを優先する事になさった様でした。
結果として、実際のお別れは、それなりに時間を経た後の、充分に心の準備をしてからの事になりました。
お別れの後、わたくし達は、それぞれの日常の歩みへと戻ります。
そんな中、ふと、思ってしまう事が、ありました。
蓮聖様が、仰った事。…元の世界にお戻りになるに当たって、玄き冬に臨むと言う言い方をされた事。
そうであるなら、次に訪れるのは新しい「春」の筈。
勿論、あくまでただの言葉のあやで、わたくしの、勝手な思い込みかもしれません。
ですが蓮聖様は、そう含んでお話しして下さった様な気も、するのです。
いつか訪れる春を待て、と。
あくまでわたくしの、勝手な解釈ではあるのですが。
希望だと仰っていた通りの、朱夏様や龍樹様らの事…と言うだけではなく。それ以外の、何がしかの、言葉にできない、後の希望を――言外に、伝えて下さっていた様な。
蓮聖様御自身の事ではないかとさえ、思える様な。
…いいえ今はこの事は、胸に仕舞っておきましょう。
それより今は、懸命に。
皆と過ごせる日常と言う、愛しくも貴重な日々を、歩んで行きたいと、思います。
【炎舞ノ抄 〜 el-blood BorderLine. 了】
××××××××
登場人物紹介
××××××××
■視点PC
■2377/松浪・静四郎(まつなみ・せいしろう)
男/28歳(実年齢41歳)/放浪の癒し手
■同時描写PC
■3434/松浪・心語(まつなみ・しんご)
男/13歳(実年齢25歳)/傭兵
■NPC
■秋白
■朱夏
■佐々木・龍樹
■夜霧・慎十郎
■舞
■風間・蓮聖
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