■【炎舞ノ抄 -後ノ参-】私、の始末/玄を湛えて春を待つ■
深海残月
【3434】【松浪・心語】【異界職】
 そういう事か。
 すべてわかった。

 ………………『お前』が此処までした訳は。

 どれも『お前』の勘違い。
 だが、勘違いをさせ『お前』を惑わせたのは他ならぬこの『私』。
『私』の為に、『私』の代わり――すべて、『私』が己の責から遁げたが故。望んではならぬ道を望んだのが始まり。彼の山で、緋桜の花精を――春を望んだこの『私』こそが。仮初めの生を押し通し、茨の夢にまで性懲りも無く遁げ延びた。

 それでもまだ、選び直されなどしていない。
 …『私』が戻れば、また戻る。
 取り返す事もまだ叶う。

 ………………何処から語れば、『お前』に届く?
【炎舞ノ抄 -抄ノ終-】私、の始末/玄を湛えて春を待つ





 灼熱の炎の化身と化していた、朱夏の身から――その、炎が鎮まるのを見て。

 その身を支えようと、誰の手が、先に伸びていたのか判らなかった。
 けれど、朱夏のその身が本当にその場に崩れ落ちてしまう前に、支えられては――いた。





 気が付いた時には、朱夏は蓮聖の腕に抱えられている形で、秋白はすぐ傍らにいた。…朱夏は一時的に意識を失っているだけだとすぐに判り、俺も安堵した。…そこまでを先に確認してから、俺は残り僅かなこの身に残る『気』を巡らせて、己が身を回復させた。…表面的な怪我はそれで治ったが、芯の部分の消耗度合いはやはり重いかと自覚する。恐らく、数年寿命は減っただろう。
 少しして、兄上が駆け寄って来る。御無事ですか皆様、と叫びにも似た安否を問う声が掛けられる――俺達の方は、ひとまず問題ない。倒れ込んだ朱夏の方も、一時的に意識を失っているだけと伝えた。それだけで、兄上は心底からの安堵の息を吐いている。
 慎十郎と舞、それと龍樹もこちらに駆け付けて来ていた。…つまりはそれくらい、周辺状況については――もう、落ち着いているのだと思う。皆が、こちらに集まった。
 ふと、何かを見透かす様な細めた視線で、龍樹が俺を見ている事に気が付いた。何だ? と思い俺の方でも見返す――と。

 不意に、己の身が何処からともなく生まれた黒い炎に一気に巻かれ、ぎょっとした。が――視覚の面でぎょっとしたのと同時に、その炎に炎らしい灼熱が一切感じられない事にも気付いていた。炎の色も、黒と言うより茶に近い――土色である事にも、ほんの僅か遅れて気が付いた。
 龍樹の力か、と思った時点で、当のその炎は弱まってすぐに消えた。…消えた時には、俺の身体は――随分と軽くなっていた。以前龍樹と相対した後と同じ。…もっと深い部分で消耗している筈なのに、今はもう戦闘の直後であるなら当たり前程度の疲労しか感じなくなっている。
 驚かせてしまいましたか、と龍樹が兄上に声を掛けていた。…見れば、兄上が俺を見ている。今の炎に衝撃を受け思わず…と言った体で。…まぁ確かに、少々刺激は強いか。

「…今のは」
「…また…手数を掛けたか」

 兄上が問おうとしたのに割り込んで、先に龍樹にそう返しておく。…止めようと動かなかった時点で、恐らくはもう兄上も今の炎の意図は察しているのだろうが…それでも、兄上に俺が無事である事は、俺の口から先に言っておかないと、と思う。
 それで兄上も察してくれて、今度は龍樹に頭を下げていた。

「…有難う御座います。龍樹様」
「礼は不要です。この身でお返し出来る事をしたまでですから」
「…それでも。わたくしがお礼を言いたいのです」

 兄上は、龍樹へと丁寧にそう返す。
 そうしてから、一度白山羊亭に戻り、落ち着いて話をする事を、皆に提案していた。



 提案自体には誰からも異論はなかった。が…その前に、遅れて現場に駆け付けた騎士団の者との折衝が必要になりもした。仕方のない話だが少々厄介な事になってしまうか、と覚悟していたら…意外とあっさり話は済んだ。曰く、蓮聖や慎十郎に舞までが元々騎士団に出入りしていたらしく、更にはこちらの事情まである程度事前に話しまでしていたらしい。
 事情説明の為に後で出頭する事を条件に、暫しの猶予は得られた。
 その結果、皆で無事、白山羊亭に戻れる事になる。白山羊亭の方も、店の建物自体が少々焼けてしまってはいたが…それ以上は居合わせた者はほぼ無事で居て、俺は今更ながらにその事にもほっとした。
 …まずは場所を空けてもらい、意識のない朱夏を寝かせて休ませる。
 それからテーブル席を借り、皆で落ち着く事をした。





 話を始める段になり、初めに口を開いたのは秋白。
 あと僅か、とはどういう事か。その真意を聞かせてくれる様、きつい態度で蓮聖に迫っていた。…俺と朱夏が対峙する場に来る直前、そんな話をしていたらしい。
 蓮聖は、言葉通りだと端的に答えていた。それと、秋白が勘違いしていると。秋白はそもそも『私』の『代わり』になってはいない。俺にはよく解らない話だったが蓮聖はそこまでを話すと、改めて皆の顔を見渡して――そうですね、何処から話しましょうか、と。
 漸く、こうなった事の経緯を、ぽつぽつと話し始めた。





 まずは、蓮聖自身の事。
 蓮聖は、故郷の世界に於いて『天網を違えて進んだ道筋を正す為の目印』とやらになるらしい。人どころか生き物ですらなく、世界の『仕組み』の一部なのだ、と説明された。常に人の世の傍らに在り、役目を果たす為だけに、付かず離れずで人の世と関わる者だ、と。
 人の形を取るのは、仕組みとして「死を迎えなければならない」からだと言う。
 天網を違えて道筋が進もうとする時、何がしかの流れでそれを識り、自ずから肉の死を迎える。その死を以って目印は打たれ、打たれた目印から時は遡上し、正しい形に編み直される。
 そして編み直された世にもまた、再び新しくその『仕組み』の一部として居る事になる。その繰り返しがひたすらに続く。肉の人としては役目の度に死を迎えても、本質的には、死は無い事になる。
 人の世の傍らにあっても、人と深く関わる事はなく。いや、人だけではなく、人の世に、故郷の世にある全ての命と深く関わって行く事は役目から逸れると、自覚はしていたのだとか。

 だが、そんな身の上で。
 強く惹かれてしまう命を、見付けてしまったのだと言う。
 それが、朱夏の母に当たる、緋桜の古木の花精。人の似姿を取る精ではなかったらしいが、まぁ、些細な事なのだろう。
 やがて幾度目かの逢瀬の後、古木の下に不意に現れていたのが、朱夏。
 蓮聖と感応した緋桜の花精が、蓮聖の姿を映して生み出した娘。そうである事は一目で解り、蓮聖は自分が惑った花の、春の次、と――朱夏と名付ける事にしたらしい。

『人』の形をした朱夏が生まれた事で、蓮聖は喜びと同時に、悩みも得た。人の姿を得てしまった以上は、人として暮らさせてやりたいと思うのにそのやり方が解らない。だからその為にこそ自分も人らしく暮らす事を選んだ。…そんな事をしては役目を果たす事に躊躇いを覚える様になると知っていたのに、そうしたいと強く望んでしまった。
 それが今の蓮聖で、龍樹と出逢ったのも、その頃。人里の者とは何処か違うだろう二人の事を、拘らず慕って接してくれた初めての存在だったのだと言う。その頃に、語り合い、心を近付けている二人を見て。龍樹と朱夏を許婚に、と言う話にもなったのだとか。

 だが、その頃に大戦が起き、その片隅で、朱夏が亡くなったのだと言う。
 当初は、割り切れぬ事だとは言え、よくある人の世の理不尽の一つと思っていたらしいが――後に、蓮聖が本来の役目を果たす為の障りになると、理の歪みと見做され消されたのだ、と気付かされる事になりもしたらしい。

 ただ、それは半分は違っていたのだと、つい先程の騒動の中で、初めて解ったのだと言う。
 朱夏の魂は、死した後、「消される直前」に秋白が取り込んでいた。蓮聖曰く、それは朱夏の魂を救い、繋ぎ止める事にもなる行いであったのだとか。…そうされていなければ、霧散していただろう、と。そこまでを話したかと思うと、蓮聖は何処か改まった様子で、秋白に深々と頭を下げている。
 そうされた秋白の方では、酷く途惑っている様だった。

 秋白は元々、自分と似た性を持って生まれついていたのだろう、と蓮聖は言っていた。
 だからこそ、蓮聖が本来の役目から外れつつあった頃に、蓮聖の本来の役目を感じ取る事ができてしまっていた。…「できてしまった」から、「そうしなければならない」と「思い込んで」しまった。思い込み、応える者が居てしまったから、『世界』もそれで『仕組み』が動いていると見做す事をした。…だからこそ、秋白に取り込まれた朱夏も目溢されたのだろう、と。
 蓮聖の分析からすると、そうなるらしかった。

 だがそれでも、秋白は本当に蓮聖の「代わり」にされている訳では無い、のだと蓮聖は言い切っている。
 その根拠は、今の蓮聖が蓮聖で、秋白が秋白のままの記憶を今もなお持っているから。
 本当に『仕組み』の役目が秋白に代替わりしているのなら、秋白は秋白であった記憶を――それまでの生の記憶を持っている筈が無いのだと。即ち、前任者へと意趣返しを企む程の想いを抱く事自体が、まず有り得ないと。次の生にまで残るのは、ただ「役目の果たし方」と「その為に必要な知識」だけ、になるらしい。
 それを聞いた秋白は、漸くある種の納得を得られたらしくはあった。ただ同時に、ならば何故言わなかったのかともすぐに切り返している――すると蓮聖は、自分が役目に戻らない限り、本能に近い部分にその「思い込み」は刷り込まれてしまっている事になるから、苦しませている事は変わらないのだと答えていた。だからこそ、秋白の憤りを受け入れる以外にどうしたらいいか判らなかった、とも。
 けれど同時に、その秋白の行いとは言え、龍樹に手を出させる訳には行かなかったのだとも言っていた。元を辿れば「人」ではない蓮聖と朱夏にとっては、龍樹はとても大事な存在になっていたらしい。

 龍樹は、本来何者であるのかなど知らぬにも関わらず、蓮聖と朱夏の事を受け入れて、深く寄り添おうとしてくれた「人」の子だと、蓮聖はそう言っていた。朱夏が人として死んだ時、それでもまだ『人でないもの』として在るのかもしれぬと察して、変わらず寄り添おうとまでしてくれた、と。
 その結果が、龍樹の『魔性』――あの土色の炎の力だろうと、蓮聖は考えているらしい。人の身から傾いて、『私』達と近い形に変わる事ができてしまったのではないか、と。

 慎十郎の逆だとも、言っていた。
 やや唐突な話に感じたが、曰く、慎十郎の祖は…持ち得る力全てを以って『人』に成った『精霊』であるらしい。そう言われた時点で慎十郎本人が一番驚いていた様だったが…俺もまた驚いた。…曰く、舞が先程行使していたあの「守る」力、あれのエネルギーソースは慎十郎の血の中に在るもので、それを舞が引き出して使っていた事になるらしい。
 そしてそのエネルギーソースこそが『精霊』としての名残に当たるらしいが、それ以外は在り様として全くただの人間でしかないらしい。成った当人やその子、孫辺りまでならともかく、更に世代を重ねてしまえば自覚がないのも当たり前なのだとか。





 龍樹もまた、自分の事を――今回の行動の理由を聞かせてはくれた。
 自分の『魔性』の「力」が蓮聖の言う通りのものなのかは判らないらしいが、持て余す程に大きい力であるのは確かであるらしい。舞と慎十郎の手による封印、と言う制御下でそんな力を抱えていた自分が、ここソーンで朱夏と初めて顔を合わせた時。何を感じたのか、自分が今のままではいけないと、己の封印すら忘れる程に衝き動かされてしまったのが、まず初めの動機。
 そして扱い切れぬ程の力を以ってそうすれば、下地に己の意思はあるとは言えほぼ暴走同然。そうなる事こそが、その様を関わる者に見せる事こそが――秋白の狙いだったのかもしれない、と後になって察しもしたらしいが、それであっさり止められる様な事でもなかったらしい。

 自分が何をするべきか、自分が何に衝き動かされたのか。『魔性』の力に身を任せ、衝き動かされるままに数多へ力の指先を伸ばし触れるだけでも、龍樹には触れた先の物事を識る事が叶うのだと言う。そうやって尋常ならざる手段を以って、龍樹はずっと調べ続け、己を衝き動かすものの正体を探し続けていた事になるらしい。だからこそ、それで心を痛める者が居る事が解っていながらも、皆が承知している通りの『獄炎の魔性』、の様を晒し続ける事になったのだとか。
 そうやって各地を巡っている中で、漸く付き止めた己の衝動の向く先の正体が、秋白。龍樹が感じ取っていたのは、蓮聖への深い害意。その持ち主を除きたい、除かねばならないとの決意のままに、それまで無効化させていた舞と慎十郎の手になる封印を再び頼りにし、はっきりした目的として秋白を除く為の行動を取る様になって――今に至る。

 だが今になって――蓮聖と同じく、つい先程の騒動の中で初めて、秋白が本当に朱夏を取り込んでいた事を知って。
 そうなれば、秋白の事は、除かねばならぬどころか恩人とさえ言えるらしく。
 どうしたものか、と考えている所になるらしい。



「では、龍樹様が、秋白様を除く理由は、なくなった…と思って宜しいのでしょうか?」

 一通り話を聞いて、兄上はまずそう龍樹に確かめている。…それは、気になる所だろう。
 兄上はずっと、秋白の事を気に懸けていたのだから。

「秋白を除いても、お前の望む様に事が動きはしないぞ」
「…そうなのでしょうね。恐らくは」

 兄上に続き蓮聖の声がした事で、龍樹は漸く頷いた。その時点で、兄上が安堵したのが判る。…俺も、ほっとした。恐らく秋白の方はもう、やろうとしていた…兄上が悲しく思う様な事を、やる気は失せている。ならば龍樹の方が止まってくれさえすれば、彼らの問題を、解決する道筋はついた事になるのでは、と思うから。
 …ただそうなると、俺の方でも改めて、気になる事がある。

「…俺も…解らない事があるのだが、訊いてもいいだろうか」
「何でしょう」
「龍樹や朱夏の…力の事だ。元が「人」であると言うなら尚更…花精の娘であるだけであれ程の力とは…『仕組み』である蓮聖の力が、関係していると言う事か…?」

 どう見ても人間の器を超えたあの力。今聞かせて貰えた話だけでは――どうも納得が行かない。
 そう思えて、仕方なかったのだが。

「ああ、それは…恐らくは、『在る為の力』が、ほぼ剥き出しのまま顕れているだけの事なのだと思われます」
「…?」

 それは俺達で言う『気』の「力」――生命力そのもの、と同じもの、と言われている気がするのだが。ただそれにしても、強大過ぎる、と言う事なのだが…。
 問いの内容を訂正して訊き直すべきかと考えるが、考えた所で――解っている、とばかりに蓮聖が頷くのが見えた。…こちらが何を疑問に思ったのかは、蓮聖の方でも汲み取ってくれているらしかった。
 蓮聖の言葉が、続く。

「形にも現象にもなる、様々な形に練られる前の、力の根源の様な何か。その「力」は誰もが――いえ、器物すらも等しく持っていますが、個々の存在が本来的に取る筈の形を成す事により多くが使われ、剥き出しのままで在る事の方がまず無いのです。ですがその『形を成す事』を取っ払えてしまうと、成すべき形を成せない代わりに、容易く御し切れぬ程の力の塊と成る事がありかねない――朱夏や龍樹の様に成る事は、有り得ます。…ただ「在る」と言う事だけでも、そのくらい強く大きな力で成り立っているものなのですよ」

 …形を成す為の力。器物にすらある…蓮聖のその説明では、「生命力」ですらも練られた後の形…と言う事になるのかもしれない。生命力より更に根源の、「在る」為に使われる、大元の、「力」、と言う事か。

「私が朱夏と名付けた事で、二人の場合は力として練り上げる仮の形が炎となったのでしょう。ちなみに慎十郎などは…形を保ったまま、他者の手を借りて引き出すと言う手順を使う事で、強いままの力を上手い具合に御す事が出来ている事になりますね」
「それが、肉の抑えって事」

 秋白がそう付け加え、話を継ぐ。

「ボクが取り込んだままなら、ボクの肉の人としての身体が抑えになる。今のあの子――朱夏は魂として在る事すらあやふやな様って言えるし、肉の抑えを離れたらそれだけで暴走するのが当たり前。そのまま放っといたら「朱夏」である事すらいずれ保てなくなるくらいに強い力になってる」
「…。…今の朱夏様は、秋白様の内に、戻られた…と言う事になるのですか? それで鎮まられたと」

 兄上も、そう確かめている。
 つまりそういう理屈の様に聞こえたのだが…そうしたら。

 どうでしょう、と声がした。
 朱夏。
 …気付いたのか、と思う。ゆっくり上体を起こし、こちらを見て――何とかこちらへと目の焦点を合わせようとしている。
 朱夏はこちらがしていた話に、自分で、答えようとしている。

「魂の根は、秋白様の中に在るままでしょうが。ですがきっと、今の私が私として在っていいのだと、父上様が心底から認めて下さった事が、大きいと」
「…朱夏」
「秋白様と共に、現れたあの時。呼ばれたあの時に、解りました。それで、私は『私』と言う形を成す事に、己の力を使える様になったのだと、思います」
「…名前の件は、考え過ぎだったって事か?」

 慎十郎の、声がした。
 朱夏と秋白。関わりがありそうだと話していた名前――慎十郎と舞が話していた事。兄上もそれを元に考えもしていた。俺は、そういった事は兄上はじめ他の皆に任せていたのだが…。
 どうだろうな、と蓮聖の声がした。

「私の惑った青い春の次に朱き夏が訪れ、今白き秋に至る。『秋白』の名は、そうも受け取れる。字は司るべき本来の己の質に、音は私に――『時』の『代』、と『仕組み』に寄ったのだと思っていたが…こうなると、朱夏を繋いでくれたからこその名でもあったかもしれないな」
「…ボクはただ、あなたの代わりにされたと思った時点で、そう名乗るべきだと思っただけだよ。意味なんて知らない」
「そうか」
「…うん」





「蓮聖様」

 不意に、龍樹の声がした。何処か改まった、蓮聖を呼ぶ硬い声。
 何かと思えば、すぐに次が続けられた。

「その『仕組み』の役目とやらに、戻るつもりなのですか」

 言われた時点で、思い切り頭を殴られた様な気分になる。
 その意味に気付いて、俄かに皆の視線も蓮聖に集まった。
 …それは、つまり。

「秋白様の為に、全てなかった事にするおつもりですか? いえ、それだけではなく――自ら死にに行くおつもりなのですか?」

 兄上の方が、先に反応していた。龍樹の言葉を受けて、蓮聖に直接ぶつけている。…甘かったか、と思う。これでは、解決の道筋がついたどころじゃない。いや、聞かせて貰った理屈から考えるなら、確かにそれが唯一の解決策となるのかもしれないが…。
 だが、幾らそれが正しい事なのだと諭されたとしても、黙って受け入れられる事じゃない。そう、思ったのだが…蓮聖は、兄上のその言葉を否定する様にして、緩く頭を振っている。
 …それを見て、違うのか、杞憂だったか、と思いはする。

 が。

「心配は無用です。『仕組み』に編み直されずに済む術なら、用意しておきました」
「…それは、どういう」
「この世界です。ここソーンは、『私』が見守るべき『世界』じゃない。戻れば時に編み直される。だがここに残るなら、天網の外になる。『私』だけが戻るなら、皆がここに残るなら――『私』が役目を果たしても、全て忘れる事無く居られる筈ですよ」
「それでは答えは半分です。貴方を害するものは貴方だった、と言う事ですか」

 厳しい龍樹の声がそう切り返す。
 杞憂じゃない。否定もしていなかった。…蓮聖は、自分「以外」の事だけを話している。自分自身の事は、死にに行く事を前提としている。…兄上の貌に浮かぶ憂いが、また深くなっている。
 秋白も、何だよそれ、と声を上げていた。

 違う道を選ぶ事は、難しいのだろうか。俺もそう、訊いてみる事をする。…主語は勿論、「蓮聖が」、である。…それは秋白の問題は蓮聖の「それ」で解決する事になるのだろうし、朱夏の問題は…多少あやふやな気もしないでもないが、それでも本人らの様子からして現時点で解決している事にはなるのだろう。だがこれでは龍樹が収まらないし、俺だってどうなのかと思う。…それは、自分の様な浅い関わりの者がどう思うかなどどうでもいいと言えばいいのだろうが…死ぬ覚悟で臨むと言う話ならともかく、死ぬ事自体を解決法とするのは、納得が行かない。本質的には死ではない、などと言われても、そういう問題じゃない。
 見れば、慎十郎だって舞だって朱夏だって――秋白だって、納得していないとしか思えない。
 だが、蓮聖は。

 今の『私』は『人』として生き過ぎました、と。
 答えになっていない答えを、そんな風に、言ってのけている。

「…これ以上秋白に背負わせたくはない。私が戻らねば、秋白の思う『位置』の縛りはどうあっても消えない」
「って今更何だよ…!」
「そうだな。今更だ。だが図々しい事は承知で頼みたい」

 秋白には朱夏の事を頼みたい、と。
 ここに残って欲しい、と。
 戻ったら全てが消えてしまうから、と。

 蓮聖はそう、重ねて続ける。
 …堪りかねたのだろう秋白の声が、強く叩き付けられた。

「だからこっちの話を聞かずに勝手に色々決めるな!」
「…だが、お前にもこのソーンで、かけがえのない相手が出来たのだろう?」

 …。

 そう返された時点で、秋白は止まる。何も返せなくなる。…蓮聖の言うそれは、兄上の事なのだと、確かめるまでもなく俺にはすぐに解った。…既に秋白は、兄上の為にと俺を案じる事までしたくらいである。蓮聖も何処かの段階で気付いたのだろう。
 だが当の兄上は虚を衝かれた様な貌で蓮聖と秋白を見ている。…兄上にしてみれば、当たり前の事しかしていないのだろうから解らないのかもしれない。それが、得難い事であるのだと。
 …きっと秋白もまた、俺と同じ様に、兄上に救われた。

「私はもう充分、『人』として生かさせて貰いましたよ」
「…」

 蓮聖の声が、続く。
 ああ、これは覚悟を決めている者の貌と声だ、と思う。
 きっと皆も、そう思ったのだろう。
 だから、何も返さない。

「朱夏が生まれて。人として、朱夏と龍樹と共に暮らし。朱夏を喪って後。それでも龍樹が居てくれた。龍樹の中の魔性を、止める事が適う舞姫とも出逢えた。初めて出逢った時から舞姫もまた『私』達に寄り添おうとしてくれた。…人として、人の立場を保ったままで。…人に成った者の血を継ぐ慎十郎にも出逢えた。その慎十郎が、龍樹と舞姫を支えようとしてくれていた。…三人共に、『私』が出来ない事、出来なかった事を、『私』の前で。代わりにしてくれている様に思えた。…その上に。『私』に脅かされていた秋白が、疾うに喪ったと諦めていた朱夏を繋ぎ止めてくれてまで。
 お前達さえ居てくれるなら充分だ。私はもうそれでいい。…私が、そうしたいんだ」
「蓮聖様」
「白き秋に繋がれた『次』は、玄き冬に臨む番とでも思おうか。『風間蓮聖』はそろそろ終いだ。残るか戻るか決めるのは、お前達に委ねる。…お前達に、私の生につき是か非かを託したい」





 そして叶うなら、是としてここに残って欲しい、と。
 絶望ならば疾うに見飽きた。だから、お前達と言う希望を、私にくれ、と。





 蓮聖は、何処か縋る様に、そう続けている。
 考えた末なのだろう、本当に、心底からの一番の望みなのだと、思い知らされる様な、言い方で。
 …これは、止められない。
 そう思った。

「蓮聖様。貴方様が緋桜の花精に惹かれたのは何故ですか」

 不意に、兄上の声がした。
 呼ばれた蓮聖は、不思議そうな貌で兄上を見ている。
 …確かに、少し、唐突な話だとは思ったが。
 それでも兄上は、真摯に蓮聖の目を見たまま、言葉を続けている。

「人であるのはあくまで肉としてで、役目が全てだと言うのなら。そもそも、そんな風に他者に惹かれる事など有り得ないのではないですか。それでも、貴方様がその身の上で、その感情を得られるのであるならば。それが「あってはならない事」である筈は、ないとわたくしは思います」

 兄上のその言葉に、蓮聖は軽く目を瞠っていて。
 実はとても驚いたのではないかと、ふと、思った。
 今の兄上の――きっと、今の内に蓮聖に伝えておかなければと思ったのだろう話を聞いて。

 何か、感じる所が、あったのかもしれない。





 それから。
 蓮聖の願いを託された皆の選択を、俺と兄上も聞かせて貰う事になる。

 …まずは皆、ソーンに残る事にした、らしい。
 舞と慎十郎、朱夏はこのままエルザードに残り、龍樹は、贖いの旅として各地を巡ると言っていた。…足りないまでも、獄炎の魔性として災禍を齎した相手への償いや、それ以外にも――自分の力で可能であって、助けの要る誰かの助けになる事をしたいのだと。

 秋白は、俺達と共に、来る事になった。
 秋白さえ良ければ、当てがなければ――兄弟あるいは友人として、共に暮らして貰えないか、との兄上の誘いを受けて、躊躇いながらも嬉しそうに受け入れた結果の事。義弟である俺の方がどう思うかを気にもされたが、当然、全く異論はない。…そもそも、俺も似た様な経緯で兄上の義弟になった身と言える。

 帰ると決めた蓮聖には、せめて義兄共々見送らせてほしいと頼む事をした。快く応じてくれたが、帰る前にやる事もある――白山羊亭の補修やら騎士団への出頭やらと様々な後始末の必要を言い出されて、確かにそれもそうだと俺も思った。結果として、蓮聖のみならずソーン内で旅立つ予定の龍樹も含め、皆、暫くの間そちらの実務に追われる事になる。
 俺と兄上も、手伝った。

 ………………以前刀を研いで貰ったお礼分、役に立てたかどうか。

 後始末の実務を手伝う中、俺は実の所一番気懸かりだったその事を慎十郎に訊いてみた。と――何やら物凄く変な貌をされた。は? と聞き返されまでした。

 そして。

 研ぎ代のお礼分どころかもう逆にこっちが借り出来てるだろ、と返された。
 思わず目を瞬かせた。そんな事はないと思うのだが…と言葉を濁したら、とても複雑そうな貌をされ――がりがりと頭を掻き毟ったかと思うと、ああもう面倒だからチャラにしようぜ、と提案された。そして、借りも貸しも無い所から、また一から宜しく頼むわ、と改めて言われた。
 そんなものなのか、と思う。…ともあれ、これからも宜しくと言う点については、異論はない。





 後始末が済んでから、蓮聖が元の世界へ帰るのを皆で見送る。
 やりきれない想いも残されはしたが、それもまた人生では幾らでも起こる事。堪えて呑み込んで、明日へと向かう事は、次に来る新たな希望を信じる事は、できる。

 そうやって、俺達もまた、日常の歩みへと戻る。
 一つの大きな区切りを経、また次の――自分達の物語を、紡ぐ為に。


【炎舞ノ抄 〜 el-blood BorderLine. 了】



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 登場人物紹介
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■視点PC
 ■3434/松浪・心語(まつなみ・しんご)
 男/13歳(実年齢25歳)/傭兵

■同時描写PC
 ■2377/松浪・静四郎(まつなみ・せいしろう)
 男/28歳(実年齢41歳)/放浪の癒し手

■NPC
 ■朱夏
 ■秋白
 ■風間・蓮聖

 ■佐々木・龍樹
 ■舞

 ■夜霧・慎十郎

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