クリスマスまで一ヵ月半を切った街は、一足早く赤と緑を多用したカラフルな色彩にあふれ、賑やかな雰囲気をまとっていた。
足を運ぶ人々もまた、漂う予感めいた空気が伝染したかのように、浮かれて街をそぞろ歩く。
明るい表情、あるいは忙しそうな人々を眺めていた玖條 響は、サングラス越しにちらりと時計へ目をやった。
――約束の時間は、もう過ぎている。
今日はオフの筈だが、急な仕事が入ったのか。あるいは変装がファンにバレて、囲まれて動けないとか‥‥だとしたら、きっと彼は無碍に振り切れないだろうし。
そんな事を考えながら、時計の針と人並みを交互に見比べていると。
雑踏の中から、足早に向かってくる人影が一つ。
地味なカジュアルスーツに帽子と伊達眼鏡で『変装』しているが、それが待ち合わせの相手だと、響はひと目で判った。
「随分と、遅かったですね。時間厳守は、業界の基本ですよ?」
愛想のいい言葉の裏に潜んだトゲを感じて、申し訳なさそうに星野・巽が両手を合わせる。
「ごめん。早めに出たんだけど、タクシーが渋滞に引っかかって‥‥」
「携帯もかけられず、メールも打てないような場所で、渋滞してたんですか」
「だってほら、運転手の人‥‥いるし。ホント、ごめんっ。今日は一日、俺を好きにしていいよ?」
繰り返し謝る巽に、響は険(けん)のある笑顔をようやく引っ込めた。
11月15日――響が迎えた20回目の誕生日を祝うため、二人は休暇を取って待ち合わせていた。
「とりあえずは‥‥この近くに知っているブティックがあるから、そこから行こうか」
「いいですよ」
巽の提案に、機嫌を直した響が頷く。そんな彼の反応に安堵した巽は、誰も気付かない様な小さな溜め息を吐いた。
彼もまた、『変装』して待ち合わせ場所で待つ響をすぐに見つけたが、響とは別の理由が一つあった。モデル志望ながらも響のファッションセンスは相変わらず壊滅的で、合わせた上着やパンツの形や色が、おそろしくチグハグなのだ。
(「これは‥‥ナイ、よね」)
どうすればそこまで無頓着な組み合わせが出来るのか、巽にはサッパリ判らない。せっかく『素材』がいいのに、宝の持ち腐れと言うべきか。
だからまず、服装から。
響の誕生日を祝う為の彼のプランは、そこから始まった。
○
「どう、気に入った?」
鏡の前で自分の姿を確かめる響へ、巽が尋ねる。
彼が連れて来たのは、落ち着いた雰囲気のブティックだった。そこで素材や色の好みを響に確認しながら、巽は吊り下げられた沢山の服の中からひと揃えを選び取り。見立てたシックなスタイルと色のジャケットとパーカー、そしてパンツのセットを、響が試着していた。
「ええ。動きやすくて、着心地もいいです」
「じゃあ、それにしよう。すみません、お願いします」
巽は店員へ頼み、響が着替える前の服を包んで袋へ入れてもらう。それから服のタグを外してもらい、響はジャケットの襟を軽く引っ張って整えた。
「俺、このまま着ていていいんです?」
「うん。俺からのプレゼントだよ」
再び嬉しそうに鏡を確認する響の仕草を、会計をしながら巽は笑顔で見守る。
「じゃあ、行こうか」
並んでブティックを出る二人の背を、頭を下げた店員達の「ありがとうございました」という声が送り出した。
「それで、誕生日プレゼントは何がいい?」
歩きながら切り出された響は、不思議そうな顔で自分より少し高い位置にある巽の瞳を見上げる。
「これは?」
身を包む、買ったばかりの服を示す響に、一瞬、巽が表現に迷った。
「それは‥‥さしずめフルコースの前菜、かな?」
誤魔化す台詞を疑いもせず、納得した様子で響は考え込む。
「それなら例えにちなんで、メインは高級フレンチのコースとか」
「‥‥え゛?」
返ってきた答えに、巽の表情が引きつった。
「それとも、ダイヤの指輪がいいかなぁ? ここに、似合いそうなの」
彼の様子にかまわず思案する響は左手を開き、その薬指の付け根を右手の指でとんと叩く。
「う゛‥‥」
更に高い注文が飛んできて、言葉に詰まる巽。そんな巽の困窮振りを眺めていた響は、隣でくすくすと笑い出す。
「冗談ですよ♪ そうですね‥‥家でまったりと、二人でお祝いしましょうか」
「だけど‥‥」
「巽さんと一緒にいられれば、それで俺は幸せですよ」
お祝いはそれで十分だと微笑む響に、巽はほっと胸を撫で下ろす。
「判った。でもその前に、連れて行きたい場所があるんだ。せっかく、今日で20歳になったんだから‥‥ね♪」
今度は、響が首を傾げる番だった。
○
表通りから、少し裏に入り込んだ通り。
その一角にあるビルの、両開きの木枠の古い硝子扉の前に、巽は響を案内した。
扉の周りには、何も看板がなく。ただ、扉の上にレトロランプが一つ、柔らかい光を灯している。
「‥‥ここは?」
「すぐに、判るよ。以前から、連れて来たかった店なんだ」
響の疑問に、笑顔で巽は答えた。それから、扉の取っ手に手をかける。
中にあるのは、下り階段が一つ。
それを降りると小さなフロアを経て、更に下る階段がもう一つ。
地下二階まで降りると、そこはシックな空間だった。
落ち着いた明るさの照明に浮かぶのは、レンガの壁とワックスのきいた板張りの床。
スピーカーからは控えめにオールディーズが流れ、食事と酒を楽しみながら人々が談笑するテーブルの間を、黒いエプロンを付けた店員たちが縫うように歩き回っている。
フロアの奥にはステージがあり、スピーカーやドラムセット、グランドピアノが今は静かに佇んでいた。
「よぅ、いらっしゃい」
珍しそうに響が店の中を観察していると、壁の一角にある磨き困れた古い木造りのバーカウンターから、ごついオーナーが声をかけた。
「お邪魔します。のんびり、飲みにきました」
慣れた様子で巽が返せば、心得た風のオーナーはカウンターの一角を指した。
「ここは、ライブハウスですか?」
スツールに腰を落ち着けてから、改めて店内を見回す響に「うん」と巽が返事をした。
「『Limelight』だよ。今まで機会がなくて、一緒に来れなかったから‥‥記念日に、丁度いい場所だと思ったんだ」
「ああ‥‥ここが」
その名前に、響は聞き覚えがあった。そこでは巽が何度かライブを行い、彼の姉や妹もまたオンオフを問わず、時おり顔を出すというライブハウスの話を。
巽の話を思い出した響は、どこか感慨深げにまた店の中を眺め。
その間に、彼の前へグラスが置かれた。
カクテルグラスに満たされた澄んだ色を、しげしげと響が観察する。
彼の反応を楽しげに見守っていた巽は、グラスを軽く掲げた。
「20歳の誕生日、おめでとう」
微笑んで彼が祝いの言葉を述べれば、響は照れくさそうにしながらも、自分のグラスを手にする。
「‥‥ありがとう」
二つのグラスを合わせると、チンと小さく軽やかな音が鳴った。
グラスを傾けて一口含めば、アルコールっぽさよりもリキュールや柑橘の風味が先に広がり、思ったよりも口当たりがいい事に驚く。
「君の一年が、素晴しい歳でありますように‥‥」
肩を寄せた巽が耳元で囁いて、ポケットからシンプルな包装紙に包まれた小さな箱を取り出し、カウンターに置いた。
「開けていい?」
確認する響に、巽は笑顔で首肯する。
丁寧にラッピングを解き、箱からジュエリーケースを取り出した響は、ゆっくりと蓋を開いた。
「これ‥‥?」
二つ並んだ小さな四葉のクローバーのピアスに彼が顔を上げれば、贈り主は自分の耳にかかった髪を払う。そこには、小さなクローバーが耳朶を飾っていた。
「お揃いだよ。いつまでも、一緒にいられるようにって‥‥ね」
巽が説明すれば、再び響は柔らかく光を反射するピアスを見つめる。それから名残惜しげにそっと蓋を閉じ、両手で大切そうにケースを包み込んだ。
「気に入って‥‥もらえたかな?」
「ええ、大事にします。それから、ありがとう‥‥素敵な誕生日を」
屈託のない響の笑顔に、安堵と嬉しそうな表情を浮かべた巽はグラスを手に取り。
そしてまた、グラスの重なる澄んだ音が、響いた。
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