●地下の戦い
「トリスタン卿!」
エスリン・マッカレルの声に、細身の剣を振るっていたトリスタン・トリストラムが背後へと飛び退る。その傍らを掠めて、エスリンが放った矢がモンスターを射抜いた。
岩に反射して木霊のように続いていた断末魔の絶叫が収まる。エスリンは弓を下げると注意深く周囲を探りながら、トリスタンの元へと歩み寄った。
「これで最後でしょうか」
「分からない」
同じく警戒を解かないまま短く答え、トリスタンは手を差し出した。その手に、小さな白い光の球が生まれる。貴婦人をダンスに誘うかのような優雅な動きに、ホーリーライトで光を灯しただけだと分かっていても、エスリンは目を奪われてしまった。
「ともかく、今は出口を探すのが先決か。‥‥エスリン?」
光に照らし出された白い指先に思わず見惚れてしまっていたエスリンは、怪訝そうなトリスタンの声にはっと我に返った。
「し、しかしっ! ここは一体どこなのでしょうかっ。先ほどのモンスターも見た事がないのですがっ」
あたふたと取り繕って話を振ったものの、語尾に無用な力が入ってしまう。
ー何をしているのだ、私は!
肩を落としたエスリンは、ふと視線を感じて顔をあげた。そこには、自分を凝視しているトリスタンの姿が。
どきん、と心臓が期待に跳ね上がるのは仕方がない。
「なっなにかっ!?」
「‥‥様子がおかしいので怪我でもしたのかと思ったのだが」
やはり。
期待した自分が馬鹿だった。
失望半分の自棄っぱちで、エスリンはあははと笑って歩き出した。
「怪我なんてしていませんから、どうかご安心下さい。しかし、本当にへ‥」
「エスリン!」
「はいっ!」
鋭い声で名を呼ばれ、エスリンは条件反射で返事を返すとその場で姿勢を正した。だが。
「え? あっ!」
突然に揺れ始めた足場に、バランスを崩したエスリンの腕を力強い手が掴んだ。けれど揺れる足場はどんどんと傾き、そして‥‥。
●闇の中の二人
閉じていた目を開ける。
落下の衝撃は、思っていたよりも少なかった。視線を巡らせる。頭上から微かに光が漏れているところを見ると、トリスタンは落ちずに済んだのだろう。
ートリスタン卿はご無事か。よかった。
安堵の息をつきながら、エスリンは床に手をついた。
「ん?」
上と同じ岩場だと思っていたが違ったようだ。手探りで周囲を探ってみる。繊維質のものがある。乾いた苔だろうか。表面を撫で、更に手を伸ばしたエスリンに、静かな声がかけられた。
「年頃の娘が、ベタベタと男に触れるのは感心しない」
「っ!」
エスリンは死ぬほど驚いた。心臓が口から飛び出す程の衝撃なんて生易しいものではない。
「トッ! えっ!? 上っっ、でっ、ええっ?」
混乱するエスリンの下で、動く気配があった。同時に周囲がほの明るい光に照らし出される。
その光を受けて輝いたのは、トリスタンの金の髪。
「‥‥エスリン、起きあがれないのだが」
その一言で、トリスタンを下敷きにした己の状態を確認し、エスリンは今度こそ恐慌をきたした。
「ト、トリスタン卿っ! 申し訳ありませんッ!」
慌てて飛び退くと、背を強かに打ち付けた。かなり狭い場所だ。
「落とし穴のようなものでしょうか」
「さて」
振り返って、エスリンは再び驚いた。ホーリーライトの光に浮かんだトリスタンの姿。その女性も羨む白い肌を、赤い筋が伝っている。
「トリスタン卿、お怪我を!」
手を伸ばし、金の髪を掻き分ける。懐から取り出した手布で、こめかみから顎のラインにかけて流れる血をそっと拭き取るとエスリンは頭を垂れた。
「私が油断したばかりに‥‥」
「ただのかすり傷だ」
身を起こそうとするトリスタンの動きを制して、エスリンは激しく首を振った。
「駄目です! どうか安静に!」
しかし、安静にと言っても、下は冷たい岩場、そして体を伸ばす事も出来ない狭い場所ではトリスタンの体に触る。
逡巡した後、エスリンは意を決してトリスタンの頭を抱えた。
「ここは、大人2人には狭すぎます」
そして、その頭を静かに自分の膝上へと乗せる。
「エスリン‥‥」
困惑が混じったトリスタンの声に、かぁと頬が熱くなる。きっと、ホーリーライトの光の中でも分かるくらい、赤くなっているに違いなにい。
そんな顔を見せたくなくて、エスリンは僅かに顔を背けながら、口調だけは強く言い切った。
「こっ、このような事態ですので、しばしのご辛抱を」
しかし‥‥と口篭もったトリスタンは、やがて溜息と共に言葉を零す。
「ただのかすり傷だと」
いいえ、とエスリンは眦を吊り上げた。
「大事ないと確信出来るまでは安静にする必要があります!」
ふと、トリスタンが小さく笑う気配がした。
「トリスタン卿?」
その顔を覗き込むと、彼は静かにエスリンを見上げていた。
「エスリンの言う通りだな。‥‥ホーリーライトの効果が切れても大丈夫だろうか」
それは、彼がエスリンの言葉を聞き入れたということ。
「闇が怖い子供ではありませんから。‥‥どうか、今はお休み下さい」
小さく頷いて、彼は目を閉じた。
「‥‥エスリンは、よい母になりそうだ」
その呟きに、エスリンは緩く頭を振った。
「いいえ、私は騎士になると誓いました」
かつては、志半ばで倒れた兄の代わりに。
今は、円卓の騎士、トリスタンの隣で彼の剣となり、盾となる為に。
穏やかな寝息をたてはじめたトリスタンの額にかかる髪をはらって、エスリンは微笑んだ。
「いつまでも、貴方のお側に」
それは、決して違える事はないエスリンの誓い。
でも‥‥と、エスリンは思う。
ーもしも、トリスタン卿のお子の、母となるのであれば‥‥。
思考停止。
心のうちで呟いた言葉に、エスリンは固まった。
ーななななにをかんがえているのだ、わたしは!
鎮まったはずの頬の熱が戻ってきて、エスリンはさらに狼狽する。
「ト‥‥トリスタン卿がお目覚めになられたら、ここから脱する手立てを考えねば!」
誰が聞いているわけでもないのに、ぐっと拳を握り締めて力説した後、エスリンは力無く項垂れた。
「本当に、何をしているのだ」
自嘲めいた呟きを口にし、頬に触れる髪を掻き上げようとして、エスリンは自分の袖に絡む細い金糸に気付いた。ばたばたしているうちに引っ掻けてしまったらしい。
袖の釦に絡んだ髪を丁寧に解く。
貴婦人が羨むという金の髪が、さらさらと指の隙間から逃げていく様に、苦笑した。
「髪一筋までも、貴方なのですね」
どこまで追いかけても、どれほど隣にいても、彼はエスリンの傍らをすり抜けていくだけ。初めて出会った時から、それは変わらない。
「それでも私は‥‥」
しなやかな髪を手に取り、エスリンはそっと唇を落とした。
●二律背反
柔らかな光が覚醒を誘う。
ー‥‥焚き火? 野営をしていたのか?
ゆっくりと目を開いて、エスリンは眉を寄せた。間近に迫る岩肌。ここはどこだろう。未だ覚醒しきらぬ頭で考える。眠る前、自分はどこにいたのだ。
「起きたか」
「っ!?」
不意にかけられた声に、エスリンは目を見開いた。
記憶が一気に戻ってくる。同時に、エスリンは恐ろしい事に気付いてしまった
頭の下に感じる、温かくて少し硬い感触はもしかせずともトリスタンの‥‥。
「エスリン?」
繰り返し問いかけてくる声に、この状況に、エスリンはただただ硬直するのみだ。
この後の、エスリンの運命や如何に‥‥。
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