イギリスはキャメロット、そこに立つ一つの建物。
何時でも人が絶えることなくそこを行き来し、そして何かを伝え出て行く。
その中に一人、日課のようにやってきた人物。慣れた様子でギルド員へと話しかける。
話しかけるからにはそれ相応の目的があり、その答えを望んでいる。
短いやり取りの後、男は小さく笑みを浮かべた。
○ago
イギリスといえど国土は広い。
様々な場所に様々な人種の人々が暮らし、日々を過ごしている。
その村もそれは同様で、人間、エルフ、シフールにドワーフと色々な人々が喧騒を作り出していた。
「相変わらずここは活気があるねぇ」
「そりゃそうさ、それくらいがこの田舎の取り得さね」
強面の男が慣れた様子で話しかければ、干草を取り込んでいた老婆が気さくに答える。
見た目だけであれば人が逃げそうな男だったが、この村ではそんなこともない。
それはつまり、昔からの馴染みということであって。
男はこの村のことをよく知っているし、村人も同様。だからこそ、ともすれば排他的になりがちな村社会であっても問題なく溶け込んでいけるのだ。
「今日はなんだい、仕事から干されたのかい?」
「笑えない冗談だな婆さん、食いっぱぐれちまうのは勘弁だ」
そしてあがる豪快な笑い声。それは周りの村人たちにも笑いを誘う。
「レグナ!」
「ん? おー坊主、どうした?」
その笑い声に釣られてやって来たのか、そこにはエルフの少年が立っていた。
年の頃は見た目で12歳程度。もっとも、エルフであるということを考えれば、レグナと呼ばれた男性ともそう実年齢は違わないかもしれない。
「声が聞こえたから。ねぇ、前の約束」
「約束? あぁ、色々話を聞かせてやることだったか。そうさなぁ」
そうして彼の『お話』が始まった。
この村では決してない、外界で起こった様々な出来事。冒険者として色々なところに出向く彼はそういう話には事欠かず、それを目の前の少年に言って聞かせるのがこの村にいる間の日課になっていた。
その話は少年だけではなく、空気が停滞しがちな村人たちにも新鮮であるらしく、話が始まれば自然と彼の周りは村人のくろだかりが出来上がる。
「そこでだ、俺の射撃の腕が必要になった。まぁ同行した奴らが剣の腕ばかりたって弓なんぞ一切使えないやつらばかりだったからな」
今日の話は、数日前に受けたばかりの依頼の話らしい。身振り素振りを交えて伝えられる話は、妙な現実味と幻想をもっていっそう話を盛り上げていく。
その話術は天性のものなのだろう。村人たちはその話に引き込まれていく。
「ねぇねぇ、剣とか見せて」
「またか? 好きだなぁお前も」
話も終わり、人々がまた生活に戻っていった後。酒を飲もうとしていた男の腕を、少年が軽く引っ張っていた。
何時もこの調子で、言われるままに見せてやるのも何時ものこと。
少年は武器の整備や扱い方に興味があるようで、事あるごとにそのことを聞いてきていた。
「全く母親に似てねぇなぁお前は」
だがしかし、そんな少年の仕草は何時か見たことがあるような気もして。男はただ笑う。
そして、また自分が彼女に怒られるだろうというところに行き着いて、軽く顔を青ざめさせた。
男もそうだった。少年と同じだった。
小さな頃憧れたもの。小さな頃欲したもの。
ただただ、純粋な強さというものに憧れたあの日。
きっとこの少年もそうなのだろう。それが何故かは分からないが。
「…男に生まれたからにゃあそういうものなのかもしれねぇな」
そう一人納得して、差し入れにもらった牛肉のエール煮込みに口をつける。
そういえば、と。男は言葉を口に出してから思い出したようにまた口を開く。
「坊主、リリア…お前の母さんは元気か?」
「母さん? 勿論元気だよ」
誇張でもなく嘘でもなく、本当にそうだからこそ出る素直な言葉。
それに満足して、男はまた牛肉を口に入れる。
「レグナって、よく母さんの心配してるよね」
「…まっ、色々あんだよ」
少年の当然の疑問に、男は誤魔化すように食べる速度を速めていく。
恥ずかしくて言える筈がなかった。その母親に昔本気で惚れていたなどとは。
(惚れたもんの弱みだよなぁ…たまんねぇや)
未練たらしいと思いつつも、そうしてしまうのだからしょうがない。
「マティナ、またレグナに会っていたの?」
「うん、面白いから」
「…まぁそれはいいんだけど」
そんなことを言いながら、母親は鍋を回しながら軽く溜息をつく。
別に男と息子が会うことを止めているわけではない。しかし、息子が何に興味を持っているかを知っているから複雑になる。
彼女としては、息子がそういうものに興味を持つことをあまり好ましく思っていないのだ。
それはきっと、彼女自身の過去のこともあって。
「あまり彼を困らせちゃ駄目よ?」
「うん、分かってる」
しかし、それくらいしか言えないのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
レグナが何時ものように村を発ち、そして数週間。
また何時ものように彼がやってきた。
ただし、今日は何時もと様子が違っていたが。
「村長、皆集めてくれ!!」
村に足を踏み入れるが早いか、彼は声を張り上げた。何時もとは違う真剣な剣幕に、村人たちは一体何事かとすぐに集まってきた。
勿論その中にはリリアの姿もあった。
「…どうしたのかな?」
「分からないわ…けど」
その先は言葉にならなかった。彼のあんな表情は、昔から付き合いのあるリリア自身そうそう見たことのあるものでもない。
だから何か嫌な予感がしたのだ。ただ、それを言葉にしてはいけない。そうも感じていた。
「一体どうしたんじゃ騒々しい」
「村長、詳しい事情は後だ、今すぐ全員を家の中に!」
「…どういうことじゃ?」
何時もの余裕は一切ない。豊かな顎鬚を一度触り、エルフの村長がゆっくりと問いただす。
「この辺りに今まで見たこともねぇ魔物が出やがった!
それも恐らくはデビルの類だ、マジでやべぇんだよ! だからすぐに!!」
冗談など言っている様子はない。その様子に、何時もは陽気な村人たちにも不安の色が広がっていく。
不安は伝播しすぐに混乱を呼ぼうとするが、
「皆落ち着いて」
それをリリアが制していた。
「それは確かなのね?」
「あぁ、俺がこんな顔してるときに嘘はつかねぇだろ?」
「…分かったわ。皆すぐに家の中に。中から必ず閉め切るのよ、いいわね。
…これでいい?」
ほんの一瞬、逡巡の後は早かった。リリアの言葉に村人たちがすぐさま行動を開始する。
「あぁ、それでこそ…だ。ありがとよ」
一瞬何かを言いかけて、レグナは走り始めた。
その様子を、村長がただじっと見詰めながら見送っていた。
「…村長?」
「いや、なんでもない…わしらもいこう」
何かを振り払うように頭を振って、村長も家の中へと歩みだした。
「…マティナ?」
そういえば、と。リリアは思い出す。傍に居るはずの息子がそこにいなかったから。
そして思い出す、あの子は友達と一緒に森に行くと言っていなかったかと。
森の中は不気味なほどに静まり返っている。
何時もなら、姿が見えなくてもそこに暮らすものたちの息遣いが聞こえてくるはずなのだ。それが今日は全くない。
それはつまり、
「…動物たちも隠れた、か」
何かが彼らのテリトリーを犯した証拠とも言えるだろう。
愛用の短槍を構え、油断なくレグナは森の中を進む。
こうまで静まり返っていると、逆に気配が浮き出てくるだろう。存在の感知は恐らく簡単だとも言えた。
「…ん?」
そんな中、何かを発見する。
「こいつぁ…」
大樹の下、不気味に蠢く『何か』。肉の下から腐った肉が盛り上がり、何か別の形を成していく。
この世のものとは思えぬほど醜悪な動きを繰り返し、自らの骨を絶ち、自らの肉を食らいながらそれは蠢く。
小さな角が見えた。恐らく、この森に住んでいる鹿か何かだったのだろう。
「……」
レグナはその中心に躊躇なく槍を突き立てた。もはや救えぬものと知って、ならば一息に命を絶ってやったほうが苦しまずに逝けるだろうからと。
動きは急速に収まり、そしてそれはすぐに土へと帰っていく。
「悪ぃな。後で弔って――!!」
静まり返っていたはずの森が急に色めき立つ。
響いたのは確かに聞いたことがある子どもの声だった――。
○Little Ahead
その日に限って、何故森にいたのだろうか。
親しい友人が朝やってきたかと思うと、森の中の動物を見に行こうと言い出した。
とても朝早くの出来事で、まだ寝ぼけ眼のマティナはただ小さく頷いて、そして出かけていった。
朝特有の静謐とした空気。しかしそれは、あまりにもおかしなものだった。
「…動物たちがいない?」
幾ら野生のものとはいっても、その気配は節々に感じられるはずなのだ。しかしそれが、今日に限って全く感じられない。
それは明らかに異常であって、マティナと友人にもそれは伝わっていた。
「…ねぇ、帰ったほうがよくないかな?」
至極当然の意見だった。動物たちを見ようにも出てこないし、何よりも…この空気はあまりにも冷たすぎた。
だから二人はすぐさま踵を返し――歩き出すことが出来なかったのだ。
「ぁ…」
小さな声が漏れた。
何時の間にそこにいたのだろうか。一匹の巨大な熊が立っていた。
いや、熊というのはおかしいか。その姿は皮膚の下で絶えず形を換え、異様な臭気と殺気だけを振りまいていた。
駄目だ。殺される。あれは見ちゃいけないものだ。
直感がそう告げた。そしてそう認識した瞬間、その足が動かなくなる。
蛇に睨まれた蛙とでも言うべきか。少年たちはまさにその状態だった。
濁った瞳が崩れ落ち、それでも少年たちを見据えている。
「…………ッ!!」
一瞬息を呑んだ後、マティナは自分がどんな叫び声をあげたかすら理解できなかった。
振り上げられた腕。その先には朝日を浴びて爪が鈍い光を湛えている。
それが確かにマティナたちに向かって振り下ろされ、
「大丈夫か坊主」
終ぞ届くことはなかった。
顔を上げれば、そこには何時も傍で見ていた強面。それが笑えば、不思議な愛嬌となって回りに笑みを振りまくのだ。
「レグナ!」
「応よ!」
答えるように、彼の蹴りが熊を弾き飛ばす。
「悪ぃな、遅くなった。詳しい事情は後で話す…とりあえずはこいつだ」
ぼこぼこと、生理的に受け付けない音は鳴り止まない。蹴り飛ばされた熊であったものは、またゆっくりとその身体を持ち上げようとしていた。
しばし、不気味な静穏。その一瞬の後、それまでからは考えられない動きでそれが動き始める――!
「ちっ」
まずは、爪。異様なほどに一本だけが伸びたそれが、短槍に阻まれて火花を散らす。二合、三合と打ち合っては巧みに軌道をそらす。
続けて牙。噛み付くなどということはなく、まるで弓のように弾かれたそれはレグナの顔を目指す。
レグナは笑っていた。それは後ろにいる子どもたちの負担にさせないための配慮。
そう、彼は守りながら戦わなければいけなかった。それはつまり、大きな隙とも成り得る。
彼らは未だに動けずにいた。恐怖に縛られた足が中々言うことをきいてくれないのだろう。
その一撃は、彼ならば軽々と避けることも出来る。しかし、それはそれが後ろの存在へと届くことも意味する。
ならばどうする、どうすればいい?
「決まってんじゃねぇか」
また笑い。彼は躊躇うことなく左腕を差し出した。
全てを穿とうとした死の棘は、彼の左腕を持って軌道を逸らし、はるか後方の大樹へとそれを縫い付けていた。
「レグナ!」
「騒ぐんじゃねぇよ」
その声に、しかし笑みは変わらない。
「忘れたかよ、俺はスペシャリストだ。
これしきの痛み…なんともねぇよ」
そう言って一際大きな笑みを浮かべる。
痛くないなどと、ありえるはずがない。
確かに過去四肢の一部をなくした、などということはあったかもしれない。それでも痛みはそうそう慣れるものでもない。
全ては後ろのマティナたちのためなのだ。
「さぁて」
残るは右腕と、そこに握られた短槍のみ。
「決着つけようぜ糞野郎。そろそろ腐る一歩手前だろ?
お互いに時間はねぇよなぁ」
それが合図となって、再び死の輪舞が始まった。
余裕などあるはずがない。それでもなお、彼は笑う。
それこそが自らの矜持であるように。ただただずっと。
血を流すということはそれ相応の結果をもたらす。
流れすぎた血が体力を奪い、鈍った体がさらに一撃を食らって傷ついていく。
傷ついた体は更なる血を持って赤く染まり、赤はさらに体を鈍くする。
そんな負の連鎖はついに残る右腕をも切り裂き、そして吹き飛ばしていた。
(流石に、やべぇか…)
流れる血は止まらない。
そして目の前のものを止めるべき腕がもうない。
ともすれば一瞬でブラックアウトしそうな瞳を瞬かせ、それでも彼は立っていた。
全ては自分の後ろにあるもののため。昔誰よりも愛したもののため。
「はっ、問題ねぇ」
鼓舞するように、
「俺はスペシャリストだ。両腕がなかろうが関係ねぇ…!」
そして言い聞かせるように。
ゆっくりと腕が上がる。尚も変異を続けながらそれはゆっくりと天を指して、
「ひっ」
それは誰の悲鳴だったのか。振り上げられたはずの腕がその指先から崩れ落ちていく。
湿った音を立てながら肉が削げ落ち、骨も一緒に溶けるように崩れていく。
先ほど彼が言った言葉。腐り落ちるという言葉の意味。それはこれを指していたのではないか。
かろうじて熊の形を保っていたそれは、すぐにその形をなくし、黒い肉塊へと姿を変えた。
それはつまり、耐えていた彼の勝利を意味する。
「ったく、焦らせやがって…」
だが、まだ終わってはいなかった。
不意に肉塊の中から何かが飛び出す。不器用な球形でありながら、その身を肉の棘のようなもので覆われた何か。
その中に見える無数の瞳。それが確かにレグナを見据えていた。
それこそがレグナの言っていたものの正体であり、それが他でもないレグナへと飛び掛かる。
「なっ…!?」
流石のこれには面を食らったのか、レグナは動くことすら出来なかった。
『目』は胸元を抉った傷から軽々と入り込み、そしてすぐさまある部分へと到達する。
即ち、生物の中心。心臓。
『目』はそこに取り憑き、そして侵食するのだ。それこそが『目』の能力。
普通の生物とは違う、デビルなどと呼ばれる存在であるからこそ出来る芸当なのだろう。
「かはっ…ぁ…!!」
内部から何かが侵食していく感触。それは今までに味わったどんな激痛よりも不快で、そして抗えないものだった。
彼は理解する。このままでは自分も先ほどの熊と同じ運命だと。
だがそれは、彼には我慢ならない。彼の中にあるプライドがそれを許さないのだ。
思考など一瞬だった。選ぶ道など一つのみ。
だから。
「坊主。ちと頼まれてくれるか?」
マティナが顔を上げると、そこには大好きなその笑顔がある。もっとも、今そこから下は既に別物へと変わろうとしていたが。
何かの脈動にも、レグナが表情を変えることはなかった。
苦しいだろうということはすぐに理解できた。当然だ、あんな状態で平然と出来ているほうがおかしいのだから。
しかしレグナは笑っている。そして、
「そこに槍があるだろう。そいつを俺に使え」
残酷な言葉を口にした。
彼との付き合いはそれなりに長い。ならその言葉の意味は子どもであるマティナであってもすぐに理解できた。
「坊主」
手が動かなかった。
「マティナ!」
迷いを、レグナの言葉が吹き飛ばす。
「男だろ。決めなきゃいけねぇところってもんがあるんだ。
俺も男なんだ。分かるな?」
短い言葉の中に、どれほどの、どれだけの意味が込められていたのか。
マティナは小さく頷いて、彼の腰元に結ばれていた酒瓶を手にとって、それを彼の口へとつけた。
アルコールがその喉を潤す。
何時の間にか呑む様になっていたそれが、最期までお似合いだなと小さく笑う。
(あぁ。最期にうまいもんが呑めた。こいつもデカくなった。心残りは…あるけどそれはしょうがねぇな)
心の中の呟きが引き金となった。
なくしたはずの両腕が、切断面から不気味に伸びていく。
骨などはなく、ただ肉だけが重なり合った無様なもの。
同様に全身が、そして張り付いた笑みがまた違う何かへと変わっていく。
それはまさに変異という言葉がふさわしい。
「レグナ」
もう彼であった名残も少ない。だから、
「貴方が貴方でなくなる前に…僕が」
血に塗れた短槍を手に取る。しっくりと手に馴染むその穂先は、ただその中心点を目指していた。
「貴方を、殺そう」
まるで尊い誓いのように口にして。槍が貫いた――。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
赤々と炎が燃える。まるでその中心にいる人物の、生来の明るさを表しているかの如く。
何時の間にか降り始めた雨にも、その勢いを弱めることも知らず。ただ赤々と。
村人たちがその炎を囲んでいた。そしてその誰もが涙を流し、嗚咽を漏らす。
たった一人の人物の死が、それほどまでその村には大事だったのだろうか。
真実そうだったのであろう。生来の彼は村の誰であろうと分け隔てなく接し、笑い、泣き。
それは正に村人全員の友人であり家族とも言えた。
そんな人物を亡くしたのだ。誰もが悲しむのは当然であろう。
本来であれば、彼を土に還すのがもっとも手厚い葬儀のはずである。火葬はイギリスなどに置いて寧ろ好まれる葬儀ではない。
それでもそうなったのは、彼に取り憑いていたものが人ならざるものであったため。仮に復活するようなことがないようにと苦渋の決断であった。
だが、それも似合っているのではないかとマティナは思っていた。
奔放で、豪放で。そんな彼が、土の中にじっとしているとは考えにくい。灰となって天高く自由に飛んでいくほうが彼らしいと思えたから。
炎と灰が舞い上がる。まるで舞うように。ゆらゆらとふらふらと。
それを見つめながらマティナはずっと考えていた。
仮に、などという言葉にもはや意味はないけれど。
けれど、もし仮にあの時自分に力があったのなら、どうなっていただろうか。
戦う術を知り、武器を持ち、彼と肩を並べられていたなら。
そうであれば、彼はもしかして助かったのではないか。
その仮定がなかったとしても、あの時自分が動けていれば?
あの時すぐに動いて、彼の邪魔にならないところに逃げられればどうか?
意味はない。そう、意味はないのだ。
それでも考える。マティナ・シャルトという一人の男は考える。
あの誓い。その意味を。
彼に憧れたその想いを。
炎は何も答えてはくれない。いや、多分彼であっても。
ただこう言うのではないだろうか。何時かそう言った様に。
――マティナ。自分で考えるってことは大切だ。
よく覚えとけ。手前の道は手前でしか生み出せない――
「母さん」
「……?」
彼女は一人、ただ呆っと空を見上げていた。
声のするほうを見れば、一瞬眩暈を覚えてしまった。
何故ならそれは、
「僕に、戦い方を教えてくれないかな」
何処かで見た、よく笑う男に似た顔だったから。
顔の造りなどというものではない。ただ、その根底に流れているものがそっくりなのだ。
あぁ。
一人溜息をついて彼女は向き合った。
「…きついわよ?」
その後に続く言葉など分かりきっているのに、あえて聞く。
「分かってる。それでも…あの人のようになりたい」
軽く肩を竦め、彼女は家の中に入り、そしてまた出てきた。
その手には随分と美しい装飾が施された剣があった。
それを振るえば、かつて極めた騎士としての栄光が彼女を包み込むようにも思える。
「いいわ。教えてあげる」
それが、少年の日々への決別だった。
憧れただけの日々は遠く過ぎ。
そして今は、憧れをその手にするために。
それが正しいかどうかなど分かりはしなかった。ただ、遮二無二手を振るうだけ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「マナウス、マナウス・ドラッケン」
ギルド員が名前を呼び上げる。そうすれば、自然と彼へ視線が降り注ぐ。
もはやイギリスに知らぬものはいないだろう。得意分野はなく、苦手分野もない。いわば究極のオールラウンドプレイヤーとも言えるその戦い方。
それは高い次元で磨き上げられている。だからこそ彼の受ける仕事は増えるし、舞い込む仕事も増えていく。
かつて憧れた者と並ぶか、それ以上か。まぁそこにはあまり意味がないのだろう。
何時か夢を見ていた少年がいた。
時が過ぎて、名前を変えて。しかしそれでも、彼の中にはまだあの想いがしっかりと残っている。
あの誓い。あの想い。
あの日に見た炎は、まだその心に燃え続けていた。
<END>
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この小説は株式会社テラネッツが運営するオーダーメイドCOMで作成されたものです。
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