●起こりは日常の延長線
…ザッ…ザザ…ッ…ザンッ…
どこまで行っても、森、木、草、蔦、森森草蔦木蔦草木森草…
「…見失ったか」
眼前の枝を切り払う手を止め、呼吸を整え呟くのは、一人のエルフ。結わずに垂らしたままの銀の髪が目を引くが、その胸元を見るに、男性だ。
「確かに、こっちに逃げたと思ったんだがなあ…」
言いながら前方に意識を向ける彼の名はマナウス・ドラッケンという。剣を使うところを見ると戦士であろう。ついでに言えば冒険者、なぜならテントのようなものが彼の背の荷物から覗いているからだ。ここいらの地理に不慣れであるという証でもある。
「なあ、一度休憩にしない…か…あれ?」
振り返り尋ねるが、つい先刻まで道を共にしていたはずの仲間がいない。どれほど目や耳を凝らしてみようと、察知できるのは小動物が今を生きるかすかな気配ばかり。
「えーと…そうだ、道」
今しがた歩んできたはずの、自分の後方に当たる方角へ改めて目を凝らしてみる。
所々枝が折れたり、草が踏み倒されたりしてはいるが…それだけだ。とにかく見通しが利かない。マナウスもエルフの例に漏れず、目は悪い方ではないが、それでも見えない。
道なき道を蛇行し、他でもないマナウス本人が歩を進めてきたせいだ。いつもどおり、自分の感覚だけを頼りにして。
「えーと」
もう一度言った。
「どこだ、ここ?」
迷子常習者マナウス、依頼で仲間とはぐれる回数記録を、本日も更新中。
パシャン…
軽く匂いをかぐだけの確認のみで、両手になみなみと掬い上げた水を、乾いた喉へと流し込む。
「っは、生き返る…」
仲間とはぐれたと気づいてから更に数刻。森からの脱出を試みたものの更に奥深くまで迷い込んだマナウスは、幸運にも水場にありついていた。すでに日も傾ききっており、野宿しか選択肢も残っていない。この場で夜を明かすしかないだろう。
また、ひとりだ。だが慣れてもいる。いつもの落ち着きを確実にするためにもと、目を閉じ深く息を吸おうと口を開いたところで…それは来た。
ザッ
今いたその場から飛び去り、身につけていた剣の柄に手をやる様は流石といえる。そのまま周囲を警戒し目を凝らす。確かに今、物音がした!
「…!」
見つけた。
湖からこちらの様子を窺っているらしく、一部を水面に出して動かないで居る。体にまとわりついているような長いものは、水草か何かだろうか。さほど大きいわけでもないようだから、湖に引き込まれなければ、自分ひとりでもやりあえるだろう。向こうにその気がないなら、この場を切り抜けるだけでも構わない。
徐々に目が状況に慣れてくるが、灯りもついていないために、瞬時に細部まで把握するのは難しい。気は抜けない。
…パシャ…ッ…ザバ〜
前触れも何もなく、対峙した何かがそのままこちらに近寄ってくる。剣を抜きかけたマナウスだが、その姿が一定のところまで近づいてきたところで、それまで凝視していた視線を…そらした。
どうりで殺気も何もなかったはずだ。湖から上がり目の前に現れたそれは、着る物も何もまとわずに水浴びをしていた、エルフの少女だったのだから。
●承けるは災難の嵐
「あら〜、旅の方ですか〜?」
緊張感も何もないのんびりとした口調で、暢気に歓迎の言葉など言ってくる少女。
どうでもいいから、早く服を着てくれ。叫ばれなかったのは良いが、流石に直視できない。
「旅人というより………その、服は?」
「わかりやすいよう、すぐそこの樹にかけて置いてあります〜」
自己紹介よりも、現状の改善…つまり少女がまだ裸であるということだが…を優先したマナウスに、誇らしげに胸まで張った様子で答える少女。 …どうやら、遠まわしでは通じないらしい。これでは叫ばなかったのも頷ける。
いまだ顔を横に背けたまま、片手を自分の額に当てため息一つ。埒が明かないならば率直に。
「そうじゃなくて、早く服を着てくれないか。目の…いや、日も暮れた、そのままでは風邪を引いてしまうだろ」
少女はシェリル・シンクレアと名乗った。この湖の近くにあるエルフの集落で暮らしているとのこと。
「うちの村にいらっしゃいませんか〜?」
客人なんて久しぶりです〜♪ と嬉しそうに誘われれば、拒む理由もない。屋根のある寝床にありつけることもあるが、何より森から脱出できる。
この少女のような気楽な…いや、のんびりとした気質の者が育つ村なら、ひと時とはいえよい休暇になるに違いないな、等と思う。仲間とはぐれた以上、仕事放棄も同然ではあった。さらには、この少女を無事に送り届けなくてはいけないと考えたこともある。
「それじゃ、よろしく頼もうかな…って、ちょっと、この体勢は無理が…って、あー!?」
よろしく、と聞いた直後にマナウスの腕にぎゅうと抱きつき、そのまま引きずるようにシェリルは歩み始めた。身長差もあるせいで、マナウスとしては非常に歩きにくい。
だがその…なんだ。服越しとはいえ、育ち盛りの少女というものの柔らかさがどうにも…
「お前のような馬の骨にはやら〜んっ!!!」
シェリルに促されるまま体勢もそのまま。村に付いた途端にマナウスを迎えた歓迎は、野太く悲痛な叫び声と、飛んでくるナイフの嵐。
咄嗟の判断でシェリルを横抱きにし回避するが、それでも攻撃はやまない。ナイフが尽きたのだろうか、なんともありえないことに、相手の男は背負っていた矢筒から取り出した矢を、なんと素手で投げてきている!
「お父様〜♪」
マナウスに抱えられたまま、暢気に男に手を振るシェリル。今の攻撃に怯えた様子もない。
「親父さんかよ!」
剣の柄にやった手を戻し、攻撃の回避に専念する。改めて男に目をやれば、なにやら顔が赤く…血涙を流し怒り狂っている。
向こうに投げるものがなくなるまで耐え切れれば話し合いもできるか?
シェリルを抱えたまま長期戦を覚悟したマナウスは、回避を繰り返しながら後退し、物陰に隠れてやり過ごす作戦に出た。
「出てこんか卑怯者! わしの可愛い娘を抱、抱きおってからに〜!」
「まあ、お父様ったら〜♪」
ポッ と染まった頬に両手を当てて、いやいやと首を振るシェリルを見る。あの親にしてこの子あり…か。
ドグワシャァァァ!!! ゲシッ
「!」
いきなりの轟音。…後に何か別の音も聞こえたような気がしたが。
しばらくはそのまま様子を窺うが、男の攻撃音が止んでいる。
「終わった…のか?」
恐る恐る男の居た方を見てみれば、首がありえない方向に曲がっているように見える、気絶している様子の男。…と、それを運ぼうとしている男達。更に彼らの足元には、なにかがめり込んだような穴。
そしてそれらの後始末を指示しているらしい、年配の女性が居た。少しは慣れて居るこの場所からだと断言は難しいが、隣の少女と似た面影を持っているようだった。
●転がり始める運命
女性はやはりシェリルの母で、彼ら夫婦はこの村の村長と族長の役を担っているのだそうだ。名はクロスにラティア。
先ほどの怪我はもう治ったのだろうか、自然に族長の横に居る親父さんがマナウスを見る視線は、まだぎすぎすとしている。族長は族長で、さきほどから常に笑顔が耐えない。
「俺はマナウス…マティナ・ヴァディス・シャルト・クム・ドラッケンです」
礼を重んじ、略式ではなく正式な名前を名乗り、ここにたどり着いた経緯を二人に話していくマナウス。
山賊が出ると聞いて、依頼を受けてこの森に入ったこと。山賊を追っているうちに仲間とはぐれてしまったこと。なんとか水場にたどり着いた際にシェリルと遭遇し、そのままここに連れられてきたこと。あとは先ほどのとおり、刃の洗礼にあったことまで。
「おぬし、いい年して迷子か!」
仲間とはぐれた、あたりで村長が腹を抱えて大爆笑し、首の痛みが再来して…やはり完全に治ったわけではなかった様だ…再び村の男達の手により退出するという一幕はあったものの、話は穏やかに進んだ。
「山賊がこの村の存在を把握しているかまではわかりませんが、気をつけておくに越した事はないと思います。一夜の宿を借りる恩返しというほどのことでもないですが、進言として受け取ってください」
「ああ…そうさね、気をつけるよう男達にも言っておくよ。本当はうちの人の仕事だけど、今はあんなだからねえ。 …ところで貴方、このままうちの村にいないかい?」
仕方ない人だよねぇ、と柔らかく笑う様からは優しいものしか伝わらず。その微笑にわずかばかり気をとられたか、マナウスの反応が遅れた。今まであまりに穏やかに時間が流れていたからこそ、感覚が鈍っていたのかもしれない。
今なんと言ったのか…初対面の相手を村に受け入れる、と?
ぽかんと呆けていたのがわかったのだろう、族長は更に笑みを深く、意味ありげにして続ける。
「シェリルも貴方を気に入っているみたいだからね。そうだ、何なら娘もあげるよ?」
髪も瞳も揃いで、綺麗な対になるだろうね…と彼女が言い終わるのが先だったか、マナウスが動くのが先だったのか。
「…なんの真似だい?」
声の調子を落として訊ねる先のマナウスは、じっとうつむき表情を隠し、それでも彼にできうる最大限の殺気を開放した状態で…懐にしまいこんでいたダガーを、族長に突きつけていた。
数瞬の沈黙。
次に声を発したのはマナウスだった。それ以上前に進みもせず。
「人を…物みたいに扱わないでください」
絞り出すような声で一言告げると、緩慢とした動きでダガーをしまった。
「大変失礼しました。今日はもう休ませていただきます。 …おやすみなさい」
小さく会釈を返し、退出するマナウス。
始終一度も笑みを崩さなかった族長は、より楽しそうに、青年の背中を見送るのだった。
「はいよ、おやすみ」
●結ぶは人の縁
休暇と思い過ごす筈の夜は、大変忙しいものだった。
部屋に入ると、夜着を着て大きな枕を抱えたシェリルが寝床の上で待っていたり。
何とか説得して自室に送り返せば、屋敷の中で迷子になり。
運よくめぐり合えた屋敷に仕える村人に部屋の位置を教えてもらい戻ってみれば、天井から村長が武器を構えて降って来る始末。
首の怪我を意識したせいで応戦するにも手が出せず、再び族長が彼を回収しにやってきて、全ての事件は終わりを迎えた。
それでもなんとか眠る時間を確保し、マナウスは久方ぶりとばかりの、暖かな寝床を満喫したのだった。
翌朝。
ドグワシャァァァ!!! ゲシゲシゲシッ
宿の礼を伝えに、そして別れの挨拶をしようと族長宅へと向かう道すがら。聞き覚えのある音がした。
ヒュゥ〜…
前回と違うのは、轟音の直後の音の数。そして、間があいた後の、何かが飛来する…飛来!?
慌ててその場を飛びすされば、それは地面に勢いよくめり込む、しっかりと頭から。首から下を見るにこれは村長だ、地面に赤い染みまで広がり始めている。
「…いいか、助けてもうるさいだけだ」
そのまま見捨て、気を取り直したマナウスは族長宅に向かうのだった。
「おはようございます〜♪ 昨日はよく眠れました? 私は緊張して緊張して、ぐっすり眠れました〜」
満面の笑みで迎えたのはシェリル。手には自分の持つものと似た、だが彼女には大きめの、丈夫そうな皮袋。
「その袋は?」
訊ねながら気づいてしまった、シェリルの服が、昨日とは違い、大分機能的なつくりのものだということに。ご丁寧に髪まで結っている。
「もちろん、旅支度です〜♪」
マナウスさんに着いていくのです〜、というシェリルの言葉を聞き終える前に、マナウスは奥に居た族長に詰め寄る。ダガーは構えていないが、勢いだけなら昨夜とそう違わないだろう。
彼が断固拒否の言葉を紡ぐ前に、人生の経験者は先手を打った。
「まさか、人を物みたいに扱うことを嫌う貴方が、こんな子をいきなり世間の荒波に流すわけは無いわよね? 最近物騒だから、もしかしたら凄いことになるかもしれないわよねー」
山賊も出るって言うし。とにこやかに、そうあくまでもにこやかな調子で続ける。
「貴方に預けるから、立派に育ててね?」
目の前は族長の、含みのありすぎる笑顔。振り返らなくても分かるが、後ろにはシェリルの純粋な、期待のこもった笑顔。
「…嵌められた」
昨日の自分の台詞が、こんな形で布石になるなんて。だが、気づいてももう遅いのだ。
心の中で、ため息一つ。
「じゃあ、行くか?」
「はい、義父様♪」
二人の子供を見送る彼女の顔には、達成感を意味する笑顔が浮かぶのであった。
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