●控え室で一思案
化粧箱には大きな鏡があり、つい先ほどまで使っていた化粧道具はあたりに散らばったまま。
その鏡に映るは、不安と期待が入り混じったかのような、それでいて物憂げな…しかし喜びを主に浮かべた表情の女性。純白のドレスを身に纏ったルエラ・ファールバルトは、今日の主役のひとりである花嫁なのだった。
「私が、結婚…」
改めて、彼女は鏡に映る己の姿を見つめる。
基本のワンピースが足元まで全身を覆い、かろうじて肌色の見える首周りや手元にも白のレースが用いられ、彼女を何かから隠すかのようだ。しかしコサージュなどの飾りは控えめのおとなしいデザインで、ドレスの裾にばかり偏っていた。かえってルエラの肢体をそのまま浮き彫りにし、演出している。
普段の彼女とは違う雰囲気のドレスではあるが、これから新しい生活を始める花嫁として送り出す、今日この日にふさわしい装いに思えた。
あとはドレスと揃いのヴェールを被り、淡いピンクの花を主にして作られたブーケを持てば準備も終わる。係の者に呼ばれるのを待てばいい。
予定の時間まで、まだ少しあった。一度はヴェールを被ろうと手に取ったものの、まだ早いと思い直す。
自然と、結婚に至るまでにあった出来事が思い返された。
仕草が微笑ましいと言われた事。
そのままの可愛い君のままでいて欲しいと言ってくれた事。
怪我を負って戻った時に、頭を撫でて貰った事。
たくさんの大事なものを貰った。これからは今までの分もあわせて、私からも気持ちを返して…お互いに想い合える夫婦になろう。想うばかりだった日々は、昨日までで終わりなのだから。
「そうだ…いつまでもさん付けで呼ぶのでは、格好がつかないですね。『あなた』…それとも、名前で呼び捨てるとか?」
恥ずかしい、でも嬉しい。
これからの新婚生活にまで思いを馳せ、またこれからの関係と共に変わるべき事も思い連ねていく。
しかし、何か物足りない気がする。喉から出る手前で言い出せない言葉のような、何かひっかかっているような感覚。
自分らしくないドレス、はっきりしない恋人の顔…そういえば名前も思い出せない。今思えば、これまでにも違和感はあったような気がする。だがそれはまだ納得できる範囲だと思っていた。だがここに来て…どうしてだろう、頭が痛い。
何かが違う、と頭の中で警鐘が鳴った。
「いや…これは、マリッジブルーであって、気にするほどじゃないはず…」
時間が解決してくれるはずと、その場は納得することにした。
式はもうすぐで始まると連絡に来たのであろう、誰かがドアをノックする音が、ルエラの思考を邪魔したからだ。
そうだ、ここまできて自分の不調を理由に取りやめるわけには行かないのだ。
幸せな門出のはずなのに、私は何を不安に思っているのだろう? ルエラは意識を振り捨てるかのように首を振った。
●赤い道で偏頭痛
付添人の腕を取り、ヴァージン・ロードを静かに進む花嫁。うつむきがちのためか、壇上からはヴェールの下の表情を読み取ることができない。
緋色の道、白のドレス、その上に広がる彼女の髪、更に重なるヴェール。白と赤の二色が折り重なり、その二色だけで形作られたかのように美しい花嫁が、もうすぐ傍にやってくる。これからを共に歩む伴侶として。
大声で喜びを表現したくもあったが、神聖なる式典の場がその欲求を抑えてくれた。代わりに微笑みを伴って、愛しい彼女に腕を差し出す。ここから先、神父の下へ二人で進み、これからを誓うために。
緊張しているのか、妻となる彼女は自分を見ずうつむいたまま、慎ましいままに隣に並んだ。きっと彼女も自分と同じように、この式典という空気に圧倒されているのだろう、それは幸せを感じることのできる一つの形。
神父の口上が厳かに、静かな教会に響き渡る。その間、幾度か彼女が震えたような様子を示した。その度に大丈夫だから、安心して、そう気持ちを込めて、握る手に力を込めると、彼女も返してくれていたのだが…何故だろうか、だんだんと震えが大きくなっているような。むしろ握り返す手の力が、徐々に強くなっているような。
正直に言おう、痛い。
いや、痛みを通り越して感覚がないような?
彼女がつかまっている筈のその感触が、柔らかいはずの感触が感じられ…ないような…?
内心首をかしげ、実際に体の軸も傾ぎはじめたところで、誓いの時を迎えた。
「大丈夫だよ、ルエラ。 …幸せになろうね」
ふらつく彼女を手伝うはずが、自分こそがふらつく様子。つかまる彼女が離れる様子もないためあいた方の手で彼女の顔を覆うヴェールをあげれば、彼女の顔が青かった。ああ、多分俺の今の腕もこんな色なのだろうな、などと的外れなことを考えてしまう。
大丈夫だよ、もう少しだけだから、と擦れる声で囁きかける。
なぜかルエラは必死の形相で、勢いよく首を横に振っていた。彼女の体調が悪いわけではないと安心するのが彼らしい。
「どうしたんだい? そうか、照れているんだね。確かに恥ずかしくはあるけど、皆祝福してくれているんだし…ね?」
そう告げると、彼女の動きが止まった。やっと落ち着いてくれたのだろうと安心の意味がこもり、小さく息をはいた。
そしてあいた片手を彼女の顎に添え、今日の主役の片割れである花婿、アシュレー・ウォルサムは渾身の一撃…つまり、決め台詞を続けた。
「幸せにするよ」
己の目を閉じて、アシュレーはルエラに顔を近づけていく…
●最終局面霧払い
少しだけ、時を遡る。
頭痛は治まる様子を見せず、ルエラはそのまま式へと臨むことになった。頭の中が実は空洞で、何かばちの様な物が中で暴れて居るからだと言われれば、今なら信じてしまえそうなくらいに。
歩いて、少し話すだけ。始終誰かが隣に居るのだから、支えには困らない。だから大丈夫。
そうして自分に言い聞かせることで、なんとかこなせている。戦闘直前の戦士の気分。本来自分は騎士でもあるけれども、まさか自分の結婚式で、このような気分になるとは思わなかった。
結局、ヴァージン・ロードを歩く間も、そして愛すべき花婿の隣に寄り添ってからも、痛みは治まらない。緊張のせいと決め付けるには、この頭痛はおかしすぎた。
おかしいといえば…そうだ、相手は誰なのだろう。私の愛する人はどのような顔で、どのような肌で、髪で…考え始めると、神父の口上も耳に入らず、そればかりが気になる。
隣に居る、知っているはずの存在がぼやけているという事実。頼るべき伴侶となる相手に、心から寄り添えない緊張感。
緊張を察したのか、花婿は自分の手を優しく握ってくれる、何度でも。この温もりは確かに愛しいはずなのに、拭いきれない、言いようのない、不安。
意を決したルエラは、押し寄せる頭痛の波を掻き分けるように、そっと様子を窺った。
彼女との身長差はだいぶあるほうで、そのまま横を見るだけでは顔は見えない。礼服の肩ごろが限度だ。
頭をあげることも億劫だと思っていたが、意外にも頭痛は酷くなっていない。むしろ見上げたことで、霧が晴れるように軽くなる感覚がした。
これなら… だが神聖な空気の都合上、突然大きく動くのは難しい。だからルエラは時間をかけて目線を上に上げていった。少しずつ、少しずつ…
まず見えたのは髪の色、くせのあまりない銀糸が、その背に流れている。結われているらしく、結び紐も見えた。
耳は丸いようだから、間違いなく人間だろう。肌の色も自分に近い。
そして瞳…横からだと見えにくくはあるが、きっと優しい夜空のように黒いだろう。
一つ一つの要素が、花婿を構成する欠片が集まっていく。同時に頭痛の波も弱くなっていたが、代わりにルエラを別の感情が支配していく。自然と手には、力がこもっていく。
決定打は彼の声。確かに聞き覚えのある声…でも、どうして? 私の結婚相手がアシュレーさん!?
横顔を凝視し、驚きに身を固くしているうちに、式は進んでいた。驚きすぎていたのもあるだろうが、腰が抜けたかのようにそのまま身動きが取れない。
かろうじて動かせる頭を必死に振るも、アシュレーはどうやら結婚に本気の様子だし、式の参列者達を見ても、ほほえましい様に自分を見るだけ。神父にいたっては催促の視線。
「幸せにするよ」
そうして近づいてくるアシュレーの顔。
何事か思いついたルエラは、その口を開いて息を大きく吸い込んだ。
●添い寝の終末音
「わーーーーーっ!!!」
がばっ
叫び声と、勢いよくベッドから起き上がるタイミングが同時。自らの叫び声で起きたのか、それとも今まで見ていた夢が酷かったのか。
そう、夢だ。
見下ろして、着ているのは普段どおりの夜着だと知る。背中のあたりが妙に冷えているのは汗で塗れているからだろう。
とにかく、夢だ。
息が荒いのが、自分でもよくわかる。意識して深呼吸をし、何とか落ち着き始める。
そうだ… 夢なのだ。
何度も言い聞かせ、今が現実であることを確認する。夢でなくてはならない。
いくら夢でも、私があんなふうにアシュレーさんのことを想っていたなんて、夢でなくてはならないのだ。
確かにドレスを着たのは嬉しかったのだけど…いや、だからそういうことではない。呼吸を整えたばかりでもまだ残る夢の影響を振り払おうと首を振る。
「あれは夢、これが現実…」
声にも出して復唱。しかも何度も繰り返している。それほど、夢には現実感がありすぎた。
「うぅん………」
自分以外の、声。それも、つい先ほど聞いたばかりの声と、全く同じような…いや、あれは夢だから聞いたのとは違う、違うはず。
さっきは慌てていたけれど、そういえば首を振った時に何か違和感があったかもしれない…いや、まさか。
落ち着いていたはずの鼓動が早くなる。振り返りたくない、ここは自分のすむ家の、なかでも自分が就寝に使う部屋だし、ベッドだって私のものだし…
ギ、ギギ…ギ…
アイアンゴーレムが体を軋ませるときのような音が似つかわしい様子で、ルエラはゆっくりと振り返った。
それはいた。
…銀の髪、丸い耳、その閉じられた瞼の下にはきっと黒い瞳が…
※この文章をホームページなどに掲載する際は、必ず以下の一文を表示してください。
この小説は株式会社テラネッツが運営するオーダーメイドCOMで作成されたものです。
|