●はじまりはじまり
時は、神聖暦1000年を少しばかり前に数えたばかりの頃。
あらゆる困難…政に関わる事件や戦にはじまる荒くれ事や、街角の猫探しといった比較的小規模な事まで多々あれど…それらを報酬と引き換えに解決に乗り出す、冒険者達がいるこの時代。
程度や詳細に違いはあれど、全国どこにでも、その困難は闊歩していた。
人々はそれとは別に、武力や知力だけで押し切り解決することができない癒しも日々に求めていた…それは、娯楽。
ここに伝えるは、その娯楽の提供に奔走する、一人の男の話である。
その名は、上杉藤政。人は彼の体裁きを称えこう呼んだ。
『足軽陰陽師』と。
●みえずののうなし
タンタンッタタ、タンタタッタタッ♪
ところは江戸、繁華街が特ににぎわうその時間。下からか、いや横からか? 首を捻る人々に構わず、軽快な鼓の音は続く。
タン、タン、タン、タタッ、タタッ、タタッ…タンッ♪
近寄ってくるようで、小さくなっているようで。音はすれども根元は見えず。売り買いの声に負けじとばかりに、音の主張は続いている。
タタタンッ♪
寄ってらっしゃい 見てらっしゃい
見えないままでも 寄ってらっしゃい
みえずののうなし もちきらず けんだまり しりきれ
軽業の妙技もち 足軽ふじまさが披露いたそう!
一際大きく響いた音が合図とみたか、厳かにしかし朗々と、青年と思わしき声が響く。これは軽業の前口上らしく、それまでは人の意識を引くためだけに響いていた鼓の音は伴奏となり控えめになっている。しかしまだ音の所在はつかめず、聞こえるのは鼓と声ばかり。
それでも口上に誘われるまま、音を頼りに寄ってみるのが江戸に住む者の性なのだろうか。音に気をとられた人々が、次第に一箇所に集まってゆく。
寄り集まる本人達では分からないが、それを離れた場所から見てみれば、彼らが巧妙に、ある一点を中心にして誘い込まれていることがよくわかっただろう。
そのある一点、口上がはじまったあたりからだろうか、一匹の猫が鎮座していた。白き毛並にくるりと丸い黒の瞳が愛らしい。そこが定位置であるとばかりに、人々がやってくる方角を見つめている。
よく見れば、猫の足元には口の開いた布袋…おひねり用の袋である、と気づかれるのはもう少し後の話。とにかく、九十九と名付けられた猫は招き猫よろしく観客を待ち構えていた。
見えぬが真か 見えるが夢か
闇を用い 陽で包むが 軽業の道
人々が九十九の存在に気づき、その周りを囲みきる前。ひときわ大きな声が響いた。
今度は誰の耳にも明らかに、声の主が猫の傍に居るのがわかる。だが、具体的にどこかといわれると、やはり答えられない。
シャラッ…タン!
焦れたかのように人々が顔を見合わせ始めたそのとき。何かの流れ擦れる音が響いたと思えば、猫の頭上、宙を回転するものの姿が見え、そうかと思えばその者は既に目の前に着地していた。
狩衣姿の小柄な青年…そう、彼が上杉その人だ。
●もちきらず
空中からの登場に観客達は驚き、一斉に手を叩く。瞬間の技を見落とした者も、周りの様子に背を押されてかやはり手を叩く。
九十九はおひねり袋をくわえて観客の内側をぐるりと回っている、早くも成果はあった模様だ。
『みえずののうなし』 陽の光にて 現れし
寄ってらっしゃい 見てらっしゃい
これから演ずは 『もちきらず』
そなたらの荷 このふじまさが 軽くいたそう!
観客は焦らしてもよいが、待たせてはいけない。彼らの気がそれきらぬうちに、上杉は次の演目をはじめる旨を語りだす。
言いながら袂から取り出してくるのは、どこにでもある玩具。先ほどの擦れた音はこれが原因らしく、彼が取り出し振るごとにシャラリと爽やかな音がする。鈴をいくつか仕込んでいるのだろう。
あかぬなら 空ければいい 集りし荷の数々
店通い 増えてゆくにまかす 軽業の道
…ひとつ、ふたつ、みっつ…
袂から取り出したお手玉を、まずは小手調べとばかりに投げ上げていく。
投げ上げ方を変えてみたり、大きく飛ばして足で投げ上げ返してみたり。
この程度なら、軽く芸を齧った子供でもできるところではあるが…勿論、続く。
寄ってらっしゃい 見てらっしゃい
嫁に連れられや お使いに出されや
荷を軽くする妙技 『もちきらず』
このふじまさが 披露いたそう!
彼がそう述べながら観客達の顔と荷に視線をめぐらせれば、意図に気づいた様子を示す者が数名。そのうちの一人に目配せし、協力を請う。
するとその客…先ほど買ったばかりであろう、干し柿を上杉に向けて投げつけた。
…いつつめ、むっつにななつめ、やっつ、ここのつとお…
時折二つ同時などあるが、干し柿やら茄子やらが、上杉のお手玉の列に加えられていく。
まだ持てる まだ詰めると 隙間に詰めるは小物の数々
あれ安い それお得と 付け入るは売り子の商売上手
苦しかろうと 屈せずに 笑顔で受け止めや
受け止めて追加、膝で軽く投げ上げて追加。最後には二個同時の投げ上げや、体全体を回転しながらのお手玉となる。
最後には手を借りた客の持っていた籠に、全て綺麗に受け止めて終りとなった。
●けんだまり
事前に用意しておいた鞠が、このけんだまりの主役となる。普段とは違う、色鮮やかな狩衣と同じ、明るい緑の鞠だ。
寄ってらっしゃい 見てらっしゃい
続く演じは 『けんだまり』
ふじまさ自ら 鞠の剣となりて
どんな泣く子でも あやしてしんぜよう!
一度高く投げ上げた直後、上杉は両腕を左右に水平に広げ、足をぴたりと真っ直ぐにした。勿論、頭は正面を向いている。
はじめに鞠が落ちてきた場所は、右手の上だ。すぐにまた投げ上げて、左に。
右に左にを幾度か繰り返し、観客の目が慣れた頃。それまで手を動かすのみで、位置を変えずにいた上杉が動いた。
鞠を地面に落としたと見せかけ、左手のみで鞠の上に乗る、それだけならただの玉乗りだが、ポーズは演目のはじめと同じ、十字のまま…頭と両足が水平に維持されているのだ。
十を数えた頃合でまた別の体勢に変える。この体勢を帰る瞬間も素早く、体を縮めたり、余所見をしたりなどの様子がほとんど見られない。これはそういった準備動作を、上杉が全て瞬間的に行って居るだけで、観客の目に留まらないだけなのだが。
頭で玉乗りの状態を維持するところで観客の盛り上がりは最高潮となったのは言うまでもないだろう。
●しりきれ
寄ってらっしゃい 見てらっしゃい
退くもまた 『しりきれ』や
見えずにしりぞく 忍びの妙技よ
陰陽師ふじまさ これにて最後といたそう!
演目もこれが最後となった。あまり長く続けても飽きが来るのが人というもので、そこを上手く汲み取った按配だといえよう。
またたきの妙技 見逃すなかれ!
みえずののうなしと同じく、瞬間の技である、そう高らかに宣言した直後に、彼は宙に飛んだ。勿論着地の音は聞こえない。
姿の見えない演者へと口々に称賛を送る観客達。九十九の持つ布袋は、たくさんのおひねりが投げ込まれたのだった。
●さいごにそっと
「九十九、お前も疲れただろう」
観客達が立ち去った後、白猫を優しく抱き上げた青年の姿を見た者が、居るとかいないとか。
瞬きの合間に姿をくらましたそうなので、真偽の程は不明である。
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