1.プロローグ
朝日の中、一両の列車が線路の上を進んでいく。
車体に白やぎがペイントされたその列車は、さまざまな世界の冒険者たちを乗せていた。ひとときの夢を彼らに見せるため、列車はひた走る。
それぞれの窓には、それぞれの想いを胸にした人々の姿が見えた。
――その一つ。
まだ幼い少女と、青年が見える。
陽光に栄える夕緋色の髪を持つ少女と、闇色の髪の青年だ。少女は大きな夕緋色の瞳をくるくるさせながら、車窓に映る景色を見ていた。
「ねぇ、昴お兄ちゃん! 今ね、馬が見えたよ。親子。かわいかったぁ……」
「うん。僕も見えた。これから行くとこって山の中みたいだから、他にもいろんな動物が見られるかもね」
「わぁ。楽しみー。えへへ、誘ってくれてありがとね、お兄ちゃん!」
科白と共に、少女−−北斗七星は、昴の腕に抱きついた。満面の笑み。普段はアイドル活動で忙しい斗七星は、こうして出かけることなどほとんどできなかったのだ。そんな斗七星を、昴は偶然知ることとなったこの遠足に誘い、斗七星は二つ返事で了解したのだった。
昴はそっと、斗七星の頭を撫でてやる。くすぐったそうに肩をすくめる斗七星。誰が見ても仲のよい兄妹、という感じだった。
「ね、お兄ちゃん。斗七星、展望車に行きたいな」
「展望車? そんなのがあるんだ?」
「うん。一番後ろの車両が展望車になってて、おっきなテラスがあるんだって。斗七星、見てみたい」
好奇心いっぱい、という風の斗七星に、昴は快く頷いた。二人は席を立つと、車両後方へ向かって歩き出す。
窓の外には、地平線まで広がる草原が広がっていた。それを眺めながら、二人は展望車へと向かった。席は満席で、さまざまな姿をした人たちが座っているのが見えた。それを横目に、やがて二人は展望車へとたどり着いた。
「……わぁ……すごい……」
一歩足を踏み入れるなり、斗七星は息を飲む。展望車はすべての壁がガラス張りで、景色が流れていく様が一望できた。おまけに天井もガラス張りで、よくはれた青空がのぞいていた。自然のパノラマに、しばし見とれる斗七星と昴。
「うわぁ……気持ちいいね、お兄ちゃん。街の景色も好きだけど、斗七星、こういうのも大好きだよ」
興奮した様子で斗七星が云う。ぴょんぴょん跳ねながら、斗七星は昴の腕に自分のそれを絡ませた。
昴は、空いている席を見つけるとそこに腰掛けた。斗七星もその隣に座り、車窓に広がる大自然をじっと見つめている。昴は、そんな斗七星の横顔を見ながら、連れてきてよかったと心底おもうのだった。
斗七星はまだ13歳。本当なら、まだ同級生と遊び回っている年頃なのだ。けれど、アイドルという職業がそれを赦さなかった。だから、できるかぎり、自分が斗七星の遊び相手になってやろう、そうおもっていた。
そして、列車は走っていく。今日の目的地を目指して。
2.風に舞い、空に詠う
列車から降りると、木々が多い茂る大森林が広がっていた。その中に、ぽつんと駅がある。二人が駅を出ると、もうそこは森の中。駅から森に向かって、一本の道が見えた。
「この道を行けばいいのかな?」
「そうだね。森の奥には草原があって、きれいな花がいっぱい咲いてるんだって、パンフレットに書いてあるよ」
「わぁ……それ、見てみたいなぁ……」
仲良く手を繋ぎながら、二人は森の道を進んでいく。うっそうと茂る森の中、時折見たことのない鳥やリスが姿を見せ、そのたびに斗七星は瞳を輝かせた。
そうして、森の中を進むこと30分ほど。唐突に森は終わり、目の前には一面の花畑が広がっていた。初夏を向かえたこの季節、植物は自分たちの季節が来たと一斉に咲き誇り、草原を色とりどりの絨毯に変えていた。
「すっごぉい……ずーっと向こうまで、全部お花畑だよ!」
たたっと駆けだし、くるりと振り向いて斗七星が云う。その足下も、花でいっぱいだった。その中にたたずむ、夕日色の少女。まぶしそうにそれを見つめながら、昴はその場に腰を下ろした。その間も、斗七星はまるで舞うように軽くステップを踏みながら、花々の間を歩いていく。
遙かな風に誓え 終わらない約束を
はじめて飛んだあの空は 夢の向こうの遠い空
駆け抜ける風の中 私は風に約束をする
いつまでも いつまでも
あなたの隣にいることを
風に乗り、斗七星の歌が草原を駆け抜けていく。銀の鈴が転がるような、透き通った声。昴は、斗七星の歌が好きだった。そして、その歌詞が自分に向けられたものだということも、知っていた。だから−−目を閉じて、静かに、その歌を聴いていた。
3.不思議の森の教会で
草原でひとときを過ごした二人は、再び道に沿って進んでいた。道はまた森へと入り、さきほどよりも薄暗い森の世界へと二人を導いていく。
やがて、その道が終わるところ。古びた教会がぽつんと建っている場所へとやってきた。かなり古いものらしく、窓は割れ、庭も草が伸び放題。人の気配は全く無かった。
「ねね、昴お兄ちゃん、中入ってみようよ」
「うぅん……なんか薄暗いし、ちょっと気味悪くないかなぁ? なんか出そうだし」
「あはは、お兄ちゃん、もしかして怖いんだぁ?」
じーっと顔をのぞき込みながら、斗七星が云う。大きな瞳が、目の前にある。かすかに吐息を頬に感じ、昴は耳が紅くなるのを感じた。
そんな無邪気な斗七星の様子に、昴は軽くため息を吐き、
「……まぁ、斗七星がそういうなら」
「わぁい。じゃ、早くいこ、お兄ちゃん!」
斗七星に手を引っ張られ、昴は教会の中へと足を踏み入れた。
中は薄暗く、床に積もったほこりがもうもうと舞い上がる。長い間、人が来たことはないようだ。入った場所は礼拝堂らしく、大きな十字架が正面に飾ってあるのが見えた。部屋の中には長いすが並んでおり、ミサなどで使われたのであろうことが予想できた。
と、斗七星が突然駆けだした。あっという間もなく、大きな十字架の前まで走っていってしまう。斗七星はそれを見上げていた。
――突然! ばりん、と云う大きな音。おもわず、昴は駆けだした。続いて、斗七星の悲鳴。
「斗七星っ!」
昴が十字架のところにやってきたときには、そこに斗七星の姿はなかった。床には大きな穴が開いており、それは深淵の闇へと続いていた。
「……斗七星! 斗七星っ!」
叫ぶ昴。だが、返事はない。
何度も何度もその名を呼び続けるが、斗七星の声が聞こえることは、なかった。
4.くらやみのなかで
どれほど気を失っていたんだろう。わかんない。
ゆっくりと目を開けると、そこには暗闇だった。体中が痛い。立ち上がろうとすると、左足にずきりと鈍い痛みが走った。
「……いた……っ……」
おもわず声が出る。
「あーあ……やっぱりお兄ちゃんの云うとおり、入らなければよかったのかなぁ」
呟いてみたけど、今さらどうにもならない。私は仕方なく、膝を抱えてその場にうずくまった。少しずつ目が慣れてくる。なんだか棚みたいなのとか、テーブルとかがぼんやりと見える。物置、なのかな。教会の地下にこんな部屋があるなんて。
って、感心してる場合じゃない。昴お兄ちゃん、きっと心配してる。早く戻らなきゃ。
そうおもって、私は天井を見上げた。ずぅっと上に、明かりが見える。私が落ちてきた穴だ。きっと床が痛んでいたんだろうな。とても手を伸ばしても届きそうにない。
そもそも、立ち上がることもできない。
急に、怖くなってきた。もしかして、もう一生ここから出られないんじゃないだろうか、そんな気までしてきちゃう。あわてて首を振って、いやな考えを追い出そうとする。
けど、恐怖はまるで綿に染みこむ水みたいに、私の心に染みこんできた。
「……昴お兄ちゃん……」
ぽつり、呟く。
体を小さく縮ませて、私は自分で自分を抱きしめた。
――それから、どれくらいそうしていただろう。時間の感覚も麻痺してきて、気持ちも闇に飲み込まれそうになる。怖い。怖い。私は、一人。
いつも隣にいてくれたお兄ちゃんがいないことが、こんなに怖いことだとはおもわなかった。
「……おにいちゃあああああああん!」
叫んだ。届かないと分かっていても、叫ばずにいられなかった。何度も、何度も。
「斗七星! そこにいるんだね!?」
「昴お兄ちゃん!」
お兄ちゃんの声! 私は足の痛いのも忘れて、声のする方に向かって歩いた。足を引きずりながら、声のする方へ、声のする方へ。やがて、お兄ちゃんの姿が見えた。
「斗七星! 大丈夫ですか!?」
お兄ちゃんが駆け寄ってきてくれる。私はそのまま、お兄ちゃんの胸の中に飛び込んでいったのだった。
4.二つの翼
私は、昴お兄ちゃんに背負われて森の中を帰っていた。
「……ごめんね、昴お兄ちゃん。いっぱい心配かけたよね」
「大事な妹なんだから、心配するのは当然だよ。それより、斗七星が無事でほんとうによかった。それだけで十分だよ」
「ありがとう。お兄ちゃん」
そう云って、私はお兄ちゃんの背中にぎゅっと抱きついた。
お兄ちゃん、細く見えるけど、背中って意外とひろいんだな、って気がついた。いつも側にいてくれる、ずっとそばにいてくれる、私の大切なお兄ちゃん。
とくとくって、お兄ちゃんの心臓の音が聞こえる。生きてる、証。なんだかそれが嬉しくて、私はお兄ちゃんの背中に頬を寄せた。
ふと、おもって、私はちょっと体を前に伸ばした。ちょっと、胸の鼓動が駆け足になる。いつかしたいとおもってたこと、今ならできそう。あ、でもやっぱりちょっと恥ずかしいな。
「ごめんね。いつもありがとう。大好きだよ、お兄ちゃん」
やっぱり恥ずかしかったけど、でも何かお礼がしたくて。
私はそっと、お兄ちゃんの頬に、唇で触れたのだった。
5.エピローグ
再び、列車「白やぎ」号の中。
自分たちの席に戻ってきた斗七星と昴は、しばらくの間今日のできごとを語り合っていた。やがて列車は走り出し、今日の遠足も終わりを迎える。
「怖い思いもしたけれど、でもいっぱい思い出ができたよ。ありがと、お兄ちゃん」
「うん。斗七星がそういってくれるなら、僕も嬉しいよ」
「ね、お兄ちゃん。また、お兄ちゃんと、旅がしたいなぁ……」
「もちろん。また機会を作って、一緒に行こう」
「うん!」
弾けるような笑顔で、昴の科白に答える斗七星。
外は、すでに薄暗くなってきていた。列車は、人々の想いを乗せて走っていく。
それはまるで、人生のように。
一期一会を繰り返し、紡ぎ紡がれる人々の物語。その中で、斗七星に出会えたことを幸福におもう、昴だった。
気がつくと、斗七星は昴にその体を預けるようにして、軽い寝息をついていた。そっとその頭を撫でてやる。
「う……ん……お兄ちゃん……」
「ん? なんだい、斗七星?」
「う……むにゃむにゃ」
寝言だったらしい。くすりと笑うと、昴は斗七星の頬にそっと触れた。
無意識なのか、斗七星がそれにすり寄るように体を動かす。昴はそれに任せ、斗七星の体温を感じていた。
幸せそうに眠る斗七星。
それを見ながら、昴はおもう。
いつまでも――いつまでも、見守っていようと。
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