江戸艇花柳 幻獣怪談絵巻

■オープニング

 柳は緑、花は紅。
 初夏の風が表通りを駆け抜けようとも、色無き風が物悲しく吹き荒ぼうとも、ここにあるのは穏やかなぬくもりと春の陽だまり。
 春を売る、ここは色里、花の街――江戸艇花柳。

 大門の奥に並ぶ廓屋の一角に、この里一番の古い見世がある。趣のある佇まいと総籬の格子が、ここが最上級の大見世であることを示している。
 そして、その隣には――
 総籬よりは一段落ちる、半籬の『七弁天楼』という中見世があった。ぱっと見は、それなりに風情のある見世構えであるが、よくよく見ればにわか作りのたてものであるとわかる。
 それは、わけありの背景を持つ遊郭――吉原弁天を筆頭とし、日本各地より召還された7人の弁天による、暫定の廓屋だった。
「これ、よっしー! なにゆえ、おぬしのみが花魁で、わらわたちは振袖新造なのじゃ!  われらはいずれも弁財天、傾城の教養たる詩歌音曲から囲碁にいたるまで、負けず劣らずの名花揃いではないか」
 井の頭弁天が不満そうに口を尖らせる。
「中見世に花魁ばかり7人いても、怪しまれますもの。お似合いですわ、井の頭、いえ、清花さま」
「しかし振袖新造は本来ハイティーンの娘御であるゆえ、ちとファッション的に無理目であろう? ……のう、えっちゃん。しの。てんちゃん。ちぃ。いっちー」
「愛称で呼ぶのはやめてくれない?  ……で、いつまでこんなお芝居をしてればいいのかしら?」
 豊かな胸を着物で押さえつけるのが苦しいと見えて、「えっちゃん」こと江ノ島弁天は眉をひそめる。「しの」と呼ばれたのは不忍池弁天、「てんちゃん」は天河弁天、「ちぃ」は竹生島弁天、「いっちー」は厳島弁天。いずれも、井の頭弁天よりは遥かに有名どころの、名だたる弁財天たちである。
「『首くくりの鬼』の、謎が解けるまでですわ。そうですわね、清花さま? わたくしどもが、こちらに自ら召還されたのは、調査のためなのでございましょう?」
「……うむ。すぐにアトラスより、記者も派遣されようほどに」

 その時期の東京は、怪しげな噂に席巻されていた。
 いち早く反応したのは、アトラス編集部の外注ライター『G』ことファイゼである。
『首くくりの鬼』に遭遇し、自殺ノイローゼになっている美少女が続出している――
 まだ被害者も明確ではなく、都市伝説にも至らない風評に、『G』はひどく関心を寄せていた。
「麗香どの! 取材に行かせてください。美・少・女・が! ノイローゼなんですよ。騎士として捨て置けません」
「うぅん。他に優先してほしい事件はたくさんあるんだけどね」
 難色を示す碇編集長に、ライター『D』ことデュークと、ライター『K』ことポールも勢い込んで言う。
「首くくりの鬼――縊鬼の仕業ではないかと、弁天どのも仰ってました。そして縊鬼を退治するには、江戸艇花柳に行かねばならぬと」
「そうなんです。弁天さまはもう潜入してるみたいなんですよ。余所の弁天さまたちも協力してくださってて」
「江戸艇――『時空艇―江戸』のことね。そう、あそこなら、取材する価値はあるわね」
 麗香は少し考えてから、言い添える。
「でも、弁天さまやあなたたちだけじゃ、不安だわ。誰かに一緒に、行ってもらいなさい」


***** ***** ***** ***** ***** *****


ACT.1■世界をまたぐ同行者

 通常、江戸艇には、自分の意思で出向くことは出来ない。
 しかし、「召還されやすい」タイプというのは存在する。
 それは、江戸艇内で発生した事件を早期解決することが可能であると、住人から判断された人々である。なおかつ、『江戸艇−パスポート』を所持していれば、召還率はより一層アップする。
 それに当てはめると、弁天たちも幻獣ライターも、江戸艇住人から敬遠されこそすれ、召還されることなどあり得ないはずだ。
 ……にも関わらず、7人の弁天たちは首尾良く入り込み、見世まで構えている。
 その理由は――

「無茶するわねえ、弁天さまは。パスポートを偽造するなんて」
 麗香のデスクには、B6サイズ・中綴じの真っ赤な装丁のパスポートが数冊、並べられている。
 金の箔押しで『江戸艇−PASS』と書かれた表紙は本物そっくりだが、中身は白紙。弁天たちはここに、各自、自分のプロフィールを書き込み顔写真を貼って使用しているのだ。
 ただし、江戸艇住人が偽造に騙されるはずもないので、おそらくは「挑戦」もしくは「緊急事態発生」と判断したのだろう。
 江戸艇側の思惑はともかく、この偽造パスポートを持ってさえいればすぐに召還されるという現象を、弁天は起こしていたのだった。

「……ですが、まずは本物のパスポートを所持なさっているかたに打診してみましょう。たしか、シュラインどのとセレスティどのがお持ちだったはずです」
 ファイゼは、携帯からメモリを呼び出した。
 シュライン・エマは草間興信所でファイル整理をしており、すぐに電話に出ることができた。いつも忙しく、外出も多いシュラインであったが、ちょうど、関わっていた調査依頼『吉祥寺教会マリア像連続お供え物事件』が、一応の決着をみたところだったのである。ファイゼもその調査に加わっていたので、そろそろ区切りの良い頃合いだろうと判断したうえでのコンタクトであった。
「あらフモ夫さん。その節はお疲れさま」
「……こちらこそ、大変お世話になりました」
 調査がらみのドタバタを思い出したようで、シュラインの声に笑みが混ざる。ファイゼはそっと額の汗を拭った。
 その件の詳細については、未だにデュークやポールにも伝えていない。奇想天外な出来事が頻発し、あやうく激動の運命の渦に巻き込まれかけた幻獣グリフォンは、シュラインに助けてもらったのだ。
「――それでですね、お世話になりついでに、別件でご協力をお願いしたいのですが」
「そろそろ連絡が来るんじゃないかと思ってたわ。縊鬼(いき)、くびれおに、とも言うわね――その件ね?」
「ご存じでしたか」
「少し前に、弁天さんからメールをもらったのよ。『至急、江戸艇に来られたし。七弁天楼で待つ』……これって、果たし状じゃないわよね?」
「……弁天さま特有の懇願表現かと思われます」
「なるほどね。了解」
 朗らかな笑いのこもった承諾に、ファイゼは安堵した。
 勢いづいたところで、セレスティの番号をコールする。今までセレスティから直接携帯ナンバーを聞く機会はなかったのに、何故登録されているかというと、アトラス編集部の資料から調べておいたのだ。
 ――こんなときのために、である。
「お掛けになった電話番号は、現在使われておりません」
「……ええっ? あ、あの、すみません、間違えました」
 流れてきた声に、ファイゼは慌てて通話を切ろうとした。アトラスのデータが古かったか、自分が登録を間違えたかと思ったのだ、が。
 しかしそれは、どうも、セレスティ・カーニンガム本人の肉声に聞こえる。
 首を捻った瞬間、通話口から澄んだ笑い声がやわらかに響いた。
「冗談です。未登録の着信には、こう言ってみることにしているのですよ」
「はっ、申し訳ありません。突然お電話してしまって。実は私、アトラス編集部にてライターをさせていただいてます『G』と申しまして」
「存じ上げています。井の頭公園のイベントでは、時々、弁天さまやデュークさんのお手伝いをなさっておられると、身近なものから聞いてますので。『への27番』にお住まいのフモ夫さんですね?」
「は……い。セレスティどのは弁天さまとお親しいようなので、失礼を顧みず、今日は取材同行のお願いに」
「江戸艇へ、縊鬼の調査に、ですね。いつ、まいりましょうか? もう準備はできてますけれも」
「ええっ。よろしいんですかっ?」
 あまりの話の早さに、ファイゼは絶句した。 セレスティはおっとりと続ける。優雅な微笑みが、目に浮かぶような調子である。
「先日、弁天さまからメールをいただいたのですよ。『わらわに正式交際を申し込まれたくなければ、大至急、江戸艇に出向くように!』という文面の」
「ものすごい脅迫ですね」
「交際そのものはかまわないのですが、正式ということになりますと、私にもいろいろと都合がございますので」
「……お気持ち、お察しいたします」
「幻獣ライターの皆さんもいらっしゃるのですよね? 現地集合ということで如何でしょうか。『七弁天楼』の見世の前が宜しいかもしれません。今、少々、東京から離れた場所におりまして。すぐ戻ることはできるのですけどね」
「そうでしたか。どちらに?」
  都内の屋敷にいるものとばかり思っていたファイゼは、何となしに聞く。財閥総帥からは、想定外の、スケールの大きな答が返ってきた。
「ちょっと、アイルランドのほうに」

 前もって弁天がメールしていたという事情はあるにせよ、シュラインとセレスティはふたりとも、『首くくりの鬼』の事件に関心を寄せていたようだった。
 心強い助っ人に力を得、デュークもまた、さらなる同行者を募るために手帳をめくる。
「それでは私は、遮那どのに打診してみることにしよう」
 几帳面な字で埋められた住所録の「ほ」行で、デュークは手を止める。
 奉丈遮那の連絡先が、そこには記されていた。
 それは、拉致された弁天を救出するため、高峰温泉に初めて出向いたときのこと。蓬莱館に張り出した勇者募集のポスターに、遮那は応じてくれたのだった。
 あれから時も経ち、果たして遮那が覚えてくれているかどうかは疑問ではあるけれど。
「奉丈遮那どのでいらっしゃいますか? お久しぶりです。私はデューク・アイゼンと申しまして、以前、高峰温泉で――」
「わあ、デュークさん。懐かしいです。弁天さまにはお変わりないですか?」
 幸い、電話口に出た遮那は、すぐに誰が掛けてきたかわかったようだった。少女のような可愛らしい声で、弁天の近況を問うてくる。
「その折りはご尽力くださり、ありがとうございました。井の頭弁天どのはお元気なのですが、只今、他の弁天どのとご一緒に、とある異界に出向いておられまして」
「何か、事件なんですね?」
 闇のドラゴンが連絡を取ってきた事情を、勘の良い遮那は見抜いたらしい。 携帯を持ったまま、電話の向こうの少年にデュークは頭を下げた。
「恐れ入ります。遮那どのは、『首くくりの鬼』のことをご存じでいらっしゃいますでしょうか?」
「女の子が自殺ノイローゼになっているっていう、噂でしたら」
 デュークの話を、遮那は真剣に相づちを打ちながら聞いている。どうやら今回も、『勇者』になってくれるようだった。

「私は――そうですね、いっそ、別の世界のかたに依頼するのも、ひとつの方法かと思うのですが」
 遮那との通話を終えたデュークに、ポールは何事か考えながら言う。
 いつも率直なポールの珍しい逡巡に、デュークは怪訝な顔をした。
「別の、世界?」
「はい。公爵どのの妹姫と、エル・ヴァイセの王子が亡命なさっている」
「……聖獣界ソーンか!」
「ハナコさんにお願いすれば、ソーンへの異界通路は開けましょう。聖都エルザードには、さまざまな世界から来た能力者が集まっていると聞き及びます。アルマ通りあたりにある店で、これはと思うかたに打診すれば、あるいは」
「なるほど。それも良いかも知れぬ」
「御意。ではすぐに」
 ファイゼは急ぎ幻獣動物園に帰還した。
 ハナコにゲートを繋げてもらい、異界通路を抜ける。一路、聖獣界ソーンへ。聖都エルザードへ。
 ――そして、ソーンに出向いた甲斐はあった。
 アルマ通りの『白山羊亭』に入った途端、水が奏でる音楽にも似た、悠久の流れを感じた。それは、水竜の琴と水の精霊杖を携えた、ひとりの青年が発する気配だった。
 静かに紅茶を飲んでいた彼に名を問えば、山本健一です、と、柔らかな声音で応えがあった。
「ぶしつけで申し訳ありません。お願いが、あるのですが」
「……何でしょう?」
 穏やかで優しげな、しかし大いなる魔法のちからを秘めた彼は、幻獣ケルベロスの要請に耳を傾ける。やがて話を聞き終わったときには、快く了承してくれたのだった。
「『江戸』で、縊鬼――の調査ですか。わかりました、同行させていただきましょう」

ACT.2■花街の調査員

 現地、集合。
 提案したセレスティも大物だが、あっさり応じたシュライン、遮那、健一も大した度量の持ち主である。
 ほどなくして、『D』と『G』と『K』は、一足先に江戸艇に出向いた彼らと待ち合わせすることと相成った。
 ――『七弁天楼』の前で。

 ***** *****

 およそ2万坪の広さに、遊女屋が立ち並ぶ。
 それはかつて、東京が江戸と呼ばれていた時代に存在していた吉原の、精巧な再現であった。
 たとえ、ここが時空艇の第二階層で、奥行きを広く見せるための全面鏡張りが施されているとしても、その華やかさに変わりはない。
 おりしも、今は酉の刻をとうに過ぎた、夜見世の時間だ。大通りに面した見世には、篝火や灯籠が鮮やかに灯され、いっそうの幻想的な空間を演出している。
「江戸艇に召されると、『役』を与えられ、その姿になるのだと、弁天さまからは伺っていたが」
 自分のいでたちを見回して、『D』は困惑していた。彼の衣装は、黒い着物に頭巾、腹当、手甲、股引、帯も黒――
 つまり。
「私たちは、『黒子』ということですか」
 後の言葉を引き取って、『G』は頷く。
「ライターは、すなわち、瓦版屋ですからね。妥当な役回りだと思いますよ。皆さまのご活躍を、影ながら取材させていただきましょう」
 自分の袖を引っ張ったりなどして、『K』も言う。
 3人とも、簡素な黒一色の黒子服なので、誰が誰やら区別がつかない。それぞれの顔部分に『D』『G』『K』の縫い取りがあるのが、唯一の判別法だった。
「おや、見世から、皆さまが出ていらしたようだ」
 半籬の中見世を背に、江戸の『役』に扮した調査員たちが現れた。まるで、ずっとこの世界で暮らしているかのような、しっくりした物腰で。
 連れだって歩いてきたセレスティとシュラインに『G』は目を見張る。
「このたびはお世話になります。セレスティどの、シュラインどの。……もの凄い派手……いえあの、華やかな装いで、どなたかと思いました」
「フモ夫さんも、黒子衣装がお似合いですよ」
 セレスティは、「流水に桜と楓散らし模様」の紫地の着物を身につけていた。羽織は品の良い象牙色。いかにも、名のある大店の遊び慣れた若旦那を思わせる。
 美しい銀髪は、朱色の組紐で高い位置に結われ、ほっそりと白い指には、扇面にレェスを用いた華やかな洋扇を持っていた。 謎めいた微笑みを浮かべた口元は、優しげでもあり、いかにも一癖ありそうな様子にも見える。
「今ね、配下を他の店に行かせて、情報収集をしているところなの。ここでの私はお忍びの『公家』なのよ」
 花鳥風月が描かれた、房つきの大振りな扇を顎に当て、周囲の様子を確認してから、シュラインはにっこりと振り返る。
 黒地に「菊草花模様」の着物、派手やかな山吹色の羽織が、いかにもなお大尽風であった。沈着冷静・才気煥発・博覧強記なシュラインが、豪華絢爛・豪放磊落・大胆不敵ないでたちをしているさまは末代までの語りぐさであろう。どうにかして写真に収めたいところだ。
「お忍びにしては目立ち……ますね。シュラインどの」
「そんなでもないわよ。扇を閉じて、羽織を脱げば、ほら」
 確かに、派手やかな扇と羽織を仕舞ったなら、すっきりと髪を上げたその出で立ちは、公家の貴公子に見えなくもない。  馴染みの花魁にひそやかに通っているという設定でも、違和感のない風情である。
「初めまして、山本健一どの、どうぞ宜しくお願い申し上げます」
 異界通路を通り、はるばる聖獣界ソーンからやってきた健一に、『D』は深々と礼をする。
「こちらこそ。お役に立てれば良いのですが」
 健一も、丁重に礼を返した。
 聖獣界での衣装は、紺桔梗の着物に水浅葱の肩衣と裃を合わせたものに変わっていた。水の精霊杖は、刀身3尺以上はありそうな大太刀に変換されている。召還された際に伸びた黒髪はきりりと結い上げられ、穏やかな面差しを凛々しい武士のものに見せていた。
「遮那どの……は、これはまた」
 おや、遮那?! どこに行くのじゃ? おぬしはずっと見世にいて良いのじゃぞ? そうですわね、まだ用事がたくさんありますのよ。そうよぉ、すぐに戻ってくれないと困るわぁ。縊鬼の調査は、他のひとたちにまかせちゃいなさいよ。遮那ちゃん、南蛮渡来の絵札占い、私にもしてくれないかしら? 私は恋占いがいいですー。いつ頃いいひとが現れますか? やだぁ、仮にも花街で、何を言ってるのよ。
 見世からは手前勝手な弁天姐さんたちの声が、次々に追いかけてくる。
 見れば遮那は、黒繻子の帯を胸高に締めた、可愛らしい禿の格好をしていた。真朱の着物の裾をかなり短めに端折っているのは、見世での雑用がしやすいよう、現場に応じた着付けをされてしまったかららしい。
 遮那はどうやら一番最初に召還され、花魁や新造の用事を言い付かっていたようだ。ある意味、誰よりも適応力があると言えよう。
「はあ……。何だか僕、余所に行くと女の子の格好になることが多くて……」
 驚いている『D』に、遮那はそう訴える。
 そういえば彼は、蓬莱館での浴衣も女性用のものを着せられていて、またそれがよく似合っていた。
 今の、花魁や新造たちに用をいいつかっている禿、という役回りも非常にぴったりなのであるが、果たして「お似合いです」と言っていいものかどうか。
 『D』が逡巡していると、シュラインが助け船を出してくれた。
「黒子さんたちもいらしたことだし、いったん、見世に入って弁天さまたちと打ち合わせしましょうか」

ACT.3■聞き込み開始

 花魁、吉原太夫が自ら、シュラインの手を取って部屋に案内する。セレスティは、井の頭弁天と不忍池弁天に両脇から挟まれるように先導されていた。
後に続く健一には、江ノ島弁天が付き添っていたのだが。
「待って、お侍さま」
 大太刀に手を添えて――というよりはむしろ、健一の手にわが手を重ねるようにして、江ノ島弁天は微笑む。
「見世の中に刀は持ち込めないの。お預かりしていいかしら?」
「そうでしたか。失礼しました。こういう場所には不慣れなもので」
「誰だって、最初からは馴染めないものよ。良かったら、私がいろいろ教えてさしあげたいわ」
「ちょっとえっちゃん。何を抜け駆けしてんのよ。太刀はあたしが預かったっていいんだからね」
 健一に興味を持ったらしい江ノ島弁天に、年中無休、所属世界不問で彼氏募集中の不忍池弁天が、横合いから積極攻勢に出る。
 最初はセレスティに秋波を送ってみたが、どうやらこの大店の主人は、井の頭弁天と交際しているらしい(注:誤解)と判断し、ターゲットを健一にロックオンしたのである。
「不思議な雰囲気のかたねぇ。東京にはいないタイプだわ。お名前は何て仰るの? どちらからいらしたの?」
「これ、しの。ナンパは事件解決後にせぬか!」
 さしもの井の頭弁天も、他の弁天に混ざっては抑制役に回ってしまうようだ。
「山本健一と言います。聖獣界ソーンからまいりました。以前は、天界にいたのですけれども……」
 最初に話しかけてきた江ノ島弁天のほうを律儀に向いて、健一は答える。太刀も、彼女に渡した。
 両手で受け取り、江ノ島弁天は、軽く頭を下げる。
「確かに。預けてくださって嬉しいわ。……遮那!」
「はい」
「保管しておいて。丁重にね」
「……かしこまりました」
 遮那はすっかり雑用が板についている。このまま修行すれば、将来は良い花魁になるに違いない。
 遮那が女性だったらの、話だが。

 ***** *****

 一同が部屋に腰を落ち着けたあたりで、近辺の見世に偵察がてら出かけていた、シュラインの配下たちが戻ってきた。
 ここでのシュラインは『公家』の役を与えられている。江戸艇において、役に応じての特殊能力等は付加されたりしないのが不文律だが、『配下』という名の手駒は与えられたのだ。
しかも……
「草間……さん?」
 遮那が、大きな目をいっそう丸くする。
 シュラインのそばにかしずいている4人の忍び全員が、同じ顔をしていた。どこからどう見ても、草間興信所の所長だったが、シュラインは冷静に、配下の報告に耳を傾けている。
「椛さんが、縊鬼を目撃している……? 場所は? 羅生門河岸……? そう。ご苦労さま」

 ***** *****

 同様にセレスティもまた、人を使って情報収集していた。
 どんな世界においても財力とツテの裏打ちのある彼のこと、動かせる人材には事欠かない。見世番や二階番などの若い衆(し)が、セレスティの目線ひとつで待合いの辻から仲の町、秋葉常灯明までもを走り回る。
「縊鬼は、男性ですか。すると……花街のお客さんだった可能性がありますね。ああ、詳しい事情までは調べなくて構いません。縊鬼の深追いもしないように。遭ってしまうと、危険ですからね」

 ***** *****

「あらぁ、遮那ちゃん、何してるの?」
 不忍池弁天が、タロット占いを始めた遮那の手元を覗き込んでいる。
 遮那は召還されたときタロットカードを持参していたのだが、これは何に変化するでなく『南蛮渡来の絵札』として、そのまま手元に残っていたのだ。そして、弁天姐さんがたの恋占いなどをしていたわけだが。
 しかし、今の占いは違った。占っている対象は、自分だからである。
 占い師が自分を占うのはタブーだと、一般的には言われている。実際にはさほどのことはないが、ただし、的中率は落ちる。
「自分を占ってるんですけど、あまり効率良くなくて」
「そうなの? じゃあ、あたしを占ってみてよ。恋占いじゃなくっていいからさ」
『縊鬼とどういう形で関わるのか』を、遮那はカードで判断しようとしていた。せっかく不忍池弁天がそう言ってくれているので、お言葉に甘えてカードを並べ――
 そして、息を呑む。
 不忍池弁天の近い未来には、「死神」のカードが出現したのだった。

 ***** *****

「とても基本的な、疑問があるのですが」
 洋扇を揺らめかせながら、セレスティは呟く。いかにも、気心の知れた花魁を相手に世間話をするような、余裕を持った風情で。
「縊鬼とは、人であったものが変化したと考えて、よろしいのですよね」
「うむ。首をくくって自らの命を絶ったものの成れの果てじゃ。転生することもかなわず、地獄で服役することすらできず、縊鬼となってしまったのじゃな」
 井の頭弁天が腕組みをする。吉原弁天は白い指先で両頬を包み、身を震わせた。
「彼らは夜毎、自分が首を吊った場所に現れては、おのが自殺を再現するのです。そして、運悪く縊鬼に出会ってしまいますと、その怨念を背負わされて……」
「同じように首をくくる、ということね」
 シュラインは畳んだ扇を顎にあて、視線を宙に彷徨わせる。
「私にも疑問があるわ。そもそも、どうして弁天さんたちが、こんな手間をかけてまでここを調査しようと思ったのか」
「縊鬼が現れた場所が、吉原、つまり現在の台東区千束3丁目、4丁目に集中しているからですわ。そして、偶然周辺を歩いていた外見年齢15、6の美しい少女が3人、縊鬼を目撃してしまいました」
「でもそれは、東京での話であって、江戸艇とはあまり関係が……って、外見年齢……?」
「ええ。ノイローゼの『美少女』とは、東京観光がてら、わたくしの住まう吉原神社をお訪ねくださった、天河弁天さま、竹生島弁天さま、厳島弁天さまがただったのです」
 ほう、と溜息をついて吉原弁天が目を伏せれば、「てんちゃん」「ちぃ」「いっちー」の、振袖新造の衣装がコスプレには見えない、まだあどけなさの残る3人の弁天がしゅんとしてうつむく。
「……私たちが遭った『首くくりの鬼』は、江戸の御代に、世にも美しい花魁に叶わぬ恋をしたのだって言ってました。花魁はとても誇り高くて、そのひとのことが気に入らなかったのだとか」
「……思い詰めたそのひとは、羅生門河岸の柳の木で、首を吊ったんです。それから時が経ったのに、もう、吉原の地名さえもなくなったのに、まだ思い切れないのだ、と。可哀想……」
「だから私たち、東京に来たついでに江戸艇も見学するつもりで、井の頭弁天さまからいただいた偽パスポートをそのひとにもあげたんです」
 美少女弁天3名は、揃って目を潤ませる。
「ちょ……、ちょっと待ってね整理するから」
 あまりのことにシュラインも、少々くらりとして扇を取り落とす。
「じゃあ、てんちゃん弁天さん、ちぃ弁天さん、いっちー弁天さんの3人娘は、もともと江戸艇観光も視野に入っていたわけね。そして、たまたま縊鬼に出会い、同情して偽パスポートを渡し――そして縊鬼は江戸艇に召還された。で、吉原弁天さんと井の頭弁天さんは、3人娘が自殺ノイローゼに悩み始めたので、事態収拾と縊鬼召還の後始末のために、他の弁天さんにも声を掛けてみんなで江戸艇に来たと」
「おやおや。そうしますとこれは、弁天さまがたが起こした事件ということになりますね」
 にこやかに首を傾げながら、セレスティが核心をずばりと突いた。
「……セレスティ」
 ぐっと言葉に詰まり、しかし何か言い訳を連ねようとして力尽き、井の頭弁天が肩を落とした。
「……うむ。それ故、おぬしたちの協力が必要だったのじゃ」

ACT.4■遥かなる吉原

「それでは、縊鬼は今もここにいて、出会う人々を自殺ノイローゼに追い込んでいるのですね。何とかしなければ」
 ずっと無言で、正座をして聞いていた健一が、ついと立ち上がる。
「どこへ行くの?」
 同じように立ちながら、江ノ島弁天が問う。付いていくつもりなのだ。
「椛さんというかたが、目撃者なのでしょう? 最悪の事態にならないよう、直接お話をしてきます」
「僕も行きます。シュラインさんやセレスティさんは、花魁の馴染み客ですからここを離れられないですよね? せめて代わりに」
 遮那も、占い結果の動揺を抑えて、不忍池弁天に言った。
「……どうか、ここを動かないでください」

 ***** *****

   椛は、『七弁天楼』の隣にある大見世の花魁であった。天鵞絨の打掛に錦緞子の帯を前結びにして垂らしたさまは、このまま花魁道中ができそうなしつらえである。
 白いおもてを僅かに傾げ、椛は視線をくゆらせた。
「うちは、はっきりと見たわけではありんせん。ただ、何やら羅生門河岸ちかくの『おはぐろどぶ』が波だっておざんした。近づくと、柳の木の下に、見慣れぬ、ひととは思えぬような若い衆(し)がいんして――それだけのことでありんす」
「あのっ。それって何時頃のことですか?」
 勢い込む遮那を可愛らしく思ったらしい。ふ、と笑みが浮かぶ。
「子の刻あたり……夜見世が閉まるころでありんした」
「深夜零時ね。丁度今頃の時間帯だわ」
 江ノ島弁天が、羅生門河岸方向に手をかざす。
「……あなたには、命を絶ちたい気持ちが、起こったりはしていませんか?」
 まっすぐな健一の目を、花魁は眩しげに見返した。
「それは、今さらなことでありんしょう? ここは、極楽と地獄がとなりあわせの色街ですえ」
「ですが」
 出来ることなら、地獄は見ないに越したことはない。
 健一がそう続けようとしたとき。
「健一〜! 遮那〜〜! えっちゃ〜ん!!」
 隣から、井の頭弁天が駆けだしてきた。その後に、シュラインやセレスティ、弁天4名、黒子3名までもが付いて来ている。
「どうしたんですか?」
「しのが。しのがいなくなったのじゃ。ちょっと羅生門河岸を見物してくるわねぇ、とか言って。ええい、すっとこどっこいがっ!」
「不忍池弁天さまが? 大変だ!」
 遮那は先頭を切って駆けた。
 跳ねる黒髪に、篝火をうつして。

 ***** *****

 羅生門河岸の角にある、柳の木。
 その下に、鬼はいた。
 若い男の姿をした鬼は、ひとりの振袖新造を見つめている。
 不忍池弁天は、今、柳の枝に縄を掛け、首を吊ろうとしていた――

「早まるな、しのっ! 殿方に振られても振られても雄々しく立ち直るのが、おぬしの唯一の美点であろうっ!」
 おろおろする井の頭弁天のそばで、シュラインは『G』に言う。
「あの縄、フモ夫さんの炎で焼き切れないかしら?」
「――さて。黒子に炎の魔法が使えますかどうか。羽根をお渡ししますので、どうか、シュラインどの、お願いいたします」
「私が?」
 頭巾の中に手を入れ、『G』は髪を1本、抜いた。シュラインの手のひらに乗せられた瞬間、それは金色の羽毛に変わる。
「呪文とかって、使えないわよ?」
「何だって構いません。えい、でも、やあ! でも」
「わかったわ。やってみる」
「江ノ島弁天さま。私の太刀を」
「持ってきてるわよ、どうぞ」
 健一は鞘から太刀を抜き放つ。水のように透けた刃は、金属ではなく、オーラで構成されていた。
「女神を自殺に追い込むなど、許せません。全力でいきます」
「せっかく、大勢の弁天さまがいらっしゃるのですから、この場を清い水で浄化して、怨念を鎮めることはできませんか?」
 セレスティが、弁天たちを見回した。
「浄化のう……」
 井の頭弁天が、頼りない声を漏らす。
「近場の水は、吉原名物『おはぐろどぶ』しかないではないか。水の女神たちに、下水道局のまねごとをしろというのかえ?」
「及ばすながら、私も協力しますので」

 ――そうして。
「御用!」という掛け声のもと、幻獣グリフォンの羽根は炎の矢となり、縄を焼き。
 健一のオーラソードは、縊鬼の喉元でぴたりと止まり。
 『おはぐろどぶ』は澄み切った聖水と化し、羅生門河岸を霧雨のように包み込んだ。
 柳の下にいるのは、我に返った不忍池弁天と、もう、縊鬼ではなくなった、男の霊。

 男は、ひたと、視線を合わせる。
 吉原弁天の扮した、花魁に。

 ――ああ。
 あなたは変わらずに美しい。不夜城吉原の守護神たる、弁財天よ。
 わかっている。あれは叶わぬ恋。
 私はあのときも、花魁の姿をしたあなたに焦がれたのだ。

 私が愛したのは、幻の花魁。
 東京に『吉原』があった頃にさえ、おそらく彼女は存在しなかった。
 わかっている。……わかっては、いる。だからこそ。
 もう少し鮮明な幻を、見ていたかった。

 東京で。
 そして、江戸で。

ACT.5■EPILOGUE――後は瓦版屋のお仕事――

「こりゃあ、よっしー! そもそもあの男は、その昔、花魁に化けたおぬしに振られたのが原因で、縊鬼になってしもうたのじゃぞ? 何故気づかぬっ?」
 見世に戻り、遮那の入れてくれたお茶を飲みながら、井の頭弁天は逆上する。
 しかし吉原弁天は、おっとりと首を捻るばかりだ。男の顔に、まるっきり心当たりがなかったからである。
「あらまあ……?」
「何があらまあじゃ! だいたいおぬしは、ちと魔性の女度が高すぎるのじゃ。いつぞやも妻帯者の毘沙門天を血迷わせてからに」
「でもあれは、わたくしが悪いわけではございませんわ」
「魔性の女はみんなそう言うのじゃー!」
 何のことやらわからぬ様子の遮那と健一に、事情通のシュラインとセレスティが代わる代わる解説する。
「知らなくても全然支障がないことなんだけど、以前、浅草でねぇ」
「吉原弁天さまを巡る不倫騒動が起こって、井の頭弁天さまが巻き込まれたことがあったのですよ」

 そんなこんなで過ごしていると。
 いきなり、見世に、ひとりのおばばが乗り込んできた。
 梅という、遣り手である。
「ちょいと。偽パスポートでやってきた弁天さんたち。踏み絵は免れないよ? まさかあんたたち、キリシタンじゃないだろうね?」
「……この遣り手は、さても愉快滅法界なことを申すのう。いかにわれら弁財天のなりたちがファジーじゃからとて、切支丹になってどうする。おぬしのその問いは、芋羊羹を指さして『おまえはプリンアラモードか?』と言うのと同じじゃぞ?」
「清花さま……。たとえがよくわかりませんわ……」

『D』と『G』と『K』は、少し離れて番茶をすすっていた。
 この出来事を、どう瓦版に書いたものかと思いながら。

 ライターというものは、探偵が事件を解決したあとで、俄然忙しくなるのである。
 ――江戸でも、東京でも。


 ☆〜大団円〜☆


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■   江戸艇花柳 幻獣怪談絵巻  登場人物一覧   ■
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<聖獣界ソーン>
【0929/山本・健一(やまもと・けんいち)/男/19/天界より降臨せし侍】

<東京怪談 SECOND REVOLUTION>
【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/女/26/謎解きの鬼たる公家】
【0506/奉丈・遮那(ほうじょう・しゃな)/男/17/未来を読みし禿】
【1883/セレスティ・カーニンガム(せれすてぃ・かーにんがむ)/男/725/世界を掌握せし大店の主人】

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■       ライター通信 幻獣怪談絵巻編)         ■
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こんにちは。
このたび、クリエイターチーム企画『江戸艇花柳』にて、幻獣怪談絵巻編のノベルを担当させていただきました
神無月まりばな(旧:神無月)です。
ご参加、まことにありがとうございました!

□■山本健一さま
初めまして! 
ソーンからはるばる『江戸』へ、お疲れさまでした。
喜び勇んでケルベロスを迎えに行かせましたこと、お許しくださいませ。
少しでも健一さまの魅力が表現できていますことを祈るばかりです。

□■シュライン・エマさま
いつもありがとうございます。今回はスペシャルイベント感覚で、あれやこれやと盛り込んでみました。
さりげなく、シュラインさま初魔法! だったりして。

□■奉丈遮那さま
おお! お久しぶりです。江戸艇で遮那さまとお会いできるとは嬉しゅうございます。
作中で『D』も申しておりますが、禿のお姿が全然違和感ないとはこれ如何に。傾城の素質十分ですね(違

□■セレスティ・カーニンガムさま
総帥さまには、大店のご主人という役柄が、息をするようにお似合いでございます。
江戸艇世界でも、いつものセレスティさまとあまり変わらない感じでいらっしゃるのは、
やはり大物だからでございましょう。


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