「え〜本日は〜当バスをご利用いただき〜、ま・こ・と・に、ありがとうございます〜」
只今8時45分。大磯臨海学校御一行様貸切大型バスが、寺根駅前を出発した。
「大磯海岸到着までのお時間〜、どうぞごゆるりとおくつろぎくださいませ〜」
広々としていて、清潔な車内。
「当バスには〜ビデオ、カラオケの設備もございますので〜、ご利用のお客様は〜ご遠慮なくお申し付けくださいませ〜」
二泊三日の小旅行に向かう参加者の顔は、誰もが明るい・・・・のだが、
「お手洗いは〜車内後方に設置してありますので〜、揺れにご注意の上、ご利用くださいませ〜」
そこに、少々の疑問の色もまた、浮かんでいる。
「え〜最後になりましたが〜、添乗員は、わたくし白ヤギ、運転手は、こちらの黒ヤギ、以上二名で目的地までご案内させていただきます〜。よろしくお願いいたします〜」
(ヤギだよな?)
(ヤギだよね・・・・)
(何で、ヤギ?)
車内のあちこちで、ささやき交わされる疑問。
「ヤギさん、ですよね」
と優しげな青年がつぶやき。
「ヤギ、だね」
それに、青い瞳の女性が応え。
「ヤギさん、ですわね。かわいらしいわ」
のほほん、と結論づけたのが、金髪の女性。
バスの最後席に並んで座っている三人の名前は、窓側から、山本健一、カレン・ヴイオルド、エルファリア。駅前集合時から、前一者は主に女性の、後二者は主に男性の視線を、知らず集めていたのであるが、それはとりあえず置いておく。何しろ、車内の視線は今、前方に立つヤギ×2に釘付けなのであるからして。
人より三周りくらい小柄な体。つつましく上を向く角、触ったら心地よさそうな毛皮、はいいとして・・・・
(黒ヤギの足は、ブレーキに届いているのか!?)
・・・・というのが、大方の乗客の疑問であった。
しかし、確かめようと前に出るものはいない。怖いからである。まあ、今のところバスは一応、というか、かなり順調に動いている。カーブでも、きちんと減速されているようだ。あ、なんだ、信号で止まったじゃないか。
そして、(特に問題はないのだろうか?)・・・・と皆が思い始めた時の、
「白ヤギさんと、黒ヤギさんの乗務員、なんて、ちょっと変わってますけど。まあ、そういうこともありますわよね」
という、エルファリアの言が、絶妙のタイミングであったので、
(まあ、そういうこともあるんだろうな)
と、なんとなく、なしくずしに、場が収まってしまったのであった。
その様子を目の当たりにし、くす、と健一が笑った。
「やっぱり、エルファリアさんは、すごいですよね」
人の目を、耳を集め、場を手中に収めてしまう。トンデモ非日常まで皆に(まあ、そういうこともあるか)と思わせる。
「?? 何のことかしら?」
本人無自覚。純真無垢であるからこそ、出来る芸当である。
「いえ、なんでもありません。たしかに、ヤギさんは可愛らしいですよね」
「ねえ、私達も歌おうよ!」
そう、カレンが提案したのは、バスが出てしばらく経ってから。始めは何となくぎこちなかった車内の空気も、今ではすっかり打ち解けて、早速カラオケ大会が始まっていた。
パチパチパチ・・・・
前の客が歌い終え、周囲の乗客から拍手が贈られた。
「え〜。大変味わい深い演歌を、どうもありがとうございます〜」
いつの間にか白ヤギが司会を務めている。
「それでは、お次のお客様〜、どなたか、ご参加お願いいたします〜」
「はいはい!三人で歌いま〜す」
カレンが、勢い良く手を上げた。
「トリオでのご参加ですね〜。ありがとうございます〜」
しかし、一つ問題が。カラオケ用のコードレスマイクが、二つしかないのである。二人でひとつを使うのは、少々窮屈なので、健一は白ヤギが使用中のアナウンス用マイクを借りることにした。こちらは、バス前方の機材とコードで繋がっているので、彼だけバスの前方に、カレンとエルファリアは最後部席に、という奇妙な隊形となった。
「どんな曲がいいかしら?」
「楽しい曲なら、なんでもいいよ。」
女性陣の希望を受けて、健一が選曲をした。ポップなメロディーラインの、夏の曲。
イントロが流れ、第一声。
(上手い!)
おしゃべりに興じていた乗客や、おやつを開いていた乗客の耳までも、一瞬にして惹きつけてしまう、歌声。エルファリアの声は、どこまでも繊細に澄みわたり。カレンのそれは、しっかりとした芯を持ちつつ、華やか。その二人の声を、甘く、それでいて深い健一の声が支えている。
(何、何? プロ?)
それぞれ、どこまでもやさしいのに、強い存在感を放ち。個性的であるのに、絶妙な調和を織り上げる。
ユニゾンの第一メロディーが終わり、サビへ。
(!!!!)
主旋律のソプラノを、エルファリア。それにカレンのアルトが重なり、健一のテノールが支える。打ち合わせも無く、感覚だけでそれをやってのける技量に、そして、胸に直接届くようなハーモニーに、感嘆のため息が漏れる。
太陽の下へ飛び出して、寄せる波を蹴り上げて、体中で、夏を受け止めよう。そんなメッセージを、三人が歌い上げる。
前で健一が、後ろでエルファリアとカレンが歌っているから、バス全体が、歌に包まれているようで。あのとき、三人の後ろに海が見えた・・・・というのは、しばらく後の、他の乗客の言葉。一曲を終えて、余韻が消えて。次の瞬間起こった拍手と歓声で、バスが揺れたというのは、多分誇張ではない。
次は、これで。その次は、これを歌って!あ、じゃあ、今度は、この曲をお願いします。請われるままに、色々な歌を・・・・果ては、バラード、ロック、アニメソングに童謡まで歌わされ、車内はすっかりコンサート状態。
ちょっとに疲れたなー、と三人が思い始めた頃。
「え〜、ご盛況のところ申し訳ございませんが〜、間もなく、当バスは休憩所に到着いたします〜」
「さすがに、少し疲れましたね」
たはは、と健一が笑う。バスから降りると、湧き上がるような熱気。
「でも、気持ちよかったね」
カレンが、ぐ〜っと伸びをする。座り通しで体が硬くなっていたようだ。
「みなさん、喜んでくださって、よかったわ」
特に、最後に『ふるさと』を歌ったときには、白ヤギの目に涙が光っていた。遠く、北の大地を思い出していたのかもしれない。
「あら? あそこに並べてあるものは、何でしょう?」
エルファリアが、小走りに駆け寄る。
「ああ、産直販売ってやつですね」
休憩所であるここは、いわゆる「道の駅」。だんごやたこ焼き、やきそばといった定番品に加え、地元の農家が丹精した作物や、細工物が廉価で販売されている。
「干し杏があるよ!花梨の砂糖漬けも!美味しそう。買っちゃうね。バスの中で食べようよ」
カレンが嬉しそうに、小さな袋を手に取った。
「あちらのコーナーは、普通のお土産屋さんね?」
エルファリアが、箱詰めの菓子を手に取ると。
「あはは!傑作〜」
箱の裏を見たカレンが、突然笑い出した。
「どうかしましたか?」
健一も、寄ってきて覗き込む。
「これこれ。このお饅頭『大磯海岸へ行ってきました』ってあるでしょ?」
「ええ。確かに」
「でも、ここ見てよ、ここ」
箱を裏返し、細かい文字が書かれている辺りを指差した。
「ええと……製造所…ああ、なるほど」
タイトルは大磯海岸なのに、製造所は隣県の大型菓子工場になっている。
「気が付いたら、ちょっと、がっかりだよね」
ぷくく、とカレンが笑うと
「でも、ここにいらした方が、大磯海岸の近くで買ったことには、変わりないのですから、タイトルに間違いはないでしょう?」
エルファリアが、邪気なく微笑んだ。
「お土産って、旅行に行った方が、その気分をお裾分けするものではないかしら?」
「ん……まあ、そうなんだけどね」
カレンが、頬をかく。
「やっぱり、エルファリアさんには、誰もかないませんね」
健一が、感心したように呟いた。
「私も、お父様に買っていってさしあげようかしら」
「それはいいと思うけどさ、やっぱり、これは止めといた方がいいと思うな」
カレンが、苦笑して、例の箱を指で弾いた。
休憩が終わり、バスが再び走り出す。社内の空気は先程よりも打ち解けていて、軽いざわめきが心地よい。
「ね、これ食べよ。さっき買ったやつ」
カレンが、袋を開いて、二人に差し出した。
「甘くて美味しいわ」
エルファリアが、にこ、と微笑む。
「いただきます。紅茶を持ってきましたから、こちらもどうぞ」
健一が、水筒を取り出した。
「やったっ。いただきます。うん、美味しい。健一は、紅茶淹れるのが、本当に上手いよね。今度、コツ教えてよ」
「喜んで。杏と、花梨も美味しいです。お茶によく合いますね」
「では、これも召し上がって?メイドのペティが、持たせてくれたのよ」
エルファリアが差し出した包みを開くと、一口大に切りそろえられた林檎のケーキが現れた。
「うわあ、こちらも、美味しそうですね」
「うん。美味しい!今度、また作ってって、ペティに言っといて?」
「わかりましたわ。美味しいお茶と、お菓子があって、お友達がいらして、これから三日間の臨海学校だなんて、幸せね」
エルファリアの言葉に、
「ホントだね!楽しみだなあ、海!花火大会とかさ、ビーチフラッグやるんだよね。歌のネタも、たくさん仕込んでこようっと」
「バーベキューもやるって聞きました。宿泊所には温泉があるそうですよ」
カレンと健一も、顔を綻ばせる。
「ああ!早く着かないかな。海が見たいよ」
窓の外は、まだ山ばかりで、海の気配は見当たらない。
そこへ、白ヤギのアナウンスが入った。
「え〜、間もなく〜長いトンネルに入ります。そちらを抜けますと〜間もなく大磯海岸到着、でございます〜」
車内のざわめきが、少し、大きくなる。
「あと少しだそうですよ。楽しみですね」
健一が告げると、
「う…トンネルかあ」
カレンが、何故か、少し顔をしかめた。
やがて、バスがトンネルへと入った。独特の、籠った音が、車内を満たす。
「本当に、長いトンネルですね。いつまで続くんでしょう?」
健一が隣を見やると、カレンが、ぐったりと頭を前席に押し付けている。
「カレンさん!?」
「うう…気持ち悪い。私、バスは平気なんだけど、トンネルとバスの組み合わせは駄目なんだ。この、なんとも言えない、耳への圧迫感が」
「ど、どうしましょう。何か、薬とかは」
「へ、平気。トンネル抜ければ、すぐ直るから」
「頑張って。あと少しで出口だわ」
エルファリアの言葉に顔を上げると、行き先が、ぼんやりと光っているのが見える。あれが、出口だろう。
徐々にそれが近づき、バスが、そこを抜けた、瞬間。
光の氾濫。
目が慣れるのに、少しだけ時間が掛かった。
「海…ですね」
健一が、呟く。
トンネルを抜けると、そこは海岸線に平行した道だった。
空が、青い。入道雲が、白い。空高い太陽が、思い切り光を振りまいている。
その光を、水面が受け止め、きらきらと輝く。青い、大海原。
水平線のあたりに、おもちゃのような小さな船。
道のすぐ下のビーチでは、すでに夏を満喫している人々の姿が見える。
「うわぁ……」
思わず、といったように、カレンが、窓を開け放った。鮮烈な日差しと、熱気、そして、潮の香りが車内に広がる。
「素敵だわ」
エルファリアも、目を輝かせた。
「え〜、右斜め前方に見えますのが〜皆様ご利用になられる、宿舎でございます〜」
白ヤギの声に、そちらを向くと、海を正面に臨む、白い建物が見えた。
「当バスは、まもなく目的地、大磯海岸に到着いたします〜。長らくのご乗車、お疲れ様でございました〜」
バスが、ゆるやかに速度を落としてゆく。
「添乗員は、わたくし白ヤギ、運転手黒ヤギで、お送りいたしました〜。お忘れ物のないようご確認の上、ご降車くださいませ〜」
宿舎の隣に、バスが止まった。
「それでは〜本日より三泊三日、素晴らしい臨海学校となりますことを、お祈り申し上げます〜」
バスから降りた途端、潮風に全身を洗われる。自分達が、夏の色に染まっていくような気がした。
「どんな、三日間になるんだろうね!」
「きっと、楽しく過ごせるに違いないわ」
「さ、早速荷物をおいて、海岸へ行きましょう!」
波が、日差しが、風が、自分達を歓迎している。そんな、気がするから。
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