●振って沸いた災難
それはまだ、ミス・パープルがケンブリッジに居た頃のお話。
ロシアほどではないにしろ、冬場はそれなりに寒い。そんな雪の降り積もるシーズンが終わり、積もった雪が融け、その水が大地を潤し、眠っていた草木や花々が目を覚ます頃、ケンブリッジは一年でもっとも美しい季節を迎えると言われている。
そんな、緑きらめくシーズンに、事件は起きた。
「え、えぇぇぇぇっ! ボクが、ですかぁっ!?」
ケンブリッジ学生寮にある食堂で、悲鳴に近い声を上げる生徒。そのテーブルの上には、ある宣伝が置かれていた。
「仕方ないだろ。ここにこー書かれちまってるんだからさー」
で、その話を持ってきたのは、そのケンブリッジで、職員寮の警護についている東雲辰巳である。彼が指し示したのは、生徒くんもよく知る人物の名前だ。
「主審、ミス・パープル‥‥。ほんとですか? これ」
そう、依頼や授業などで顔見知りの教師‥‥ミス・パープル女史である。なんでも、なんでも、魔法少女普及推進協会とか言う名前で、じきじきにご指名が下ったそうだ。
「頼む。俺は別件でどうしても外せない用事があるんだ! もう1人は、愛する兄貴とデートだとか言って、ケンブリにいないし、他に頼める奴がいなくてなー」
テーブルの上に、額をすりつける東雲。どうも、裏にはパープル女史に関する、特別な事情があるようだ。
ただ、一つだけ問題がある。
「でも、ボク、男なんですけど‥‥」
可愛い顔立ちをしてはいるが、生徒くんは、正真正銘頭のてっぺんからつま先まで、パラの男性である。だが、東雲はちちち‥‥と指を横に振ると、きっぱりとこう言った。
「そこが狙い目だ。ただの可愛い娘さんじゃ、あいつは動かない。だが、女装少年なら、あいつは絶対に目をつける!」
断言されてしまった。目を瞬かせて、「そ、そうなんですか?」と聞き返す生徒。と、彼は「うむ。今までもそうだったから、間違いないっ」と、太鼓判を押す。
「そ、それに、だ。優勝賞品も一応出るから、安心していい」
と、東雲はもう一枚の羊皮紙を見せた。それには、でかでかと賞品の絵がかかれ、金額が記されている。
「これは‥‥伝説の聖杯‥‥」
中央に、輝く効果付きで描かれたそれは、紛れもなく聖杯の図。ご丁寧に、聖人の絵まで書き込まれたそれには、『なんでも願いがかなうと言われています』と、ご丁寧に説明書きが付いている。
「もちろん、本物かどうかなんてわからないさ。けど、資料にはなりそうだろ」
「そうですね‥‥」
じっとそれを読みふける生徒に、東雲はそう言った。確かに、本物であると言う可能性は、0に近いだろう。
「これ‥‥、本当になんでも願いがかなうんでしょうか‥‥」
「百聞は一見にしかずだ」
ジャパン人の東雲さん、故郷のことわざを持ち出してそう言う。ここケンブリッジでは、耳慣れない台詞だが、実物を確かめておくに越した事は無い。
「わかりました。でも、パープル先生には、内緒にしておいてくださいね」
「引き受けてくれるか! それはありがたい。じゃ、当日は頼むぞ!」
釘を刺す生徒。しかし、東雲はあまり聞いてない様子で、彼の手を感謝過多の風情で振り飛ばすと、そのまま彼の前を後にしてしまう。
「‥‥まぁ、いいか」
1人残された生徒、しばらく呆然としていたが、そう呟くのだった。
●お詫びはご馳走で
魔法少女選手権の選出を終えたパープル女史は、恋人である東雲に誘われ、街中へと向かっていた。
「本当に良いのか? アレに願えば、記憶だって戻ったかもしれないぜ」
賞品として出た聖杯と言う名の金属製の杯は、紆余曲折の結果、参加者だった生徒の手に渡っている。だが、東雲がそうたずねると、彼女は首を横に振った。
「偽の記憶植えつけられる方が可能性高いし」
パープル女史にしてみれば、そんな都合のいいもの、転がってるわけでもないし。きっとそんな気がするだけのシロモノ、と思っているようだ。
「さ、遊びに行きましょ。おごってくれるんでしょ?」
腕を絡ませるながら、東雲を引っ張るパープル女史。そんな彼女に、東雲は「ワゴンのデザートだけな」と、苦笑する。
「けち」
「給料少ないんだから、文句言うなよなー」
教員寮の警護を勤める東雲だったが、他人にそう何回もおごれるほど、お財布事情は豊かではない。口では文句を言うものの、パープル女史もその辺りはわかっているようで、それ以上は要求しなかった。
「で、どこ行くのよ?」
「秘密だ。まぁ、悪い所じゃないから、さ」
そのワゴンが立ち並ぶ広場を抜け、食事どころが並ぶ方へと、パープル女史を連れて行く東雲。妙にそわそわした様子に、彼女はこう言ってきた。
「相変わらず、何か企んでるわね。まぁいいわ。夕飯一回くらいで、騙されてあげる」
「そのつもり」
今日は特別な日だ。彼女が、何も聴かないと言うのなら、それでもいい。そう思って、東雲達は、とある酒場へと足を踏み入れていた。
「さすがに、人が多いわねー」
「考える事は、皆同じってところか。そりゃそうだ」
夕飯時。ケンブリッジでも他の町と同じように、仕事開けの労働者や、冒険者でごった返している。長蛇の列には並ぶ気が起きないのか、東雲はこう呟く。
「うーん、ちょっと人が多すぎるなぁ‥‥」
「えー、あたしはそっちの方がいいんだけど」
彼の心情なんぞ、気にも止めていない風情のパープルさん、そこよりさらに賑やかな辺りへと、足を進める。
「賑やかな場所だと、俺がのんびりできん‥‥」
「そんなの気にする方じゃないでしょ。たしか三軒先の小道を曲がった所に、いい店見つけたんだ」
不満そうにそう言う東雲だが、パープル女史はさっさと好みの店へと入ってしまった。
「あ、待てってば!」
あわてて引きとめようとするが、まったく聞く耳を持ってはくれない。
「仕方が無いか‥‥。時間まではもう少しあるし」
教会の鐘の音を気にしつつ、彼もまた、そのお店へと入っていくのだった。
「ああああ‥‥。やっぱりこうなったか‥‥」
数時間後、東雲は空になった杯を見て、頭を抱えていた。
「なぁによぉ」
「い、いや‥‥。予想通りだと思ってな」
お酒や賑やかな場所の嫌いじゃない女史、東雲の抱えた頭が的中してしまったらしい。すでに、かなりの上機嫌。
「だって、騒ぐのは楽しいしぃ」
「少しは自重してくれ。毎回毎回持って帰るの、大変なんだから」
これ以上飲まれたら、つぶれて抱えて帰らなきゃならない。それでは、せっかくの計画が台無しだから‥‥と、注ぎかけた杯を取り上げる東雲。
「だったら、泊まってけばぁ? どうせ、寮で1人暮らしでしょ」
「ば‥‥っ、お前なぁ‥‥っ」
思わぬお誘いに、頬が朱に染まる。
「あれー。顔赤いよー?」
「う、うるさいっ。帰るぞっ」
指摘され、東雲くんはそれを誤魔化すように、首根っこをつまみあげた。まるで、子猫を運ぶかのように、酒場から引きずり出した彼が向かったのは、教員寮とは反対の方向だった。
「ちょっとぉ、どこ行くのよ?」
「いやそのー、ちょっと寄りたい所があってなー。歩けるか?」
酔い覚ましに風に当たるのは、別に構わないだろ? と、そう尋ねる東雲。こくんと頷いたパープル女史に、東雲は「だったら、ついてきてくれ」と、先頭に立つ。
「何か、妙に落ち着かないわね」
「そ、そうか?」
きょろきょろと周囲を見回し、始めて向かう場所を確かめるかのように、ゆっくりと歩を進める東雲に、パープル女史は何かを感じ取ったらしく、こう言ってくれた。
「まぁいいわ。騙されてあげる約束したし」
「そ、そうしてくれると助かる」
うろたえ気味な東雲。その心の中に、こんな思いがよぎる。
(さ、さすがに鋭いな‥‥。こりゃ、向こう付くまで、黙ってた方が無難だな‥‥)
記憶がない分、勘だけは人一倍鋭いレディさんを、こっそり連れて行くのは、なかなかに骨が折れそうだ。
「こら、ちょっと何かしゃべりなさいよ」
「いやそのー‥‥話すとバレるから‥‥」
しばしの沈黙の後、後ろからつつかれる東雲。ぎっくぅぅぅっ! と、顔を引きつらせて振り向く彼に、パープル女史は『甘いわね』と言わんばかりに、こう言った。
「なに、その程度でびくついてるの? らしくないわね」
「そうか?」
困惑したように、応える東雲。そんな彼に、パープル女史は、にやりと笑ってみせた。
「もっと堂々と騙しなさいよ。騙すなら、ね」
どうやら、彼が何かを隠している事は、既にバレてしまっているようだ。
「‥‥かなわないな。レディには」
「そうお? これでも手加減してるつもりよ。私は」
これが本気なら、ぎりぎりと締め上げられている事だろう。秘めた凶悪さを垣間見せないのは、相手が自分だからだと、東雲はそう思っていた。
「なら、そのまま大人しくしていて欲しいな。今日くらいは」
そう言って、彼は目的地へと到着する。繁華街から少し離れたその店には、『ハッピーバースディ』と書かれた、三段重ねのちょっとした紅茶セットが用意されている。
「これって‥‥」
どうやら、彼が予約して用意していたらしい。
「ここ最近、忙しくて、祝うどころじゃなかっただろ?」
「‥‥べ、別に気にしてなんて‥‥」
いないわよ。と言う単語は、既に消えかけていた。
「いいから受け取れよ。誕生日、おめでとう」
「‥‥うん」
そう言って、椅子を引く東雲。英国での作法に則り、どうぞと進める。そこだけは、普通の女性に戻って、素直に従うパープル女史。
「本当は、新しいライトハルバードを考えたんだけどな」
「あれは‥‥。私が倒れていた時から持っていた、大切なものだから‥‥」
ずいぶんと使いこまれた武器。新品に交換してあげようと思ったが、彼女は首を横に振る。
「ああ。神父様に聞いたら、そうだって言っていたしな。そんな大切な物を、取り上げる気は無いよ。だから、代わりに、これを」
代わりに差し出したのは、穂先をかたどったブレスレッドだ。
「レディさんが喜びそうなもの、結局分からなかったから‥‥」
申し訳なさそうに、そう言って。3日間、実家代わりの神父や、周囲の教職員に聞いてみたけれど、彼女は本当に親しくなった者でないと、自分の本当の好みは話さないらしく、良く分からなかったそうだ。それで、以前喜んでくれたものの別バージョンを‥‥と言うわけである。
「受け取って、くれるか?」
「それだけの手間をかけさせて、受け取らないわけにいかないでしょ」
くすりと笑って、そのブレスレッドを受け取り、左腕にはめ込むパープル女史。そして『似合う?』と言わんばかりに、東雲の手の上に、それを重ねた。
「ありがとう」
受けってくれて。
「礼を言うのは、こっちの方よ」
「ふふ」
いやね。何言ってんのよ。そんな声なき声が聞こえたような気が、東雲にはした。
「ごちそうさま。それと、ありがとう」
いつもの軽い口調ではなく、きちんと頭を下げて。そして、キスまでくれて。
(パーティのお返しは充分ってところだな)
その笑顔に、東雲はそう感じるのだった。
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