パリの街は賑やかだ。国内のあちこちで作られた品物は言うまでもなく、海峡の向こう側、国境の向こうから運び込まれた物も多い。そんな、様々な品物と、それを運ぶ人、買い求める人等でごった返している中、エイルはなんとはなしに、街を散策していた。
だが、人が多ければその分、いい奴ばかりではなくなる。
「待ちやがれコラァ!」
雑踏の向こう。ちょうど店の裏側にあたる路地から、何人かの男の声と、走り回る足音が聞こえる。
「ん? 何の騒ぎかしら‥‥」
言葉尻から、穏やかな昼下がりの追いかけっこと言うわけではなさそうだ。そう思ったエイルは、急いで声のするほうへと向かっていた。
「ぶつかっといて、侘びもねぇのかよ」
見ると、買い物帰りらしい神父が、数人の男達に取り囲まれて、困った表情を浮かべていた。
「だから、ごめんなさいと言ったでしょう?」
そう言う神父だったが、相手は小遣いを巻き上げようとしたのだろう。「誠意を見せやがれって言ってんだよ!」なんぞと口にしている。
「では、祈りでも捧げましょうか?」
もっとも、神父様の方も、そんな無頼の輩に払う気はないようで、十字架のネックレスを片手に、そう微笑みかけている。
「ナメてんのか!」
「そうじゃないんですが‥‥。困りましたねぇ‥‥」
あまり相手をしたくない輩だと言うのは、神父も同じだったようで、何とかやり過ごそうとしているが、三方を囲まれて、身動きがとれずにいるようだ。
「お待ちなさい!」
それを見抜いたエイル、即座にそう叫んでいた。振り向いた連中は、口々に「んだ? 姉ちゃん」だの「邪魔だ。すっこんでろ」だのと、お約束な台詞を口にしている。そんな彼らを、『大したことないわね』と思ったエイル、口元に笑みを浮かべながら、挑発してみせる。
「あら、ずいぶんと甘く見られたわね」
「あ、あのー‥‥」
立ちはだかるように、後ろへ庇った神父が、申し訳なさそうな表情でそう言った。見た目はうら若き乙女のエイルを、騒動に巻き込むわけにいかないと思っているのだろうと判断した彼女は、剣の柄に手をかけながら、微笑んでみせる。
「安心してください、神父様。このような輩、騎士として放っておくわけには、参りませんもの」
そして、男達に向き直り、まるでゴブリンを相手にするかのように、厳しい表情を浮かべる。
「良く見りゃ、可愛いおねーちゃんじゃねぇか」
「こいつが代わりでもいいよなぁ」
だが、そのりりしい姿を見た相手は、別の煩悩を持ってしまったようだ。
「ふん、そんな不届き者は、成敗してあげるわっ!」
本気で嫌悪感を抱いたエイルは、迷わず剣を抜いた。懲らしめるのが目的なので、剣は平にしてある。
「ひ、ひぇぇぇ。申し訳ありませんー」
どかげしばきっと、ものの数秒で、叩きのめしてしまうエイル。相手も、一発剣で殴っただけで、悲鳴を上げながら、路地の向こう側へと逃げてしまった。
「ふん。根性のない連中ね」
剣を収めながらそう呟くエイル。彼女は、きょとんとしている神父へと駆け寄り、声をかける。
「大丈夫ですか? 神父様」
「ええ、私は平気ですよ。それより、怪我はありませんでしたか?」
囲まれてただけですから‥‥と答え、エイルの身を案じる神父。が、彼女も冒険者の端くれであり、騎士叙勲を受けた身。街のごろつき程度には、かすり傷一つつけられはしない‥‥と。
「この程度なら、鍛えていますから。神父様こそ、変な事されませんでしたか?」
「はい、心配していただいて、ありがとうございます。良ければお名前を‥‥」
顔の良い神父は、とかく狙われやすい。ぺこりと頭を下げ、無事な事を告げると、彼はそう聞いてきた。
「あ、私はエイル・ウィムと申します」
名乗るほど者でもない‥‥と、お芝居のような台詞は、さすがに恥ずかしくて言えない彼女、素直に自分の名を名乗る。と、神父様は「え」と、目を丸くしていた。
「どうかしました?」
「あ、いえ‥‥私の先祖で丁度貴方と同じ名前の方がいたので、偶然だなぁ、と。ああ、申し遅れました。私は‥‥」
怪訝そうに首をかしげる彼女に、その神父はその理由と、自身の名を告げる。と、今度はエイルの方が驚く番だった。
(って、あたしってば、従兄弟を助けちゃったわけぇ?)
そう、その名前は、故あって素性を明かせない親戚‥‥ウィル・ウィムだったから。衝撃を受けるエイルに対し、ウィル神父はこう言って、十字架のネックレスを手に、祈りを捧げてくれた。
「これも主の導きです。お礼をしたいので、よろしければ、教会の方へ」
「は、はい。ありがとうございます」
その疑いのない表情に、断りきれなかったエイル、頷いてしまう。
「教会はこの近くですから、ご案内しますよ」
まるで不審者のように、こくこくと頷いて、後を付いて行く彼女。
(どーしよー)
ウィルはまだ、彼女が故あるものだとは知らない。頭を抱えながらも、何とか言わずに済む方法を考えるエイルだった。
だが、ウィルの家は本当にパリの近くで、エイルがその方法を考える前に、到着してしまった。
「神父様、おかえりなさーい」
「お姉ちゃん、だぁれ?」
出迎えに出てきたのは、まだ保護が必要と思われる子供達。ウィルに「これこれ、ご挨拶しなさい」と注意され、元気良く「「こんにちはー」」してくれる。
「はい、こんにちは。あの、神父様、この子達は?」
そう返してから、エイルは彼に子供達の事を尋ねた。
「皆、親のない子達です。まだ、ご覧の通りの年齢なので、教会で面倒を見ているんです」
そう言って、抱き付いてきた子供の頭をなでなでしているウィルの表情を見る限り、まるで仲の良い家族だ。
(そっか。幸せにやっているのね‥‥)
ほっと胸をなでおろすエイル。ウィルの家は、彼女からしてみれば、分家に当たる。一度、何か不幸があったらしいが、今はそんな影など、欠片も見えなかった。
「神父様ー、お手紙来てるよー」
「困った子供達ですね。お客様が来ていると言うのに‥‥」
とてとてと、届け物をしてくれる子供達の姿に、苦笑するウィル。その姿を見る限り、幸せそうだ。
「気にしないで下さい。私も嫌いじゃありませんし」
本沸かした気分で、エイルはそう答える。と、彼は「すみませんね」と一応謝ってから、子供達の運んできた物を受け取っていた。
だが、その表情が、哀しげに曇る。
「あのー‥‥、何か困った事でも?」
恐る恐る‥‥と言った表情で、エイルがそう尋ねると、ウィルは先ほどと同じ微笑を浮かべ、こう答える。
「いえ、今日も来ていないな‥‥と。とある方からの手紙を待っていたのですが‥‥」
「手紙?」
誰の‥‥だろう。そう顔に浮かべるエイルに、ウィルは心配させないようにと思ったのか、首を横に振る。
「いえ、お客様にお話しするような事ではありませんから」
「そ、そんな事ありませんよ」
だって、従兄弟じゃない‥‥と、言いたいのをぐっとこらえ、エイルは「困ったことがあれば相談に乗りますよ!」と、声を上げてしまう。その、一生懸命役に立とうとしている若い女性騎士の姿に、ウィルは何かを感じ取ったのか、事情を話してくれると言う。
「そうですか。では、何もありませんが、こちらへどうぞ」
「はぁい」
立ち話もなんだから‥‥と、奥の食堂へと案内してくれるウィル。素直にそう言って、エイルは後を付いて行くのだった。
食堂で出されたのは、教会で育てているハーブのお茶だった。独特の香りに包まれながら、ウィルがエイルに話したのは、彼女自身も良く知る物語だ。
「そうですか‥‥。その援助のおかげで、こんな立派な牧場が‥‥」
感慨深げに、窓の外を見やるエイル。彼女とウィルに、直接の面識はない。だが、昔、とある事件をきっかけに、従兄弟の存在を知った彼女は、冒険者をしていると言うウィルに、本家の家計をやりくりして、資金を一部送るようになった。
「はい。それで何とか、子供達の食べる分だけは、賄えるようになりまして。ご先祖様には、感謝しなければなりませんね」
そう話すウィル。エイルは、送る資金を『昔、先祖に世話になった者の子孫』だと名乗り、寄付の形を取った。先祖も色々あったらしく、本家の者である事を明かせば、きっと遠慮されてしまうだろうから。
(よかった。私のしてきた事は、無駄じゃなかった‥‥)
ちょっと、涙ぐんでしまうエイル。彼女が寄付した金額のおかげで、窓の外からは笑い声が絶えない。それを思うと、嬉しかった。
「あ、あの‥‥。エイルさん?」
が、ウィルにしてみれば、自分の話で、お客様が泣き出してしまった‥‥と言うわけである。おろおろしないわけがない。困惑したように、そう尋ねてくる彼に、エイルは慌てて首を横に振る。
「い、いえっ。良いお話しだなぁと」
「ありがとうございます。ただ、少し心配なのが、手紙が来なくなった事で‥‥」
と、ウィルはその話の中で、一番気になっていた事を話した。その『先祖に世話になった者』は、資金と共に彼と文通を始めたそうだ。
「手紙?」
「はい。実は、援助をしてくださる前は、冒険者をして、子供達の食べる分を稼いでいたのですが、それを知った援助者の方から、お手紙が来なくなったのです」
ウィルが書いたのは、自分の身の回りに起きた事ばかり。特に冒険の事など書いたのだが、それを繰り返していたある日、相手から手紙がこなくなったそうだ。
「大丈夫ですよ。きっと、その方も申し訳なくて‥‥」
その文通の相手だったエイルは、ウィルにそう告げた。本当は、その冒険の話を聞いているうちに、自分も冒険者になりたくて、騎士免許を取り、こうして旅立ったと言うわけだ。
「どうして、そんな事を‥‥」
「あ、いえ。そんな気がしただけですっ。わ、私も名門とか言われてますけど、こんな風に賑やかじゃなくて‥‥」
怪訝そうに尋ねられ、慌てて言いつくろうエイル。冒険に出た理由はもう一つ。本家の家の中が、なんだかぎすぎすしていたから。ところが、ウィルはますます首をかしげて、不思議そうに言った。
「奇遇ですね。その手紙の方も、そんな事をおっしゃっていたので‥‥」
「そ、そうでしたかっ」
顔を引きつらせるエイル。何とか自分の正体を隠そうとしたのだが、これでは、ますます疑いを強めるばかりだ。
(あーん、私の馬鹿馬鹿〜! これじゃ、バレちゃうじゃない〜!」
心の中で、自分の頭をぽかぽかとお仕置きするエイル。だが、ウィルはそんな彼女に、今度は心配そうに尋ねてきた。
「あの、どうかなさいました?」
「い、いえっ。あ、そうそう。私だけで話すと、子供達も大変でしょうから、一緒にどうですか?」
これ以上、この話を続けると、自分からぼろを出してしまいそうだ。その思いを、薬湯と一緒に飲み込んだエイルは、さっきから興味深そうに覗き込んでいる子供達を指し示し、そう提案する。
「お気遣い痛み入ります」
「じゃ、じゃあちょっと放牧場の方に行ってきますねっ」
ウィルが感謝の意を示すと、エイルはそう言って、急いで席を立つ。
「‥‥‥‥」
その後姿に、彼が確信したような‥‥複雑な表情を浮かべたのには、まったく気付かずに。
さて、一足先に、牧場の風に吹かれていたエイルは、1人頭を抱えていた。
「うーん、絶対会う事なんてないと思ってたのになぁ‥‥」
ウィルとの文通の中で、冒険に興味がわき、同じ国を目指したのは事実だ。パリ一つとっても広い。そうそう会う事もないだろうと考えての選択だったが、運命の神様は、歯車をはめ込んじゃったらしい。
「はい、どうぞ」
思い悩むエイルに差し出される、白い液体。絞りたての香りがする。
「わぁ、美味しそう。でも、いいの?」
「牛乳なら、沢山ありますから」
さすがに、牧場なので、牛乳だけは売るほどある。「じゃあ頂きます」と口をつけた瞬間、ウィルはそれを吹き出させるような事を聞いてきた。
「エイルさんはどうして冒険者になったんですか?」
むせるエイル。
「ど、どうしてそれを‥‥」
「なんとなく、ですよ。私も、冒険者になって長いですから」
やわらかい笑みを浮かべたまま、そう答えるウィル。あー‥‥えーと‥‥と、しばらく思い悩んでいたエイルだったが、肝心な所は告げずに、こう言った。
「え、えと‥‥。その、私の先祖も冒険者だったので‥‥。とある人に憧れて‥‥。それで‥‥」
やっぱり、疑いを増徴させるような台詞である。しかし、ウィルは今度は表情を変えず、「そうですか‥‥。若いのに、大変ですね」と、答えるばかりだ。
「結構楽しいですよ。それに、いつまでも実家に頼ってはいられませんし、色々と必要な資金がありますし」
そう言って、何度か参加した冒険の事を思い出すエイル。その度に、なんだか自分が成長したような気がする‥‥と。
「苦労なさっているんですね‥‥。よろしければ、チーズでもお土産に」
「い、いいえっ。まさかウィル様から、貰うわけに行かないですよ」
うっかり、敬称をつけてしまい、やっぱり「様‥‥?」といぶかしがられてしまう。
(ああああ、どんどん疑われてる気がする〜)
「‥‥‥‥」
じーっと見つめられて、わたわたと内心気が気じゃないエイル。
(何とかしなきゃっ。そうだ!)
そう思った彼女、こう言った。
「べ、別に私の事なら、心配しなくて良いんですよ。武者修行には、ぴったりですし」
父には、そう言ってある。フランクの騎士を始祖とする彼女の家は、そう言われると、止めようがなく、しぶしぶ‥‥と言った調子で、家を出てきたのだと話した。
「なるほど‥‥」
(納得してくれたのかな)
ようやく安心するエイル。牛乳も飲み終わったことだし、「それじゃあ、そろそろ私も帰りますね」と、席を立つ。
「はい。長々とお引止めして申し訳ありませんでした」
「いえいえー。私もすっかり長居しちゃって」
時刻はもう夕暮れ。さすがに、夕飯までたかる気なんざないエイル、これ以上疑われる前に、家へ戻った方が良さそうだ。
「そうそう。私の親戚のご家庭も、娘さんが家出同然に、出てしまわれてまして」
と、見送り間際、ウィルがそんな事を言い出した。「え」と、口をあんぐり開けているエイルに、彼はさらりとこう続ける。
「武者修行と言う事だったんですが」
「あ、あははは。ぐ、偶然ですねぇ‥‥」
乾いた笑いを浮かべるしかないエイル。
「私も、その方とは、手紙を交わす仲でしたし、他人事でもないんですよ」
まるで、先ほどの文通相手の続きを話すかのように。と、エイルは「そ、そりゃそうでしょうねぇ‥‥。親戚だし‥‥」なんぞと、もごもご言っている。
(やはり、彼女は‥‥)
その態度を見て、確信するウィル。彼は、目を合わせないようにしているエイルに、こう言った。
「その娘さんには、私からも伝言がありまして」
「は、はい‥‥」
さっきとは打って変わった真剣な表情に、釣られたエイルも真摯な顔つきになる。
「資金援助も、ご好意としては大変嬉しいのですが‥‥。出来れば、またお手紙を下さい。子供達も、遠く離れた土地の話を、楽しみにしておりますので‥‥」
「これは‥‥」
そう言って、ウィルが手渡したのは、子供達が『おねえちゃんへ』と書き記した寄せ書きだ。それには『おしごとがんばって』とか『またあそびにきてください』等々、それぞれの言葉で、メッセージが綴られている。
「あと、たまにはご実家の方にも、お手紙を届けるよう、お伝えください」
まるで、自分に言っているような台詞。
(も、もしかして‥‥)
やっぱり、バレたのかな‥‥と、なんだかばつの悪そうなエイル。しかし、ウィルは、それ以上は要求せず、ただ「お願いしますね」と、伝言を頼むように締めくくる。
(次の依頼の後には、また手紙を書こう‥‥)
こくんと頷いて、踵を返すエイル。そうだ。心配かけるから、冒険者になった事は伏せたって良い。元気でいる事を、伝えられれば。
「神父様、どうしたのー?」
「いえ、なんでもありませんよ。あのお嬢さんが親戚だったなんて、驚きですけどね‥‥」
そんな彼女を見送ったウィル、子供に尋ねられて、そう答えている。どこか、懐かしそうに。
(どうか、無事で。いつか、また冒険者街で、お会いしたいものです)
心の中で、祈りを捧げるウィル。今度は、立派になった貴方と、同じウィム家の一族として。
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