その日、モルモット姉さんこと稲川ジュンコさんが、オファーを受けたのは、とあるひなびた田舎町の観光取材だった。
「どうしてこんな事になるのよーう」
不満そうに頬を膨らませるジュンコ。それもそのはず、町おこしの一環として、依頼を受けたはずなのだが、待ち受けていたのは、野郎ばかりのスタッフと、その野郎どもが喜びそうな衣装だったから。
「そんなー。田舎の温泉街には、お約束でしょー」
「えーん。けど、これは際ど過ぎますよぅ」
スタッフに言われて、頬を膨らます彼女。用意されていたのは、肌色の撮影用水着と、でっけぇバスタオル。それつけて、街に一件しかない温泉に入れと言う奴らしい。
「仕方ないじゃん。今日び、旅番組じゃ、70過ぎのじーさんだって、風呂入ってるぜー」
「私はおじいちゃんじゃありませんっ」
論点はもはやそこではないのだが、脳みそに血の上ったジュンコ、そう不満を募らせる。が、プロデューサーには逆らえず、やむなく台本と書かれた紙っぺらを受け取っている。
「えぇと、疲労回復神経洗浄精神病に効果アリ‥‥と」
微妙に何か違うモンも入っているような、怪しげな効能表を、頭に入れるジュンコさん。仕事を始める姿勢を見せる彼女に、スタッフは『んじゃあよろしくー』と言い残して、準備を始める。
「うう‥‥。わかりましたよう。でも絶対見ないで下さいねっ」
そんなスタッフに、念を押して、衣装に着替えるジュンコさん。だが、湯船に入った彼女を待ち受けていたのは、2台のカメラと、防水仕様の音声さん。それにADAP合わせて数人と言う、男の子フルセットな撮影班だった。
「こ、これじゃあ、恥ずかしくて出られません〜!」
水着を着て、さらにその上からバスタオルを羽織っていて、恥ずかしいもへったくれも無いもんだが、そこは微妙なヲトメ心と言う奴だろう。
「はいはーい。ねーさん、笑顔でねー」
「そ、そんなの無理です〜!」
カチンコを鳴らされて、そう言いながらも、ジュンコさん、引きつらせた笑顔を浮かべて、渡された効能を口にしている。この辺りはプロ根性と言う奴だろう。
「はい、OKです。じゃ、上がってください」
「で、出来ませんよぉ〜」
放映時間にして5分と行った所のサービスカットは、半日ほどかかった。今にして思えば、その長時間撮影が、後々の事件を引き起こしたのだろうが、この時点のジュンコさんは、いい加減顔が湯だっているので、まったく気付いちゃ居ない。恥ずかしがり屋の彼女にしては、皆が見ている前で風呂から上がるのが、躊躇われるのだろう。
「うーん、仕方ないなぁ。じゃ、機材片付けるまで待ってて」
彼女の要望に、スタッフは、一応精密機械の塊だらけとも言える、カメラやマイクをはじめとする撮影機材を、先に撤収する事にしたらしい。
(早く片付かないかなぁ‥‥)
てきぱきと進む作業を、首元まで湯に浸かりながら、ぼんやりと眺めるジュンコさん。ややピンクがかった乳白色のそれは、彼女のお肌をも桃色に染め上げる。
(長いなぁ‥‥)
湯気の向こう側の作業は、かなり続いていた。まだかなぁ‥‥と眺める彼女の視界が、次第にぼやけるほどに。
「あれ?」
目を瞬かせるジュンコさん。視界だけではない。意識もだんだんかすんでくる。まずいかな‥‥と思う彼女だったが、相変わらず続く作業が邪魔をして、立ち上がる事が出来ない。
(うーん、どうしよう‥‥)
しばし、考える。が、その思考回路がまとまらないうちに、彼女の意識は、闇へとぶっ飛んで行くのだった。
「ここは‥‥」
気がつくと、彼女は見覚えの無い場所に倒れていた。
「温泉じゃない‥‥」
湯船どころか、旅館さえ綺麗さっぱり消え失せている。広がるのは、良く手入れされたと思しき木々ばかりだ。
「と、ともかく、スタッフを探さないと‥‥」
周囲を見回し、歩き出すジュンコちゃん。
「痛‥‥ッ」
だが、すぐにその歩みを止めてしまう彼女。顔が苦痛に歪んでいる。
「そっか。衣装このままか‥‥」
見れば、足元は裸足。それに身に纏っているのは、撮影の時の水着&バスタオルそのまま。確かにこれでは、数分もたたないうちに座り込んでしまうだろう。その証拠に、素足の足元は傷だらけだった。
「このまま倒れちゃうよりは‥‥いいか。誰も居ないし」
そう判断したジュンコさん、周囲に人が居ない事を確かめると、ぺこんっとハムスターの耳を生やした。半獣化しておけば、手足もさして傷つかないと思ったらしい。
「まぁ、この状態なら、撮影で誤魔化せるしね‥‥」
バスタオル姿に尻尾と耳とか言う、どこぞの秋葉原住人辺りが見れば、可愛いと言うかもしれない姿になって、彼女はぺろっと舌を出す。確かに、獣の力で覆われた手足は、次々とかぶれ効果のある植物達から、身を守ってくれた。
ところが、である。
「グルルルル‥‥」
どこかの童謡ではないが、森の木陰で牙を剥く獣。
「え‥‥」
振り返るジュンコさん。見れば、木々の向こう側で、大きなくまさんが、こちらに狙いを定めていた。
「えーと、ADさん‥‥じゃ、ないよ‥‥ね?」
誰かが完全獣化してたのかと思い、お手手を振ってみるものの、反応は無い。いや、それどころか、じりっと距離を詰めてくる。
「がぁぁぁっ!」
そのまま突進してくるクマさん。驚いたのは、ジュンコの方である。まさかクマが出るような森だとは、思っていなかったからだ。
「いやぁぁぁんっ」
思わず回れ右をする彼女。本当なら、余裕とは言わないまでも、どうにか相手を出来るくらいのはずだが、今は丸腰の上、いささか心もとない装備。
「ちょっとぉ、ついてこないでよぉう!」
追い返そうとはするものの、くまさんはずっと追尾中。
「あ、まず‥‥」
思わず歩みの止まるジュンコさん。とうとう崖っぷちに追い詰められてしまった。しかもその下は、藍色をたたえる、とても深そうな川。
「がぁぁぁっ!」
覚悟決めなきゃ! と思う間もなく、振り下ろされるクマの爪。
「わぁぁぁっ」
慌てて横に飛び退るものの、その鋭い切っ先に引っ掛けられて、タオルがはらりと落ちてしまった。
「えーん、こんなんじゃ、戦えません〜」
胸を押さえてへたり込むジュンコさん。誰も見ていない筈なんだが、やっぱりヌード同然の格好は恥ずかしいらしい。
「グルルル‥‥」
勝ち誇ったように、そう低く唸るクマさん。してやったりといった声で、とどめの前足を振り上げる。
「うわぁぁぁんっ」
ぎゅっと目を閉じる彼女。恐怖が支配する。
「あ、あれ?」
だが、いくら待っても、食らうはずの衝撃は来ない。
「ええいっ!!」
代わりに、気合の声と共に、一陣の風が吹き抜けていた。
「大丈夫か?」
「あ‥‥」
女性の声がするので、恐る恐る目を開ける。
「クマが人を襲うと聞いていたので、巡回してたんだが、どうやら奴がその人食い熊らしいな」
見れば、女性が2人。手に、サーベルや弓と言った武器を携帯している。その人食い熊はというと、彼女の連れらしき男性陣に、山へ追い返されている所だった。
「すごい‥‥」
その鮮やかなコンビネーションに見とれてしまうジュンコさん。
「怪我は無いか?」
「あ、はい‥‥。大丈夫、です」
呆然としているうちに、女性の1人が声をかけてきた。良く見れば、まだ少女ともいえる年頃だ。おまけに制服を着ているところを見ると、何処かの学生さんなんだろう。
「そんな格好で‥‥。いったいどうしたんだ。襲われでもしたのか?」
「いいえ。近くで撮影中に、迷子になってしまって‥‥。探しているうちに、くまに襲われちゃったんです‥‥」
嘘は言っていない。その間に不可思議な現象があったかもしれないが、迷子は迷子だ。
「そうか。映画かなんかの撮影中なら、仕方が無いな。まぁ、そんな姿では、バスにも乗れないだろう。服くらいなら貸すよ」
相手は、それで納得したのか、そう言ってくれた。そして、すぐ近くにあると言う学校へと連れて行ってくれる。
「そうですか‥‥。元々は都会の方なんですね」
何でも、彼らは交換留学で、こちらに来ているらしい。1人だけいた年上の青年は、きっと引率の教師とかコーチとか、そのあたりなのだろう。
「あら、良い雰囲気の学校ですね」
そんな話をしているうちに、あっという間に校舎へ付いていた。木造二階建ての、古そうな校舎である。
「ちょっと待ってて。話通してくる」
そう言って、4人連れの1人が、職員室へ向かう。そして、なんだか良く分からないうちに、ジュンコさんは、女子更衣室と書かれた部屋へ案内されて、制服を渡されていた。
「サイズ、大丈夫?」
「ええ。胸もきつくないですし‥‥」
頷く彼女。さすがに芸能人だけあって、似合わないと言う事は無い。どう言うわけか。尻尾の通しやすそうな切れ込みが入っている制服は、普通の服では胸のボタンが閉まらない彼女の身も、すっぽりと修めてくれる。若干スカートの丈が短すぎるような気がしたが、最近の学生のスカート丈を考えると、妥当なデザインだろう。
「ありがとうございます。こんな貸して頂いて」
「いえいえ。どうせ余ってるし」
礼を言い、教えられたバス停へと向かう彼女。借りた制服は、後で返してくれれば良いそうで、連絡先も貰った。
(感じのいい子だったな)
そう思い、高感度MAXで、バスに揺られるジュンコさん。一時間も乗っていれば、街中に着くそうだ。
ところが。
「うーん。まだかなぁ‥‥」
いつになっても、バスは駅に着かない。それどころか、霧で、30cm先も見えない有様だ。
「運転手さん、大丈夫なんでしょうか‥‥?」
そういって、運転席を覗き込む彼女だったが、そこに広がる光景を見て、唖然とする。
「嘘‥‥。誰も居ない‥‥?」
なぜならそこにあったのは、ただの抜け殻。制服だけがぽつんと残されていたから。
「ちょっとぉ。一体どうなってるのよぉう〜!」
慌てて運転席へと滑り込み、ハンドルを握るジュンコさん。大型の運転方法なんてわからないが、きっと止めるだけなら、普通の車と変わらないだろう。
「きゃあっ」
だが、慌ててブレーキとアクセルを踏み間違えてしまったようだ。急にスピードを上げるバス。
「ど、どうしようっ」
深い霧で、視界はゼロ。頭も真っ白。
「わぁぁぁっ」
パニクった彼女の目の前に現れたのは、高い壁。強い衝撃に、彼女は再び目を回すのだった。
「ジュンコちゃんっ。しっかりしなよ。ジュンコちゃんってば!」
「う、うーん‥‥」
揺り動かされ、目を覚ますジュンコさん。
「あ、あれ? ここは‥‥」
気がつくと、旅館の部屋だった。しっかり浴衣を着せられ、布団に横たえられ、スタッフが心配そうに覗き込んでいる。
「風呂場で倒れちゃったんだよ。無理するからだってば」
「すみません‥‥」
ぺこんと謝る彼女。さっきの事は夢オチだったのだろうか‥‥。そう思った彼女だったが、その直後、そうでもない事が起きた。
「あれ? ジュンコちゃん、制服なんか持ってたっけ?」
「え?」
着替えを取ってこようとしたスタッフに言われ、はっと顔を上げると、見覚えのある制服一式が、荷物の中に詰まっていた。
「もしかして‥‥」
握り締めた手を開くと、連絡先もしっかり書かれている。ただ、半分は濡れてにじんでしまっていたが。
「あのう。この辺に木造二階建ての校舎の学校って、ありませんでした?」
「ああ、あったよ。でも、確か5年か6年くらい前に、廃校になった筈だけど」
最後は、交換留学とかもやってたみたいだけどね‥‥と、教えてくれるスタッフ。
(きっと、あれはその時の生徒なのかな‥‥)
良く分からないが、この制服は、その学校の者なのだろう。いつか、行き先を調べて、返しに行こうと、心に誓うジュンコさんだった。
※この文章をホームページなどに掲載する際は、必ず以下の一文を表示してください。
この小説は株式会社テラネッツが運営するオーダーメイドCOMで作成されたものです。
|