朝食に使った食器類を片付けるオフィーリアを、手伝いながら眺めていて、シノはふとひとつの事実に気がついた。
彼らは少し前から生活を共にするようになっているのだが、そうなってからというもの、あまりデートをした覚えがない。
スキンシップをとっていないわけではないが、「特別」な事は何もなかった。すっかり「日常」の延長線になっていた。これではいけない、とシノは拭き終わった皿をテーブルに置き、オフィーリアに話しかけた。
「ねえ、オフィー。後で一緒に買い物へ行かない?」
「どうしたの、いきなり」
「荷物持ちするよ」
「確かに幾つかお野菜が底をつきそうだけど‥‥でも今日はそんなに沢山買う予定は――」
「いいから。僕が手伝いたいんだ」
勿論、買い物に行くというのは方便以外の何ものでもない。ただの口実。二人で出かける為の。
「‥‥」
「‥‥‥‥」
しかしいざ出かけたはいいものの、シノは面白くなさそうにしていた。彼はオフィーリアと並んで歩きたいのに、肝心の彼女は彼の半歩後ろをついてくるのだ。困ったように下がった眉と照れたように朱のさす頬は随分と可愛らしいのでそれはそれで結構なのだが、やはり面白くない。
「オフィー」
「はい? ――きゃぁっ!!」
振り向くとほぼ同時に、彼女の腕を掴んで引き寄せる。腕はそのまま自分の腕に絡めてしまえば完了だ。
不意をつかれて顔中どころか耳の先まで真っ赤になったオフィーリアは、ほてったゆえに瞳をわずかに潤ませながら、シノの目を確認する。シノがにっこり笑い返すと、彼女も観念したらしく前を向いた。
二人は腕を絡めたまま、てくてくと歩いていく。どこへ行くのか、舵取りはシノの役目。
職人達が店を連ねる通りに着けば、人と活気に溢れていた。生鮮食品店の並ぶ通りはまた別にあるので、オフィーリアはまたシノの目を見て確認を求めた。
「お野菜を買いに来たんじゃ‥‥」
「それは後でね。今はデート中なんだから」
そんな話は聞いていないと驚く彼女を連れて、シノはさっさと目的の店の扉を開ける。様々な色に染め抜かれた布が所狭しと棚に並び、完成品もしくは見本であろう衣服が飾られている。――仕立て屋だ。
店主が近づいてきて、シノはようやくオフィーリアから腕を放した。店主と共に店内を見て回る為だ。そしてオフィーリアに似合いそうな色の布地を見つけては、あっけにとられている彼女のところへ戻ってきて、その布地を合わせてみる。店主は店主で、オフィーリアの身長や体格から、似合いそうなデザインの既製服を奥から持ってくる。
強く勧められては断るわけにもいかず、オフィーリアは試着室から出られなくなる。シノに対しては、自分のことも考えればいいのにと思うけれど、やけに楽しそうにしていうので何も言えない。次の服が来るまでの時間は、室内を眺めて過ごす。
あれは綺麗。あれは可愛い。あれはちょっと着てみたい。あれは‥‥どんな構造になっているのか気になる複雑さ。
順に見ていくなかで、オフィーリアは一着のドレスに目を奪われた。高価な白い布で仕立てられ、細かな刺繍が施されたそれは、添えられているヴェールから考えても、明らかに婚礼衣装‥‥ウェディングドレスだった。
「オフィー、これも着てみて――何を見てるの? ウェディングドレス?」
「あっ、なっ、何でもないから‥‥」
そういう類も引き受けるというサンプルなのだと、店長は言った。気になるのなら試着を、とも。
だがオフィーリアは断った。シノが着て見せてほしいと頼んでも、彼女はかたくなに拒み続け、決してドレスに袖を通そうとはしなかった。
その後、何事もなかったようにデートは続いた。レストランをのぞいて昼食をとり、腹ごなしを兼ねて出店を廻る。
最近は目的もなく二人でぶらぶらするなんてご無沙汰で、見たもの聞いた事を話題にしてとりとめもない会話をするだけで、いつも以上の幸せを感じる。今度は強引ではなく自然な流れで腕を組み、傍目から見ても羨ましくなるほどの仲のよさだった。
けれどまた、オフィーリアの視線が止まる。
歓声。舞う花びら。鳴り響く荘厳な鐘。教会から出てきて友人達や親族に囲まれる、きらびやかな衣装の若い男女。
結婚式だった。
「‥‥素敵ね」
「オフィー‥‥」
シノとオフィーリアは神の御前で永遠の愛を誓いはしたが、式は挙げていない。式を挙げるとなればまとまった金が必要になるからだ。用立てるのは、二人には厳しいものがあった。故に断念した。諦めた。
それでも、とオフィーリアが思ってしまうのは女性として仕方のない事だろう。一生で一番美しい姿と言われる花嫁姿を、一番大切な人に見てほしいと思うのは。
式を挙げたいと口に出せば、シノに迷惑がかかる。それはオフィーリアにもわかっていて、だからこそ自分以外の人の式を見て、心を慰めていた。
「‥‥丘の上に、サクラの木があるだろう? そこで待ってて。僕は用事を思い出したから」
「用事って」
「すぐ終わるよ。だから、いい子で」
オフィーリアのおでこに軽くキスをすると、シノは踵を返して走っていった。
シノが言う用事が何なのかはわからなかったが、オフィーリアは素直に指定された場所へと歩き始めた。
すぐ終わると言っていたわりに、時はどんどん過ぎていき。
気がつけばサクラの木の上には真ん丸く光を放つ月が星々を従えていた。‥‥いや、オフィーリアは気がついていなかった。彼女は待ち疲れ、サクラの木にもたれて眠ってしまっていた。
ようやく追いついたシノは肩で息をしながら、ゆっくりと腹部を上下させるオフィーリアを暫し眺め、それから彼女を揺さぶった。
「起きて。起きて、オフィー」
「‥‥あ‥‥シノ‥‥用事はもう済んだの?」
「終わったよ、ごめんね待たせて。さあ、これに着替えて」
「‥‥これは」
シノからオフィーリアへと手渡された包み。オフィーリアが包みを解くと、眩しいほどの白が視界を占めた。まさかと広げてみれば、先ほど仕立て屋で試着を拒んだウェディングドレスだった。
「僕の分もちゃんと用意したんだ。オフィーはそこの茂み、僕はあっちの茂みで着替えよう」
「待って、シノ。こんな、高価なもの‥‥」
ドレスと同じ色の礼服を見せて、シノは微笑む。
一方、慌てるオフィーリア。ドレスだけでなくシノの礼服までなんて、一体いくらかかったのか。そんなつもりでドレスや式を見ていたわけではないのに、また迷惑をかけてしまったのかと胸が痛くなる。
「ねえオフィー。どうして僕がこういう事をしてると思う?」
「‥‥どうしてなの?」
「ここで、二人きりの結婚式をしよう」
優しい声でシノが告げる。
「オフィーの綺麗な姿が見たいんだ」
続けてオフィーリアの頬を撫でれば、彼女は目尻に涙を滲ませて、こくりと頷いた。
柔らかい風が吹き、サクラの花びらが優雅に散る。その下に、礼服を着たシノと、ドレスを着たオフィーリアが、向かい合って立っている。
「「永遠の愛を、誓います」」
互いの瞳を見つめあい、こう述べて。
次第に近づいていき、重なる唇。
ぬくもりを実感して、離れて、また見つめあい‥‥
「よいしょっ」
「きゃっ」
突然、シノがオフィーリアを抱き上げた。横抱き、つまりはお姫様抱っこ。
恥ずかしいからやめてとオフィーリアが訴える暇もなく、シノは満面の笑顔で丘を下り始める。
長い夜を心ゆくまで堪能する為に。
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