霞燐は、颯爽とした立ち姿で到着口の出口に向かっていた。
旅の目的は観光ではなかったから、荷物も小ぶりなボストンバッグひとつで十分すぎるくらいだった。中身は着替えや身の回り品などのこまごまとした物ばかりで、それほど重くもない。片手でも持てるほどであるわけだが、しかし、一仕事を終えて疲れている体には、少々こたえる。
ふぅ‥‥と息を吐きながら、バッグを持つ手を変える。揺れて視界を遮った長い髪のひとふさを手で後ろに流すと、その拍子に、視界に白いものが映った。見間違えようはずがない、老人でもないのに真っ白いその髪を。
柵の向こう側で、相手も気づいたようだ。椅子から立ち上がり、出口に近づいてくる。
「お帰りなさい。お疲れ様でした」
にっこりと笑顔でねぎらいの言葉をかけてきたのは、狭霧雷という青年――燐と一緒に生まれてきた、片割れ。
迎えに来てくれと頼んだ覚えはなかったが、目立つ風貌の彼に、周囲の人々もちらちらとこちらをうかがってくる。
「‥‥ただいま」
肩をすくめ、仕方なく応えてやると、雷の笑顔はまた一段と晴れ晴れとしたものに変わった。自分が持つとも言わず、ごく自然に燐の手からバッグを取っていったのは、さすがはAD、と評すればよいのだろうか。
常に凛とした雰囲気をまとい、目元口元をきりりと引き締める燐。
穏やかな雰囲気をこころがけ、にこやかな笑顔を絶やさない雷。
このふたりが双子であると知れば、誰もがまず、似てないと言わずにはいられないだろう。
場所を変え、甘味処の個室でふたりは向かい合う。人目を気にせずに話ができるのは、芸能界の裏側にたびたび首を突っ込む彼らにとってはありがたい事だ。
日常生活の簡単な近況報告やふとした出来事などの雑談も交えてはいるが、この会話の一番の目的は、情報交換だった。それも、二人揃って面識のある、とある少女に関するものを主に。
「‥‥なるほど、こちらの想定以上に厄介な相手だったか」
「それもですが、身内の方‥‥何より、本人の鍛錬が必須でしょうね。悪い事ではないんですが‥‥彼女は優しすぎますから。この間も、自分を誘拐した犯人のひとりを慮って、ずっと泣いていたんですよ」
「優しすぎるのだな‥‥」
話を聞き、自分も喋りながら、しかし甘味を口に運ぶ燐の手は止まらない。ちなみに彼女が現在食している白玉団子は三皿目だ。空になった白玉団子の皿が重なる横には、かつて葛餅が盛られていた皿が五皿も重ねられている。
女性にとって、甘いものは別腹だとは言いますけど‥‥と言いたそうな目で、雷が皿の山を見ている。
「これくらいで驚くな。まだ序の口だ」
「‥‥そうなんですか」
言葉どおり、燐は店員を呼びつけて次の甘味を頼んだ。違うメニューを頼んだという事は、白玉に飽きたのだろう。
店員がちらっと卓の上に詰まれた皿を見て、目を丸くして固まった。絶句している。店員も驚いたのだ、これだけ食べてまだ食べるのか、と。
「すみません。お茶のおかわりをもらえますか?」
そんな店員へ助け舟を出したのは雷で、彼に声をかけられて店員も我に返った。頭を下げて了解の意を示すと、ぱたぱたと奥へ行ってしまった。
容赦がないというか、手加減なしというか。燐は三種類目のメニューをまた五皿食べた後、四種類目のメニューも六皿食べて、ようやくおやつの時間を終えた。
一皿一皿が幾分少量であるとはいえ、文字通り山積みとなっている皿の数に、雷も店員も燐の胃腸の調子を気にかけずにはいられなかった。
互いに何を言わずとも、次の行き先はおのずと決まっていた。二人分にしては信じられないほどの金額を支払った後、彼らは燐の自宅へと足を進める。先ほど大体の持ちネタは話し終えてしまったせいか、歩く二人の間に会話はない。燐のバッグは変わらず雷が手に持って運んでいるが。
芸能人の拠点が並ぶ、通称・プロダクション街。大小様々、形状も様々な建物は、人の出入りも様々だ。それでも街を貫く表通り自体の人通りは多い。
だが表通りがあれば裏通りもあるわけで、そこには賑やかな街並みとは正反対の、まったくの静けさを保った、竹林があった。
時代に取り残されたような竹林の中には、プロダクション街には不釣合いで、竹林にはよくなじむ、霞神社がひっそりとたたずんでいた。――そう、燐の家は神社だった。そして燐の家であるという事は双子の片割れである雷にとっても家であるという事になるはずなのだが‥‥
母屋の門の前まで来ると、雷は燐へバッグを返した。中へ入ることなく、帰るつもりなのだ。
「‥‥墓参りくらいしていっても、罰は当たるまい」
バッグを受け取りながらも燐はそう言った。けれど雷の心は変わらないようで、いつもの笑顔のまま、首を横に振った。
「私はここの者ではないですから」
笑顔のままで、そう言った。
燐の苗字は「霞」。雷の苗字は「狭霧」。双子なのに苗字が異なるのは、どちらかが既に結婚しているとか、そういう理由からではない。
二人が生まれたのは、「霞」の家だ。だから本来ならば雷の名前も「霞雷」だった。
しかし、霞の家は古い考えの息づく家であり、代々女系が跡を継ぐ慣わしだった。古い考えの忌み嫌う双子が生まれてしまったら、どちらかを外に出さなくてはならない。では男の子と女の子、どちらを出すか‥‥女系の家だ、考える時間など不要だっただろう。
雷は親の顔を知るよりも前に、施設へと出された。
親の顔を知る事ができたのは、霞の家が生家であると知ったのは、
――自分をこの世に生み出してくれた両親の葬式が行われた時の事だった。
雷を見ている限り、つらいだとか悲しいだとか、あるいはそんな境遇にも負けずに頑張ろうだとか、そういった様子は特にはない。
いや、見せようとしていないのだ。意図的に。見せてしまったら、相手にいらぬ荷を背負わせてしまうから。それは雷の望むところではないという事だろう。
去っていく背中を見つめながら、燐はその背中の主に呆れる。独りで歩んでいくのにも限界があるのだぞ、と。
そして思う。こんな風に雷の思考がわかってしまうのは、やはり双子であるからか、と。
燐は内心で苦笑する。苦笑するしかなかった。他にとるべきよりよいすべが、思いつかなかった。
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