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【奇妙な味の晩餐】
■リッキー2号■

<星間・信人/東京怪談 SECOND REVOLUTION(0377)>
<影山・軍司郎/東京怪談 SECOND REVOLUTION(1996)>

「ここでいいのか」
 指示された住所で車を停め、影山軍司郎はフロントミラー越しに乗客を見遣った。
「ええ、確かに」
 いつもの穏やかな微笑で、星間信人は応えた。
 だが眼鏡の奥の目は例によって笑っていない。
 窓の外に見える建物には、入口付近に控えめに「テラやぎタベルナ」の看板がかかる。このような人里離れた山中にあるのが奇妙だが――、名前からすれば飲食店なのだろう。
「これで足りますか」
 信人が料金を差し出した。
「領収書は」
「お願いします。宛名は須賀杜爾区大学で。……ところで影山さん」
 影山が渡そうとした領収書ではなく、その手首を掴んで、信人は言った。
「お食事はお済みですか」
「……」
 何のつもりだ、と、目が訊ねる。
 くくく、と信人が低く笑った。
「いえ、本当は……別の約束があってこの店を予約したのですが、事情で、相手が来れなくなってしまいました。如何ですか。なかなか評判の店なのです。…………前からいちど、影山さんとはゆっくりお話がしたいと」
「……」
 白王社ビル前で乗ってきたときは、そんなことは言っていなかったはずだ。
 気まぐれか、ここまで連れてくることが狙いだったのか、信人の真意は、薄笑いの仮面を貼り付けたような顔からは、読み取ることはできなかった。

 差向いで、テーブルにつく。
 店内に、他に客はいないようだった。ゆえに場は静かで、耳を傾ければかすかに、どこからか陰鬱なフルートの音色が聞こえてくるだけだ。
「もちろん、僕がご馳走させていただきますから」
 信人はそう言うと、ぱちん、と指を鳴らしてウェイターに合図を送った。奇妙に物慣れた様子だ。
「……よく来るのか」
「それほどでも」
 仏頂面の軍司郎と、なにがおかしいのか、笑みをたやさない信人。
 お世辞にもなごやかとはいえない雰囲気だが、奇妙な晩餐ははじまったばかりだ。ウェイターが音もなく近づいてきて、ふたりの前にグラスを置く。血の気のない青白い顔の、無表情な給仕である。そしてグラスの中には、ねっとりとした、金色の液体が注がれている。
「食前酒は黄金の蜂蜜酒です」
 軍司郎はグラスをとり、確かめるように匂いを嗅いだ。
 一方の、信人はグラスに触れようともしない。咎めるような視線には、
「僕は不調法なもので」
「翼あるものたちを使役するなら、これは必須と聞くが」
「星間宇宙を旅するならね。……今日は影山さんのお相手をせねばならぬのに、失礼があってはいけません。影山さんはお強そうですね」
 それには応えず、グラスを傾ける軍司郎。
 そこへ、料理の器が運ばれてくる。
 前菜とおぼしきは、切り子ガラスの器に入れられた、なにか得体のしれない黒い粘液のからまった繊維質のものである。
「ショゴスのもずく和えですよ」
 信人が言った。
「……」
 軍司郎はフォークで器の中をつつく。
「……これは岩海苔だ」
「そう思ったほうが召し上がりやすいのでしたらどうぞ」
 くくく、と喉を鳴らす。
 鉄面皮のまま、軍司郎はそれを口に運んだ。舌ざわりも味も香りも、岩海苔だ――と、思う。
「器はレンのガラスのようですね。……なにせこの店は、カダスにある有名な店からレシピを習ったとか」
「カダスに食堂などあるのか」
「これは異なことを。夢幻郷にも人の暮らしはあります。かの地なりの暮らしではありますが。僕たちがたまたま生まれ、生きているこの世界が、唯一のものだと思うとは、あまりにも傲慢というものです。影山さんならおわかりでしょう?」
 だからといって、これが信人の言う通りのものならば、そんなものを食べる暮らしや、そういった食生活を送るもののことなど、知りたくもないものだ、と軍司郎は思う。
 なにせ、その前菜に続いて次々に運ばれてきた料理と言えば――
「ドールの切り身のスープだそうです」
「フカヒレだろう」
「ディープワンの刺身のようですね」
「これはエイの刺身だ。珍しいが、満州で食べたことがある」
「蝶ドラゴンの唐揚ですか」
「鶏肉だろう。……すこし色が違うが」
「シャンタク鳥の煮込みシチューですねえ」
「牛タンにしか見えんな」
「ほほう、これはザイクロトル星の……」
「ニガウリを知らんのか」
「…………」
「……」
 もともと知己ではあるが、友人でも何でもないふたりなのだ。
 男たちの食卓が、なごやかなものになるはずもないのは、今まで、ふたりが顔を合わせてきた状況を考えれば理解できよう。むしろ、今にも軍司郎が軍刀を(きっとどこかに持っているはずだ)を抜き放たないのか不思議なくらいである。
「影山さんは」
 ぽつり、と、信人は言った。
 さすがの信人の微笑の仮面にも、いささか呆れたような色が浮かんでいる。
「頑ななところがおありだ」
「生憎だったな。頑固は昔からだ」
「硬直した石塔は地震がくれば折れます。しなやかな樹木は倒れない」
「……」
「あなたは強い方だ。いろいろな意味で。ですがその強さは、現実を直視しないことからきているのだとしたら、それは危ういものでしょう」
「そして目をそむけずに禁忌を凝視したがゆえに、踏み込んではならぬ場所へ行ったものたちを、わたしは何人も知っている。……貴君もそのひとりであろう」
「目をそむけているのに、その先に何があるのかご存じなのですか」
「知りたくもないな。……今さらではあるが、警告しておこう。かの神々に仕えたところで、手に入るものは何もない」
「僕が見返りのために信仰を持っていると思われるのは心外ですよ。……ああ、メインディッシュがきたようだ」
 もうすでに何皿もきていると思うが、ひときわ大きな皿が、上に銀のクロッシュ(蓋)をかぶせられた状態でもたらされる。
 テーブルの真ん中にその大皿を置くと、ウェイターが、どこか芝居がかった動作で、蓋を取り去った。
「……」
「仔クトーニアンの姿煮・食屍鬼風です」
 沈黙――。
「如何です?」
「…………」
「これにすこしでも似た、地球の食材をご存じですか?」
「…………」
「レシピはカダスの民直伝といいましたが、食材もまた直輸入なのですよ。どこから、というのは、言わぬが華というものでしょう。うかうかと発音して、かれらの注意を引いても何ですしね」
「…………狙いは、何だ」
 喉の奥から絞り出すように、軍司郎は言った。乾いた声だった。
「ただ影山さんと、食事をしたいと思ったまでです。……お身体の調子はどうなのですか、最近」
「……変わりない」
「でしょうね。あの御方の祝福を受けた貴方にそんな気遣いは無用でしたか」
「呪いだ。祝福ではなく」
「かの方々にしてみれば同じことです」
「それには同意する」
「影山さん」
 信人はそこでふいに声の調子を変えた。
 いや、意図せず変わったのだろうか。軍司郎は、つとめて目を合わさないようにしていたのを、思わず、彼のほうを見てしまったくらいだった。
「僕と貴方は、似ているところがあると思いませんか」
「……」
 軍司郎は考え込んだような表情を浮かべた。
 どうだろうか。
 普通ならかかわることなく、平穏に一生を終えるべきもの――、禁忌とされるものにふれたことがあるというなら同じだ。
 だが好きこのんでふれたのかどうかという点では違う。
 とはいえ、それでさえ、なにか大いなる意志に導かれていたのだとしたら――?
 力あるものたちにとって、宇宙の星々は広大な遊戯盤であり、そこに生きるものたちは駒に過ぎない。
「知識は人を自由にします。でも同時に……孤独ももたらす」
 軍司郎は、頷いた。
 そうだ。
 誰もかれらの見たもの、聞いたもの、知っているものを知らず、理解せず、想像だにしない。かれらの体験は誰とも共有されることはない。
「……それを悔いることがあるのか」
 ぽつり、と、軍司郎は訊いた。
 信人の薄いくちびるがかたちづくるアルカイックスマイル。
「……まさか」
「だろうな」
 どこか安心したような顔で、軍司郎は皿の上の得体のしれない肉を、ナイフとフォークで不器用に切りはじめる(彼はナイフとフォークの扱いがあまり得意ではないようだった)。
「そうそう。先日、書庫で興味深い資料を見つけましてね」
「……」
「旧陸軍の機密資料の写しなのですよ。かつて満州で、ある密命をおびて活動した部隊についての情報が」
「でたらめを言うな」
 強い口調で、軍司郎は信人を遮る。
「記録はすべて抹消されている」
「……ええ、ほとんどはね。肝心な部分はわからずじまいです。……つてをたどって、調べは続けてみようと思いますが」
「見つかるものか。よしんば、残存する資料があったとして、それに近づこうというのなら――」
 軍司郎は手を止めて、今いちど、真っ向から信人を見つめた。

「その時はわたしがきみを殺す」

「……」
 ひどく満足げな、笑みを、信人は浮かべた。
 長い沈黙が、ふたりの間に流れた。
 そこに這い、割り込んでくる、低いフルートの音色。
 そして。
「……今日は楽しかったです」
 おもむろに席を立つ。
「ではこれにて。……またお会いしましょう」
「……」
 振り返ることなく、信人はその場を去った。
 軍司郎は深い、ため息をつく。
「『食事をしたいと思ったまで』、か――」
 信人の前にある皿には……どれひとつとして手をつけられた様子がなかった。
 すい、と、近づいてきた給仕が、ちいさな器を差し出す。
「デザートは、フルーツの盛り合わせでございます」
 皿のうえに盛られた果実は、しかし、いずれも形容しがたい色合いのものだ。
 やれやれ、といった顔つきで、
「アーカムの焼け野産の果実らしいな。直輸入は本当だと見える」
 軍司郎は吐き捨てるのだった。

(了)



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この小説は株式会社テラネッツが運営するオーダーメイドCOMで作成されたものです。

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