1
「知り合いが北海道に旅行したそうなんだけど」
シュライン・エマは言った。
「なにげなく入った食堂みたいなところで、『焼き魚定食』を注文したのね。北海道だし、海の幸が美味しいだろうって。そしたら、ちいさな七輪とナマのほっけが出てきたんですって。つまり『焼き魚定食』っていうより『魚焼き定食』だったわけ。さすが、北海道ねぇ、って話なんだけど――」
「で。それとこれとはどう関係があるんスかね」
憮然として、藍原和馬は言った。
「だから新鮮な海の幸を豪快に食べよう、という趣旨なのですよ」
にっこりと、それはいい笑顔で、モーリス・ラジアルが応える。
となりで、セレスティ・カーニンガムがうんうんと頷く。
「その名も『新鮮海産物食べられ放題コース』ですから」
「いや、その“られ”ってね! 受け身でしょ! 受動態! どう考えてもあやしいんスけど! っていうか、そもそもこのメンツになった時点で――」
「あら、でも、助動詞の『らる』には受身以外にも自発・可能・尊敬って意味があるわよ」
「そうですよねえ、シュラインさん。つまり新鮮な海産物が食べられる(可能)コース?」
淡々と指摘するシュラインに、同意するモーリス。そこへ和馬がはげしい抗議をあげる。
「それなら『食べれる』でしょうが!」
「違うわ、和馬さん。それはただの『ら抜き言葉』よ」
「……」
だめだ。口では勝てない。
むう、と黙り込んだ和馬。
「船が用意できたようだが」
そこへ、直江恭一郎。
見れば、テラやぎタベルナの裏の船着場には、漁船が横づけされていた。
漁船といっても全長10メートルほどの小型漁船である。
「これか……。なんかボロい船……」
「道具は一通りそろえてあるそうだ」
和馬と恭一郎はひらりと、甲板に飛び移る。
なるほど、釣り竿をはじめ、投網やら銛やら、魚介を採取するのに使えるアイテムが船中には準備されているようだった。
「ふふ、でもちょっと楽しそうじゃない?」
無邪気に笑うシュラインにほだされてわけではないだろうが。
「しょうがねえなあ」
と、和馬が心を決めかけたとき。
船のエンジンが、大きな唸りをあげた。
「なに!?」
「お、おい……!」
誰も何もしていないはずだが、どういうトリックでか、船は波止場を離れ、海上を駆けだす。
「ちょ――、みんなでたのしく魚釣りじゃなかったんスかァ……!?」
「でもその船じゃ全員乗るのは手狭ですし、ねぇ」
「美味しいお魚、たくさん、お待ちしてますよ」
みるみるうちに遠くなってゆく陸の3人。
「ちょっと待てぇえええええ」
「っていうか、なんで俺まで……」
なすすべもない船上の2人。
「気をつけて」
シュラインが、港に残された女よろしく、潮風にハンカチーフを振ったが、そのうしろにたたずむセレスティ主従の満面の笑みのほうが、和馬たちの心に突き刺さるのだった。
いったいどういう仕掛けなのかは、考えても仕方がない。
重要なのは、和馬と恭一郎のふたりが、漁船で大海原のまっただなかに連行されたということである。船には釣り道具一式。これで海鮮をゲットするまでは陸には帰れないのだろう。恭一郎の脳裏に、海をさまよう幽霊船と、その甲板から釣り糸を垂らし続ける2体の骸骨の姿がよぎった。
がっし、とその肩を和馬が掴む。
「言いたいことはいろいろあるだろうが、2人しかいないことだ、ここはせいぜい協力しようぜ」
「仕方ない……」
不承不承、釣りの準備をはじめる男たちである。
一方、テラやぎタベルナの、海にせりだしたテラス席では、モーリスたちがハンドルのついたオペラグラスで優雅に沖のほうを眺めていた。
テーブルの上には、つめたい飲み物が運ばれてくる。
「大丈夫かしら」
と、シュライン。
「和馬さんは漁船に乗っていたこともあるとかないとか言ってましたから、なんとかなるでしょう」
「でも、ただの魚だけじゃないんでしょう?」
「まあ、そこはそれ」
ちょっとかわいそうだったかしら、と言いたげなシュラインをかるくいなして、モーリスはショーを観るように、海へと目を遣った。
傍らではセレスティがペリエを注いだグラスを傾けるのだった。
2
「おっしゃあ!」
甲板の上で、魚が跳ねる。
「そっちはどうだ!」
「まあまあだ」
と言いつつ、恭一郎の足元にも、釣り上げた魚の数が増えていく。
漁場がいいのか、腕がいいのか、なかなか幸先のよい出だしだ。
ぴちぴちと跳ねる活きのいい魚。すぐさまさばいて料理にしたらさぞ旨かろう。
「よし、大漁、大漁!」
「どうなることかと思ったが……これなら十分だな。さて――」
満足げに成果を見降ろし、恭一郎は言った。
「問題はどうやって帰るか、だが」
「だな。この船、動かせっかな」
和馬が操舵室をのぞきこんだ途端、そこでけたたましい電話の音が鳴り響く。
「なんだ!? 電話!?」
クラシカルな、どう見てもそこにそぐわない電話機がそこに据え付けられているではないか。
「……」
おそるおそる出てみれば。
『お見事です。お二人ともそんなに釣りがお上手だと知りませんでした』
モーリスの声だ。
「どうやって電話つながってるんだよ! ってか、魚は十分とれたから帰らせてくれよ」
『でも、和馬さん、ずいぶん、お腹を空かせてらっしゃいませんでしたか?』
「おう、腹ぺこだっつーの」
『じゃあ、もっと大きな獲物が必要ですね。……そう思ってすでに手配済みですので、がんばってください』
「って、おい!」
「見ろ!」
恭一郎が和馬の袖を引いた。
切れてしまった電話の受話器をおいて、甲板に走り出る。
ふたりの目に、海原を裂くように走る鮫の背びれが飛びこんできた。
「なんの罰ゲームだこれは」
「しかしこっちは船だ。海に入らん限り、鮫なんか――」
恭一郎の言葉を真っ向から否定するように、はげしい揺れが船を襲う。
「た、体当たりされてる!?」
「デカイな。しとめないと、うかうかしてたら転覆させられちまう」
和馬は、転がっていた銛を掴むと、船べりに取り付くのだった。
「というわけで、船の周辺の海域に呪術をほどこし、古今東西の海の生き物やモンスターが次々召喚されるようにしました」
「ご苦労さまです。まずは鮫ですか」
のんびりと、セレスティが言った。
「フカヒレが食べられそうですよ、シュラインさん」
「毎度のことながらちょっと気の毒だけど」
と、同情の色を見せるシュラインだったが、
「コラーゲンたっぷりで美容にもいいようですし」
「やっぱり姿煮がいいかしら」
わりと簡単に転向する。
オペラグラスの向こうでは、人食い鮫との死闘が繰り広げられていた。
「うお!」
「おいッ!」
へりから身を乗り出し、銛を突き出したところで、鮫の強烈な体当たり。大きく傾いた船から、和馬が投げ出される。
「いかん!」
どこから取り出したものか、恭一郎の手の中にナイフがあらわれた。
ざばん、と波を割ってあらわれ、くわっと、あぎとを開く巨大鮫。そしてまるでロデオのようにその頭の上にまたがった和馬。そのまま、銛を敵に突き立てる。めちゃくちゃに暴れる鮫の体に、船上から恭一郎のナイフが降り注ぎ、援護した。
海面がみるみるうちに血に染まってゆく。そして、ほどなく――
ぷかり、と白い腹を見せて、巨大鮫の骸が波間に浮かび上がるのだった。
突然の襲撃に肝を冷やしたが、第一ラウンドは和馬たちの勝利というわけだ。
……第一ラウンド?
そう、ゲームはまだはじまったばかりなのだ。
「……」
和馬に手を差し伸べ、船にひっぱりあげる恭一郎の目が、ゆっくりと見開かれていく。
その視線を追って振り返った和馬が見たものは、鎌首をもたげるシーサーペントの姿だった。
「沖縄にはウミヘビの料理があるそうですね」
「イラブーというのよね。琉球王朝で珍重された薬膳だというわ。……でもあれって、ウミヘビというより、ほとんどドラゴンに近いんじゃ……、あ、ブレスを吐いた」
双眼鏡で沖合の様子を観察しつつ、シュラインが言った。
「まあ、せっかくですから、シーサーペントの料理も味わってみるのも悪くないでしょう。……モーリス、料理人のほうは大丈夫なのですよね?」
「はい。テラやぎタベルナの誇る異界料理人のみなさんがどのような食材にも対応すべく、道具と調味料を用意して待機中です。サーペントの鱗を剥ぐ器具があるかどうか確認してきますね。あと、くさみがありそうですから、アスガルド産の香辛料も用意してもらっておきましょう」
「結構です。……おやおや、さすがに、今度は苦戦しているようですね。ブレスでうかつに近づけませんものね」
「あ、直江さんが結界を張ったみたい。これでとりあえず、船は守れるわね。……ああ、結界の内側からエンチャントした銛で攻撃してる」
遠くに見える激戦は、どこかしら非現実的で、映画かゲームの画面でも見ているようだった。
「やったわ。やっつけたみたい」
「お見事です。これでフカヒレに続いて、ウミヘビ料理ゲットですね。さて、お次は――」
「なにあれ。クラーケン?」
「タコ刺しですね! ……あ、茹でダコのほうがいいですか?」
3
それから――
戦士たち(と呼んでもいいだろう)の戦いはどれくらい続いたのだろうか。
「ん……」
直江恭一郎は身を起こす。
どこだ、ここは。
波が静かに打ち寄せる……どこかの浜辺だ。
待て。なぜこんなところにいる。
記憶をたぐった。
クラーケンを撃退したあと……
セイレーンがあらわれて、半人半魚のあやしい姿に、鼻血を吹いたのが、恥ずかしく思い出された。
それから、異形の怪物の下半身に、やはり美女の上半身を持つスキュラの出現に、鼻血を吹き、そのあと空から襲いかかってきた妖鳥ハーピーの群れに鼻血を吹いたことまでは覚えている。
だいたいそのあたりで、出血多量で身体を動かすのもままならなくなり、そうこうしているうちに船幽霊にとりかこまれて海水を流しこまれた船が徐々に沈没。おりあしく、カリュブディスの渦に巻き込まれてあわやとなったところで、偶然、浮上した海底都市ルルイエの遺跡にひっかかってことなきを得たものの、深きものどもの群れに追われて和馬とふたり、延々と粘泥の中を逃げ続け――
そういえば、和馬はどうしたろう。
立ち上がって、砂を落とした。大した怪我はしていないようだ。
周囲を見回すと、いずこともしれぬ海岸。船はおろか、見慣れたものは何ひとつない景色だった。まるで、どこかの無人島にでも漂着したような――
(無人島)
その思いつきに、ぎくりとする。
最後はどのあたりの海を漂っていたのか定かでないのだ。
仕方なく、とりあえず、浜を歩きだす。
聞こえるのは、波の音と、さくさくと砂を踏む音だけ。それにときおりまじる、風が樹木を揺らす音と、どこか遠くからちぎれてくる得体のしれない鳥の鳴き声。
――と、そのとき、水平線にぽつんと、影が浮かぶのを、恭一郎は見た。
船だ!
駆け出す。岩場を越え、高台まで駆け上がって、大声を出し、手を振った。だんだん近づいてきたのは、大型のクルーザーだ。
恭一郎の目は、そのデッキの上に見知った人々を見る。
助かった! 助けにきてくれた!
……と、思ったのもつかの間――。様子がおかしいことに気づく。
クルーザーの上にしつらえられているのは、豪勢な食卓。テーブルクロスの上を埋め尽くす、みたこともない料理の皿たち。それを前にして、盛装のセレスティとシュラインが向かい合い、なにやら談笑しているが、恭一郎の助けを求める呼びかけに気づいた気配はない。モーリスが、ふたりのグラスにシャンパンを注ぎ足す。
おーい、おーい、と声を嗄らして呼べども呼べども、声が聞こえていないのか、それとも無視されているのか。
そのまま無情にもクルーザーは通り過ぎてゆき……
ドォン!と、轟音が、空気をふるわす。
別の方角から、猛然と波を走ってくる……それは巨大な帆船だ。
その突端に立っているのが、和馬だった。
黒い眼帯に、翻るコート……、大航海時代の海賊を思わせる姿で、彼が抜き放った剣で空を指すと、いっせいに、船の大砲が火を噴いた。
海面にいくつもあがる水柱。
クルーザーが巻き込まれて、木の葉のように翻弄される。
そして波間から、騒ぎに誘い出されるように、海の怪物たちが次々とあらわれるのだった――。
「……!」
「気がついた?」
心配そうに、シュラインにのぞきこまれていた。
「あ、ああ」
そこはテラやぎタベルナのテラス席。
「お目覚めですか? はやくいらっしゃって下さい。直江さんのぶん、残してあるんですから」
「おう、食わないとソンだぞー、あんだけ苦労したんだからなー」
「夢か……」
ふらふらとした足取りで、テーブルにつく。
「いろいろ無茶だったけど、おかげで、面白い食材がたくさん集まったわ。ちょっとゲテモノな気もしたけど……、案外、あたりもあるのよ」
と、シュラインが笑う。
「飲み物は何にされます? ワインでいいですか?」
モーリスがウェイターを呼んだ。
「あ、和馬さん、ウミヘビ肉のロースト、全部、食べてしまったんですか? 直江さんのぶんも?」
「早いもん勝ちだったつーの」
「ひどいですねぇ。……ところで、このお店、『山の幸狩られ放題コース』というのもあるみたいなんですけど――」
「絶っっっっ対、いかねぇ!!」
注がれたワインをくい、と流し込みながら、なんだか大変な一日だった、と思い返す。
思い返しながら、ぎょっと目を見開いた。
テラス席の向こうの海から、ふいに、一本の触手があらわれたかと思うと――
「!!」
「あら」
「おや」
「これはこれは」
あっと思う間もなく、和馬をとらえて海中にひきずりこんだのである。
「なにかしら……あれ」
「さあ……?」
「とりあえず、建物の中に入ったほうが安全そうですね」
「ええ、席を移りましょうか」
「さあ、直江さんもはやく」
「っていうか……」
「ちょっと待て、おまえらーーー!!」
正体不明のなにかと格闘する和馬をよそに、そそくさと撤収する残り4名。
なにごともなかったかのように、テラやぎタベルナの晩餐は続くのだった。
(了)
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