「んー、気持ちいい」
からっと晴れた青空だ。
日差しの中で、風見真希は思いきり伸びをした。
「いい店じゃん。眺めもいいし、こんなところで、食べられるなんてサイコー」
「海が近いし、魚がおいしいでしょうね」
せりなが微笑んで、真希をともない、席はどこがいいかと、ウッドデッキのテラスへと歩みを進めた。そのうしろから、雄一郎。3人でいると、どこか家族のように見えなくもなかった。
「じゃあ、魚にするか。これなんかどうだ、『新鮮海産物食べ放題コース』」
「あら、いいわね」
「これって何が出てくるの?」
真希が店員を捕まえて訊ねた。
「収獲次第で何でもお召し上がりいただけます」
にこやかに、そんな答が返ってくる。
「あ、シェフのおまかせってヤツね。で、今日は?」
「はい、ですから、それは収獲次第で」
「……?」
要領を得ない返答に真希が首を傾げた。
「もしかして、これから獲るのか?」
「ええ。新鮮なものを、お召し上がりいただきます」
「あら、じゃあ、時間かかっちゃうわね」
「んー、ま、時間ないわけじゃないし、いいんじゃない?」
「よし。じゃあ、このコースを3つね」
「ありがとうございます。『新鮮海産物食べられ放題コース』を3名様」
微妙な違和感に気づく3人。
「ちょっと待て」
「『られ』……?」
「では、どうぞこちらへ。すぐに船を用意します」
そんなわけで――
藤井夫妻と風見真希は、澄み切った初夏の空の下、大海原へと漕ぎ出すハメになったのである。
なんでこうなる、と呆れつつも、船が海を走りはじめると、雄一郎の顔に晴々とした笑顔が浮かびはじめる。水平線はいつだって男の心を少年に還らせるものだ――と、彼がうそぶいたかどうかはともかく、真希も、まんざらでもない様子で、潮風に髪をなびかせていた。
そして、せりなは……
「なあ、おまえ」
「なに?」
「船なんて運転できたっけ?」
「さあ、どうだったかしらね」
とぼけつつ、舵を切る。
「なんかやけに様になってるんだけど」
「飛ばすからつかまって!」
「おわぁあ」
飛ぶように、海面を船がゆく。
真実はうやむやのまま、3人を乗せた船は沖へ、沖へ――。
「このあたりでいいかしら」
「誰がいちばん釣れるか競争しよ!」
屈託なく、真希が言った。
「よーし、受けてたつぞ」
雄一郎は笑って、準備をはじめる。釣り道具は一式、船に積まれてあった。
「競争だなんて。いいけど、あんまり釣り過ぎて無駄にしても勿体ないでしょう。量はほどほどでいいから、おいしいのを釣ってね、ふたりとも」
せりなも、ダウンベストを着て、竿を手に舟べりへ。
釣りについては雄一郎に一日の長があるようだ。餌のつけ方やら何やら、ひととおり、せりなと真希にレクチャーすると、それぞれ、思い思いの場所へ糸を垂らした。
店員がしれっと解説したところによると、この海の豊富な魚介を、客自身が収獲して食すのが『新鮮海産物食べ放題コース』であるという。それがなぜ「食べられ」という受動態なのか、夫妻はあやしんだが、「それはもう、飲み込まれるくらいにたくさんの海の幸が獲れるからです」と、いまいちウソくさい弁解があるだけだった。
いずれにせよ、そのコースを選択した以上、ここで奮闘して食材を入手しなければ食事にはありつけないのだ。
かくして、はじまった時ならぬ海釣り大会。
その首尾やいかに――。
「あ、かかった! ……って、あれ、ちいさい」
真希があたりを引いたが、ルアーを巻き上げてみれば、なんだか小さな魚がぴちぴち跳ねているだけだった。
「ああっ、餌、とられちゃったみたい」
せりなはまるでハズレだったようだ。
「うはは、まだまだだな。見てろ〜」
雄一郎は、いいところを見せられるとでも思ったのだろうか、いやに上機嫌だ。
実際、それだけの腕前もある様子。やがて、彼が竿を引けば――
「よーし」
「わ、釣れた!」
「すごいじゃない、あなた」
「まだまだ!」
甲板の上に次々に釣り上げられる魚たち。
「これ、何の魚かな!?」
「ハマチじゃないかしら?」
そして。
「おっ! 大物だぞ」
ふいに、雄一郎がそう言って、腕に力を入れ直した。
ぐぐん、と竿が大きくしなる。
波間にひそむ何者かが、糸をひきずり回している気配があった。
「あなた、がんばって!」
「よし、いけー!」
女性ふたりから声援を受け、雄一郎は歯を食いしばった。
「ぐぐぐぐ……、うぉりゃぁああああーーーーーっ!!」
しぶきをあげて、それが釣りあげられ、甲板のうえにどさりと身をよこたえる。
「討ちとったりィ!!」
ちょっと趣旨の違うかちどきをあげて、雄一郎は鼻息荒くガッツポーズをきめた。
「すごいすごい!」
手を叩いてはしゃぐ真希。
せりなは大きな獲物に目を見張った。
「これって、アンコウだわ!」
左様――。釣りあげられたのは、ひとかかえもある、大きなアンコウだった。魚河岸にいけば吊下げられているのを時折みかける、アレだ。
「メインディッシュはアンコウ鍋か? 最高じゃないか」
得意げな雄一郎。
「さっそく戻ってさばいてもらおう。腹がぺこぺこだ」
「……あら、何言ってるの」
「へ?」
「まだまだよ。せっかくここまできたのに。どうでなら、フルコースいかなきゃ」
「お、おい」
「そう思わない?」
「賛成ー! 魚だけじゃなくてイカとかタコとか、エビも食べたいし!」
「いや、ちょっと待て、なんで急にそんな乗り気なんだよ!」
大物が釣りあげられたのがせりなの中の何かに火をつけたのだろうか。
やる気満々の女たちはまだ釣る気でいるようだ。
せりなが承知してくれなければ陸には帰れない。雄一郎はやれやれ、と肩をすくめて、再度、竿を手に、舟べりへ。
釣り大会、第二ラウンドだ。
しかし、そのとき……
甲板に放置され、空気の中であえいでいるアンコウにあらわれた異変に、誰も気がつきはしなかった。
にゅっ、と、頭部から、まるでカタツムリの角のような器官があらわれ、その先端が明滅をはじめたのである。
それはチョウチンアンコウの発光器に似ていたが、それよりも強い光を発していた。その点滅は、なにかを警告するようでもあり、また、なにかを呼び寄せようとしているようでもあった――。
そうとは知らぬ3人は意気揚揚と、釣りに夢中。
せりなと真希もコツを掴んで釣れるようになり、漁場がいいのか、雄一郎は大漁の気配。3人でたらふく食べても、残りを売りに出せるのではないかとさえ思えるほどだったが……
「……っ、なにこれ、でかいっ!」
真希が大声をあげた。
「んんー」
凄まじい力だ。魚とはこんなに力持ちだったのか。真希は、それなりに鍛錬を積んでいるので、そんじょそこらの同年代の女性よりは力だってあるはずなのだが。
「デカイな! 手伝うぞ!」
雄一郎が助っ人に加わった。しかし。
「ぬお! なんだ、これ!」
「大丈夫!?」
ふたりの様子にただならぬものを感じて、せりなが駆け寄る。
彼女は海面を見つめた。
ぴんと張った釣糸が消えていく先に、浮かび上がる魚影――。
「……お、大きい……」
カッ、とあやしいふたつの光が、海中に輝くのが見え、あっと息を呑んだそのとき、ざばん、と海を割って、それが姿をあらわす!
「!!」
「こ、これ――」
がば……っ――、と開かれたあぎとの中に、3人は、2列になった細かいノコギリの歯のようなギザギザを見る。まるで映画の巨大鮫。いやしかし、鮫ではない。なにかもっと原始的で、威圧的な姿をした異形だ。もはや魚と呼べるのかどうかすら疑わしい。
「うおお!?」
「わ!」
そいつが醜悪な姿を海面から見せたのは、しかし一瞬のことで、すぐに身を翻して波の下へと潜ってしまう。その拍子に、虚を突かれたふたりは竿を奪い取られてしまった。
「見て!」
せりなが声をあげた。
そこに至って、ようやく、かれらはアンコウが発するあやしい光の信号に気づいたのである。
「チョウチンアンコウだったの!?」
「……呼んでる……。呼んでるんだわ!」
「呼ぶって何を……、って、まさか!?」
はじかれたように、3人はふりかえった。
船べりに駆け寄る。
いつのまにか、船の揺れが大きくなっていた。海面がうねりはじめているのだ。
そしてその下を、ゆっくりと、動きまわる、いやに大きな魚影。
ざばん、と波を割って飛ぶ、異形。しかもそれは1匹や2匹ではなく――
「なんだこいつら!?」
「くる!」
真希が叫んだ。
海面から、刃物ののような背びれだけをのぞかせ、モーターボートにも匹敵するスピードで、そのうちの1匹が、船に向かって突進するように泳いでくるのが見えた。
「……なるほど、『食べられコース』ね……。悪いが、そう簡単には……」
甲板を踏みしめ、仁王立ちの雄一郎。敵が飛んだ。くわっと巨大な口を開け、飛びかかってくる!
「食われてなんかやらんぞ!」
刹那、姿勢を低くとり、敵の真下に滑り込むようにして、そのまま拳を頭上に突き上げた。雄一郎、渾身のアッパーカットが異形の巨体を返り討ちにして、吹き飛ばした。
「!」
だが、次に、震動が3人を襲う。
「船底から体当たりされてる!」
「このままじゃ転覆させられるわ」
せりなは舵へ走った。
船の周囲を取り囲み、ぐるぐると回る背びれ。それが1匹、また1匹と輪を離れて、船のほうへ向かってきた。
「来るなら……こいってね!」
真希は飛んだ。
甲板を蹴って、海へと飛び出したのだ。
がばぁっ、と、真希の足の下で、牙の並んだ口がいくつも開いた。
しかし真希は空中で一回転するや、そのまま、鋭くつま先で怪魚の鼻先をキック!
顔面をつぶされて、そいつが沈みこむより先に、片方の足で彼女は空中を蹴る。何もないはずの宙を、しかし、彼女は蹴って反動を得て、跳躍した。まるで目に見えない舞台の上で舞うダンサーのように……、あるいは八艘跳びの義経のように、真希は空中を駆けながら、敵を沈めていった。
真希に誘われずに、船へと向かった怪魚たちは、しかし、甲板に登り付こうとするや、雄一郎に鰓を掴まれ、そのまま、力任せに投げ飛ばされる。
「はやく船を出せぇ!」
「言われなくても!」
船のエンジンが唸りをあげ、海面を走り出した。
その行く手を阻むように、集まってくる怪魚。そして、前方の海面が、突如として、ドーム上に盛り上がり……
「な、なんだと!?」
あらわれたのは特大サイズ。
ほとんどこの船を丸呑みできるのではないかと思えるのほどの、トンネルのごときあぎとが、かれらの前にぽっかりと地獄の入口のように開いた。
「邪魔よ……どきなさぁい!」
ぶん――、と、せりなの一喝とともにふるわれたそれは……、いったいどこから取り出したのか――
スパァアアアアアンンンン――!!
小気味よい音を立てて、きまったハリセンの一撃。
ずぶり……と、沈む巨大怪魚。あまりに大きなものが急激に沈んだがために海面に巻き起こった渦に木の葉のようにはげしく揺られながら、それでも、せりなのあやつる漁船は危険海域を振り切って、岸へ岸へと走るのだった。
「いやぁー、凄かったー。久々に思いっきり、カラダ動かしたなー」
「お腹も空いたし、おいしく食べられそうね。そろそろ煮えてきたかしらー?」
ニコニコと、鍋をのぞきこむ真希とせりな。
「元気だな、おまえたち……」
命からがら、逃げ切ったというのに、まったく食欲のおとろえている気配のないふたりに、雄一郎は苦笑いだ。
「せっかく大漁だったんだし、ねえ?」
「うんうん。さ、食べよ!」
「しかし、これ……食えるのか……」
雄一郎は振り返って、ウッドデッキの上に、でん、と置かれたそれを見遣る。
最後まで追いすがってきた一匹をしとめて、持ち帰ったのだ。
その身の一部は、卓上の鍋の中でぐつぐつ煮えている。
なにはともあれ、いい運動にはなった。
こりゃあ明日は筋肉痛かな、と思う雄一郎であった。
(了)
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