ACT.1■人魚はスイートな夢を見る
時は、緑まぶしい5月始め。
世間で黄金週間と呼ばれているこの時期は旅行会社のかき入れ時――というような前振りが、全異世界に無数の支店を持つという驚異の旅行会社、オリジナルツアー・マジックキングダム・カンパニー(略称OMC)に通用するかどうかはさておき。
ともかくもその日、浅海紅珠のもとに、1通のメールが届いたのだった。白と黒の二頭身やぎのイラストつきである。
それは以前、この会社が主催する『白やぎ号で行こう! ちょっぴりハードな世界観超越遠足』に参加し、阿鼻叫喚のオリエンテーリングを堪能したことのある紅珠には、見覚えのあるキャラクターだった。実際にそこで働いているやぎたちを図案化したものらしい。
また旅行案内かと思い開いてみたところ、今回の趣向は新機軸であった。
「ふうん……。総合巨大レストラン『テラやぎタベルナ』ご招待券、5名様分かあ」
紅珠はそのとき、東京湾の別荘に住む師匠のもとにいた。つまりメールは師匠のアドレスに届いたのだが、なぜか宛名は「浅海紅珠(会員番号4958)さま」になっている。どんな情報網があるのやら、OMCは紅珠の現在地をリアルタイムで把握しているようだ。
紅珠は、じっくり文面に目を通した。この呆れるほどに巨大なレストランの中には教会や神殿があり、結婚式をあげることができるばかりか、結婚披露パーティが開催できるという一文に、興味を惹かれたのだ。
紅珠が今、師匠のところにいるのは、例によって鋭意魔女修行中だからなのだが、加えて、これまでは敬遠しがちだったレディ修行もちょっとやってみようかなー来るべき日のためになどと思っちゃったりしてもいた。
そんな乙女心をピンポイントに突いた企画を、OMCはぶつけてきたことになる。
(教会……。神殿……。結婚式……。披露宴……)
どれもこれも、意中の相手がいる乙女にとって、心躍るフレーズである。
白いチャペルで、あるいは古式ゆかしい神殿で、誓いの言葉を交わすふたり。自分のそばに立つ兵藤雅彦は、いつもの憮然とした表情だろうけれど、それでも「誓います」と言ってくれるだろうか。そして披露宴はユニークな知己を招いて楽しく……そう、甘味が大好きな帯刀左京にはウエディングケーキを心ゆくまで食べてもらおう。ディオシス・レストナードは辛党で大食いだから、料理メニューは趣向を凝らしてたっぷり用意しないと。食欲魔人といえば「食いしん暴(暴がポイント)将軍」の異名を持つゲイルノート・グラハインもそうだ。なにしろディオとゲイルは、どこぞの異界でざる蕎麦フードバトルを繰り広げた猛者たちと聞く。いったいどれだけの量を用意すれば満足してもらえるだろう。
夢見る乙女の想像は、あちらこちらに果てしなく羽ばたく。
速攻で「レストラン内での挙式・披露宴希望」と記して返信し、同時に、雅彦、左京、ディオシス、ゲイルノートにも招待状を配布した。それぞれに、希望コースを記載して申し込んで貰う仕様になっているのでよろしくな、と書き添えて。
……ちょっぴり恥ずかしいので、新郎たる雅彦にも、ゲストの皆にも、「挙式・披露宴希望」と書いてね、とは言えなかった。言わずとも察して欲しいのが乙女心というものだ。
「これ、着てみようかな……?」
準備が整ったところで、師匠がレディ・紅珠用に用意したワードロープから、ふだんあまり着ないタイプの衣装を指さしてみる。ウエディングドレスというにはシンプルな、白いミニドレスである。
何も追求せずに師匠は頷いた。んが、『テラやぎタベルナ』のコース案内文と、招待する大食らいメンバーを見た時点で、挙式はスルーされ披露宴はトンデモ方向に突っ走ることを予測した。
なぜならば、コース説明文には、結婚式・披露宴のご案内の他に、激盛り創作料理挑戦コース、流れるソーメンプール、激闘! 闇わんこそばコース、新鮮海産物食べられ放題コース、甘味食べ放題コース、極限灼熱辛味三昧コース、本格宮廷料理コース、裏道屋台巡りコースなどなと、自他共に認める食いしんぼう連中には辛抱たまらんラインナップがひしめいているからだ。
――特に。
新鮮海産物食べられ放題コース。
たぶん、これが一番危ない。皆、ここを狙ってくる。
そこまで師匠は思ったのだが、あえて紅珠には言わなかった。
魔女たる存在は、愛は試練を伴うものであることを体得せねば。これは絶好の機会……というのはタテマエで、みんなで突っ走ったほうが、ちょっと楽しそうに思えたからである。
ACT.2■『テラやぎタベルナ』へようこそ
そして一行は、レストラン前で集合した。
「紅珠、招待ありがとな。食うぞぉ、海産物全制覇だ!」
「好きなだけ食べられるコースみたいじゃないか。フードバトルに挑戦するか? ゲイル」
「望むところだ。今度こそ負けん!」
いつもどおりの派手な着物に下駄を突っかけた左京、素肌に革のジャケットをはおり、ハイセンスなシルバーアクセをじゃらっとつけたディオシス、とりあえずそこら辺の洗濯済みの服を身につけてきたとおぼしきゲイルノート。
どう見ても、これから結婚式とか披露宴とかに出席する装いではない。むしろ、ハードな戦闘に赴くかのような気配濃厚である。
いやんな予感がした紅珠だが、雅彦のいでたちを見て、頬にぽっと朱を走らせた。彼だけは、普段は着ない糊の利いた白いワイシャツにきっちりネクタイを締め、紺のスーツを合わせたドレッシーな姿だったのである。
「あ、あの。似合う……ね」
照れてもじもじする紅珠に、雅彦はひとこと、
「立派なレストランでの食事だっていうからな」
とだけ言い置いて、すたすたと入っていく。
(……あれ?)
どうも、こちらも、新郎という雰囲気には程遠い。
「よぉ、テラやぎ。俺たちの席どこだあ?」
「時間制限ないって聞いたけど、本当か?」
「すまんが、早く案内してくれないか。もう、腹が減って減って」
首を捻る紅珠をよそに、左京もディオシスもゲイルも、勇んで店内に突入する。
――当然と言えば当然のごとく、師匠の予測はばっちりぴったりこれ以上はないくらいに当たってしまったのだった。
◇◆◇ ◇◆◇
「いらっしゃいませー。ごよやくの、ごめいさまですね。あさなみ・こうじゅさま、ひょうどう・まさひこさま、たてわき・さきょうさま、でぃおしす・れすとなーどさま、げいるのーと・ぐらはいんさま。それでは、ごあんないします。……ああっ!」
ころころひしめいているテラやぎウエイトレスは、みな同じに見えるが、それぞれ微妙に個性があるようだった。
紅珠たちを案内したのは、ふりふりエプロンをつけた、カタコトで喋るまるまっちい白やぎだったが、どうもドジっ娘属性があるようで、特に障害物もないところでこてんと転がったりしている。
転んで起き、起きあがっては進み、延々と。
いったいこのレストランはどれだけ広いのか、歩いても歩いても一向に目的の席にはつかない。
「まだなのか……? このままだと俺は……」
いい加減疲れかけ、空腹のあまり息も絶え絶えになったゲイルノートの目に凶暴な光が宿る。
危うし、ドジっ娘テラやぎウエイトレス! ゲイルの胃袋に消えるのか!?
……となりかけたあたりで、ようやく一行は【予約席】のプレートが置かれたテーブルに到着した。
そばには、どうして店内にこんなものがあるのか聞くだけ野暮なサイズの湖がどーんと広がり、【こちら当店のいけすでーす。お客様のお好きな新鮮食材をお取りください。腕利きの板前が調理いたします】と書かれた説明板が立てられている。
ぷふぁぁ〜!
湖には、どこからどうみてもお前クジラだろ、きりきり白状せい的な生き物が潮を吹いているし、ざっぱーん、ぱしゃーんと跳ねているのは、マグロだったり巨大イカだったり巨大トビウオだったり巨大ヒラメだったりするようだ。
湖畔のそこここでは、他テーブルの客たちによる、銃声やら剣を抜く音やら炎の攻撃魔法の掛け声やらが渦巻いている。
つまりこのいけすには、戦わなければ食材をゲットすることが出来ないばかりか、下手をすると自分たちが食べられ放題になってしまう、サスペンスたっぷりの趣向が凝らされているらしい。
(教会も神殿も近くには見あたらないし……やっぱり、ここ、披露宴会場じゃない……。みんな、新鮮海産物食べられ放題コースを選んだんだ)
がっかりを通り越して青ざめた紅珠の手に、太い綱が4本、握らされた。
「何これ?」
「よんめいさまのいのちづなでーす。しっかりもっててくださいね」
命綱の端は、雅彦、左京、ディオシス、ゲイルノートの腰にがっつりと結ばれている。4人はこれから湖で海産物とバトルので、何かあって溺れかけたら、泳げるお前が助けろという有り難い心遣いのようだ。
「それでは、うめさん、おねがいしまーす」
「おう! 任せろってんだ!」
ウエイトレスに「うめさん」と呼ばれたテラやぎは、ねじりはちまきに腹巻きという、昔気質の職人スタイルだ。どうやら彼が、腕利きの板前であるらしい。
「いやいや、あんたたちは見どころがあるよ。新鮮海産物食べられ放題コースにはいろんなメニューを揃えてるんだが、中でもこの『時間無制限・各種戦闘アリ・食材であればどんな凶暴な海産物でもたとえ異世界モンスターでもばっちOKどんと来やがれな壮絶食べられ放題セット』は、ちぃとばかり難易度が高くてなぁ。まあ、でもあんたたちなら大丈夫だな。どんどん獲ってこい、俺も腕の振るい甲斐があるってもんだ!」
「はーい、ではみなさん、こころのじゅんびはよろしいですか? がんばっておいしいしょくざいをげっとしてくださいねー。くれぐれも、おいしくたべられちゃったりしないことをおいのりしますー」
ウエイトレスはそう叫ぶなり、4人を次々に湖に突き落とした。
ACT.3■北海道産海産物祭り……ですか?
「ぬぉぉおおおおーーー!!!」
大きく水を掻いたゲイルノートは、凄まじい早さで一番の大物、ミンククジラ……に見える生き物に突進した。まるで水面を滑るがごとくの勢いである。
「おまえに恨みはないが、これも運命とあきらめてくれ。俺は腹ぺこなんだぁぁぁーー!!!」
その背にひらりと飛び乗り、いざ掴みかかろうとしたゲイルノートを、うめさんの声が制止する。
「ちょいまち、ゲイルの兄さんや。あんた、予約時にOMCから来た資料によりゃ、ものを腐らせる力を持ってるんだってな。クジラは、刺身に良し、焼いて良し、煮て良しの結構な食材だ。腐らせちゃあ元も子もねぇ。素手で触らねぇで、これを使いな」
どこからとりだしたのやら、うめさんは大きな銛を放り投げた。空中に弧を描いてひゅいーんと飛んできた武器をたくましい隻腕でしっかとキャッチし、ゲイルノートは珍しくも笑顔を見せた。小麦色の肌に白い歯がきらりと光って、まるで爽やかな海の男のようだ。
「ありがとうよ、うめさん。一撃で仕留めてみせるぜ!」
「おう。そのクジラは異世界産モンスターだから国際捕鯨委員会(略称IWC)の管轄外だ! どーんといっとくれ!」
◇◆◇ ◇◆◇
「おっとお、これは」
突き落とされついでに下駄を脱ぎ捨て、左京は、思い切りよく湖の底に潜っていた。
皿状の殻をつけた巨大な貝に似た生き物が、ゆらりと蠢く。左京の存在を認めたか、殺意剥き出しで近づいてくる。
(アワビ――かな? それにしちゃ、えらくでっかいけど)
水中で身構えた左京にも、うめさんの声が振ってきた。
「左京の兄さん、そいつもモンスターには違いねぇんだが、味は北海道産の蝦夷アワビにそっくりな逸品でぃ。刺身にすりゃあコリコリ感が最高、薄味の出し汁に入れた『水貝』もいい。あとはそうだな、塩磨きしてさっと洗ってから鹿の子に切れ目を入れてだな、バターで焼いて塩胡椒して、仕上げにブランデーを大さじ1杯入れて火を付けてフランベすりゃあそらもう」
(ものすごく美味そうじゃないか! 絶対食べてやる!)
左京の瞳が、本性である刃物の輝きを帯びる。右腕がすらりと、切れ味の良い鋼に変化した。
◇◆◇ ◇◆◇
「おおーい、うめさん。このでっかいの、ウニだよな?」
やはり水底で巨大海産物とご対面したディオシスは、とうに左のピアスを外して全力全開モードだった。ウニに似たモンスターを確認してから、いったん浮かび上がって顔だけ出し、鮮やかな緑に変わった瞳をうめさんに向ける。
「そうとも。それも、北海道北部、利尻島産のバフンウニにそっくりな最高級品でぃ。甘味が強くってとろけるような食感と深いコクが絶品だ」
うめさんは腕組みをして、うんうんと何度も頷く。
「あと、そこら辺を泳いでるのは、サロマ産シマエビ似モンスター、オホーツク産ホタテ似モンスター、稚内産ズワイガニ似モンスター、釧路産イクラの醤油漬け似モンスター、虎杖浜産たらこ似モンスターってところかねぇ」
「突っ込みどころはそこじゃないとは思うが、なんで北海道フレーバーがこんなに濃厚なんだ」
「……ディオの兄さん、オフレコで頼みますぜ。全異世界を網羅する謎の旅行会社、マジック・キングダム・ツーリスト略称OMCの本社は、実は北海道にあるんでぃ」
「いや、そんな企業秘密を知りたいわけじゃなくてな」
俺は美味いものを食えりゃあいいんだよ、と、ディオシスは召還した蛇腹剣を海産物モンスターたちに向けた。
◇◆◇ ◇◆◇
「ちょっと待て……。シマエビとホタテとズワイガニはまあいいとして、何故イクラとたらこが単独活動している?」
尾ひれつきのイクラの固まり(注:厳選素材を醤油漬けにしたもの風味)と、牙を剥く巨大タラコ(注:同じく厳選素材を極上のたれで漬け込んだもの風味)に挟み撃ちにされ、ずぶ濡れになりながらいったん湖畔に這い上がった雅彦が、ぼそりと呟く。
その肩をぽんと叩いて、うめさんが言った。
「それはだな、雅彦のダンナ。イクラもたらこもモンスターだからでぃ」
「……なるほど」
クールに納得した雅彦は、紅珠を振り返る。
先刻からずっと、甘い夢を打ち砕かれっぱなしの人魚は、4人分の命綱を握りしめ、混乱したまま固まっている。
「紅珠は、何が食べたい?」
「別に、何でも。俺がこのレストランに来たのは、食事が目的ってわけじゃ、なかったから」
白いミニドレスの少女は、しゅんとうなだれる。
「――食わないと、大きくなれないぞ。おまえが成長してくれなければ、挙式も披露宴も出来ないだろ?」
「雅彦」
はっと顔を上げ、紅珠は目を見張る。
「みんなを見習って、まずは俺も食うことにする。おまえもそうしろ」
イクラとたらこが、じりじりと湖畔に近づき、間合いを詰めてくる。
一歩下がり、息を吸い込んだ雅彦は――虎に変化した。
何かを、吹っ切ったように。
ACT.4■取れたての真珠を君に
戦闘が一段落したゲイルノートとディオシスは海産物フードバトル大会のゴングを鳴らし、そこに左京も加わって、三つどもえの争いが展開されていた。
小山のようにてんこ盛りにされたクジラの刺身やステーキや大和煮、アワビの刺身や水貝やバター焼き、ウニのお造りとウニ丼、シマエビとホタテとズワイガニの豪華お造り盛り合わせ、イクラ丼やたらこ丼などなどが、めまぐるしく平らげられていく。
「なあ、紅珠。披露宴には呼んでくれよもぐもぐ」
「そうだな、今回は、俺たち的には披露宴の予行演習な位置づけだぱくぱく」
「これくらいの素材と、うめさんレベルの料理人のいる会場を選べよがつがつ」
……これが予行演習だとすると、いったい本番ではどんなことになるのやら。
「はいよ、紅珠の奥さんも」
うめさんが、熱々のアワビのバター焼きを差し出す。
そういえばうめさんは、ゲイルノートとディオシスと左京には「兄さん」と呼びかけたが、雅彦には「ダンナ」と言っていた……。
「ありがと。うめさん、いい人だね」
「はっはっは。奥さん、あっしはやぎですぜ!」
「ところで、うめさん」
丼ものをひととおり制覇してから、雅彦はおもむろに立ち上がる。
「このいけすに、アコヤ貝はいるか?」
「いるともさ。あれも天ぷらにするとなかなか乙な味で」
「――そうか。いや、食材部分はみんなにまかせるとして――」
言葉を濁して、再び湖に飛び込んだ雅彦を、紅珠は追いかける。
雅彦が何を言おうとしたのか、わかったのだ。
「俺も真珠を探す!」
「馬鹿。俺が取ってきて、おまえに渡すんだ。おとなしく待ってろ」
「一緒に探したい!」
ドレスが濡れるのをものともせず、人魚は水中を駆ける。
とうに命綱は解かれているけれど、ふたりなら大丈夫だろう。
この先、どんな試練が訪れるとしても。
――Fin.
※この文章をホームページなどに掲載する際は、必ず以下の一文を表示してください。
この小説は株式会社テラネッツが運営するオーダーメイドCOMで作成されたものです。
|