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<東京怪談ノベル(シングル)>


ホーム・スイート・ホーム

 その日はその季節にしては日差しが暖かく、ぽかぽかとしたのどかな陽気だった。その為、キースは少し遅い昼食を、外で適当に済ませようと言う気になり、今こうして昼下がりの公園をのんびりと歩いている訳だ。いつもなら、キースが腹を空かせていれば、こちらが要求する前に、文句を言いつつも何かと世話を焼いてくれる友人・知人に奢って貰うなり何かを作って貰うなりできるのだが、今日に限っては周りに誰も居ず誰にも会わなかった為、それも叶わなかったのだ。元より、自分で何かを作って食べようなどと言う考えは端から無かったし、窓の外から見える、陽光に溢れた世界を見ていたら何故だか無性に外に出たくなったので、これ幸いと外出する気になったのであった。尤も、平日のお昼、子供達が群れ遊ぶ平和そのものな公園に、長身で一見近寄り難い、しかもサングラスを掛けた男が一人で歩いている所は結構異様なものであったが。

 噴水の水が弾ける横を通り過ぎ、何を食べようかとのんびり楽しげな思考に任せていたその時。何かの意識がキースの脳裏を掠めた。
 「…………?」
 歩みを止め、立ち止まるキースに、それは繰り返し何かを投げ掛けて来る。テレパシストと言っても他人の思考をそのまま読み取る能力ではなかったし、第一今は、こちらが何の意識もしてないのに一方的に受信しているような状況だ。それに、今向けられている波動は、言葉の形を成していない。人間の思考が全て言葉で綴られているとは限らなかった、無意識下の思考であれば本人に認識されてないが故に言葉になっていない事が多い、それでも、人間の思考なら何となくニュアンスで通じるものだ。だが、今のこれは違った。これはキースと同じ思考回路をした者からではない。平たく言うと…人間からではなかったのだ。
 ゆっくりとキースが身体ごと振り返る。噴水の向こうの広場では、子供達がボール遊びをしている。その脇のベンチでは老人達が並んで腰掛け、日向ぼっこをしながら昔話にでも興じているのだろう。ベビーカーを押しながら散歩している若い母親の姿もある。煙草を吸いながら休憩中のサラリーマンも。だが、それらのどれでもない。…おかしい。でも、まぁいいか。首を傾げながらも再び歩き出そうと、キースが踵を返そうとした、その時だった。
 「……みぃ。」
 何やらか細い声が足元から聞こえる。下を見れば、ごついブーツの靴先に、一匹の白い子猫がすりすりと頬から耳の横を擦り付けているではないか。
 「……おーい」
 キースが声を掛けると子猫は面を上げて見上げ、もう一度みゃあ、と鳴いた。キースが困ったような顔で頬を指先でぽりぽりと掻く。暫し考えた末、そのまま無視を決め込んで踵を返し、今度こそ歩き出す。その後を、必死な様子で白猫は付いて回った。長い足で早足で、しかも幅のあるストライドで歩くから、当然その移動距離もかなりなものだ。小さな子猫の足ではついて行くのには辛いものがあったに違いない。時折、前足を縺れさせながらも、子猫はそれでもみゃーみゃー鳴きながらキースの後を追いすがる。キースは眉尻を下げて困ったような情けない表情のまま(サングラスで隠れて人の目にはそうは見えなかったが)、歩調を緩める事なく歩き続ける。だが、それを見る人の目が心なしか、『…あの人、もしかしてヒトデナシ?』等と言う雰囲気を帯びてきたこともあるし、何よりも子猫の鳴き声があまりに悲壮なのにほっとけなくって、キースは足を止め、転がるようにしながら追いついた子猫を、掌で掬い上げるようにしてその腕の中に抱き上げた。子猫はキースの腕の中で、息を切らしながらそれでも嬉しそうにみゃあん、と鳴いた。
 「……なぁ、子猫さん…、本当は誰かの飼い猫……なんじゃないのか……?」
 腕の中からキースを見上げて一声鳴く、その子猫の細い首に嵌まった赤いリボンを、指先に引っ掛けて軽く引っ張ってみた。誰かに可愛がられている証拠のようなそのリボンも勿論だが、如何にもすぐ汚れそうな真っ白な毛並みも綺麗なままだし、抱き上げた時に掌に感じた、猫特有のくたくた感も直に伝わる骨の感触も、特別に痩せているという感じでは無かった。…まぁいいか。取り敢えず、そのまま子猫を腕に抱いたまま、さっきよりもゆっくりとした歩調でキースは歩き始めた。

 可愛いフリルのエプロンとヘッドドレス、そんなラブリーな姿に似つかわしくない表情で、暫し彼女は目の前の男と見詰め合った。
 「……………」
 「あの………」
 「は、はい!? …あッ、ごめんなさい!…で、何でしたっけ?」
 「……だから、タマゴサンドとミルク…って、何度も言ってるんだけど……」
 「あっ、そうでしたねっ、少々お待ちください!」
 「………」
 若いオンナノコの店員が、脱兎の如く店の奥へとすっ飛んでいく。その様子をキースは小さく溜め息をついて見送った。昼時を過ぎて暇になった近くのファーストフードの売店で、頬杖付いてのんびり店番をしていた彼女の前に、突然ぬっと暗い影が現れたのだ。びっくりして飛び上がれば、目の前には何だかアヤシゲな人影が。暗いサングラスを掛けて背の高い、男前な事は男前なのだが、鋭い雰囲気の有り体に言えば何処か怖そうな男の腕の中に、何とも似つかわしくない可愛らしい白い子猫が大人しく抱っこされている。思わずあんぐりと口を開いて眺めていた所で、先程の会話があった訳である。
 子猫を連れたままでは何処かの飲食店に入る訳にもいかず、キースはテイクアウトでサンドイッチを買って先程の公園に戻った。ベンチには座らず、芝生の上に直接足を投げ出して座る。下に降ろした子猫は、キースの足に前足を掛けてサンドイッチを強請った。キースは、買ったタマゴサンドを小さく千切っては紙コップに入ったミルクに浸し、子猫に食べさせている。勿論自分の口にも運びながら、何やら異様にまったりと、キースと子猫は寛いで団欒していた。

 「……なぁ、本当にどっから来たんだ、…?」
 「みぃ?」
 「…そりゃあ、俺んとこに来ても構わないんだけど……でも、ちゃんとした飼い主が居るんなら…帰った方がいいんだぜ、絶対……」
 「みぃ…」
 「帰る場所があるんだろ、白猫さんにはさ……」
 「……みー」
 ちゃんと会話になっているような気がするのは気の所為だろうか?勿論、キースに猫語が理解出来る訳ではなく、能力で解している訳でもない。その子猫のイントネーションや表情から何かしらを感じているだけだ。己の能力が猫にも通用するかどうかは分からないが、さっきから無意識で眼だけは合わさないようにしている。それでも視界を掠める、子猫の緑掛かった金色の瞳には、なにか覚えがあるような気がするのだ。

 食事を終えてキースは足を投げ出したまま、芝生の上で後ろ手に両腕を付いて身体を支え、ぼんやりと空を見上げている。その膝の上では、さっきの白猫さんが丸くなり規則正しい呼吸で柔らかそうな腹を上下させていた。これからどうするか…、とキースが他人事のように考えていたその時だった。
 「…みゃ?」
 ぴく。と子猫の耳が引く付く。素早く頭を上げて暫し何かを聞いているような気配だ。髭が全部前方に向いている所は、何かに注意を向けている証拠でもあるし。おーい、とキースが声を掛けようとしたその時、子猫はいきなりキースの膝から飛び降りると、さっきと同じように足を縺れさせながら、何処かへ走り出していくではないか。
 「………おいって。白猫さーん…?」
 瞬く間に小さくなる白い毛玉を見送って、キースは暫し呆然としていた。が、やがて立ち上がると子猫が走り去っていった方へと向かってみる。公園の湾曲した遊歩道を曲がるとそこには白猫を抱っこする小さな女の子、そしてその母親らしき若い女性の姿があった。声は良くは聞こえない、だが子猫を抱いた女の子の表情は如何にも嬉しそうだ。抱き上げた子猫に頬擦りをする、子猫も腕の中で目を細めている。そんな様子を見詰める母親の眼差しも優しく暖かく、皆が皆、互いに愛し合っている事が一目で分かる、そんな風景だった。親子は歩き出し、そして何処かに姿を消した。今更になってキースは、女の子のツインテールの片方にしか赤いリボンが結ばれていなかった事に気付いた。

 キースは身体の向きを変え、今来た道を歩き出す。陽の短いこの季節、そろそろ翳り始める時間帯になって少々肌寒さを覚えながら、キースはふと思い出した。遠い昔…と言うほど過去でもないのだがキースにとっては遠い昔。この能力故に存在そのものを受け入れて貰えなかった自分、追いすがって何かを求めたかった自分、でも拒否されるのが怖くて、目を逸らす事しか出来なかった自分。ただひたすら、声にならない叫びを上げ続けていた自分……。
 「…………まぁ、…帰る場所があるってのはイイコトだよな」
 ぽつりと、そう漏らす。喜びも哀しみも苦しみも百人百様。そして、結果的にはたぶんプラスマイナスゼロ。それでも、哀しみや苦しみは、出来るだけ小さいに越した事はないよな。
 「……腹減ったな…」
 思い出したようにそう呟いて歩いていく、家まで辿り着く間までには、ただでさえ長い影がもっと長く伸びている事だろう。