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<東京怪談ノベル(シングル)>


■最強を目指す拳〜それでも穏やかな日々〜■


 プラハ平和条約機構”エヴァーグリーン”の中心地ブタペスト。
 平和条約巡察士を始めとしたプラハ研のエスパー達が善意で行っている治安維持活動により比較的治安の良い街でもある。
 そんな、平和な街でも――否だからこそか。
 諍いの種は人々の中に潜み、忘れた頃にひょっこり芽を出す。
 どれだけ己も周りの者もそれを知り注意していようと、それが芽吹き易い環境というものはあるものだ。
 そして今日もまた夕方が近づき混み始めた市場の一角から、怒声が響いた。


 若い男が中年の男に向かって、肩が当たったと騒ぎ始めたのが発端だった。
 当たった、当たらない。
 わざとだ、わざとじゃない。
 そんなやり取りから始まって、次第にゆすりたかり腰抜け侮辱等といった単語が並び始め、やがて手が出るようになる。
 子供の喧嘩ようなその状態を遠巻きに見守る人々の輪の中から、素早く、しかし何故かゆっくりとした印象で拳を制する手が伸びた。
「まあまあ、落ち着けよ二人共」
 そう言って輪の中に現れた青年――イオリ・サカキは笑った。
 長く伸ばし、項の辺りで紐で括り纏めてられている黒い髪が、ふわりとその背に落ちる。
 拳を留めた小麦色の肌は、地というより日焼け雪焼けを思わせる色。
 笑みを浮かべたままの瞳の色がやや茶を帯びた黒であることからも、この青年は東洋系それもおそらくは日系であろう。
 イオリはそういって軽く二人の拳を叩き、同意を確認するかのように二人の顔を覗き込む。
「こんなとこで騒ぐと迷惑かかるだろ」
 言われて、一応二人共動きを止める。
 もしも。
 二人が普段の状態であったら、その言葉を素直に聞きいれて、そのまま落ち着くことが出来たかもしれない。
 またはイオリの仲間が半ば無理矢理腕につけさせた、エヴァーグリーンの紋章入り腕章を見て、イオリが平和条約巡察士だと気がついて大人しくなったり、動き易さ重視なのかやや薄着気味のイオリの体、その体格を見て考え直したかもしれない。
 しかし。
 残念なことに中年男は酒を飲んだ後――昼間だというのにだ――らしく酔いが回っており、もう独りの当事者である金髪の若い男は――己と同じぐらいの年齢と見えるイオリの言葉を素直に聞くには若かった。
 煩い、という言葉を若い男が発するのとほぼ同時。
 中年男が繰り出した拳は軽い音を立てて――間に入ったイオリの頬に当たった。
「ってて…仲裁に入った相手まで殴り付けるなんてのは良くないぜ?」
 苦笑混じりにいうものの、それで収まる様子はない。それどころか殴ってしまったことで箍が外れたのだろう。
 イオリの存在などお構いなしに、再び若い男へと殴り掛かり、相手もそれに応じた。
「おいおい、ちょっと待てって」
 躱しながらかける声に、返って来るのは怒声と拳の返事のみ。
「しゃーないねぇ」
 軽く頷くと己に向かって殴りかかってきた男の腕を、右腕と身体とで挟み込んで止める。
と、左の肩を沈み込ませ、肩を当てるようにして体当たりで一撃。
「無抵抗で一発殴られたんだし、この状態なら正当防衛」
 うんうんと無責任に頷くと、そのまま左の手を自然の動きに任せて相手の下腹部へ追い討ち。
 呻き声が発せられるその時に。
 何か鈍い音がしたような気がしたが……聞かなかったことにする。
 呻く男を開放して向き直り、
「あーんど、喧嘩両成敗ってな」
 ふわり。
 イオリの動きに合わせて風が舞う。
 小さく一歩、足を横へ捻るようにして前へ。
 大きく一歩、正面を向いていた体が滑るように横を向く。
 そして響く音。
 硬質なものが割れるような高い音と強い衝撃を感じさせる低い音、二つの音が混ざって一つの音として聞える。
 それらは周りで見ていた者達全てが、同時に届いたように感じた音。
 相手に対して横になったイオリの身体から突き出された肘は、肩の動きに合わせてそのまま下へと下がり、腕は真っ直ぐのままだというのに上から下へ肘で攻撃したようにも見える。
 逆の手は頭を護る為なのだろうか、肘を曲げた状態で頭上に掲げられている。
 何処か気楽な声とは逆にその動きは素早く、それでいて優雅。
 僅かな動きなのだけれど、どこか、舞を連想させるその動き。
 短く声を上げて男が崩れ落ちるまでの、それは本当に僅かな時間。
 風に舞い上げられた砂が落ち着くまでの僅かな時間。


「あ」
 静まり返ったその場を崩すような気の抜けた声。
 声の発生源はイオリだ。
 困惑をあらわに視線を地面へと向けている。
「やばい、これはやばい。またやり過ぎだって叱られるだろうなぁ」
 舌打ち混じりに呟いたイオリの言葉に、その場にいた何人かが頷く。
 平和条約巡察士という役職を考えても、正当防衛を主張したとしても、過剰防衛になるだろうことは二人の状態を見れば明らか。
 まあしかし、元々は喧嘩してた二人が悪い。
「下手したら食事抜き…せめておやつ抜きに…ああ、でもちゃんと食わないとチカラでないんだよな」
 普段からブタペストをメインに巡回しているイオリに対して、面識のある者は多く、また好意的だ。
 そんなイオリの言葉に、いざとなったら林檎の一つぐらい分けてやろうと何人かが思った矢先。
 髪に手をいれ掻くイオリがぼそりと漏らした
「何とか誤魔化せないかな…この石畳」 
 という言葉に。
 おい、ちょっと待て。
と、内心突っ込みを入れたかどうかは…定かではない。


――――本日の成績。
 重傷者2名、説教20分、おやつ抜き。