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<東京怪談ノベル(シングル)>


 殺さない悪魔

 無音の空間。
 などと言うものはどれだけ探そうとも見つからない。音がしないということはイコール音源が何も無いということ。人間に限らず生き物が音源である以上、無音の空間というものは探しても絶対に見つからない。探索者そのものが音なのだから。
 だが単に聴覚の問題であるならば、人という大雑把なレーダー網から逃れ『無音』を獲得する事も不可能ではない。その場合厳密な無音でなくとも全く構いはしないのだ。
 その集団は正しくそれに近かった。
 一糸の乱れもなく音もなく、嘗ての繁栄ぶりを申し訳程度の名残として残す瓦礫の街並みを5体のマスタースレイブが移動していく。
 マスタースレイブ。戦闘を目的として作られた機体はステルス性もまた売りの一つではあるが、それにしたところでこの無音類似的行軍は見事としか言いようが無い。稼動音を最小限に押えながらの速やかな行動は、乗り手の腕もさることながら、指揮者の影響力をも克明に現している。その上、その上だ。その5体のマスタースレイブの意匠は統一されていなかった。
 何某かの政治的な背景を持つ一軍であるならばそこに統一性が必ずある。刻印や紋章だけであろうとも何らかの目印があるものなのだ。だが、この5体にはそれが無い。
 この訓練された軍隊でも神技に等しいだろう無音類似的行軍を見せている一団は、少なくとも旗印を国家に持たない。ならば何かというのならば導き出される答えは一つしかない。
 奪うことを目的とする、夜盗の一団なのだ。俄かに信じがたい事に。
 深夜のことである。偶然それを目にした人間は何の疑いも持たずそれを何某かの国家的な集団と信じた。不安に狩られ身を縮める者も多かったが概ねの者は静かに眠りについた。
 人に安心感を齎すほどに、その一団の統率は完璧だった。
 だからこそ、それは恐ろしい。その行軍の目的の不幸を暗示するかのように、その夜の闇は深かった。

 無音の空間。
 ありはしないものではあるが、類似物であろうとなんであろうとそれが最も歓迎されるのは夜という時間である。
 カルヴァス・シルカリバー(かるう゛ぁす・しるかりばー)は、横たわっていた粗末な寝台からむくりと身を起こした。枕もとの時計に目をやり、実に迷惑そうに眉を顰めたカルヴァスは、世界の求めに応じて音もなく寝台を下りた。
 まだ、少しは遠い。
 音を聞いたわけではない。気配を感じた訳でもない。
 ただ、はっきりと何かが近付いている事だけは分かる。
「……迷惑な話ですね」
 ぼそりと呟き、手早く衣服を整える。その動きは手馴れたものだった。何しろ善悪の定義は別として、狙われる覚えなら腐るほどある。
「――さて」
 気は進まないけれど一人ごちたカルヴァスは、やはり静かに部屋を後にした。
 世界の求めるままに、静かに、物音を極力立てずに。

 勤めて無音を得ようとする二者。
 片やその存在を悟らせぬために。
 片や周囲の静粛を少しでも守るために。
 意図は違えども似たような気を使うこの二者は、言うまでもなく追う者と追われるものの関係にあった。

 瓦礫の一歩手前と言った風情の建物の前で、無音類似的行軍は止まった。
 一体のマスタースレイブの肩から、ひらりと人が飛び降りる。操縦者ではない。重力に逆らうような緩慢な落下は、その人物が機械の補助を必要としない者――エスパーである事を示していた。
 どこか緩慢な動きで腕が振り下ろされる。
 漆黒の布に包まれたそれは、同じく漆黒の布に包まれた身体へと繋がっていた。何者であるかを総て押し隠す黒装束の人物の合図に従い、マスタースレイブの一団は途端に無音の仮面をかなぐり捨てる。音を立てることを放棄したまま攻撃行動には移れない。
 稼動音が一際大きくなる。今しもマスタースレイブが建物に手をかけようとした、その時だった。
「近所迷惑だからやめてもらえますか?」
 その声は、建物の反対側から、つまりは背後からはっきりとした声音で響いた。
 背後に――つまりはあっさりと優位に――立っていたカルヴァスはそう言い捨てるなり身を翻した。再び漆黒の腕が振られる。今度は鋭く、素早く。その意味するところを一団は取り違えたりはしなかった。
『追え』
 声無き命を受け、無音をかなぐり捨てた一団はただ、カルヴァスの後を追った。

「わ!」
 頭上をすり抜けていったエネルギー波を間一髪で割け、カルヴァスは細い路地に入り込んだ。マスタースレイブの破壊力からすれば両脇を固める建物などものともしない筈だが、今現在ならば抑止力にはなる。わざわざ音を立てずにやって来たほどだ、狙いはカルヴァス一人であり、騒ぎを最小限に留めたいのだ、敵は。
 そしてその事実にカルヴァスは歯噛みした。
 だからこそこうして小回りの利かない路地に入り込む事が抑止となっているが、だからこそ事は厄介でもある。
 あの一団を率いているのはただの力自慢の馬鹿ではないということだからだ。
 騒ぎを最小限に、そしてあのマスタースレイブの数からして相手の力量を過小に考えず確実に、目的を果たそうとするものが馬鹿であってくれるはずが無い。
 考えつつもカルヴァスは足を止めない。そんな事をすれば蜂の巣だ。路地から路地へと兎に角素早く逃げ惑った。
 だが、こんな事をしていても時間稼ぎにしかならない。カルヴァスの冷静な頭脳はとっくにその答えに行き着いていた。

 小賢しく逃げ回る獲物を意識の端で捕捉しつつ漆黒の衣装のエスパーはマスタースレイブの集団を指揮していた。
 ちょこまかと小賢しいが、一発当ててしまえば大人しくなるだろう。それで死なずとも、動きは確実に鈍る。鈍れば逃げることも適うまい。
 難しい仕事ではないはずだった。
 いくつかの夜盗団が壊滅の憂き目を見た。
 マスタースレイブは破壊し尽くされ、戦闘用サイバーは修復にどれだけの費用と時間がかかるかもわからないほどに武器のみを完膚なきまでに破壊された。
 それがあんな小僧の仕業とは腹立たしい限りだった。
「さっさと始末をつけろ」
 鋭く命じ、自らも攻撃を仕掛けるべく意識を集中させる。
 その刹那、闇が、夜の青い闇が真に闇へと変わった。
「!?」
 驚きに頭上を振り仰ぐと、そこに悪魔が、いた。
 悪魔というのは正確ではない。まるで御伽話の悪魔のような、と言うのが正しい。背に翼を広げ、剣を持って中に浮かぶ少年。
 漆黒を纏った、天使のような悪魔。
「打て!」
 黒衣の人物はすぐさまそう命じる。それに答え、総てのマスタースレイブが同時に頭上へと散弾を放った。
 しかし、遅い。
 翼は恐るべき速さをカルヴァスに与えていた。散弾を、肉眼では捕捉する事すら困難な速度で飛来する散弾を、カルヴァスは容易く避けた。
 散弾と散弾の合間を縫うように飛び、カルヴァスはほの白く光るブレードで一体のマスタースレイブの腕を断った。肉体に触れない、ギリギリのラインで。
 音を立てて断たれた腕が地へと落ちる。
 驚愕の一瞬の間を、カルヴァスは逃しはしない。瞬く間に、5体は単なるジャンクへと変わった。
「貴様……!」
 吐き捨て、黒衣のエスパーは躊躇わずに衝撃波を放った。
 だが、当たらない。懐に飛び込まれては終わりだ。エスパーは更に間髪入れずに衝撃波を放ち続けた。
「貴様を生かしておく訳には行かないのだ!」
 憎しみを滾らせた絶叫がエスパーの喉から迸る。
 カルヴァスは少しだけ眉を顰めた。
 そんな事は分かっているのだ。
 なんの理由もなく夜盗を働くものなどいるわけがない。誰も自ら好んで『犯罪者』になど落ちたいはずが無いのだ。
 最初は誰もが多分、他に道がなかったから。過酷な現実の前に、優しさを置き捨て奪う側に回るしか生きる術を見つける事が出来なかったから。
 彼らもまたある意味では奪われている。
 現実の前に、優しさを、良心を、温もりを、自らの中から奪い取られた、哀しい犯罪者達。
 それでも彼らは奪うものでもあり、彼らに奪われる誰ががいる以上、カルヴァスに見逃すという選択肢は無かった。
 哀れむように、悪魔の少年は目を細めた。
「……わかってはいる、けどね」
 エスパーが渾身の力で放った最後の衝撃波を、カルヴァスはブレードで打ち落とした。目を見張るエスパーの懐に、風のように飛び込む。
「謝りませんよ、僕は」
 言葉と共に、エスパーの首筋に手刀が、どこか優しさをもって叩き込まれた。

 いくらかの諦観を持って、カルヴァスは眼前に広がる情景を眺めた。
 武器を破壊されたマスタースレイブ。中身は洩れなく昏倒している。そして路上に転がる黒衣のエスパー。
 哀れな残骸。
 だから殺せない。そして見逃せない。
 それがいたちごっこに過ぎないと分かっていながら。
「謝れませんよ、僕は」
 もう一度呟き、カルヴァスはその場を後にした。
 後悔などはしない、だが、それでも、
 ――切なかった。