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<東京怪談ノベル(シングル)>


月影、映る願いは……

 金色の月が川べりを歩く少年を照らし出す。正面から月明かりを受け、赤い上着に水色の袴をくっきりと浮かび上がらせながら、少年は颯爽と歩いていた。空に浮かぶ月、それを映し出す川面、その二つ以外に光源はない。少年の漆黒の髪は、雲が月を覆うたびに闇へと溶け込んでいた。
 土と一緒に草を踏みしめて、ゆっくりと歩みを進めていく。潰された草の放つ独特の臭いに、少年は目を細め右腕で鼻先をこする。その袖口と、細められた瞳は真紅の色を帯びていた。一つは生命から奪ったもの。一つは生命を主張するもの。それが少年の日常を表すものだった。少年の名は風道・朱理。人の生命を奪う殺人鬼、そう称される。己の欲求を満たすための殺戮を、繰り返しては日常を送る。

 少し先に石でできた大きな橋がある。その下は月の光が届かず、全くの闇だった。肌寒さすら感じる闇。足元に転がった金属の破片が音を立てて転がっていく。近づいてくる橋に反響していた。何かの気配を感じる。何とは分からないが、そこに何かあるというその気配を感じていた。
「血の臭い……。君からは血の臭いがする」
 気配の塊から男の声がする。
「どなたかいらっしゃるのですか」
 朱理は身構えながらその気配の方、橋げたの暗がりへと歩みを進めていく。
「職業柄、血の臭いにはなれているけれど……。君は人をその手にかけるのですね」
 黒い塊が近寄ってくる。どうやら橋げたの壁に寄りかかっていたらしい。暗闇の中に隠れるような黒い服、血の臭いに慣れているという言葉。同業者なのかもしれない。
「ああ、そんなに身構えたりしなくても大丈夫ですよ。私は何もしませんから」
 逆光の明かりのもとへ、声の主はゆっくりと歩みでる。長身の優しそうな青年だ。柔らかそうなコートのような上着に、ぴっちりとしたパンツ。その全てが黒一色である。青年の浮かべる微笑と、鋭く威嚇するような黒衣。対照的なものを身にまといながら、青年は微笑を浮かべて朱理を見下ろす。
「もしも君が人をその手にかけるというのなら、私を殺してくれますか?」
 朱理は疑うような眼差しを青年に投げる。
「殺してくれと、そうおっしゃいましたか?」
「ええ。私を殺して欲しいのです」
 朱理の問いに、青年は頷く。朱理は分からない、といった様子で首を振った。
「なぜですか。私があなたを殺すこと自体は、全く構いませんが、その死に急ぐ理由を教えていただいてもいいですか。死にたいと言うのなら、自ら命を絶てばいいではありませんか」
 青年は小さく自嘲気味に笑う。
「私は矛盾した存在なのですよ」
「矛盾した存在?」
 朱理は思わず青年の言葉を繰り返していた。
「そう。私は矛盾しているのです」
 青年は朱理に背を向け、右手をすっと月の光にかざす。
「人は『光』という生命を持って生まれ、それに付きまとう死という『闇』に怯えて暮らす。それが普通というものでしょう。しかし、私は人に光を与え、闇を取り除きながら、一方で闇を求める。闇に眠りたいと願う」
 かざした右手を下ろして、青年は朱理のほうを向き直った。
「私を闇に葬ってはくれませんか」
 目を伏せて朱理の言葉を待つ。
「お断りいたします」
「なぜ?」
 見開いた目で朱理を責める。朱理は、はね返すかのように青年の目を見返した。
「理由ですか?」
 朱理は青年が頷くのを見ながら、ゆっくりと瞬きをする。
「あなたを殺しても、私があなたから生を感じることがないからです。私の利益にならないというのに、承諾する必要はないでしょう」
 さらりと言ってのける。青年は意外だ、という表情で何度も首を振る。
「なぜです。私はこのままでは……」
「あなたの事情なんて、私には関係ありませんから」
「待って下さいっ」
 きびすを返した朱理の肩を、青年は力強くつかみ、振り返らせる。朱理は無言のまま、冷たい視線で青年を見上げた。
「待ってください……。私は医者として人の命を助けてきた。努力をし続けた。……しかし、私には救えないものがある。自ら死にたいと願う患者を、私は救うことができない。そして私自身を……」
 時に強く、時に戸惑いながら、青年は心の中を語る。
「医者……なるほど。血の臭いになれていらっしゃるのは、そういうことなのですね」
 朱理は器用に片目をつぶって、視線を自分の肩に移動させる。
「それでも私の答えは変わりませんよ。あなたに生の意思のない限り、私はあなたを殺すつもりはありませんから」
 ふぅ、と小さくため息をつき、肩に乗せられた青年の手を振り払い、きゅっとひねり上げる。
「あなたの命を奪うことはたやすいでしょう。しかしそれでは面白くない」
 言って青年の手を払いのける。青年は痛みに顔をしかめ、数歩後退った。ひねられた手首をもう片方の手でかばいながら、青年は朱理を睨む。
「あきらめません。……私はあきらめません……」
「御勝手にどうぞ。私はあなたが生きたいと願う時、容赦なくその願いを砕くでしょう。今、あなたが死にたいと願う、その願いを砕くように。私にかかわったこと、その時になって後悔したとしても、私は知りませんよ」
 朱理は言って小さく笑った。そのまま再び青年に背を向け、地面を踏みしめて歩き出す。橋げたを抜けて、月明かりが再び朱理を明るく照らし出した。石が足にぶつかり、ころころと転げて川に落ちていく。小さな音を立てた石を中心に、いくつもの輪が広がっていった。

 神秘的な光の中では、二人のやり取りはその景色の中に、溶けて消える。そこに残されたのは、黒衣の青年の落胆という余韻、潰された草の臭い、そしてかすかに広がる小さな波紋。月の光を揺らしながら、川岸へとたどり着き、そして消える。それは二人の交わした言葉とともに。