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<東京怪談ノベル(シングル)>


想いの行方

『私、貴方の事が好きなんです』

少女の唇が言葉を紡いだ。
ゆっくりと。
今も目を閉じれば、どういう表情をしてどのような声で言っていたのか思い出せるほど。

「…………………」

浴室。
青年―――名をヨシュア・レッドムーンと言う―――は、告白されたのが
自分であると言う戸惑いと共に着ていたシャツに手をかけた。
シャツを脱ぐとほっそりとしていると周りから思われているだろう身体は
意外なほどにしっかりとしていた。
そしていつも服で隠し見せないようにしている無数の傷痕もこの時ばかりは
顕わになる。
鏡に映る自分の顔と身体に苦笑を浮かべるとヨシュアは思いっきりシャワーのコックを捻った。


ザァァァ………。


沢山の温かな水流が自分の肌を伝いタイルへと流れていく。

(どうすれば良いのだろう?)

好き、だと言われて。
まず最初に戸惑った。
いいや、戸惑うと言うのは本当は正しくないのかもしれない。
異性全てが道具だと思うような自分だ。
使えそうな女性なら仕事の為に何でも使ったし、そういう点では仲間と言う
意識はあれど誰かを対象として見る事も無かった。
優しく、した覚えもない。
庇護をした覚えすらなく。
だから、何故自分が告白されたのが解らない。

なのに。

少女の瞳は真剣で揺ぎ無く確固とした信念があった。
言葉はまるで一つの武器のようにヨシュアの心を捉えて離さないまま。


『私、貴方が―――』


幾千もの雫がヨシュアを打つ。


『―――好きなんです』



何故、そう言いきれる?
問い掛けたくて、問えなかった言葉。
なのに、その代わりに出た言葉は。


『………そうですか、ありがとうございます』


まるで、答えに困った自分を映し出すように言葉は宙へ舞った。
だが、それ以外に言う言葉をヨシュアは持っていなかった。
想いに応えられるかどうかすら。

―――自分自身にさえ、解ってないと言うのに。


ぱしゃん。


軽い音をさせ雫に打たれた身体を落ち着けようと浴槽へと浸かる。

無数の傷。

一つ一つ、傷が増えるたびに何かを無くして来た様な気がする。
得るものも無論多くあった、けれど―――失うものも全くなかったわけではないから。
こういう仕事をしていると、感情がいつしか麻痺していく。
人は道具。
自分自身は生き抜くための武器。
自身を刃とし人を鞘として漸く落ち着ける。

この傷痕を見ても少女は『好き』だと言ってくれるのか?
想いは何処から来ているのだろう。
想われる事、想う事は自分と言うフィルターを通して相手を見る鏡の世界。

だが、
それでも人は…いや、少女は『幸福』なのだろうか?
自分の中にある思いを信じて突き進んでいくのだろうか。

(……幸福……か)
幸福かどうかを思い浮かべた瞬間人と同時に少女を思い浮かべた事にヨシュアは気付かなかった。


解らない事だらけで。
感情をなくし、割り切る事だけで生きてきた彼にはその映像こそが答えを導くものだとは解らずに
不明な事ばかりが多すぎると、ぽつりと呟いた。
誰も聞かない呟きを反芻するかのように言葉が響いていく。


どうする?
是か、非か。
いいや―――本当は、自分自身がまずどうしたい?
自分の中で整理できないものが多いのは惑う心が多くあるからだと知っている。
ただ自分に当てはめる事が出来ないだけ。
だから惑い、悩む。

髪から水滴が滴り湯へ小さな波紋を作り上げていくのを見てヨシュアは、はたと気付く。
広がっていく波紋。
まるで人が発する言葉のようだ。
一つの言葉が色々な波紋を作り、どんどん外へ外へと広がっていくのと同じ。
自分だけではない『人』がいる事の証だ。

「………もしかしたら」
濡れた髪をかきあげ天井を見据える。
ああ、そうか。
思い悩む事も戸惑う事も。
自分から誰かへ伝わる波紋がどういう形を描くのか、どうなっていくのか
自分自身で見ることが出来ないからだ。


なら。

少しでも良い形を描けるように。
自分自身で出した最良の言葉を伝えるために。

努力する事は出来るだろう。

人の想いの不確かさ、故に。
それこそが、想いの行方。

ヨシュアは、漸く戸惑いの表情から笑みを浮かべると勢い良く湯から出た。





−End−