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<東京怪談ノベル(シングル)>


 陽だまりの企画

 ブタペスト。
 プラハ平和条約機構“エヴァーグリーン”本拠地。
 未だ人類がこの世の春を(無論現在と比べての話ではあるが)謳歌していた頃、紛争地域として名を馳せた地域は、また別の部分でも密やかに名を馳せていた。チェコ、プラハは宮廷に魔術師を招じ入れるほどに魔術や練金術を愛したルドルフ二世の所業によって、西洋魔術の印象を色濃く漂わせる地名であった。
 そして現在、その嘗ての勇名は御伽話から抜け出ている。
 プラハ平和条約機構“エヴァーグリーン”
 エスパーと呼ばれる超条能力者を主戦力とするその集団は、御伽話の中の魔法使い達の具現といえなくもない。
 尤もそれほどに優しい、夢や浪漫の類いを擽るものではなく、どころかその戦力は何処までも現実的なものではあるが。
 その本拠であるブタペストは、一種学都のような印象の都市となっている。事務仕事を行う為の本拠地である、情報と資料の行き交う場となるのは極自然な成り行きで、その為それに付随した施設も数多く存在している。
 かなりの蔵書量を誇る図書館などもその一端だ。
 どんな音もその蔵書が吸い取ってしまうような、静粛に満ちた空間に一人の女がいた。
 日当たりのいい窓際に陣取り、山積みにした本に向かっている。
 頬杖をつき活字に視線を落とすその様はいかにも寛いでいる風情だった。だが山積みにされた書籍はその寛いだ印象どおりとは少々行かない。サイバー工学、法律学、外交術――おおよそ寛ぐという言葉の印象からは程遠い。
 だがどうみたところでその女は寛いでいた。
 女、という呼称は些か荷が勝ちすぎるかもしれない。身体つきも肌も、女と呼んでしまうには油っ気が足りなさ過ぎる。銀の髪に青い瞳、白磁の肌の、華やかで美しい――少女だ。
 だがその硬質の美貌は人を拒むような棘がある。それがこの少女を、年よりも大人びて見せていた。
 エウロペ・ヒュエインは人形のような美貌に滅多に見せない笑みを浮かべながら、本に視線を落としていた。時折細い指を口元に当て、くすくすと笑う。
 エヴァーグリーン所属の平和条約巡察士で、東部方面難民キャンプ補給部隊隊員。孤高の少女の珍しい様子に同じく図書室を利用している者達が不審そうな視線を向けるがまるで頓着する風はない。それもまた珍しいどころの騒ぎではない。
 実際、エウロペは本を読んではいても周囲を見てはいなかった。視界にあるという意味では見てはいても、把握しているかという意味では全く把握していなかったのだ。
 エウロペが見ていたのは図書館ではなかった。
 数日前の一事、いや……一人、だった。

 白磁の頬を冷たい汗が伝った。
 突如として襲い掛かってきた戦闘用マスタースレイブの数は半数には減った。しかしその事実が残りの半数を更に奮起させたのは疑い得ない。
 野盗団。時代が生み出した負の集団。
 戦争の産物を使い人を襲う者達の総称である。そうして糧を得ている者の数は未だ少なくはない。
 過酷な現実を生き延びるために奪うしかなかった。彼等はそう主張するのだろうがそれは浅慮でしかない。だが、一面の真実でもある。奪う事によって生き延びたのは事実であろうからだ。
 それを哀しいと取るか、浅ましいと取るかは個人差のあるところだろうが。
 無論エウロペは後者を選択するうちの一人だった。
 第一波はどうにかソニックブームで撃退したが、その撃退によって事態は更に悪化していた。
 牙を持った獣を手負いにすれば、それは無傷の健常な状態よりも始末に悪くなる。手負いの獣の方がより手強いのは常識というべきだ。
 作戦行動中の襲撃なら何ら問題はなかった。その作戦と作戦の合間、キャンプ地から散策中だった事がエウロペの不幸だった。
 圧倒的な数を前にしてはどれほど優秀なエスパーであろうと勝機は薄い。しかも相手はマスタースレイブだ。生身のままに疲弊し傷つくエスパーとは『戦闘』と言うそのもののプレッシャーが違いすぎる。作戦行動中であればエウロペ一人ということはない。この程度の野盗団など造作もなく捻れるものを。
「……く」
 エウロペは歯噛みした。
 じりじりと狭まる包囲網と、それによってじりじりと迫る己の心楽しくない未来。そればかりが原因の歯噛みではない。
 作戦行動中であれば、などと。
 それは自らの力の限界を、他者を頼る思考ではないか。
 咄嗟とは言えその思考が浮かんだ事が、いや咄嗟だからこそ激しくエウロペの矜持を傷つけていた。それは己の力量の限界を吐露したも同然なのだから。
 一撃目で仕留め損なった4体のマスタースレイブは実に厄介な相手と化していた。精神集中の隙をエウロペに与える事無く、波状攻撃を仕掛けてくる。
 弾丸が、衝撃波が、絶え間なく襲い来るこの現状では、ソニックブームを放つ事もPKバリアーを展開する事も不可能に等しい。否、不可能だ。回避だけで精一杯、しかもその体力にも限界がある。
 一対四。消費するエネルギーの分量は単純な計算でも四倍、しかもこうした局面での体力消費は単純計算では計れない。
 足が縺れる。
 致命的だと分かっていて疲労は倒れ込もうとする身体を止める事をエウロペに許さない。
 空を裂く弾丸の音に、エウロペはぎゅっと目を閉じた。
 ――終わりだ。
 そう覚悟した。
 だが予想された衝撃はいつまでたっても襲ってはこない。ただ代わりにいくつもの破砕音がエウロペの鼓膜を刺激した。
 目を開ける覚悟をするにはそれから数瞬の間を要した。
 そっと目を開けると、己の視界を覆い尽くすように大きな背中が見える。
「……な、に?」
 問うまでもない。人と違わぬ姿を持ちながらマスタースレイブと互角に戦えるものは二種類しかなく、そしてその背中は明らかに自分とは異なった属性のものだった。
 サイバー兵士である。
 屈強なサイバー兵士が自分を庇い、マスタースレイブを次々と討ち果たしていく。
「……あ……」
 既視感。
 嘗てこんな光景を見たことがなかったか。
 覚悟を決め、身を硬くした己を身を呈して何かが庇う。傷に怯む事もなく声さえ上げず、バーサーカーの如き不屈さで、自分を庇ったものの存在。
「……無事か?」
 振り返ったその面差しにエウロペは息を飲んだ。
 無論造作は全く違う。当たり前だ、種族が大きく違うのだから。
 だかその顔には確かに、幼い日彼女を庇って倒れた、愛しいものの面影があった。

 陽だまりの中、エウロペはくすくすと笑う。
 笑いがこみ上げるのも無理もない。
 何しろサイバー兵士は当たり前だが人間であり、彼女を庇って倒れたのは、彼女の愛犬、なのだ。
「わたくし……」
 愛しかった。その死に胸が潰れるほどの寂寥を覚えた。
 そして今、
「わたくしの、ものよ」
 巡り合った『彼』を、逃す気など毛頭ない。
 どれほど衝撃を受けていようとも冷静な部分が、あのサイバー兵士の所属をしっかりと確認していた。
 ――汎ヨーロッパ連邦。
 敵陣営、という訳ではない。エヴァーグリーンに明白な敵陣営などと言うものは存在しない。
 だが所属が異なるという事は、感覚としてそれに近い。
 それでもだ。
「わたくしのものなのよ」
 唄うようにエウロペは呟いた。
 いくつかの企画書が既に脳裏に出来上がっている。
「強引に攫って来ようかしら……?」
 硬質な美貌に幸せそうな笑みを浮かべ、エウロペは物騒極まりない言葉を呟いた。