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<東京怪談ノベル(シングル)>


愚かな少女人形

 心があるからこんなに苦しいのだとしたら‥‥あたしは心なんていらない。

 ガブリエラ・ホフマンは13歳の、普通に愚かな少女だった。
 世の中に存在する美しい物を愛し、その反面、醜い物を嫌った。醜い事は悪だと思っていた‥‥それは、普通の少女にありがちな潔癖性でしかない。
 しかし、彼女が悲劇‥‥あるいは、皮肉の効いた喜劇に陥った原因は、その潔癖性とあわせて、醜い物を見なければならない能力にあった。
 他人の心を読む‥‥他人が隠している物を暴き立ててしまう能力。
「あたし、好きでテレパシーが使える訳じゃない。大人達が勝手にそう作っただけじゃないの」
 研究棟の面談室‥‥ガビィはそう言って今日も研究者を困らせていた。
 超能力の平和利用なんて嘘っぱち、そう思う。
 そう‥‥思うのは勝手なのだ。
 平和利用が出来ると思っている大人と、それは嘘だと思っているガビィ。両方とも、思っている‥‥ただ、大人達は努力している。思い願った事が実現するようにと。それがガビィの望まないものであったとしても。
 ガビィは嘆いているだけだ。
 自分の身の不幸を嘆き、周囲の期待に反発しているだけ‥‥子供の思考と言えよう。まあ、思春期の子供にはそんな内向的な世界に耽溺することは良くあることなのだから‥‥
 何にせよ結局、ガビィが自ら変わろうとしなければ‥‥もしくは周囲を変えるようにしなければ、何一つ変わるはずもない。
 そんな独善的で、子供じみた主張は当然のように受け入れられることはなく、大人達は大人としての態度で‥‥つまり、子供に接する態度でガビィに接した。
 結果、ガビィは大人達への反発を強め、拒絶していった‥‥ただ一人を除いて。
「誰だって、望んだ形で生まれてくるわけじゃない。でも、生まれたからには意味がある」
 ただ一人、ガビィに接する研究者が言った。
 まだ若い彼は、所詮は子供の言い分とガビィの言葉を否定せず、最後まで話を聞いてくれる。
 そして、言葉を返してくれた。
 彼の言い分はいつも同じ。
 誰だって望んだ形で生まれてくるわけじゃない‥‥生まれついて背負った物など幾らでもある。
 この破滅的な世界に生まれたことでさえ重荷であるというのに、生きていくことさえ出来ない子も多くあるというのに‥‥生きていけるだけでも奇跡だというのに。
 生きていける。そして、人を救う力が在ると言うだけでどれほど素晴らしいか‥‥
「大人達は期待する事しか出来ない。どんな形だろうと、君が力を使うのだから。ただ、大人達は、その力が良い事に使われるようにと願うだけなんだよ」
 超能力は基本的に自らの意志で制御できる物であるから、使わなければ相手の心を知る事はない。使いこなせずに暴走するのであるとするならば、それは使いこなせない者の責任だ。
 結局、他人の心を読みたくないなら、使いこなせるように努力して一生使うなと言うしかない。それで問題は全て解決する。
 だが、出来るならばそれが人の役に立つようにと‥‥そう願うのである。
「そんなの、大人が勝手に考えてるだけでしょ? あたし、そんなふうに産んでくれなんて頼んでない!」
 ガビィは声を上げた。
 それはガ甘えだったのかも知れない。
 研究者を困らせて、自分への関心を引きたいが為の‥‥ガビィは恋していたのかも知れない。
 我が侭だ‥‥ただの。だが、
「‥‥‥‥」
 研究者は困ったような表情を浮かべ、苦笑するかのような笑みを浮かべた。
 その時‥‥研究者の心の中が見えた。
『ふざけるな‥‥』
 ガビィは無意識の中、微かに見たいと思った‥‥我が侭を言う自分を研究者がどう見ているのか知りたかったから‥‥
 そして、ガビィの能力が発現した。
 笑顔の向こうにある研究者の表層的な思考は、どす黒い怒気をまといながらガビィに対して牙を剥いていた。
『お前みたいな、何も考えていないウジ虫女が何を言ってやがるんだ。力を持っているのに、その力で多くの人を救えるのに、考えるのは自分の都合だけか? いい加減にしろ、この糞虫め。役に立たないお前を飼っているこっちの身にもなってみろ。お前、一匹飼うのにどれだけの金がかかっていると思ってるんだ。テレパスでいたくないなら死ねよ。死ぬしかないんだよ。それも出来ないくせに、グチャグチャと泣き言並べやがって。せっかく、エスパーに産んでやったんだから感謝しろ。役に立たない豚女め。死ね。死ね死ね死ね死ね死ね』
 流れ込む、ガビィに対する暴虐的な妄想。その中にガビィは、全身を切り刻まれながら犯される自分の姿を見た。
 見たと思った‥‥
 その瞬間にガビィは走り出していた。
 後ろから、研究者の慌てて制止する声が聞こえたような気もした‥‥

 どれほど走っただろう‥‥気付けば、そこは自分の部屋の中だった。
 ベッドに潜り込み、布団を被って震えるガビィ。
 初めてだった‥‥あそこまでの憎悪を見たのは。信じていた。それが裏切られた。あの人が、自分にあんな感情を持っているなんて‥‥
 全てを否定しながら、ガビィはふるえ続ける。
 そして‥‥言葉を漏らした。
「こんな力なんていらない。だけど力を捨てられないならあたしはバレエの『コッペリア』みたいな自動人形になるしかないんだわ」
 ガビィは愚かだった。
 それで、自らの可能性を閉じたのだから、もはやその愚かさは言葉では言い尽くせなかった。
 人間は生物である。生物である以上、欲望からは逃れられない。それは本能に基づくものだからだ。ただ人間は、欲望を理性で覆い隠して生きている。人間とはそう言うものだ。
 研究者の思考‥‥それは瞬間的な思考だったのかも知れない。そして、研究者は恐らく、翌日にはまた同じようにガビィに接した事だろう。殺意などは忘れて‥‥
 怒りというものを押し殺す事を憶えてこそ人間であり、怒りを感じないのが人間ではない。
 怒りのはけ口を脳内での妄想に止めることはそれほど問題がある行為ではない。内容がどれだけ人間として外れていたとしても‥‥実行に移さなければ何も問題はない。
 人の心など清い部分だけの筈は無い‥‥醜い感情を含めないと人間ではないのだ。
 心を読める筈の少女が、人間というものを理解していなかった。人間の本質を覗ける筈の少女が、その本質を理解していなかった。
 心など読めなくとも、誰だって醜い心を内に秘めている事くらいは悟る事が出来るのに。
 全てを自らの能力のせいとして‥‥逃げた。当たり前に存在している物を見たくないとして逃げた。
 盲目になれば目の前の怪物は消えるのか? 消えはしない。消えるはずがない。
 他者の心を恐れるあまりに自らの心を消すなど、全く無為な行いであり、それは人間であると言う事を放棄したに等しい。
 それは悲劇ではない‥‥喜劇だ。
 コッペリアの一幕は喜劇である。端から見ればガビィの決意もまた喜劇でしかない。本人が如何に悲劇なのだと思い込んでいようとも‥‥

 次の日から、ガビィは心を失っていた。
 自らの心を読まれた結果として、ガビィに重大な影響を与えたとされた研究者は、エバーグリーンを追われた。
 愚かさ故に心を閉じた少女‥‥その少女が自らの愚かさに気付くのは、まだまだ先の事だった‥‥