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<東京怪談ノベル(シングル)>


『死考』

 ・・・・・・真夜中。
 月明かりすらない、新月の夜。
 動くもののない廃墟のビルの奥で、小さな水音が響いた。

 そこに在る気配はたった一つ――こんな場所、時間には少し不似合いな少女。
 年の頃は十五、六歳といったところだ。だが感情の見えない表情が、実際の年齢より少しばかり大人びた印象を与えている。


 ――ポツリ。

 水の音が、した。


 静か過ぎる空間で、小さな小さな水音が耳に響く。
 少女は俯いていた顔を上げ、ガラスのない窓から夜の闇を見上げた。
 ・・・・・・月のない夜空はあまりに暗く、だが、星明りは眩しかった。
「・・・・・・・・・・・・」
 身じろぎもせずに、空虚な瞳で空を見る。
 ――どのくらいの時間、そうしていただろうか・・・・・・スッと、星が落ちた。
 流れ星だ。
 一度は止まっていた涙が、また、零れた。
 落ちて行く星が、まるで人の命の灯火のように思えたのだ。
 ”死”は、生ある全ての者に等しく訪れるものだ。逃げることも止めることもできない。
 貧困の家と裕福な家、健康な者と病弱な者、紛争の地と平和な地――この世に、不公平なんていくらでも転がっている。
 不平等な世の中で唯一平等なのが・・・・・・”死”だ。
 そんなことは理解している。
 だが、理解していても納得できないことはあるのだ。

 たとえば、今日遭遇してしまった出来事がまさにそれ。




 その日の夕方。
 少女――綾峰・凛は、道中にある小さな町に立ち寄った。行き先は、特に決めていなかった。
 どうせ気楽な一人旅だ。誰の都合を気にしなければいけないわけでもなし、最悪夜までに今日の宿を見つけられれば良い。
 せっかく町に入ったのだから、とりあえず食料や旅の雑用品を買って、それから・・・・・・――。
「・・・?」
 突如耳に飛び込んできた声に、他愛もない思考は一時中断された。
 声に少し遅れて、数人の男たちが裏路地から出てくる。見たところ治安は悪い方であるこの町で、チンピラだとか不良集団なんて珍しいものではないだろう。そういう輩は裏に集まりたがるものだし、彼らのような集団が裏路地から歩いてくるその光景はまったく不自然のないものだ。
 だが・・・・・。
「最初から素直に金渡してりゃよかったのによ」
「ったく、手間ぁかけさせやがって」
 下品な笑い声とともに聞こえた会話は、そんなものだった。
 男たちは凛のことなどまったく気にしない様子で去って行く。凛はすぐさま、男たちが出てきた裏路地の奥に足を向けた。
 急げば・・・・まだ間に合うかもしれない。

 だが――。
 路地の先には、よりにもよって一番当たってほしくなかった予想に等しい光景があった。
 暴行を受けたのだろう・・・・・・傷だらけで倒れている少年が一人。凛と同じくらいか、もう少し年下かもしれない。
「・・・・・・・・・・・・」
 まだ息がある。そう気付いたが、同時に、もう手遅れだということもわかってしまった。
 どんな経緯があって襲われるような事態に陥ったのかは知らない。
 少年のほうにも落ち度はあったのかもしれない。だがどうしても、あの男たちが正しいとは思えなかった。
 ここで私に出来ることは何もない・・・・・・。
 そう判断した凛は、静かにその場に背を向けた。
 心の動揺とは裏腹に、頑ななまでに冷静な冷たい表情のまま・・・・・・。
 

 ――旅をしていれば、いろいろなことに出会う。
 人の死の瞬間に立ち会ったことがないわけではない。
 だがいつも、同じ思考に陥るのだ。
 何故・・・・・・。
 何故、”死”というものはこうも突然にやってくるのだろう。
 避けられない事だとわかっていても、その唐突さに理不尽なものを感じるのだ。





 凛は、流れて消えた星から目を逸らすかのように瞳を閉じた。
 昼間の光景を思い出し、そして――過ぎ去った時間を想う。
 助けられなかった、大切な人たちを思い出す。
 閉じた瞳から、一筋の涙が零れる。
 もし・・・・・・。もしも、あと少し早かったら。
 過ぎてしまった時間は戻らない。
 起こってしまった過去は変わらない。
 もしも、ああしていれば。
 もし、こうしていれば。
 ”もしも”はいつも、終わった後に思うのだ。
 だから、『もしもあと少し早かったら』――その願いは絶対に叶えられない。
 零れ落ちる涙を拭う事もせずに、凛は暗い星空を見つめた。
 まるで自分を責めるかのように呟く。
「私は・・・・・・誰も・・・・家族さえ救えなかった・・・・・・」
 誰も、誰一人。
 血の繋がった肉親すら・・・・・・。


 澄みきった闇の中で。
 動くもののない、まるで死後の世界を思わせるような静寂の中で。
 水の落ちる音だけが・・・・・・いつまでもいつまでも、響いていた。