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<東京怪談ノベル(シングル)>


『目的』

 暖かな太陽と、涼やかな鳥の鳴き声。風に流され、木々の枝が擦れ合う音。
 煩くなく、静かすぎない穏やかな森の道を、綾峰・凛は一人歩いていた。澄んだ空気の中を、軽い足取りで奥へ奥へと進んで行く。
 次の街へ向かう経路としてこの森を選んだことに特別な理由はない。森を迂回する大きな道と、森の奥へ進む細い道。その分岐路に立った時、なんとなく、森の方に行きたい気分になったのだ。
 とはいえ整えられた道と違い、森を歩くのは危険も伴う。
 あまり大きな森ではないが、一日で抜けられるほど小さくもない。だが車が通れるような道はないから、徒歩で進むしかない。当然、野宿の知識が必要になるし、森を歩くための知識も必要になる。
 だがそれでも、凛はあえてこちらの道を選んだ。
 野宿や森の歩き方――言い変えればサバイバルの知識と技術には自信があった。森を歩けるだけの装備も持っていた。
 それに・・・・・・
 ゆったり歩いていると、鮮やかな緑が目に飛び込んでくるのだ。
 普段は灰色の街並ばかり見慣れているものだから、そんな緑の景色がひどく眩しいものに感じられた。
 知らず、小さな笑みが零れる。
 陽が沈むまであと数時間。森の規模から考えて、明日の日暮れ前には森を抜けられるだろう。
 時々方角と距離を確認しながら、さらに奥へと歩を進める。
 そうして、日暮れまでもうあとわずかとなった頃。野宿の準備をあらかた終えて一休みしていた時だった。
 ガサッ――
 繁みの向こうから、明らかに風ではない音が聞こえた。
 風でなければ人間か獣・・・・・・凛は鋭い瞳で音の方角に視線を向けた。
 ガサガサと繁みを揺らすが続く。どう見ても獣ではない。おそらく人間だろう。
 凛と同じように整備された道を通るより森を歩く事を選んだのか、もしくは何らかの事情で森を歩く事を余儀なくされたのか。
 ・・・・・・どちらにしても、今の凛にとっては招かれざる客である事は間違いない。
 特に人付き合いが嫌いだとか言うわけではないが、基本的に一人でいる時間の方が好きだ。だからこそ好んで一人旅などしているわけだし。
 表情こそ変えないものの、凛は小さく溜息をついて、やってくる人物を待った。
 ガサリと、一際大きな音を立てて繁みの向こうからやってきたのは、凛よりも四、五歳は上であろう青年。
 青年は凛の姿を目に留めて、少々驚いたような表情を見せた。
 まあ無理もない。実際の年齢より多少大人びて見える凛だが、それでも二十歳以上には見えにくいし、体格も細身で――華奢と言い換えても良いくらい。
 そんな少女が森の中を一人でいるのに違和感を覚えたとしても、それは無理からぬことだ。
 青年はしばらく目をぱちくりさせ、それからきちんと野宿の用意がされている地面を見て、にこりと人好きのする笑みを浮かべた。
「これも何かの縁です。良かったらご一緒させていただけませんか?」
 一人より二人。その考え方は必ずしも間違いではない。
 森には夜行性の獣だっているわけだし、それらを警戒する見張りも交代でできる。
 ただ、たった今出会ったばかりの青年を信用できるかと言えば・・・・・・答えは否。
 それでも二人でいる有用性もわかるから、凛はなにも言わなかった。もし青年が不穏なことを考えていても、ある程度対処できる自信もあった。
「・・・・・・・・・・・」
 凛はふいと青年から視線をそらし、夕飯の食事を取り出した。
 否定も肯定もしない沈黙を、青年はとりあえず肯定の意として受け取ったらしい。
 灯りを挟んで凛と反対側の正面に腰を下ろして、自分の荷物から食事を出す。
 ・・・・・・ひどく静かな食事風景だった。青年は何も言わないし、凛も何も言わない。
 そんな無音の時の中、凛はしっかりと青年を観察していた。
 物腰、服装、荷物、それに口調や態度。よく見れば、悪意のある人間はだいたいわかるものだ。・・・まれに、さらに上手(うわて)の悪人もいるが。
 凛の見たところ、少なくともこの青年は悪い人間には見えなかった。
 青年の持っている荷物や服装を見るに、どうやら青年も旅慣れしているらしい。根無草の旅人なのか、どこかの街に家を持っているのかまではわからない。だが今現在、青年が旅をしているのは間違いないだろう。
 ふと、一つの言葉が頭に過ぎった。
 聞いたからとてどうなるわけでもないこと。
 青年のそれを聞いたって、自分がなにか変わるわけではない質問。
 だがそれでも・・・・・・聞いてみたくなった。
 自分の答えを見つけるために、人の答えを聞いてみたくなったのだ。
 ・・・・・・言うか言うまいか。
 迷って青年を見つめていると、ふいに青年と目があった。青年は言葉こそないものの、首を傾げて目線で疑問を示す。
 一瞬俯き、そして決めた。
「・・・・・どうしてあなたは旅をしているのですか?」
 青年は軽い驚きを表情に浮かべ、それからしばらく考えて、まっすぐに凛を見つめ返してきた。
 穏やかな瞳で凛を見つめ、口を開く。
「なぜあなたは旅を続けるのですか?」
「・・・・・・・・・・・・」
 答えられなかった。
 ―― 一人旅が好きだから。
 そう言ってしまうのは簡単だ。だが本当にそれだけなのだろうか?
 自分で自分の答えが掴めなかった。
 凛の問いに、青年は答えを出してくれなかった。
 青年の問いに、凛は答えを出せなかった。
 互いに互いの質問に答えぬまま、沈黙の幕が下りる。
 先に目を逸らしたのは凛だった。
 出しておいた毛布に包まり、青年に背を向ける。
 ・・・・・・眠りは、すぐに訪れた。





 ――翌朝。
 陽の光に起こされて目を覚ますと、青年はすでに起きていた。
 凛が起きたのを確認するや、すっと立ち上がって片手を挙げる。
「それでは、また」
 ”また”なんてないことをわかって言っている。ただのお決まりの挨拶だ。
 青年は凛の返事も聞かずにさっさと歩き出して行ってしまった。
 深い森の中に、凛一人が取り残される。

 青年の投げかけた言葉が、いつまでも頭から消えなかった。


 ・・・・・・私は、何故、旅を続けているのだろう・・・・?