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<東京怪談ノベル(シングル)>


戒めの十字架

 カラン…。
 小さな音を立てて足下の小石が転がる。静寂の中でそれは、ひどく大きく響いた。
 カルヴァス・シルカバリーの見つめる先には、まだ奥へ続く通路がある。だが、手元の地図を見返せば、ここは行き止まりになっていた。
 彼は、軽く溜息を吐く。この地図は今回の依頼を受けた時に、ギルドより手渡された物。どうやら信頼性云々に関しては、不十分だったらしい。とはいえ、それを今更言っても始まらず、地図を折り畳んでポケットへしまった。
「まあ…しょうがないですね」
 こういった仕事には付き物のトラブルだ。カルヴァスは特に焦る事なく、奥へ続く道に一歩踏み出した。これから先、何が起きるか解らないが、別段不安はない。己の力とこれまでの経験が、彼の自信を形勢していた。
 その腕に掲げるのは、PKにより具現化したブレード。ちらつく光が仄かに煌めき、闇の中でぼんやり浮かび上がる。
 ふと、後ろを振り返る。特に追っ手がかかる気配はない。
 それも当然だ。
「とりあえず後ろは大丈夫、かな」
 気配は――ない。ここまでの敵は、全て彼自身の手で倒されたのだから。



 依頼書に目を通し、カルヴァスはすぐにギルドを出た。

『――夜盗団を壊滅させて欲しい』

 それが彼の受けた今回の依頼内容。
 これまでに幾つもの夜盗団を壊滅させてきた彼にとって、言ってみれば容易いものだ。加えて、彼はこれまでの依頼で誰も殺していない。荒くれどもが集う夜盗団を相手に、その事実はとりもなおさず彼の実力の高さを示す。命を懸けるやりとりの中で、『殺さない』という余裕さえあるという事なのだから。
 もっともカルヴァスが相手を殺さない理由は、別のところにあるのだが。
(今回も誰も殺さずに済めばいいんですけど)
 内心の不安は常につきまとうもの。
 それでも彼は、戦いの中にその身を置く。それが『護る』為に剣を奮う彼自身の拘りなのだ。



 『夜盗』レベルであった筈の施設は、今や『師団』レベルの装いを見せる。襲いかかってきた連中も、動きが統率されたものに変わっていた。
 なんとか辿り着いた歳深部は、広いドーム状の空間。
 が、足を踏み入れると同時に、入ってきた通路が音もなく閉じた。軽く視線だけで振り返るが、特に慌てる必要はない。或いは、彼自身解りきっていた事か。
 そして、ドーム内は一斉に光に溢れた。眩しさにカルヴァスは思わず手を翳す。
 やがて音を立てて現れたのは、三十機程度のMS――マスタースレイブと呼ばれる戦闘を目的として造られたステルス性の高い飛行機体――だ。瞬く間にカルヴァスを取り囲むと、ちょうど正面に位置する機体から下品な笑い声がした。
「けーっけっけ、罠にかかったな!」
 優位に立ったと信じる相手の声に、カルヴァスは眉一つ動かさない。それが恐怖に固まったように見えたのか、尚も男は口汚く罵る。
 それに対して、カルヴァスが返した言葉は一言。
「罠というのは最初から分かっていました。この方が貴方達を倒すには早いですから」
 さらりと告げるそれに、男達は皆失笑した。夜盗達の誰もが自分達の優位を信じて疑わなかった。数の優位に加え、目の前にいる男はどう見ても強いとは言い難い細身の少年。
 が、次の瞬間。
 彼らの顔は驚愕に凍りつく事になる。

 光が――沈黙する。
 闇が――胎動する。

 目の前の少年の背に、あたかも悪魔の如く広がる漆黒の翼。宙にその身を浮かせ、右手に剣を持つ。それまでの茶色がかった髪が、闇の中で銀色に煌めく。
 天使のような神々しさと。
 悪魔のような凶々しさと。
 二つを併せ持つ少年を前に、夜盗達はそれまでの余裕を失い、誰もが恐怖に身じろぐ事すら出来ずにいた。
 そして、一瞬の内に少年の姿が彼らの前から消える。途端、男達の時間が動き出し、慌てた怒号が飛び交う。
「う、打てッ!」
 だが、もう遅い。
 翼の驚くべき早さを得たカルヴァスの姿は、もはや誰の目にも止まらない。瞬く間に、男達の駆る機体はスクラップ同然に姿を変えていった。



 全ての機体が地面へ落ちる。残骸の中で、昏倒する者、痛みに呻く者と様々だったが、もはや誰もが戦意を失っていた。
 これで終わり、とカルヴァスが剣を収めようとした時、ふと耳に届いた足音に視線をドームの奥へ向ける。
 カツン、カツン…。
 ゆっくりと音を響かせながら近付いてくる者。再び張り詰めた気で身構えたカルヴァスの前に姿を現したのは、見知った顔の同業者。
「あなたは…」
「よぉ、久しぶりだな」
 まるで旧知の友のように声をかける男。馴れ馴れしいその態度に、確かにそういう人だったとカルヴァスは思い出す。
 実際は、かつて同じ依頼を受け、一緒に戦っただけの相手。その後も何度か顔を見かけたものの、特に会話があるわけでもなく。カルヴァスは男の名前すら知らない。
「どうしてあなたがここに?」
「ちょっとした依頼でな」
「依頼?」
「ああ。ま、あまり気が進まないがな」
 苦笑じみた声で告げる男に、カルヴァスの予感が告げる。剣を握る手の力が自然と強まる。
 その僅かな動きに気付いたのか、男はしょうがないとでも言いたげにボサボサの頭を掻いた。どちらの緊張も徐々に高まっていく。
 暫しの無言。
 やがて男が諦めたような口調で口を開いた。
「依頼だから仕方ない。――お前を倒せ、とさ」
 それが合図。
 発動したPKが衝撃波となってドームに響く。互いに力の均衡した相手。それは以前受けた依頼で解っていた。手加減して倒せる相手ではない。
 だが、それでもカルヴァスの中に躊躇が残る。その一瞬の隙を相手が見逃す筈がない。すぐさま繰り出された攻撃を辛うじて受け流す。続く反撃も相手に堰き止められる。
 PKの応酬は、文字通り火花を飛ばす。拮抗している実力ならば尚更だ。

 そんな戦闘が続くこと数十分。

 すでに二人ともボロボロの状態だ。
 片膝を付いたカルヴァスは、荒くなった息をなんとか整えていく。相手もまた同じ事をしている。おそらく次の攻撃が最後になる事を互いに理解していた。
「……どうしても、駄目なのかな……」
 誰に届く事のない微かな呟き。
 目を閉じ、巡る思いを断ち切るようにカッと見開く。剣を持つ手に力がこもり、最後のPKをその剣に伝える。
「次で決着だな」
 男が言う。
 カルヴァスが無言で応える。
 最大限まで高められた力が周囲を巻き込んで小さな渦を作る。衝撃波が互いの皮膚や衣服を小さく切り裂く。

 そして。
 一瞬の閃光がドーム内に走り。
 ――轟音が、やがて静寂に飲み込まれた。



「はぁ…はぁ…はぁ」
 何度目かの大きな呼吸。
 カルヴァスは強張った全身の力を抜いて、ドームの壁にもたれかけた。朱色に染まった右手を押さえながら、それでもなんとか彼は生きている。
 寂しげな色を浮かべる視線の先には、血の海に沈む男の体。最後の力を懸けた一撃は、かろうじてカルヴァスに軍配が上がったのだ。
 だが。
「もう誰も、殺さないつもりだったんだけどね」
 そう呟かれた声は、悲しみに彩られていた。
 やがて立ち上がった彼は、引きずる体をおしてでもその場を後にした。
 ――後悔という名の十字を背中に負って。