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<東京怪談ノベル(シングル)>


レンアイノツナギメ

 じゃあね、と言って彼女は電話を切った。掛けて来た当初よりも声の響きに艶と勢いが出て来ていたのは気の所為ではないだろう。とかく彼女の事に関しては、自分の絶対音感を信じられなくなるぐらい、密かに動揺してしまうのだが、今回は紛れもなく正解だと思える。そりゃそうだろうな、と密かに露龍は苦笑した。彼女は心の重荷を幾許かは下ろす事が出来たのだ。…代わりに、それを違う形で露龍に背負わせる結果になる事など、思いも寄らないで。

 人の声や動物の鳴き声だけでなく、どんな物音にも感情があり歴史がある。さっき、手製の琴の弦を張り替えていた露龍を呼び付けた電話の呼び鈴も、無機質な音だとは思えない程に何かしらの感情を含ませていた。切羽詰まったような、それでいて甘酸っぱく、敢えてその感傷に好んで浸っているかのような緩慢な痛み。一瞬、露龍は受話器を取るのを止めようか、と思ってしまった。だが、自分の助けを求める確かな響きも感じてしまったから、露龍は電話に出ざるを得なかったのだが。
 「…どれぐらい経ったのかなぁ……あのコと知り合って」
 電話の傍から離れて、窓際の椅子にぎしりと音を軋ませながら腰を下ろし、露龍はぼんやりと言葉を漏らす。彼女は所謂幼馴染と言うのだろうか、幼少の頃からの付き合いで、とても仲の良い少女だった。勿論、喧嘩をした事もある、互いに悩みを打ち明け合い、助け合ってここまで来た。何でも包み隠さず話し合って来た二人だが、露龍はたったひとつだけ、彼女に隠し事がある。
 …彼女への、密やかな恋心、である。
 幼馴染への恋なんて、余りに在り来たりでオハナシにもなんない。そう思って自分の中では一笑に附してきたが、それが本当の気持ちであればある程、誤魔化す事は出来なくなるものだ。実際、徹底的に隠していたつもりのこの気持ちを、姉夫婦は的確に見抜いていたようだ。それでも彼女自身がそれに気付いていないのは、きっと彼女が露龍に寄せる絶対的な信用の所為だろう。彼女は露龍を、親友として信頼し好意を寄せている。それは少女にとってはイコール、二人の間には恋愛感情は皆無、を意味する。女は時に、物凄い思い切りの良さとある意味での残酷性を持っている。彼女の場合、無意識でそれを行なっているに過ぎないのだが、露龍が自分に『そう言う気持ち』を持っている、などと、彼女にとっては悪い冗談だと笑い飛ばすしかない事実なのであった。
 それが露龍には分かっているから、だからそんな気持ちも今まで押し隠して来たのだ。友達としてでも、彼女の傍に変わらず居られれば…そんな綺麗事を思ってもみた、事実ではあるが、だが心の何処かには、今まで浮いた話ひとつ聞かない彼女は、誰のものにもならない、と言う安心にも似た想いがあったからだ。だがそれも、さっきまでの話だ。彼女は、はっきりと言った。好きな人がいるの、と。
 「よりによって……ああ来るとはなぁ……」
 吐息を交えながら露龍が溢す。今の僕の声は、どんな色合いをしているのだろう。さすがに自分の声は分かり辛いのだ。耳を通して聞く音とは違う経由で聞いている所為かも知れない。だが、もしちゃんと聞ける事が出来たのなら、さぞかし情けない声になってるんだろうなぁ、きっと僕がそれを聞いたのなら、思わずそいつの肩を勢いよく叩いて、元気出せよ!って言っちゃうだろうなぁ。そう思うといっそ可笑しくもある。笑って目を瞬くと、少し輪郭がぼやけていた窓の外の風景が、鮮明に戻ったような気がした。
 彼女の想い人は露龍も知己の人物だった。尤も、だからこそ彼女は露龍に相談を持ち掛けたのだろうが。彼を良く知る露龍なら、何かしら良いアドバイスをくれるだろう、そうでなくても、全く彼を知らない誰かに話すよりは、自分の想いに共感してくれるだろう、相手を知っている相手に話す方が楽しくもあり嬉しい。実際、彼女の話は相談とか悩みと言うよりは、この胸の内から迸る想いを、誰かに聞いて貰いたい、そうしないと呼吸困難で死んでしまう、そんなような感じだったのだ。そんな彼女の、やたらと鼓動が踊り出すような、自然と歩調が早く跳ねるようになるような、気持ちの華やかさを感じれば感じるほど、露龍の胸の痛みは酷くなるのだったが。
 でもまぁ、…あの人ならしょうがないか。細く、溜め息混じりの息を吐き出して露龍は思う。彼女の想い人は自分が義理の兄とまでに尊敬し慕う相手である。彼の事は人間的にも信頼しているし憧れてもいる、彼が女性からもてるだろう事は容易に想像出来るし、それだけの魅力を存分に備えた男なのだ。見目も勿論いいが、それよりも露龍は、彼女がそんな彼の見た目ではなく、内面の確かさに心惹かれている事を知って少々自慢したい気持ちなのだ。彼女は彼の素晴らしい部分を見抜いている、さすが僕が恋をした少女だ、と。
 …勿論それが、幾らか残った露龍のプライドの欠け片である事も、本人は痛い程に分かっているのだが。
 ヨクモボクノオモイビトノココロヲヌスンダナ、そう言って彼の事を憎んでしまえたら話は早いだろう、だがそうする事さえ出来ないぐらい、僕は彼の事を認めてしまっているのだ。その事自体が、僕は悔しい。…彼を嫌いになれない、と言う事実よりも。
 いっそ彼女の事など、どうでもよくなってしまえば気も楽なのに。ぼやくような声を零した。この僕を選ばないなんて、君の見る目も大した事ないね。なんて言ってしまえれば簡単な話なのに。だが、そう思う事など到底不可能な程に、露龍は自分の事よりも彼女の事の方が大切なのであった。
 分かってはいた結末だった、彼女の、僕に向ける言葉の全てには、恋のコの字も感じる事は出来なかったのだから。彼女の想う相手が誰であれ、僕の彼女に対する気持ちは関係ない筈だ。人を好きになると言うのはあくまで自発的な感情であって、僕が彼女を好きなのは、彼女が僕の事を好いてくれたから、って訳じゃない。
 それは判っているけど…でも、この割り切れない気持ちと煮え切らない曖昧な感情は何なのだろう。

 さっき受話器を置く寸前、先に彼女が通話を終えたから、受話口からは自分を突き放すような、ツーツーと言う発信音が聞こえていた。厭な物でも見るように、露龍が電話の方へと視線を向けると、それにまるで抗議するかのように、電話の呼び出し音が鳴った。
 無機質な電話の呼び鈴も、掛けて来る相手の感情や想いを伝えるのだ。その呼び鈴は、優しく、でも励ますような、だが決して押し付けがましくない思い遣りを乗せて露龍を呼んだ。
 「……はい、もしもし。……ああ、姉さん。…え?ああ、いや、別に何でもないよ。………何でもないってば。気の所為だって………うん、そうそう。……え?ううん、別に何も無いよ。そんな忙しい身でもないしねぇ、僕は。……は?何を言ってんの、別に投げ遣りになる理由もないだろ。………だから何……え、そう?……うん、それなら喜んでご相伴に預かるよ。どうせ、義兄さんの好物だからって、調子に乗って食べ切れないぐらいに沢山作ったんじゃないの?……あはは、判ってるって……うん、うん……ん、じゃ後でね。……え?……はいはい、分かったよ、忘れずに買って行きますって……ん、じゃね」

 ゆっくりと、露龍は受話器を降ろす。まさか、今の僕の心境を判って姉は電話を掛けて来たんじゃないよな。そうじゃないといい、と思う。はっきり理解して慰める為に掛けて来てくれるよりは、第六感と言うのだろうか、何かを無意識で感じて掛けて来た、そう思う方が、凄く嬉しいような気がするからだ。


おわり。