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<東京怪談ノベル(シングル)>


Wonderful Mornning

トントン、トントン………。
微かに聞こえる音。
…ああ、今日はそう言えば早く起きなくてもいい日だったろうか?
ベッドボードに置いてある時計を薄目を開けて見る。
AM6:32
時計はそう表示されていて「何だ、いつもとは変わらない時間だな」と
思わず苦笑してしまう。
だが。
奇妙に良く眠ったような気がする安堵感があって。
こういう目覚めの朝は不思議なものだと、いつも思う。

台所から、聞こえる包丁のリズミカルな音。
多分何かを刻んでいるのだろう。
不意に、味噌の香り。

(今日の朝食のメニューは和食……かな?)


それなら、味噌汁の具はネギと豆腐がいい。
…いや、刻む音がネギならばその味噌汁が出てくる可能性もあるわけで。
誰かと過ごす幸せと言うのをシシィ・夢龍はいい物だとしみじみ
陽が差す室内を見渡しながら身体を伸ばし今までそうしてきたように、何度となく実感する。

5歳年下の、何よりも大事な女性。

戦闘以外では、いつも穏やかに優しく料理が得意でシシィの好きなもの、苦手なものを
瞬時に理解して次からは好きなものならば更に美味しく、苦手なものならば
食べれるように工夫を凝らし。

『不味いもの、なんて無いのよ? どれだって美味しく料理すれば
美味しく食べれるんだから』

にこにこと笑いながら「どう?」と聞く穏やかな声が好きだ。

君が作ってくれるならどんな物でも美味しい、と言いたいが
中々言い出せない自分を察して「聞かなくても残さず食べてくれるものね。
それが一番の答えだわ」とも言ってくれる。
その度、何度でも。
いつも、この幸せを実感するように何度でも。
力の限りに抱きしめて感謝の言葉を言いたくなる。

『君がいて、良かった』と。

唯一の幸せといっても過言ではない、人。
彼女だけが、自分の心の琴線を弾く。
時にはストレートに。
時には曲がりくねったような微妙な表現で。
貴方は笑えるんだから、もう少し笑うべきよと困ったように苦笑させてもしまうけれど。
だが、いつもそれに驚きを隠せないのは他ならぬ俺自身。
君と居るだけで、自分の中の引き出しの多さにも気付く。
怒り、とか。
嬉しい、とか。
―――哀しいとか。
そういうものを色々と思い出してゆくんだ。
感情の起伏が乏しいと言われる俺でさえ、こんなにも様々な思いがあったのかと。

もし、君がいなくなったら。
俺はただ、砂漠で流離う旅人のように。
当て所の無い旅をしなくちゃいけなくなるだろう。
水を求めて飢え乾き、その水が飲めない哀しみを引きずりながら生きていかなくてはならないのだろう。

そんな瞬間が、もしかしたら来てしまう事もあるのかもしれない。
逆に俺が居なくなる事もあり得ない事じゃない。
その時、君はどうする?
でも、きっと。
俺のこんな問いにさえ君は微笑んで言うのだろう。

『だからこそ、今を大事に私たちは生きていかなきゃ。
色々とやりたい事が一杯あるんだし頑張って幸せになりましょう』


……ああ、本当に。
これこそが人が言う『べた惚れ』と言う物なのだろう。


シシィはベッドから漸く起き上がり、歩き出す。
ひんやりとした床が足に心地いい。
陽は春の陽射し。
柔らかな気分の何ともいい感じの朝。
今日、朝食を食べたらどうしようか?
ふたりで何処かへ出かける、と言うのも良いし、このまま家でのんびり、と言うのも良い。
折角ふたりで居る日なのだからやりたい事をやってみよう。
―――君の受け売りの言葉だけれど、今は自然とそう思う。


トントン…トントン……。

キッチンで、まだ小気味良い包丁の音。
驚かせないように足音を立てて歩み寄る。

「―――おはよう」

愛しい人の体をシシィは幸せな気持ちのまま、緩く抱きしめた。

「おはよう、今日は早起きさんなのね」

腕の中で穏やかに咲く笑顔。
ゆっくりとシシィの頬に触れる温かな口付け。
ただ、それだけが幸福でシシィは多分これ以上は無いだろうと言う極上の笑みを妻へと向けた。



-End-