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<東京怪談ノベル(シングル)>


look upon as an enemy

 衝撃は横殴りのGの形で襲いかかった。
 身体を固定するベルトが、強く胸を圧迫するのに、かは、と肺の空気を吐きだし、サミアッド・アリは痛みに眩む視界を耐えきった。
 視認はせず半ば勘、で側面からの攻撃に戦車砲を放つが、それがヒットしたかまでの確認は取れぬまま、衝撃で荒く乱れたモニター映像を頼りにビル影へと機体を走らせた。
 戦闘用強化装甲服…マスタースレイブは斜めに壁に凭れるようにして動きを止め、サミアは狭いコクピット内、警告アラートと点滅する赤とに、破損箇所を確認する。
「腕の……駆動部と、レーダーもイカレたか」
軽く舌打った。
 側面から胴部のコクピットを狙っての砲撃、盾を装備した左腕に当たらなければサミアッドも無事では済まなかったろう。
 それでも、先ほどの物も沈めれていれば、今日は六機の戦果を上げた計算になる。
 けたたましい音を立て続けて、神経に障るアラートを切る。
 モニターにも荒い粒子はそのままで敵の位置を確認する事が出来ず、敵の勢力圏内に深く侵入しすぎた為か味方の通信も拾わない。
 密閉されたMSの操縦席は肉眼での視界の確認が出来ず、レーダーやモニターの機器に頼っての状況把握が必要となる。
 目隠しして戦場を歩くも同然の現況、このままではただの的だ。
「仕方ねぇか」
MSで交戦中に身一つで外に出るのも危険は危険だが、背に腹は替えられない。
 サミアッドは修理の為、機外へ出ようと開閉スイッチを切り替えた。
 けれど、動かない。
「ちょっと待て……冗談じゃないぞ」
嫌な汗が背筋を流れる。
 油圧式の開閉装置を手動に切り替えるが、こちらは手応えはあるものの、ガチリと途中で何かに引っかかってそれ以上動かない。
 着弾の衝撃に、ハッチが歪んだか。
「マジで……冗談じゃないぞ!」
力任せに手動スイッチを捻るが、ガチッ、ガチッと金属の噛み合わせにそれ以上進まない。
「開けよ!」
故障の為か、スレイブアームと連動しない左手のマスターアームを開閉スイッチに叩き付けるが、変わらず沈黙したままだ。
 背を流れる汗に、ひやりとした焦りが混じる。
 救助を請おうにも唯一の連絡手段の無線はECMに妨害されてか、雑音を届けるばかり。
 敵地の真ん中で、自力での脱出が不可能…その意味の重さにサミアッドは喉の奥に低く呻きを洩らした。
「やべぇ……」


 完全な気密性を誇るコクピットには、容易に熱が籠もる。
 サミアッドはMSの機能を停止させ、エネルギーの消費を押さえると同時、敵のレーダーにかからないよう注意を払う。
 一定の時間毎、妨害電波の有無と連絡が可能かどうかの確認、そして機内環境を最低限に整える機能だけを起動させる。
 搭乗者の動きをトレースする形で動くMSには身じろぎ出来る程度の空間しかなく、長時間の搭乗に向くとは言えない。
 僅かな傾斜に体重を分散出来るのが唯一の救いだが、終わりの見えない時間の大半を密閉された暗闇の中で過ごすのは、幼少時より徹底的に軍人としての教育を叩き込まれたサミアッドにとっても精神的な苦痛であるには違いない。
 息苦しさに、幾度目かの起動作業を機械的に行う…無線に期待する結果が出ない落胆と、換気に冷たく乾いた空気とを吸い込んで、また闇に戻す。
 思考するより他の自由の許されない状況に、意識は閉塞感から精神を守ろうというのか、部隊と連絡を取る方法、機内から脱出する方法、現実的な思考は微睡みに似た感覚でオブラートに包むかのようにとりとめない昔の思い出に思考を鈍らせてすげ替えられる。
 不思議とそれは夜ばかり。
 夜営に見上げた、砂漠に満ちる満天の星、それを白く横切るリング。月明かりに沈むような、女の琥珀の肌。末の弟が死んだ夜の、母達の嘆きの祈り。そして。
「…懐かしいな」
思い出すのは、幼い頃。
 涸れ井戸に落ちた事があった。
 砂が積もっていた為か怪我もなかったのだが、見上げれば確かに青空が見えるのに井戸の底は夜の暗さで意味なく恐ろしく、喉が嗄れるほどに声を張り上げても誰も来ないのに途方に暮れた。
 幼心に世界の夜はこの井戸から溢れ出すのだと思い、夜になれば自分も押し出されて外に出れはしないかと首が痛くなる程に見上げていた青空を背景に、自分の名を呼んだ若葉色の瞳…誰よりも、見つけて欲しかった異母兄の姿に涙が出そうになったのを覚えている。
 異国人を母に持つ彼の立場は一族の内でも微妙なもので、母も義母達も分け隔てなく子供達を育てていたが、それでも異母兄は遠慮した風に一歩下がった位置で自分を見ていたように思う…年齢の近さに慕わしく、流される事のない優しさに芯が強く、弱者を守る誇りに勇敢であった彼を愛し、尊敬していた…それだけに。
 許せない。
 異母兄は今、自国の子等を…幼い兄弟達の命を奪ったカルネアデスが生み出す豊かさを求めてか、故郷と同胞を裏切り、軍人としての誇りまで捨てて、一人、中立地帯で生き延びている。
「逢いたいな…ナセル」
サミアッドは闇に閉じた瞳を開いた。
 黒い瞳は胸にたぎる感情に、強い光を放つ。
 最後に会ったのはいつだったか。杯を傾けながら、祖国の未来を語ったあの…夜がどの記憶よりも遠い。
 何故、何も告げずに去った。誰よりも近しい存在ではなかったのか。あの幼かった兄弟達の命よりも、自らに流れる血の方が大事だったのか。ならば。
「…殺してやりたい」
この手で。
 左手で、MSの全機能を起動させ、サミアッドは右の手で…自分の胸を、心臓の位置を掴む動作をした。
 爪を立てるように、抉るように。マスターアームの動きに忠実に、スレイブアームがハッチに指を食い込ませるに、隙間から外界の光が漏れる。
 その身に流れる血の半分が祖国を裏切らせたというのなら、切り裂いて搾り取ってやろう…そうすれば、自分から、もう離れる事はない。傍に居ない、それがこんなに苦しくもない。
 サミアッドは、自らはそれと知らずに薄く笑った。
 だから、こんな所で足を止めている訳にはいかない。
 更に力を込めるに、ひしゃげたハッチの隙間から、青空が、覗いた。